八九寺真宵。
女の子。
父親と二人暮らし。
彼女はお母さんに会いたい。
母の日に、其の重い思いを決行した。
牛の体重程に重い、思いを、蝸牛の様にネットリとしたしつこい思いを現実の物にする為に彼女は実の母親が住むアパートへ向かった。
OP「蛙り道」
八九寺真宵。
車に轢かれた。
死亡した。
顔をくしゃっとした表情だった。
如何にも此の世に未練が有りますと言わんばかりな表情だった。
御母さんに会いに行く途中だった。
焦燥感。
ドライバーに対する怨み。
自分の運命に対する恨み。
其れ等感情を抱くか抱かないか、彼女は死亡した。そして、無念さを晴らしたいと言う気持ちも抱いた。其れ等思いを彼女、八九寺真宵は其のリュックザックに詰め込んで彼女は死後の人生…否、「人死」を生き始める。否、死に始める。
八九寺真宵は「全人類に対する妬み」を感じた。其れは詰まり彼女が只の霊では無く、「悪い霊」に成る事を意味している。悪の霊(れい)「悪霊(あくりょう)」。
腫瘍に良性と悪性が有る。霊にも悪性と良性が有る。一般に悪性腫瘍を「癌」と呼びます。八九寺真宵は癌だ。
良く無いのでは無く、悪いのだ。
良く無い人の事を「不良」と呼ぶが、八九寺真宵は「悪」だ。とは言っても所詮1人の人間の霊だ。悪さをするとは言っても其の範囲は限られて居た。ましてや子供の状態で死んだ所以(から)。
実際に全人類に呪いを、牛の様に蝸牛の様にのろい「呪い」を掛けられた訳では無い。1人の人間が掛けられる呪い何せいぜい、1人だ。八九時寺真宵は会う人1人1人に地道に地を蝸牛が這う様な地道さで地味に、悪さをした。悪さの内容は「人を迷わす」事。
彼女八九寺真宵は人を迷わす存在に成っていた。地を這う内に悪い物(汚れ)がドンドン付いていった。彼女は自分がもっと悪い存在に成るべく意図的に悪い物を背負って居るリュックザックに入れて行った。其うして自分を地の底迄(まで)酷い存在に自ら成ろうとした。そして成った。
いつもと同じ様に彼女、八九寺真宵は人を迷わす。お米を食べて元気いっぱいいっぱいの健全な生きている、
人間を迷わし続ける。コツコツと。
努力を続ける。
其の時、彼女が迷わそうとして居た人は、「男の子」だった。「お父さんに会いに行く途中の男の子」だった。
其の男の子の父親と母親は別居していた。男の子の母親は男の子に「あんな男と会うんでは無いよ」と日常的に話して居た。八九寺真宵は男の子の肩に乗って其の一部始終を目撃した。
迷い牛が活動を出来る期間は梅雨に限られている。だから八九寺真宵が迷わしたのは合計、9人だ。迷い牛は、10人迷わすと悪魔に昇格(降格)する。ちょうど10人目だった。八九寺真宵は当時、目標に悪魔に成る事を掲げて居た。悪魔に成ればもっとスピーディーに、もっと質の高い悪さを出来るから。一年に一回では物足り無く、もどかしかった。
が男の子は、お父さんに合いたく成って仕舞った。彼の家にはパソコンが有る。彼はお母さんが買い物に行っている間に「行け無いサイト」を閲覧した。其の時も肩に蝸牛が乗って居た。彼は、其の男の子は「ゲイ」のサイトを見ていた。
其のゲイのサイトには、「父」と「息子」が抱擁して満面の笑みを浮かべている図(え)が掲載されていた。「ゲイ」と言うと何だか、気持ち悪いとか、濃いいとか言う印象を持つやも知れぬ。しかし中には、単純に「男」の「良さ」を描いた物も有る。
彼(男の子)の行動は早かった。男の子は其の絵を見て、今すぐに御父さんに会いたいと感じた。お父さんに会いたい衝動に駆られた。すぐに家を飛び出した。お父さんの暮らす家は男の子の家から其う遠くは無かった。子供の足でも何とかギリギリ、たどり着く事が出来る距離だった。アクシデントが無ければ。
一度、否二度、お父さんの家にお金を貰いに行った事が有ったのだ。其の際男の子 は終始車の中に乗車して居た。だからお父さんが暮らし始めたアパートの中は男の子は一度も見た事は無かった。
だが、車で其処迄(まで)行く間中ずっと窓の外を見ていた所以(ので)家からアパート迄の道筋を大雑把に記憶していた。記憶を辿れば、1人でも行けると思ったのだ。
そして霊だけに彼女、八九寺真宵はそれらの事全てを分かって仕舞った。迷い牛の特性の1つに触記憶伝達と言う物が有る。彼女は同時に気が付いて仕舞った。
又同時に思い出した。自分が何故他人を迷わし始めたのかを。そうだ彼女、八九寺真宵は、自分が何故悪さをしているのかを忘れていた。否忘れては居無かった。
悪さをする事に集中するが余りに、他人に迷惑を掛けたい感情がドライバーに対する怨みを越えていた。
其れと、気が付いた事はと言うと、「自分と同じ境遇に居る人物に対して、意地悪をしようとしている」事だった。
正確に表記するならば、彼女が生きている頃と同じ境遇だった。
自分の悪さに気が付いたとは言っても自分が持って居る感情を蔑ろ(無いが代)には出来無い。有る感情は有るのだ。有る感情は有るのだ。悪い細胞を壊す事が出来るのは、放射線だ。八九寺真宵は人間だ。放射線では無い。所以(だから)八九寺真宵は有る感情を無き物にはし無かった。有るも感情を有るとはっきり判断した。
他人に迷惑を掛けたい他人を呪いたいと言う気持ちは彼女のリュックザックに入った儘だった。負の感情も正の感情も両方「人の気持ちだ」。有る物だ。八九寺真宵は素直だ。所以に自分の負の感情も自分の一部だと受け入れた。有る物を有るとした。
さて、有る物を有るとした事はいいが、負の願いを持ちながら、
八九寺真宵は、男の子に手出し出来無かった。しなかった。彼女が八九寺真宵が元に成って居る、怪異だった
所以(から)。八九寺真宵は「親に会いに行く途中の子供」には手を出さなかった。
八九寺真宵は悩んだ。まさか、死んでから悩む何て夢にも思わ無かった。彼女は頭がいい。もう既にに頭は現(うつつ)っは形を成してはいないが、幽霊としての彼女は考えて思い付いた。リュックザックの中の「得体の知れない悪い物」がいい案を出してくれた。
悪い案内を彼女は逆手に取った。否順手に取った。がしかし、其の悪い案内を実行することに拠って生じる状況は八九寺真宵の望む処(ところ)だった。
人払い。否、「人祓い」。此の概念を実行すると生物が子孫を繁栄させられ無く成る為、誰も実行しない。が八九時寺真宵はもう既に死んでいるからして其の概念を実行するに吝かでは無かった。
彼女は生前他人から嫌われる事が無かった所以、人を祓う為には何をしなければ成ら無いか分からなかった。どうすれば他人から嫌われる事が出来るか分からなかった。其れでも八九寺真宵は考えた。リュックザックの「悪い何か」は勿論悪い事を思い付こうとして居る八九寺真宵に助け舟を出してくれた。悪い存在が悪い案を出して何が不思議だろうか。否なにも不思議ではない。
「嫌われるには、コッチ(此方)から嫌えば良い」リュックザックの中の何かはそう言った。成る程。生前人間関係(友達)で困った事の無い彼女だけっは思い付き憎かった。道っ悪い物を拾って置いて良かった。悪い物を拾って良いなんて良いのか悪いのか訳が分かり難いが彼女のその時の境遇ではちゃんと、そう思った。悪い=良い。普通に考えたら訳が分から無いが。
かくして、八九寺真宵は、其の迷い牛は誰かに会う度に「私はあなたの事が嫌いです!」と発する様に成った。
迷いフロッグ終わり
|