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一度怪異に関わると、其(そ)の後何度も関わり易(やす)く成ると、小説家、西尾維新は「化物語」の中で登場人物の「阿良々木暦」に語らせている。
是(これ)はどの様な事だろうか。何と無く感覚として理解出来る人が多いと私は思います。
中には「怪異に一度関わると更に関わり易く成る」の感覚さえも解ら無い人も居ると思う。
其の人は「化物語」に興味がそもそも湧か無く、アニメも小説も化物語自体味わい楽しむ事が出来無いのでは無いでしょうか。
以下の文章は何と無く理解出来る人用の文章です。 何がどの様に成(な)って怪異に一度関わると更に関わり易く成るのでしょうか。
訳は大きく言って二つ、小さく言って三つ有ると私は考えて居(い)ます。
具体的には、右脳の曖昧な感覚を感覚の儘(まま)で扱い始める事。
もう一つは、右脳の感覚の縛り方を変える事。
其(そ)の事から派生して縛り方を変更した事で感覚(イメージ)と状況理解認識の余りと重複分が発生する事。
右脳は、主にイメージを司ると考えられて居(い)ます。
左脳は、右脳のイメージを「言葉」「夢」で現すか表すとされます。
イメージをどの様に表現するかは、其の人の語彙と願望で変わります。
私は、アニメーション「偽ニセモノ物ガタリ語」(原作:西尾維新,シャフト制作)と言う作品が存在します。 其(そ)の作品の中の登場キャラクター「忍野忍」は、「名前で縛られている」と言いました。
「縛る」と言う表現は、実際に物質的に圧力を受けている訳では有りません。
「括(くく)る」と言う意味です。
私は、自分のブログの記事で「言葉で縛る」と表現する事が有ります。
同じ感覚でも、どの様に「縛る」かで具体的な言葉が変化します。
どの様に縛るかで、其の後の状況が変化する事は、世界で有る得る事です。
信じ難(がた)い人、信じたく無い人も居らっしゃるとは思いますが。
右脳で抱いたイメージを左脳で纏(まと)める事を「概念を縛る」と私は言います。
簡単に言うと「思った事を言う」です。
「思った事」をどの様に料理する(比喩)かで、表現の受けての印象は変わります。
言葉の問題です。
殆(ほとん)どの文章と言葉は、現象の終点だと考えられます。
が言葉が起点として起きる現象も有ると私は感じて居(い)ます。
今は絵に書いた餅が価値を持つ時代です。
(筆者:羽旨魔歩流)
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2012年10月26日
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其処(そこ)に其(それ)が有ると思い込んで暮らす。
其れは安心しながら暮らす事だ。 其れが嫌いだとしても。 何と無く其処に其れは有るのだと感じる事は有る。 確認をし無いで信じて仕舞う事がある。 「仕舞う」と使った事から分かる様に、自分自身で確認をし無いで信じる事は悪い事だ。 私は此の文章で其の悪さを説明したい。 説教したい。 説明して教え伝えたい。 私(羽旨魔歩流)は、何時だって、他人に説教をしたいのだ。 否(いや)、其(そ)うでは無いのか若知れ無い。 「説教するだけの価値を持つ概念を偶偶(たまたま)私が持って居(い)る」のだ。 説教をする人が偉いのでは無く、説教の内容が偉いのだ。 私に嫌悪感を抱いても御(お)門違いだ。 説教の内容に嫌悪感を抱く事が正しい。 正しい事ばかりして居れば良いと言う考えは、誤りだ。 正しい事は正しい。 其れは其の通りだ。 第一の定義として、正しい事が正しいと言う定義を溶かしたくは無い。 正しい事は正しいけれども正しい事"ばかり"する事は正しくは無い。 正しい事を連続でする事が素晴らしい事も有るには有るのだろう。 現在の私が其(そ)うだ。 私は私を始めた。 冷やし中華始めましたと言う表現に似ている。 始めると言う事は私が私をして無い時期が有ったと言う事を同時に示している事に成る。 其の通りだ。 私がは私をして居無い時期は存在した。 未来にも存在する。 存在させる気が有る。 私が私を辞める時が来るのだ。 来る事を私は願う。 私が私で居る事をサボタージュしても世界が世界で有り続けられると言う好気(こうき)の状態が再び訪れる事を私は願う。 オンリーワンを目指すと言う行為が、生温(なまぬる)いと考えて居る人が居る。 間違いだ。 大間違いでは無い。 間違いだ。 誤りで、失礼な考えだ。 「自分をする」と言う行為は、努力を必要とする事が有る。 オンリーワンと言う段階を踏まずにナンバーワンに成る事は出来る。 オンリーワンと言う概念とナンバーワンと言う概念は単なる上下の関係では無いのだ。 難しい事は出来るけれども、簡単な事は出来無いと言う事は経験した事が有ると思う。 無いとしたら、素晴らしい事だと私は考える。 オンリーワンをサボタージュしてナンバーワンを目指す人を私は嫌う。 私が私と言う存在を軋(きし)ませながら、私が私で有り続けて居る事に対する侮辱だと感じるからだ。 オンリーワンで有る事が何(ど)れ程大変な事か。 気味の悪い思いをして私は私で有る事を目指し努力したし、現在もし続けて居(い)る。 私はどうして私「羽旨魔歩流」をするのか。 どうして、「Yahoo!ブログでズバリ言うのか」。 其の理由を述べる。 「羽旨魔歩流」を知ら無い人の為に説明する。 「はむねまぼる」は、ブロガー、singer song writerだ。 ブログには難しい内容の、直感に拠(よ)る論文が掲載されて有る。 直感を理由にする論文は世界標準の論文では無い。 が、地球の状況は世界標準に併(あわ)せて物を語って居られる程閑古鳥が静かでは無い。 閑古鳥は、けたたましく鳴いている。 人間の耳を壊して仕舞う程に。 自然環境破壊の事を私は危ぶんで居るのだ。 世界標準に形式を直して居る程余裕を私は持ち合わせて居(い)無(な)い。 検証出来るのは、人類が滅んでからだ。 人類が滅んで初めて、「さて、科学的に人類は何故滅んだのしょうか」とのんべんだらりと、とんまな感覚でデータを収集出来る存在は、 人類以外の概念体なのだ。 だって人類はもう全て滅んだのだから。 現在の地球環境問題と人類の生存継続の状況は、西洋科学的に物事を調べて統計を取っている状態では無いのだ。 私は危機感を感じて、「ズバリ」物を言っている。 何時(いつ)でも、どのタイミングでも、問題を解決する方法は知って居(い)ると思っている人は日本に多い様に私は感じる。 さて、ではいざと言う時に使う其の「問題解決方法」は一体何ですか?と問われて答えられ無かった時の質問回答者の気持ちを考えよう。 不気味な物だ。 いざと言う時が来たら問題は解決出来る。 何も急が無くて良い。 と思っていた。 しかし、有ると思っていた「問題解決方法」は[無かった]…。 その感覚は、恐ろしい物だ。 其(そ)れ程恐ろしい感覚が有るだろうか。 否(いな)、無いだろう。 其の感覚は、先生なら何でも知っていると思って質問したら、「其れは先生にも分から無いんだよ」と言われた感覚だ。 有ると思っていた頼りにしたい物が、無いと知ったときに人は、「私を始める」。 本気に成る。 私は「有ると思っていた事が無い」と知ったから「ズバリ」言う様に成った。 本気に成った。 Twitterでも本気で発言する。 「私は、解決しようと思ったらどうにか出来る。だけれども人間関係を上手くする為に本気は出さ無い」と言う感覚で振舞う人に 私は説教したい。 と言うか其(そ)う言う人生は其(そ)う言う人生で本気で良いと思う。 和やかさも大切だ。 重要だ。 付和雷同する事は悪い事だと思うが。 私が伝えたい事は、「有る物が有る」「無い物は無い」と言う事だ。 漠然と、曖昧に「有る」と思っている物が、「有る」のか「無い」のか、一度だけ確認して欲しいのだ。 強迫気経障害として何度も確認する事は、障害だから悪い事だと思う。 が、「一度」「自分で」確認して欲しい。 無いと分かったら、余裕有る人生を本気の人生に変えて欲しい。 有ると分かったら、余裕有る人生を歩んで頂きたい。 「本気に成ったら何時でも解決出来る。角が立た無い様に和やかに洒落を入れつつ生活しよう」と思いながら生きて頂きたい。 twitterでは楽しく会話を呟きを楽しんで居る事を奨める。 和やかに生きる事は良い事だと思う。 自分の本気で何と無く強く信じる頼りに成る曖昧な脳内の存在は、人に依って異なるだろう。 私が本気で何と無く信じる便りに成る存在は、「東洋哲学」だった。 「東洋哲学」は存在する分が存在する。 存在し無い分が存在する事は無いのだ。 東洋哲学は、実感出来る分だけ有効で有る。 (筆者:羽旨まぼる) |
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