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ったく…。
なんで、夜の草叢(くさむら)に男二人して寝転んで星を見無いと行け無いんだ?
相手はホモだし。 こんなシチュエーションの最近流行りの日本の歌が有るけれど、相手の性別とか、性思考と言い、違いが有る。 ホモと夜空を見上げるなんて歌詞では無かった。俺だって金を払って其のCDを買ったんだ。歌詞通(どお)り成る運命を頂いたてしても罰は当たら無いと思うんだけど…CDには運命と言う見え無い付属品、特典は無いらしい。 否、そうでも無いのか、其の歌詞では相手が異性だと断定を行って無いな。俺の記憶に依ると。 と成ると、其の歌の詩と同じシチュエーションな訳か…。 「昔の人ってさ」 まぼるはふいに喋り始めた。 突然に喋り始めたから俺は驚いた。肩が跳ねた。 「刀で切られそうに成った処(ところ)を助けられて恩を忘れ無いって事有るでしょ。僕の場合はさ、恋に助けられた。命を。大袈裟に聞こえるだろうし、私も大袈裟だと思うんだけれど、「恋に命を助けられた気がする」。気がするだけ。そう、気は少なくともしてる。 僕の御父さんも御母さんも生きて居て僕は現在は養って貰ってる。食べ物が食べられ無くて、死にそうって訳では無(な)い。 此の状態で、僕がどうにかする対象は、物理的な事とか、事実がどうかとか、他人がどう思うかとか考える冪(べき)事では無いと思う。 僕が考える冪事は、自分がどんな気がするか、どんな感情を持つのか、どう勘違いするか、どう騙されるかだと思うんだ。 恋に助けられたと言(い)い方は変。言い換えると、私は或る人に「恋」と言う道具を用いて助けられたと言う事に成(な)る。 僕は、僕の命の重さ分と勢い余る分、「恋」と言う概念自体に対して恩を感じて居(い)る。もう一つの言い方をすると、僕は恋と言い道具を使って私を助けた或る人に対して恩を感じて居る。真っ暗な、透明な私の視界に橙色の 柔らかい確かで小さ目(め)の光を表し、映してくれた或る人に、僕は恩を感じて居る。 先(さっき)男ならば誰でも良いから抱かれたいと言ったよね。私は私の命を助けてくれた人を忘れ様(よう)と考えて居た。考えて居る。其の一つの方術として、別の人を好きに成ると言う方法が有ると、思った。其れで別の人を好きに成ろうとした。私の身体を直接触れてくれる人を好きに成ろうとした。成った。 言って試(み)れば、否(いや)言って試無くても、前者は心を心で好きに成った。後者は心を身体で好きに成った。何方(どちら)がより、尊い恋かと言うと前者なんだわね。 後者に恋をしていた、しようと試みて居た時も僕の恋は、結局は前者を探して、見つけ様として居たんだよ。 僕から、前者への恋心を、一緒に過ごせ無い苦しさ、悔しさを抜いたら僕の心には、性欲しか残ら無いね。 此(こ)れが僕のホモの、恋物語だよ。深いでしょ。切ないでしょ。気持ち悪いでしょ。」 まぼるはそこまで一気に言って口をやっと止めた。 (この文章はフィクションです)
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2013年03月01日
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登校 大学へ登校しました。
成績を貰いに行く為(ため)です。
図書館のアルバイトで、大学へは最近も行って居(お)りました。
が、本日はアルバイトと言う理由以外で参りました。
私の希望 私はどうやら、来年度から第三回生に成(な)れそうです。
私は先生から将来の事に付(つ)いて、尋ねられました。
私はとっさに、未(ま)だ考えてません。
と応えました。
が、可咲(おか)しな話です。
私は、成りたい物が多くて困って居(い)る人です。
が、より現実的に考えるならば、一つ目標が夢が有(あ)ります。
精神病に関する職業に就きたいと言う願望です。
私は私自身の「強迫神経障害」と言う経験と、言語能力を使って、他人の役に立ちたいと願って居(お)ります。
体が… 本日は、学校から帰って来てから体が硬(かた)かったです。
肩が上がりっ放(ぱな)しでした。
午前中に学校に行って、頭の中に遣(や)る事が大量に有(あ)りました。
故(ゆえ)に私は、体が緊張しっ放しでした。
遣(や)る事を熟(こな)した後の今の私はの肩は下がってます。
(筆者:大塚将俊)
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音読きょうはくかんねん 「強迫観念」と言(い)う言葉が有(あ)る。
意味は「迫(せま)られる強い思い」だ。 別の表現をすると、「〜し無(な)ければ成(な)ら無い」と言う意味だ。 種類 強迫観念には2種類有る。
良い方と悪い方だ。 良い強迫観念と言うのは、どの様な点に於(お)いて「良い」のかと言うと、 強迫観念通(どお)りに行動した時(とき)に、引き籠(こも)り状態から脱せたり、何もし無いで居る状態から抜け出せる種類の強迫観念が良い強迫観念なのだ。 此(こ)の強迫観念には従って良い。 「勉強し無ければ成ら無い」と言う観念は、強迫観念である。
が、勉強だけ遣り過ぎ無いので有れば、勉強する事は良い事だ。
詰(つ)まり、「勉強し無ければ成ら無い」は、従って良い強迫観念と言う判断を出来る。
悪い強迫観念とはどう言う物かと言うと、従ったら日常生活に支障を来(きた)し、自らを破壊し、個人の夢、目標、願望、欲求を邪魔する強迫観念だ。 此方(こちら)の強迫観念に従っては駄目(だめ)だ。 したがう 「従って良い」とか「従っては駄目だ」とか筆者、私は「従う」と言う表現をした。
「従う」と言う語句からは、「利用される」と言う感覚を得る事に成る。 其(そ)うだと、思われる。 因(ちな)みに私は其(そ)う感じる。 其(そ)の、「自分が強迫観念に利用される」と言う感覚は、正しいと言ったら正しい感覚だ。 強迫観念に関して見識を深めると言う、此の場面に於(お)いても、「従う=利用される」と言う感覚は正しい。 例外では無い。 「人が強迫観念に利用される」と言う図式は、現実に則(そく)した物だ。 強迫観念は、強いのだ。 強い物には従う他は無い。 其の考えが基本だ。 それじたいが又(また)「従っては駄目」と言う表現が観念が、強迫観念だ。 が、此の強迫観念は良い強迫観念だ。 私は沿(そ)う判断する。 したがうことはりようされることしかしながら「(人が強迫観念に利用されると言う図式が)完全に正しいか否(いな)か」と言う質問に答えると、自問自答すると、答えは否だ。 完全に人が強迫観念に利用されると言う訳では無い。 『どの様(よう)に利用されるかを人は選択出来る』のだ。 良く良く考えて試(み)ましょう。 「強迫観念が良か悪か判断する」「従うか従わ無いか決める」と言う事は、出来るのだ。 其等(それら)の2つを行う自由を我々は有(ゆう)して居(い)るのだ。 組み合わせを数えると、4つの選択肢の中から好きな物、又(また)は嫌いな物でも選べるのだ。 敵意識仲間意識此処(ここ)で、「強迫観念」を怪異扱いする。 「怪異」対「人」と言う図式を採用して試(み)る。 沿(そ)うする事で、強迫観念に襲われる人同士に一体感が生まれる。 強迫神経障害者と強迫神経障害者同士、強迫神経障碍者と強迫神経障碍者同士に一体感が生まれる。 沿うする事で、一人称に「我々」を使用する事が出来る。 閑話休談。 強い物にしたがわない 先程(さきほど)「基本的には人は強迫観念に従う他無い」と述べた。
が、其(そ)れは基本としては、の話だ。 応用として強迫観念に従わ無いと言う様な方術は有る。 正確に表現すると、「強迫観念に従わ無い」と言う方法を使うと痛い目に遭うから、「強迫観念に逆らう」と言う言い方に成る。 「強迫観念に従わ無い=消極的に強迫観念に従わ無い」で「強迫観念に逆らう=積極的に強迫観念に従わ無い」だ。 強迫観念は強い。 強いものに従わ無いと、後で痛い目に遭う。 「其の強迫観念」は「悪い」と判断し、「従わ無い」と決めた時(とき)に、どうすれば良いか。 どうすれば痛い目に遭わずに済むか。 答えは、「積極的に従わ無い」だ。 「消極的に従わ無い」と痛い目に遭う。 「積極的に従わ無い方法」として、「暴露反応妨害法」が有る。 暴露反応妨害法に、以上の様な思考経路を辿った後に着(つ)く事も可能なのだ。 (筆者:大塚将俊,羽旨魔歩流)
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