女性の方が閉じこもりの原因と治療 page52の11を読んで
その文章によると、うつに成る比率は、女性よりも男性の方が少ないのだそうです。
私はてっきり男性の方がうつに成るのかと思っていました。
「女の人の方が多いんだ!知らなかった。」と思いました。
著者の黒川照登によると、男性の方が喪失を我慢する傾向が有るからなのだそうです。 そうだとする成らば、女性も男性も同じ様にうつに成り易いけれども女性は我慢しないから認知され易い。
男性は我慢をしてしまうから認知され難い。
そういう事に成ります。
我慢する事は、悪い事の様に思えます。
我慢すれば格好良いは格好良いし、男らしいと言えば確かに男らしいと思えるのですが。
まとめ この文章で言いたかった事をまとめると、
・女性の方がうつに成り易い
・男性の大勢は喪失を我慢する
・私は男性の方が多いと思っていたので、吃驚した
以上の3つです。
(筆者:大塚将俊)
|
本
[ リスト | 詳細 ]
読んだ本についての記事があります。
読書感想文「日本人なら知っておきたい神道」(武光誠)
の 48pageの11、12、13行を読んで… 周りから汚い人間と見られることを避けようとする生き方 この文に私はビンと来た。 こういう日本人多いよなぁと思います。 最近の若い人は、周りからどう見られるかをとっても気にするのだそうです。
大学の「障害者福祉」の授業で聞きました。
その先生は、毎年授業をしているみたいで学生のアンケートを集計しています。
だから、結構信用できると思われまする。
私は、周りからどう見られるかを気にし過ぎる人や、汚らしいことを嫌う人が嫌いです。
私は、強迫神経障害を乗り越える時に「綺麗」という物は「無」であり、
人間は「無」では無くって「有」だから「綺麗」は必ずしも人にとって良い物とは限らないと考える様に成りました
。
汚さを許せて受容出来る様に成る…それが、私が目指すべき方向なのだと確信しました。
そんな訳で、「清らかさ」を大事にする「神道」だけを私は信仰する訳にはいきません。
「人間の良心に全幅の信頼をおく人間中心の宗教」」が神道なのだそうです。
私が信仰したいのは、
「人間の良心と悪心に信頼をおく人間中心の宗教」です。
(筆者:大塚将俊)
|
漫画「鈴木先生」を読んで鈴木先生の「困った時の小川頼み」という言葉か印象に残った。驚いた。 先生が生徒を頼るだなんて、有り得るんだと思った。
教師も人間。頼りたい時もある。 私は大人や教師を何か、完全体だと思い込む節がある。何でもできて何にも耐えられる強い存在なのだと。
しかし、違う。教師は人間だ。進んだ分だけ進んでる。知らない事は知らない。
できない事はできない。苦しい時は苦しい。
経験した事は経験したが、経験してない事は経験してない。当たり前の事だ。
私はその当たり前をちゃんと理解できないでいる。
このまま私がどんどんと年齢を増すと大人だからなんでもできなくてはならないとか思って頑張り過ぎたり、知ったかぶりをしたり、経験は無いのに経験したかの様な言い方をするかも知れ無い。
大人像を背負う事は良い事ではないと私は思う。
子どもだろうと、大人だろうと、「その人」だと見做す事が最も良いと私は思う。
時と場合に寄るのだが。
学級委員長気質 今から、私が中学生だった頃を思い出すともしかすると先生は私に「小川蘇美」みたいな役割を負ってくれと言っていたのかなぁと思う。
私は、小学4年生の頃と中学一年生の頃に学級委員長をした事がある。
が果たして私は学級委員長の役割を負うっぽい雰囲気を放っているのだろうか。
相応しいのだろうか。
私が母から受けた名前の一部に「将」という文字がある。
これは、「将軍」の「将」で「優れている」とかいう意味がある。
「将軍」と言ったら軍の責任者だ。
責任者とかいう概念を私は名前に負わされてるだけあってそれなりの雰囲気を持っているのだろうか…。
私は、皆が皆リーダーだと考えたい主義だ。
誰か1人が引っ張り、その他の人が付いて行くという形式は好まない。
(筆者:大塚将俊)
|
|
「標準看護学講座精神看護学」(監修:高橋 照子,編集:水渓 雅子、多喜田恵子)(金原出版株式会社)
127頁を読んで
考え方の違い 「自分が神に仕えて世界を変えようとしているのを、悪魔が邪魔している」に対抗する意思が有る。
「自分が悪魔に仕えて世界を色多くしようとしているのを、神様が無職にする」だ。
私は最近上記の考えをしている。
「神」は「無」の概念寄りで、「悪魔」は「有」の概念寄りだと私は考えている。
私の様な考え方をする人も居るのだと知って欲しい。
自分を守る為に 妄想が自分を守る為だと文章には書いて有(あ)った。
妄想を定義付けする事は不安定な認識を安定に導く事だ。
妄想を定義付ける行為も又人の安定を求める行為だ。
安定を求める行為は、自分を守る為だと感じる。
(筆者:大塚将俊)
|
|
※此(こ)の記事は、新書本「危ない大学」(海老原嗣生・倉部史記・諸星裕・山内太地)(洋泉社)のpage54を読んで書かれる文章です。
其(そ)の通りだと思います。
基礎的な事を先ず試験して、其の上の最終試験では、其の学部ならではの問題を出題する事は頷(うなず)けます。
基礎的な事を先ず試験して、其の上の最終試験では、何故学部に入りたいのか、どの様な事を学びたいのか、どの様な実験をしたいのか、どの様な調べ事をしたいのかを尋ねるならば、頷けます。
が、しかし基礎的な事を先ず試験して、其の上最終試験でも5教科9科目の試験をする事には頷けません。
大学生に成る前には、自分がしたい事を発見し、自分が興味を持てる事を発見する必要が有ると私は考えます。
自分が興味を持てる事に関して「私は此の事に関して興味を持つ事が可能な人物です」と言える程に、自分の意志を固くする必要も有ると私は考えます。
大学では、自分が興味を持つ事を勉強する事が必要だと私は考えます。
自分が興味を持つ対象が、漫画に成ったら、漫画を一生懸命に読む事も大学生がする可き事だと私は考えます。
私は漫画を読むと、「よしっ、私は小説の分野で頑張るぞ」と遣(や)る気を持ち直す事が出来ました。
(筆者:大塚将俊)
|




