「帰る」と言う言葉は「戻る」と言う言葉とは違う。「帰る」為には「家」が必要だ。
もう1つ、「家」以外の空間も必要だ。
家が有り、其処から出てもう一度戻って来る時、に「帰る」と言う言葉を使うのだ。
「家」という概念に、「安心する」という感情を抱く人は多い。
特別な家庭環境が無い限りは、家は安心する場所だろう。
恐らく。
多くの人は。
多分。
私だけかも知れないが。
子供だけかも知れないが。
其の安心する「家」という言葉には、「内(うち)」と「外(そと)」と言う概念が前提と成っている。
其の事に、読者はお気づきだろうか。
よく、男の人が空を蹴る真似をするが、其れは目には見え無い「ウチウチナイナイガエル」を追い払っているのだと、私は思う。
ただ単にサッカーをしたいだけかも知れないが。
家内々無蛙は、内と外の概念を持って居無い。
だから、蛙の癖に、一生帰るなんて事はし無い。
出来無い。
かえるは親の顔を知らずに生きている。
人が家に帰って安心する理由は、好きな親が居るからだ。
実は、其の場所としての家に帰っても、安心はいまひとつしない。
実は、houseでは無く、homeに行か無いと、安心を伴う「帰る」と言う行為は出来無い。
親を知ら無い蛙にとって、親の元に帰る事が出来無いのは当たり前だ。
家内々無蛙に関わってしまうと、其の人は家に帰れなくなる。
内と外の概念を奪われるから。
内側と外側が無いと言う事は、家の外に居ても、其処は安心できる所だし、
家の中に居ても、其れは何処か社会性を帯びた空間で居疲れる。
対処法
此の怪異に対処する方法は有る。
無事蛙(無事帰る)と言う、蛙の置物を玄関に置く事は、対処法ではない。
其れは単に、体が其の家(house)に帰る事を願う物だから。
其れは一時的な呪いだ。
本来的に帰る為には、人それぞれの自分のあるべき姿に戻り、在るべき場所に戻り、有って然る冪(べき)人間関係を作り直す事だ。
私の場合は、YUKIの「Home Sweet Home」と「COSMIC BOX」に拠って、「家内々無蛙」を追い払えた。
其の歌の中の「帰ろう」「還ろう」と言う言葉は「居ない蛙」を「居る蛙」にしてくれた。
2つの曲を合わせると、合計で2回の帰ろうと、5回の還ろうを聞く事に成る。
効果は其の回数程度だ。
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