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中学校を卒業して高校生になった。其の頃から、何だか心が安定し無く成っていた。
勿論保健の観点からすれば、其の正体は簡単に突き止められよう。
アイデンティティクライシス。
青年期に自分とは何かと迷う事だ。
此の言葉の後半を見ると事の重大さが分かる。
クライシス。
日本語に訳すと、危機。
此の問題は精神の問題で有り、尚且つ、命をも脅かす程の危機を含んでいる問題で有る。
―アイデンティティ位、死す―
確かに私は、アイデンティティクライシスだった。
アイデンティティクライシスで“も”有った。
しかし、“あの”精神状態は果たして本当にただのアイデンティティクライシスだったのだろうか。
いや、私は沿う(そう)は思わない。
中学校の卒業式の来賓の御話(おはなし)で此んな話が有った。
「卒業生の皆さんは義務教育を終え、是から世間と言う海、荒波の海に発つ(たつ)のだ」と、其んな話が。
私は、今迄(まで)は安定していた自身の心が、其の後、荒れる事を其の言葉から薄々察知していた。
心が荒れると言っても色々だ。
私の心の荒れ方は、不安の慢性だった。高校生に成った私は、心が何処か(どこか)「帰れて居無い」と感じていた。
其れは家に帰ってからも沿うだった。
家に帰り着いた後も、私は、「帰りたい」と呟いたのだった。
どうしてか。
テレビで、老人福祉施設の認知症の御老人が「家に帰らなくちゃ」と言って何処かへ行こうとしてしまって、困ると言う話を聞いた。
其れで、其処(そこ)に務めている人は「一体何処へ帰るのか」と困っているのだそうだ。
私は丸で(まるで)、其のご老人だった。
一体家に居るのに、私は此れ以上何処へ帰ろうと言うのか。
自分でも甚だ謎だった。
私は、小さい頃「帰る」と言う言葉が嫌いだった。
楽しい、友達との遊びが終わってしまう合図の言葉、其れが「帰ろう」で有った。
哀愁が漂う言葉。
子供の私には、嫌だった。
しかし、私は今では「帰る」と言う言葉を口にする事に吝かでは無い。
とても不安な気分で居続ける事の不快感を経験したから。
「家内内無蛙」と言う、怪異に出会ったから。
うちうちないないかえる。
其れは、存在しない蛙。
居ない蛙。
蛙が無い。
帰れない。
何時でも何処でも、私は家に帰っていないと言う感覚を持つ症状の事だ。
私は其の怪異に出会ったのだ。
私の自宅の玄関には蛙の形をした石の工芸品が有る。
無事がえる、と言うのだそうだ。
此の事実はニンテンドー「どうぶつのもり」と言うゲームで知った。
本当にゲームは勉強に成る。
其れはさて置き…。
今思えば、私の肉体が取敢えず(とりあえず)は家に帰れていた(心は帰っていないにしても)のは其の無事蛙の御陰なのだった。
「無事ガエル」と言う置物を置く事に拠って、其の家の者が無事に帰って来ると言う魔術はそこそこ昔から行われていた様に私には思える。
勿論此の魔法が使えるのは、日本内だけだ。
「go home」と「flog」が同じ発音なのは、日本語だから。
高校生に成ってから、私は、有る1人の歌手を覚えた。
YUKIで有る。
彼女の「メランコリニスタ」と言う曲は花王のテレビCMで流れていた事が有って、何と無く知って居た。
メロディーと歌詞を。
其仕て(そして)彼女が多くの良い歌を持って居る事を知った。
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