はむねまぼるのブログ

作詞作曲をしています。介護のことも書きます。強迫性障碍のことも。

私の考え

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私の主張文があります。
臆見ばかりです。又、侃侃諤諤です。
反論、ご意見も平気です。
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「プレゼント」

さまざまな角度から
さまざまな人たちが
いろんなことを助言して
うまくより分けられなくて

やる気を削がれても
エネルギーを削がれても

言い訳をしたくない
それらは すべて 僕が悪いのだから

自分の中でより分けられない
僕が悪いのだから
流されてしまう僕が悪いのです

どんな運命でも受け入れたい
神様がくれた偶然という形でくれた運命を
こぼさないように受け止めて
抱きしめて 温めてあげたい

そこに命は要らないよ
そこに心も要らないよ
そこに鼓動は要らないの
そこにぼくさえ必要ない

神様(あなた)そのとき偶然興味を持って
人間ども(わたしたち)に振り落としたそれぞれのプレゼント(運命)
そこに重みがないとしても
なくなったときも
ぼくはまだ抱きしめているよ

どんな霊的な歪みも
必然で生まれた皺寄せも
僕(ここ)ですべて
受け止めて 吸収するから

「なんの心配もないわ」
「なにかあってもそれは、
最大限に努力した私では
もうどうしようもなかったことなのだから」

中身がハズレだらけのプレゼントが
空からいつも降ってくるよ
いっぱい試して当たりを見つける?
ひとつ手にとって輝かせてみる?

人間同士の礼儀やマナーや決まり事や
印象やら無礼やら違法やらって
そういう「社会」のそのもっと後ろに
もっと土台の下側にある
どうしようもなく人間たちでは操作できない
「きまりごと」があることに
ぼくは気付いているから
信じているから

エネルギーの量と行き先


 自分のことを見ていない人は、他人のことばかり見るという言葉があります。
自分へエネルギーを向けないと、エネルギーは外側へ向くものです。
そこから1つの方法を考えました。


対処方法3つ


 強迫神経障碍はエネルギーの絶対量が多過ぎるということも考えられる。
エネルギーが有り過ぎて、思考があちこち行く(行ける・行けちゃう)し
1つ1つが深くなる(なっちゃう)。
だから、エネルギーを向ける点を有益な一点に集中するというのが1つ
強迫観念に対する方法。

 逆にエネルギーを向ける事柄をもっともっと増やして、1つ1つが深くならないようにする
(この方法を使うと、一見注意欠陥多動性障害の状態に見える)
とかが寛解方法として、治癒の過程として使えそう。
強迫神経障碍自体がたぶん、そんなに深く研究が進んでいないと思うから
こうやって自分で方法を創成する必要が有ると思う。。

 あと、他にエネルギーの量に注目するならば
エネルギー量を減らすというのが有りそう。
摂取する食事量を減らしてみるとか。
でもこれってあんまりいいことじゃないと思う。

 だから、思考へエネルギーが使われないように
エネルギーの消費量を増やすという方法が有る。
僕自身も、強迫神経障碍が酷くなった時期と運動部を辞めた時期は重なっていた。

 後からわかったけど、運動部は僕のあまりにも哲学として持っている勝ち負けを嫌う思想からして合っていなかった。
悩みやストレスや拒否感が募るばかりだった。
だから、勝ち負けの伴わない・・・もしくは気にしないで済む運動行為や、思考活動を増やせば
それに対してエネルギーの消費を行えて
気にしなくてもいいことを延々と気にするという現象が起きなかったように思える。

 つまり、強迫神経障碍に対する別の見方をしてみると、
自分に合った活動を見付けられる過程で、合っていない活動をしていたり、活動量が少ない場合に生じる
1つの現象と言えそう。
そう考えると、強迫神経障碍は一生付き合う障碍ではなくて、一時的な現象とも言えそう。
ただ、思考的に深く入り過ぎたり、不安を感じ易かったり、危険予知能力が高い人の方が、
この現象が強く出るだろうな。

肉体・命・旅を続けさせる必要


 わたしは優しい介護者です。
介助者として優しいことは基本的に善いことです。
しかし、優しすぎるとか、心に焦点を当てすぎるとかは、介護者として良く無いこと場面が有ります。

 「命・体・心」と分類してみるとして。
どれをまず護るべきなのか。
このままの順番でしょう。

 優しすぎる人はつまり心を護ろうとしすぎる人でしょう。
介護においては、やはりまず利用者の命を継続させることと、体(肉体)を継続させる必要が有ります。
食事介助・排泄介助・風呂介助・移動介助そういった「しなければならないこと」を
或る種強引に、次へ次へと進めていかなくてはなりません。
「心」とは無関係に、肉体継続のためにするべきことをしなくてはなりません。


 今回のわたしがぶち当たった状態として、
オムツの交換をしているときに、利用者が話し掛けてきて
一生懸命に傾聴してしまって、オムツの交換が一向に先に進まなかったというものです。
わたしはどうすれば良かったのでしょうか。
どうするべきなのでしょうか。


 まず、利用者の話を完全無視してオムツ介助を断行するのは駄目です。
そしてその逆、利用者の話を聞きまくるだけでオムツ介助が進まないのも駄目です。
つまり、答えはその間です。
利用者に「自分は話をちゃんと聞いてもらえている」と感じさせるだけは話を聞いて。
そしていつまでも、利用者の話の世界に浸っているばかりではなくて
或る程度のところで、今目の前で取り変えなくてはならないオムツに関しての「お願い」
(相手が或る程度動ける場合)をするべきです。



どのように感じていれば良いのか


 とは言っても、わたしは「優しすぎる人」なのです。
それ自体は変えられないのでしょう。
だからどのように感じ、どのように考えれば良いのか。

 ・泣き腫らしたすぐ後にちゃっかりしっかり腹が空く
 ・意思とは関係無く動く平滑筋
 ・「♪意外にタフ 旅は続くんだ」(「歓びの種」詞:YUKI)

上記のようなヒントで、しっくりきました。

 感情的に泣いた後でも、体は現金なものでちゃんと食べ物を欲します。
筋肉には横紋筋と平滑筋が有り、人間の意思で動かせるのは横紋筋であります。
平滑筋は人間の命を継続させるために意思とは関係無く動きます。
こういう機能が有ります。
介助者は、利用者にとってのそれらの機能に成り代わる必要が有ります。

 利用者が、心で「話」を欲していても、そのときには
生理的に必要な「オムツ交換」を進行させなければならないのです。
それはきっと悪いことではないはずです。
ときには或る程度は心を無視して、とりあえず命・体を今後へと続けさせなくてはならないのです。

 命・体を今後へと続けさせるということはつまり、
利用者の心の旅を続けさせるということです。
命・体が終われば、心(精神)の現世においての旅も終わりとなります。
この先の利用者にとっての「旅」の中で、
良い事が有るにしても、悪い事が有るにしても利用者の旅を続かせる必要が
介護者には有ります。

 このときに、「この方の命・体をとりあえず今後へ繋げたところで
この方に良い事なんて1つも起こらないのではないか?」と思ったり
利用者本人が「死にたい」と言うことも有ります。
そのときにどう考えれば良いのかと言うと、
利用者の今後の旅において、もしも良いことが1つも用意されてないならば
介護者が「良いこと」を「創」ってしまえばイイということです。
今後良いことが有ることを約束すると共に、命・体を継続させるならば
介護者に罪悪感が生まれないで済みます。

このことは、優しすぎるわたしにとっての助けになる大きな気付きでした。

〇〇しなかったという罪


 情報を公開しないという罪が有る。
職場に於いて流すべき情報を流さないことは罪である。
何かを「する」ということの罪ではなく、「しない」という類の罪である。
だからすこし理解が難しい。
世の中の多くの罪は、何かを「する」ということによる罪であり
何かを「しない」ということで罪に問われることは少ないからだ。

情報を公開しないという罪


 しかし、最近これについて痛感している。
だれかがわたしに情報を流さなかったからこそ起きてしまった事件。
そういうのが有った。

筆記伝達と口頭伝達


 口頭ばかりに頼りノートに「書く」ということをしなかったから起きてしまったことだった。
口頭と筆記の両方で情報の断絶が起きない様に、二重のロックをかければ安心だがどちらかだけに懸けてしまうという癖。
私自身の場合は、筆記にばかり頼る癖が有る。
だから、今回のヒヤリはっとを経験して、とにかく、少しでも不安に思ったり不思議に思ったことは訊いちゃおうと決意してどんどん口数を増やしている。

 「今回のヒヤリはっと」というのは、連絡ノート(筆記)に何も書いてなかったので、自分が新しく得るべき情報は何も無いのだと判断したため、
介助方法が変更になっていた入居者に対して、既に前日(前日には私は居なかった)に指定されていた介助方法とは違う移乗介助を行ってしまったということである。
私が口頭で訊けば良かった。
何か変化は有りますかと。
 特に朝のことである。
朝は、申し送り(情報伝達)(朝礼)が行われる前に業務が開始になる。
だから連絡ノートに頼っていたのだが…。
結局、筆記し忘れも有るし他の職員が「口頭で順次職員に伝えていけばいいや」と判断すれば筆記による情報伝達は行われない。
だから、朝の申し送りより前に行う仕事の全ては情報伝達に於ける「死角」であり
別の言い方ならば「盲点」である。
その時間帯(7:00〜8:30)では、事故が起き易いと言える。

・そのため、口頭で早番は明け番に対して「何か特に知っておくべきことは有りますか?」と訊く必要が有る。
・また、次の日の早番さんに向けて7:00〜8:30に行う仕事において知らせておくべきことは筆記で連絡ノートに書いておく必要が有る。

前者が、情報を公開させることであり。
後者が、情報を公開することである。

情報を公開させないという罪

 1つ注意するべきは、情報を流さなかった罪を問うときに
情報を訊かなかったという罪も同時に問うべきであるということだ。
ただ、「知らないこと」について訊くよりも、「知っていること」を教える方がし易い。
知らないことを訊かなかったという罪を責めてしまうならば、
四六時中、誰にでも「訊きまくる」必要が有る。
「何かありませんか?」「何かありませんか?」と…。
それは煩わしい。
というか業務妨害である。
だとしても、自分が訊きたいことが無くても、「未知の何らか」を訊く姿勢は重要だ。
その頻度が異常でないようにする必要が有るが。

 「未知の何らか」を相手にするよりも、「知っていること」を教える方がタイミングを掴み易い。
知ったときに伝えれば良いから。
でもどちらも必要なことだ。
知ったときに伝えて、知らないときに訊く。
自分が何を知っているのかを知るのはやり易いが、自分が何を知らないのかを知るのは難しい。
個人的には、情報を公開させない罪よりも、情報を公開しない罪の方が重いと考えてはいる。
が、相手ばかりを責めても仕方が無い。
やり易い方もやり難い方も両方やる必要が有る。


前書き



 誰かを好きという感情は邪気払いなのかもしれない。
それがそれであるのに大量のエネルギーを要するときに、それは邪気払いをする存在となる。
五行説において、固いもの…つまり「木火土金水」の内「金」(ゴールドの金だけではなく、石や金属等全般を指す)
に当たる存在が、それがそれであるために大量のエネルギー(妖力)を要する為
周囲に有る妖力を全部吸い取る為に、邪(よこしま)な存在が飢餓状態になって
邪な存在が猛威を奮えなくなくなるみたいな話。
五行説のそれの場合は、一般的にクルミが有名だが…。
元をちゃんと考えればクルミでなくても、とにかく硬いとか、それがそれである為に大量のエネルギーを必要とする存在ならば
別にクルミでなくてもいいはずだ。
元になる論理の部分が失われて、「クルミが邪気払いになる」という枝葉末節の部分だけが伝承として残ってしまっているのだと思わ
れる。


 邪気の「邪」は邪(よこしま)とも読む。
横縞(よこじま)。
縦縞(たてじま)。
 縦縞にとって横縞は、横の縞。
横縞にとって縦縞は、横の縞。
つまり言い換えれば。
縦縞にとって横縞は、邪な存在。
横縞にとって縦縞は、邪な存在。
互いにとって互いは邪魔な存在だ。
 正義にとって邪悪は邪悪であり。
邪悪にとって正義は邪悪である。
互いに忌み嫌う存在。
 だからこそ、正義側に入っても、邪悪側に入ってしまっても同じことなのかもしれない。
どちら側に入っても、いずれにしたって「敵」は現れるのだ。
正義側に入れば、邪悪という敵が現れる。
邪悪側に入れば、正義という敵が現れる。
 自分にとっては真っ直ぐな道を歩んでいたのに。
それとは90度違う道を作ろうとする者にぶち当たる。
縦縞と横縞が入り交じる点。
それが、交差点。
敵同士がぶつかる点。
交差点。
自動車教習所で、交差点は最も事故が多いと習うがそれもそのはずである。
物理的にも統計的にも事故が多いだけではなくて、哲学からしてもそうなるという結論が出てしまうくらいなのだから。


 邪気を払う。
邪に入る。
そのどちらを選んでも、大差が無いのかもしれない。
 邪気を払うならば、横から入ってくる邪気をその度に払っていくべきだし。
邪に入る方を選ぶならば、横から入ってくる正義をその度に敵として払っていくべきなのだ。
どちらを選んでも、敵が現れる。
そしてその敵を払っていく必要に迫られる。

本題


 なんでこんなことを考えるのかというと、介護施設や介護住居に於いて最も恐ろしく重要な仕事「薬」と関連が有る。
どうすれば、ミスをしないか。
同一人物に於いて、明日の分を今日飲ませてしまったというミスならばまだ平気だが。
他人の薬を別の人に飲ませてしまうのが、恐い。
フツーに死ぬことが有る。
間違えたら100%死ぬという訳では無いが。
死ぬ可能性が有る。
 若者に於いて別人の薬を飲ませてしまっても、死なないとしても、その人が老年ならば
変な方向に変化してしまった体を元に戻す能力と体力が少ない為、そのまんまに死んでいってしまう可能性が有る。
そういう、重要で恐ろしい仕事である「薬」についてどういう風な心構えで居れば良いのか。
それについてあれこれ考えている。
考えたい。
また、考えるという行為が、「薬」の仕事に於いて「邪」な存在になるので、そうやって考えること自体が
ミスを招く前段階なのではないかと、大変な恐怖を抱きながら考えている。
それでもやっぱり考えるべきだと思って、或る結論に至るまで考えている。
 或る結論に至るまで考え続けてしまうというのは、強迫神経症の1つの症状であるが。
それにしても、考えている。
考える方を選んでいる。


 論点は2点。
「邪気を払う・邪に入る」と「恋をする」ということ。
これらと「薬」について。

邪気を払う・邪に入る


 薬を配分しているときに、余計なことを考えないということが必要だ。
だが、わたしの様に考えが止められない類の人が「考えを止める」というのはおよそ不可能である。
そういう人の場合は、邪気(余計なこと)を払う(考えない)ではなくて、邪に入るという方を選んでしまっても問題が無いと私は信じる

恐怖感が高まりすぎたときに、もしも薬を間違えてしまってもいいじゃないか、死んでしまっても、自分がクビになっても刑務所に入
っても。
という風に考えて…そして、心の隅の方で「否、それじゃ困る」という思いを起こしてその思いを使うという方法。
面倒臭い2段階方式だが、自分自身の意識を一度客観視してからもう一度主観に入り直すという作業は無意味では無い!
 とか考えてみたが、一度邪な方へ入って、その後交差点で右折だか左折して、正義(縦縞)の方に入り直しているから結局やっている
のは邪気払いである。
だから、結局は、文字の認識ができない程に疲れているとかストレスがかかり過ぎているときには「薬」の仕事には関わらない方が良
いということである。
その場合「疲れ」や「ストレス」が「邪」に値する。
恐いのは、無自覚の疲れや無自覚のストレスである。
自分で自分は今疲れているとかストレスが掛かり過ぎているとか判れば、「薬」の仕事は今日はやらないでいようとできる。
でも、疲れやストレスが無自覚だともちろん対処のしようが無い。


 もう1つ「恋をする」ということについて。
恋は人を馬鹿にさせる。
ぼうっとさせる。
惚けさせる。
 頭が働いていない状態で「薬」の仕事をしていたら、危険だ。
そう思ったのだが、その逆かもしれないと思った次第である。
「恋をする」という行為には大量のエネルギーを要する。
ただ恋をしているだけで、エネルギーを大量に消費する。
つまり、恋をしているときは恋をする以外に余計なことを考えない。
考えないで済む。
 「薬」を配分するときに、「余計なことを考えないで居られる」というのは非常に役立つ状態である。
鴨が葱を背負ってやってきた様なものだ。
嬉しいことだ。
特に、わたしの様な四六時中頭が回転し続けている、思考することが大好きでダイスキで仕方が無い人にとっては。
 いくら「恋」が大量のエネルギーを消費するからと言って、「恋」ともう1つならばイケるだろう。
集中力を「恋」と「薬」のみに配分すればその他の邪気を全て祓える。
そういう意味で「恋心」を使えば良いと感じる。
 言ってみれば、職員は利用者様に対して恋をする必要が有るのだ。
異性間のとか同性間の恋愛のことじゃなくて。
親しみを感じるとか。
そういう意味の恋。
 間違うのが怖いとか。
命を落とさせてしまうのが怖いとか。
クビになるのが怖いとか。
刑務所に行くのがショックとか。
再就職が難しいとか。
そういうのではなくて、それらとは全くの別軸。
 薬を渡す相手の心に入り込めば、必然的にその命が失われるのを自然と嫌がられる。
怖がられる。
あくまでも、自然に。
その利用者にとっての、「邪」となる存在「間違い」を祓いたくなれる。
 間違わない為に、恋をする。
恋をしているから、間違わない。
そういう感情的な流れを使って、薬の誤配を防ぐという方法も有るのだ!
利用者1人1人に恋をすること。
そうしていれば、自然ともちろんのこと、薬の袋に書いてある苗字と下の名前の両方を確認せずには恐ろしくて居られない。
 「薬」の仕事は命に直結してしまう為、その他のやり残している仕事とか、
伝え忘れている情報とかは忘れちゃって(その後思い出せなくなっても)いいのだ。
結局、洗濯も掃除も換気も加湿も炊飯器のスイッチを忘れないのも全部全部、利用者の命が有るならば意味を持つことがらだ。
布の類が綺麗になっても、ハウスダストが少なくなっても、空気の汚染が無くても、空気が潤っていても、
ご飯を時間通りに炊けても。
その人の命が無いならば、何の意味も持たないこと。

優先順位


 介護の仕事には優先順位が有る。
「薬」「風呂」「移乗」…→排泄・炊事・洗濯・掃除。
排泄介助をもしも一度忘れてしまっても、大丈夫だろう。
オムツの排泄介助を何度も何度も連続して忘れれば褥瘡や褥瘡から始まる感染が心配だが。
一度忘れても大丈夫。
でも、薬の誤配や、風呂で滑らせるとか、ドスンと浴槽に腰を落とすとかさせてしまえば、一回で死んだり腰の骨が折れる。
移乗介助にしても、尻餅を付かせてしまったり、自分と一緒に倒れてしまえば、腰の骨やどこか別の箇所の骨を折らせてしまう。
 炊事で食事をお出しするのを5分遅れても、死なない。
同じ服を連続して着てしまっても、直ぐには死なない。
風邪やインフルエンザやノロウイルスに感染し易くなるが、絶対に成るとも言えない。
部屋を数日掃除し忘れても、直ぐに気管支喘息の発作で死ぬことは無い。
 明日の入浴準備を済ませなくても、当日にサッと準備すればいい。
次亜塩素酸ナトリウムによる、手摺等の殺菌を3日程やらなくても、風邪やインフルエンザやノロウイルスに罹り「易く」なるのであっ

忘れたからと言って確実に罹るという訳ではない。
防災設備に少し欠陥が有るのを見付けて、まだ報告が済んでいなくても、地震や火事が起こる頻度よりも
薬を飲む回数やお風呂に入る回数や移乗介助をする回数の方が多いのだから、薬でのミスの方を気を付けるべきである。
介護士が誰か他の介護士に情報を伝える用が有るとしても、それを伝え忘れても、看護師ではないのだから
その情報の内容と言っても、「薬」や「風呂」や「移乗」よりも重要では有り得ない。
 だから、1位「薬」2位「風呂」3位「移乗」の順番で優先順位が有る。
それをしているときには、対象者に恋をして、それ以外の事は記憶の彼方へ葬ってしまって良い。
終わった後で、やれなんだったけかなと記憶の彼方から引き戻せばいい。
休み時間に、「何か思い出そうとしていることが有るんだよなぁ」と色々と考えていれば十中八九思い出せるものである。
 「対象者の心に入り込む」という表現よりも「対象者に恋をする」の方が単純明快で遥かに良いと気が付いた。
「心に入り込む」という言葉だと、難しく考えてしまって逆に集中できない。
心理の世界は難しいのだ。
幾つもの定石が有る。
 一方「恋」は簡単だ。
「その人を守りたいから守る」たったそれだけである。
ここに1つの命が有る。
その命に恋をしている。
続いてほしい。
守りたい。
だから、守る。
以上。


 もしも相手が「死にたい」と言っても。
自分が相手を好きでいて、できる限りは長く命が続くことを祈り、今守りたいと願うから。
邪を排除する。
 つまりは、入居者と一緒に職員は常に、入居者の「これ以上の命の継続」を選ぶのである。
もしかすると、入居者自身も職員も「もういい」と思うかもしれない。
でも、残酷だけれどもこれ以上の継続を選択する。
「生きたくて生きたくて仕方が無い」という人ではない場合は、残酷なことでもある。
「生きたくない」という気持ちと真っ直ぐに向き合い、ときに自虐的に命の継続を本人と一緒に選ばなくてはならない。
そういう恐ろしい職業でもある。
介護・看護・医療は。
だから、「生きたい」と思える様に日々の生活を楽しくしたり、目標を設定するのである。
生きたくないけど、残酷に生きることを選択するのではなくて。
生きたいから、勿論生きることを選択するという形にすること。
生きることを選択すること自体は決まり切っているのだから。
そこだけはゼッタイにズラしてはならないのだ。

生きたいと思わせる


 音楽療法としてピアノを実行することで、ピアノの音色を楽しみにしてもらうというのはそういう流れの末として意味が有る。
各種レクリエーションには、そういう流れの末としての意味が有る。
完全な絶望の中で、生きることを1日3回選択し続けるのではなくて。
希望も有る中で、生きることを1日3回選択し続けてもらうため。
また、隣で薬を渡す職員も一緒に、選択するため。

生きたいし死にたい


 実際には、完全な絶望も希望のみも滅多に有り得ない。
これ以上生きていたい様な、もう死んでもいいような。
そんな気持ちで老若男女が生きている。
特に、老年になると「もう死んでもいい」という気持ちが自他ともに上がってくる。
それでも、「完全な絶望」にはなる方が少ないだろう。
絶望と希望の割合が変化するだけであって、それら両方が混ざっていることの方が多い。

結論


 だから、まだ生きたい気もするし、もう死んでもいい気もするけれども、確実に生きる方を選択しましょうという気持ちが
日々薬を配るときの気持ちとしては最も適していると言える。
その上で、単に相手に恋をしてしまえばいい。
それだけ。

 恋なんて日々に溢れているし。
簡単にしてしまって良い。
使いものになる。

.
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