はむねまぼるのブログ

作詞作曲をしています。介護のことも書きます。強迫性障碍のことも。

私の考え

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私の主張文があります。
臆見ばかりです。又、侃侃諤諤です。
反論、ご意見も平気です。
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○なぜ私が仕事場内でさえも一番大事な存在を介護する側の「自分自身」に設定しているのか


 私が心掛けている「一番大事なのは自分」という考え方が「オカシイ」と言われた件ついて記しておきます。
苦しかったし、不快だったけれども。
おかげでもっと思考が進みました。

目次


 「なぜあなたは、お客さんが一番だと考えないのか」という問いに対してその場では上手く応えられなかったのでここに文章としてまとめました。
・自分が健康で幸せでないと他者を健康で幸せにする等無理だから
・対等な関係のみに愛が生まれるという知識を信じているから
・生きている時間の長さで尊敬されるか否かは決定すると信じていないから
・自分よりも他人を大事にする程、余裕も知識も技術も経験も見当識も無いから
・子供が親を大切に思う気持ちよりも、親が子供を想う気持ちの方が強く恐ろしいと思うから
・入居者だけではなく入居者と職員両方の健康と幸せを願っているから
以上の6つの理由が有る為、私は仕事場内でも自分自身を最も大事な存在として考えながら仕事をしています。


自分が健康で幸せでないと他者を健康で幸せにする等無理だから


 何故自分自身を一番大事な人として設定するのか。
その理由は、他人を幸せにする為にはまず自分が幸せである必要が有ると考えているからです。
まず自分自身の心と体の健康と幸せが有り。
そこから溢れる様にして、他人にも心と体の健康と幸せを与えられるものだと信じています。
信仰しています。
1つの宗教でしょう。
 私自身が崩れてしまえば、これ以上入居者様方々のトイレ掃除も床掃除も換気も湿度調節もお風呂掃除もできなくなってしまいます。
入居者様方々の体の健康を保つためには、まず介護をする側である自分が守られている必要が有ります。
だから、自分が大事でも他人が大事でも、「大事にする順番」はゼッタイに「自分→他人」の順番にしています。


対等な関係のみに愛が生まれるという知識を信じているから



 また、人間と人間の関係において、上下関係が現れた時点で「愛」は生じないと本を読んで学びました。
また、自分自身の経験から言ってもそうだと感じます。
「愛」が無いところには、いかなる行動も生じません。
愛がまずあって、それから様々な行動や現象を生じます。
そう信じています。
だからこそ、入居者が上で自分が下という上下関係は意識から外すように心掛けています。

生きている時間の長さで尊敬されるか否かは決定すると信じていないから


 「長く生きているから尊敬されるべきで、短く生きているから尊敬されないべきだ」という思想には
私はさほど賛同していません。
どんなに長く生きていても、自分自身が一度も病気がしたことも無ければ苦しい思いもしたことが無いならば
病気や障害を持つ他人に対して優しくなれないままでしょう。
どんなに短く生きていても、自分自身が病気や障害を抱えていたりして、他の要因でも何かしら苦しい思いをしたことが有るならば
病気や障害を持つ他人に対して優しくなれるでしょう。
「長さ」ではなくて、「機会」に恵まれたのか恵まれなかったのかなのだと私は経験から信じています。
強く信仰しています。

 だからこそ、高齢の入居者の方が職員よりも立場が上だとは思想しません。
「思想しない」し「思想しない様に心掛けてい」ます。
2重のロックが有ります。


自分よりも他人を大事にする程、余裕も知識も技術も経験も見当識も無いから


 確かに、元々心も体も健康な人は、大事な順番を「客>自分」にしても何の支障も無いでしょう。
しかし、元々障害を持つ私が、大事な存在の順番を「客>自分」にするとまず自分の心と体が崩れます。
そうすれば、私は客に対して更にもっと何もできなくなります。
 ただ、自分が特に何も心や体について苦しい経験をしたことの無い方や、
「対等ではない関係に愛は生まれない」という知識を得たことの無い方や
「尊敬されるかされないかは生きた時間の長さでは決まる」とのみ信じている方は
私の思想を理解できないのだと思われます。
ただ、障碍者である私が健常者が持っている思想を持つと結局サッサと体調を崩すだけですので、
私の思想は手放さないです。
健常者には健常者の心掛けが有り、障碍者には障碍者の心掛けが有るということなのだと考えました。

子供が親を大切に思う気持ちよりも、親が子供を想う気持ちの方が強く恐ろしいと思うから


 また、こういう理由も有ります。
私の両親はただ私の心と体の健康と仕事場から生きて帰ってくることを望んでいるからです。
私は私を一番大事にしていますが…それはそうしたいからしているのではなくて、
両親が私を大事にしているからです。
私自身は私自身が死んでも、あぁふぅんそうかくらいですが。
私の両親はそれどころではありません。
 子供が親を想う気持ちは、親が子供を想う気持ちに勝てないと私は信じています。
それは、仕事場の同僚達は同僚である私のことなんかどうでも良いと考えているのかもしれません。
私も私のことはどうでもいいです。
でも、「親が子供を想う気持ち」の強さや恐ろしさを知っています。
それがどれくらい切なる願いなのかを、感覚で知っています。

 自分の親を施設に(入居者として)預けているご家族が自分の親を想う気持ちに、
自分の子供を施設に(職員として)預けているご家族が自分の子供を想う気持ちに、
勝てるとは私は思っていません。
そういう理由も後から、掘り下げて考えてみたら有りました。


私がお客様を大事にする理由


 私は「お客様だから大事にする」訳でも無いです。
「お金を貰っているから大事にする」訳でも無いです。
「高齢だから大事にする」訳でも無いです。
「心を持った人だから大事にする」訳です。
そこの軸はずれない様に、ぶれない様に心掛けています。
 「主」と「客」だと、「客を大事にする」とか「お客様は神様だ」とかいう思想も有ることは知っていますが。
私はその思想に賛同はしていません。
客だから…お金を払っているから、何でもしてもらえて当たり前では無いと思います。
相手は人間なのだから、心が有るでしょうし、限界も有るでしょうし、ストレスも有るでしょうし、もしかすると病や障害も有るかもしれません。
ですから、自分が客の立場に成ったときには、踏ん反り返らない様にします。
 もしも自分がお客さんだったら、職員に対して無理をしてもらいたくないです。
心や体を壊させたくないです。
そんなに苦しまなくちゃいけないならば、別に私が怪我しても死んでも別にいいですと思うと思います。
だから、自分が認知症ではなくてまだ体が動き職員側として存在して居られる間は、
無理をせずに心や体を壊さない様にしたいです。

客が主を思いやる気持ちの存在


 介護の業界に入る前に、「若い人の時間と未来を奪ってまで、介護してもらうなんてとんでもない…」という高齢者の言葉を
TVで聞きました。
その言葉について暫く思うところが有って、振り切れませんでした。
ただ「尽くそう尽くそう」という考えていた私は、「それは駄目なことなのかも」と思う様になりました。
そして現在はその言葉が意味するところの核を捉えて、日々の心掛けにしています。
必ずしもお客さんは「尽くされること」を求めているのだろうか、否実はそうでもなかったりする。
中には、「尽くされて当然だ!」という態度のお客さんも居るのでそういう方にはその方が望む様に尽くすことが最善なのでしょう。


まとめ

 「なぜあなたは、お客さんが一番だと考えないのか」という問いに対してその場では上手く応えられなかったので
ここに文章としてまとめました。
・自分が健康で幸せでないと他者を健康で幸せにする等無理だから
・対等な関係のみに愛が生まれるという知識を信じているから
・生きている時間の長さで尊敬されるか否かは決定すると信じていないから
・子供が親を大切に思う気持ちよりも、親が子供を想う気持ちの方が強く恐ろしいと思うから
・入居者だけではなく入居者と職員両方の健康と幸せを願っているから
以上の5つの理由が有る為、私は仕事場内でも自分自身を最も大事な存在として考えながら仕事をしています。

 「職場内で自分自身のことを最も大事な存在として考えている」と言ったら周りの職員様の方々の中には
「オカシイ」と驚かれました。
「もう助けないよ」と言われましたが、それが正解だと私も当初から考えています。
どんなに気を付けていても、自分の最大限の努力や工夫をしてもそれでも、客に不利益を被らせてしまうことは有るでしょう。
それはちょっとしたことのことも有りますし、怪我や、もしかすると死かもしれません。
そのときには、施設ではなく、会社ではなく、職員全員ではなく、私個人だけが責任を負うべきだと考えています。
 また個人的に大切にしている心掛けとして、助けないし助けられないのが理想的だと考えています。
だからこそ、「その代わり助けないよ」の言葉は、非常にありがたいものだと感じました。
私のミスで客に不利益を被らせてしまって、そのせいで自分以外の職員のキャリアに傷が付くのは恐ろし過ぎます。
既に書きました様に、私自身は私のことをどうでもいいと思っています。
私の両親が私のことを大事に想っているのであって。

愛情の基盤

愛情の基盤

 いつかの何かのTVの番組の中で誰かお咲い芸人さんが「愛情の下敷きはちゃんと敷いておいてね」と喋っていたことを憶えています。
さらっと言ったし、そんな言葉は私は寡聞にしてあまり聞いたことも無かったし
その後も聞いたことが無いです。
でも、その言葉は人が心と魂を持って人間関係の問題を起こさずに生きる為に
とってもとっても大事なことです。
それを最近痛感。

 私が職場のAさんのことを、仕事中に仕事場内でBさんとCさんが愚痴っているのを聞いて…
最終的に私が大きく怒りを感じたのは、Cさんだけでした。
Bさんとはその前に一緒に同じ作業をしたり、現在のこととか将来のこととかを話したことが有りました。
つまり、愛情の基盤が出来ていたのです。
愛情の下敷きが敷かれていたのです。

 愛情の下敷きが敷かれた状態で相手に殺意を抱く程の怒りを覚えたとしても…
楽しかった思い出が感情をプラスの方向へ引っ張ってくれるのです。
でも、対象の人と何にも「同じ作業をする」だとか「楽しい雑談をする」だとかをしたことが無いと
その人に嫌なことをされたり言われたりしたときに、なんにもプラスの方向へ引っ張ってくれる要素が無くて
怒りは怒りのままなのです。

愚痴をする場所


 私は「愚痴は職場外で勤務時間外に他の職員には聞えない様にしてくれ!」
と思いました。
あの人があぁいう風に嫌だというのは、話した方が楽になるから喋った方が良いのですが…。
それを勤務時間内に職場内でされてしまうと、聞いている私の怒りがうなぎ上りになってしまいます。
聞えなければ怒らないで済むのに。
つまり問題は起きないのに。

くっ付き過ぎない


 愛情の基盤を作ることは大事なのですが…やたらとくっ付き過ぎるのも好くないのだと感じました。
くっ付き過ぎると、相手に色々と求めてしまいますし、相手に色々と奉仕したくなってしまいます。
「なんでこれをやってくれないのだろう」と求めたり、「これをしてあげなくてはならない!」と必死に成り過ぎてしまいます。
前者は相手に対して語気が強くなって相手の心を傷付けてしまいますし。
後者は相手を周囲の敵から過剰に護ってあげてしまうことで、「敵(職場内の人)」との関係が悪くなってしまいます。

愚痴をする相手

愚痴をする相手


 愚痴は「職場外で勤務時間外に」だったらした方が寧ろ良いのですが…。
その相手は誰が良いのか。
仕事場の人とは全く関係が無い家族や友達にするのも良いと思います。
職員同士で話すと、イジメに発展する可能性も有りますから。

 でも職員同士で話すことも良いと思います。
なぜならばその仕事場で実際働いている人の方が実状を把握していますから。
他人に愚痴るという行為は蔑まれることでも有りますが、必要なことです。
愚痴った相手が、その人なりの何か把握の仕方を持っているかもしれないのですから。
つまり愚痴の相手は自分とは違う視点で同じ現象を捉えている可能性が有ります。
自分とは違う視点での現象の捉え方を知ると、怒りが治まる可能性大です。

 つまりどういう相手かを選んだ方が良さそうだということです。
自分と似ている人(つまり自分と同じ視点での現象の把握しかできていない人)と話すと、「そう!そう!」という感じで逆に怒りが増してしまうことが有ります。
そして自分と対立する関係の意見のみを持つ人(つまり自分と違う視点での現象の把握しかできていない人)
に話すと、「なんで私のことを解ってくれないのだろう」とやっぱり怒りが増してしまいます。

 職場の人には「この人、気が合うな」「この人、気が合わないな」と思う人が居ます。
しかしそれだけではなくて、その中間の人(つまり、自分と同じ視点での現象の把握と自分とは違う視点での現象の把握を出来ている人)が居ます。
その中間の人に愚痴をすると、怒りを最も良い形で鎮められます。
そのことにごく最近気が付きました。

 女の人の話には目的が無いと言いますが…。
その通りで何かを解決したいとか、何が正しくて何が正しく無いのかとかはどうでも良いのです。
愚痴・話の目的は「怒りを鎮めること」にこそ有ります。

 お互いに怒り合って嫌い合って、そして意外と高め合って
全面的に嫌い合っているけれども必要なコミュニケーションは意外とちゃんと取って
必要事項の連絡は取り合うという高度な関係も有りますが…。
それはやはり高度なことで、得意とする人は少ないです。
ですから抱いてしまった怒りは、愚痴で(或る程度)鎮めておいた方が人間関係が上手く行きます。
私の母が言っていましたが、「仕事において大変なのは、仕事ではない。仕事はただやれば良いから。大変なのは寧ろ人間関係の方だ。」
とのことで本当にその通りだと私も感じています。

 とは言いつつも、仕事自体も覚える必要は有って…。
やっぱり殆どは誰でも、仕事をしてくれる人の方が好きだし
やることはまずやって欲しいのです。
お喋りしてばかりや仲良くしようとする前の段階として、やることはやるという段階をしっかりと踏んでおく必要が有ります。
仕事をしてくれない人を赦せる人という心の広い人は極少数であり、
殆どの人はまず仕事をしてくれない人に対して怒りを覚えます。

まだ下っ端なので

まだ下っ端なので


 私はまだ介護業界に入ったばかりで下っ端です。
だから、対象者を視て「この人の自立度はこれくらいで、視たところこんな感じなので、こういう介護をした方が良い」だなんて思考は行えません。
もしかしたら腰を据えてよぉく視て考えたら下っ端だとしても介護業界に入ったばかりなのだとしても
出来るのかもしれませんが…。
そんな時間は仕事中には有りません。
また、そんな脳みその余裕部分も有りません。
台所仕事だとか掃除仕事だとか洗濯仕事だとか洗車仕事だとか
園芸仕事だとか取り敢えずの基本的な介護技術だとか
新しく憶えることが多くて、「介護」というものに腰を据える余裕は有りません。

 取り敢えずの基本的な介護技術というのは、全介護者
(自分でトイレへ行って用を足すことができずその意志も無く・食事を自ら食べることができなく・
入浴を全面的に手伝う必要が有り・
着替えを全面的に手伝う必要が有り・歩行もできず車椅子で移動する必要の有る…それら全ての方)
のベッドから車いす・車いすからベッドの移乗を行う技術だとか
おむつの中を見て小尿や大便が有るか否かを確認し、有るならばパッドやおむつを交換することだとかです。

 基本的な介護技術を身に付けたからといって「介護ができる様になった」とは言えません。
その人を観察し、その人が何がどれぐらい出来て…出来たとしてもその行為にどれぐらいの危険が有るのかを観察し判断し
その人の残存能力に合った介助の仕方・且つ職員が楽に短時間で簡潔に行える介助の仕方を、
幾つも有る介助方法の中から選び出すか、存在しないならば自ら生み出し宛がうという一連の思考経路を辿ることが出来て
且つ一連の思考経路を辿り、辿り着いた介助方法が的を射たものであるときに
「介護ができる様になった」と言うことが出来ます。

 こんな介助方法が有る、あんな介助方法が有る、そしてそれらを出来るという段階は基本段階で。
この人にはこんな介助方法が合う、この人にはこんな介助方法をしよう、と方法を宛がうことができる段階が応用段階です。
基本と応用の両方が出来て、「介護ができる人」になれます。
つまり「介護ができる人」に成るには或る程度、頭が良く無ければ成りません。

 頭の良し悪し(脳の良し悪し)なんて、生まれた時点で神様に決定付けられていますし、
環境や宿命によっても決定付けられていますし…どうこうできる問題では無いと私は考えています。
別に脳が悪いからと言って責められるべきでは無いです。
そう考えると介護の応用段階まで行くことが可能な脳を持っている人は限られます。

基本行動を熟し応用思考は任せる


 介護の基本段階の中に居る私は、介護の応用段階の「思考」「改善」は行えません。
ですから、私にできることは職場におけるやり熟す必要の有る単純作業をひたすらに熟してゆくことです。
そうやって基本段階のことしか出来無い人物(わたし)が単純作業を済ませておいて、
応用段階の人にしか行えない(=「介護見当識」を持つ人にしか行えない)「思考」「改善」を
応用段階の人に存分に行ってもらうということが私が今すべきことだと、私は考えております。

 人間の脳には限界が有ります。
人間が持つ力にも限界が有ります。
勤務時間にも限界が有ります。
無限だったならば、応用思考までできる人が単純作業も応用思考も仕事の全てを熟せば良いことなのですが…
残念ながら現実世界の物理法則は厳しいことになっており、限界というものが設定されているのです。

 応用思考までできる人に、単純作業までやらせていてはその人はそれで体力を消費してしまって
思考の方に力を注ぐ余裕が生まれないでしょう。
ですから、応用思考までできる人の余力を発生させる為に私はせかせかと働いております。
勤務時間中はほぼずっと動き続けています。
それは、私が働き者だということでもありますが…仕事の効率が悪い(頭が悪くて効率の良い方法を思い出せない)
ということでもあります。
だからずっと動き続けているというのは誇るべきことでもあり、また今のところはまだ恥じるべきことでもあります。

見当識

 介護の現場で働き始めて、私の頭の中での言語思考の最中しばしば出てくる語句が「見当識」です。
「それくらいわからないもんかねぇ」「見て気付かないもんかねぇ」「こうした方がいいんじゃない?」
そういう言葉を私の職場ではよく耳にします。
そういう言葉を聞く度に
「あぁ、見当識を持っている人と持っていない人が居るから仕方が無いんだよねぇ」と
私は思うことができます。

 職場での見当識には、生活見当識と介護見当識が有ります。
生活力が有る人は生活見当識を持つ為、生活的問題が発生したときに大凡どういう風にしたら問題が無いのか
見当を立てることができます。
見当識が無い人は、見当を立てることがそもそも全くできません。
見当識を持つ人には解らない感覚なのですが…見当識を持っていない人というのは問題を目の前にして何をどうしたら良いのか全く分からないのです。
ここで問題になってくるのが、見当識を持つ人と持たない人との感覚の差であります。

 私の職場では毎日の様に
「それくらいわからないもんかねぇ」「見て気付かないもんかねぇ」「こうした方がいいんじゃない?」
という言葉を聞きます。
3つ目は別段相手を傷付ける言葉ではありませんが。
1つ目と2つ目は「かねぇ」なんていう文面ですが、相手の心を傷付けるか悪くて壊す言葉です。
だから私は1つ目と2つ目は決して使いません。
も・し・も使うにしても余程口調に気を付けて優しい感じにします。

 見当識を持つ人(=頭がいい人)は注意力が有るということであり、私から言わせると結局頭がいい人です。
勉強が出来無いとしても、物理や数学が出来無いとしても、頭がいい人です。
そういう見当識を持つ人は、ごくごく自然に見当を立てることが出来る為、それが出来無い人の感覚がほぼ全く解らないことが多いです。
ですから「なんでそれくらいのことができないの!気付け無いの!」と怒りを覚えてしまいます。
そういう人は見当を立てるということが「普通」で「出来て当たり前のこと」だと信じています。

 しかし実際には、全ての人が見当識を持つ訳でも無く、注意力(気付く力)が高い訳でも無いです。
世の中には、障害者が溢れています。
昭和初期・中期辺りの生まれの人は、障害者と健常者をくっきりはっきり分ける文化を持っている様ですが…。
実際には、障碍者か健常者かの関係はグラデーションです。
障害をほぼ持たぬ人…少し障害を持つ人…そこそこ障害を持つ人…けっこうな障害を持つ人…生命維持が不可能な程の障害を持つ人…。

昔の人々は、
・障害をほぼ持たぬ人
・少し障害を持つ人
・そこそこ障害を持つ人
を健常者と一括りして呼び、扱い、
・けっこうな障害を持つ人
・生命維持が不可能な程の障害を持つ人
だけを障害者だと位置付けたのでしょう。

 その文化を未だに持ち続ける人は、職員の中に軽度の障碍者が含まれているということを認識できませんし、だからもちろん意識もできません。
注意欠陥多動性障害が薄ら入っている人のことも、障碍者だとは自分の中では認定せずに
普通の人・健常者だと認定してしまっています。
つまりその人に対して、希望を持ち過ぎてしまうのです。
実際には半永久的に憶えさせることが不可能な作業・仕事・注意力・見当識に関しても
「言い続ければきっといつかできる様になる」と信じすぎています。
可能性を信じ、諦めないことだけこそが愛情だという思想を持っているようです。

 私が考えるに、実際には或る程度は諦めることも重要です。
たしかに「この人はゼッタイに一生これは出来無いままだろう」と100%諦めることはそれはそれで、良く無いと思いますが。
希望を持ち過ぎることは相手も自分も苦しいし、お客さん(入居者)も苦しいです。
もしかして一生言い続けても憶えないのかもしれないのだから…それだったら
一生ガミガミ言い続けて死なせるよりも、もう或る程度は諦めてあげて、あまりガミガミは言わずに優しく言ってあげて一生を送らせてさしあげた方が
その人にとっては幸せなのだろうなという思想を何%か入れておいた方が良いと私は考えております。

 結局はバランスです。
何%程希望を持ち続け、何%程は諦めるのかというそのバランスを
対象の職員に対して絶妙に持っておくと
・作業ができない人
・仕事ができない人
・注意力が無い人
・見当識が無い人
に対して、大して怒りを感じないで済みます。

.
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