本を読むに 「男になれない息子たち」(ギー・コルノー著作)を読んで、自分からプットアウトし洋と思う。
その本のpage.143に依ると、男の攻撃的でダイナミックなエネルギーは男のアイデンティティに関わるのだそうだ。
何となく解る。
男は広く強く乱暴であるというイメージが有る。女性は守りたがりで優しく乱暴さを嫌う。
そんなイメージが有る。
女の子ばかりと私は幼少期に女の子とばかり遊んでいたから、私は女性的である。私が好むのは、ダイナミックさと乱暴で無さだ。女の子とばかり遊んでいたからといって別にダイナミックさを嫌いには成らなかった。乱暴さや破壊的なのは嫌だ。大きく体や心を広げるイメージのダイナミックさは好きだ。攻撃性も空へ向けるならば格好良いと思える。 危険なる無自覚「自らの攻撃性を自覚しなくなると、攻撃性は当人の意識下に沈殿する。〜男の内なるエネルギーはいったん抑圧されると、敵意や怒りや暴力と成って現われる。自己認識という自然の衝動が歪められてしまうと、ネガティブなエネルギーに変容し、人格の正常な機能を乱してしまう。」はまさに、私の状態である。私は私の「悪」が自分の意識下に沈むのを防ごうとしている。がしかし、私は「攻撃性」に関しては自覚を全くしていないに等しいし、少しでも見付ければ否定し始める。私は「攻撃性」に関しての認識が甘い様だ。まるで、男性のことがよくわからない女の人みたいに。そうなのだ。私は女性的なのだ。男という者がよくわからない女なのだ。いや違うもっと現実に即した言い方をすれば「男というものをよくわからない女の様な男」なのだ。 また、本には「男の内面の苦しみはここから生ずる」と書いてあるのだが、私は苦しみたいのだ。私は去勢の苦しみを味わいたいのだ。もっともっと「あの2人に対する怒りと憎しみの証」として私はあの2人を苦しめたい。他人を苦しめるのは良くないから、その代わりとして、私を…。 心の術結局は私は「彼女らへの怒りの証=私が味わった苦しみ」を逆にしつ「私が味わった苦しみ=彼女らへの怒りの証」にしているに過ぎないのだ。 そうすることによって私は殆ど無限大に(心の)苦しみを味わえる。
私の「あの2人への怒りを証明したい。当て付けたい。」という気持ちが有れば、私は苦しみに耐えられる。 「降りかかった不幸=私が自分の意思で意図的に自分自身へ振り掛けた不幸」という式を併用して。
(…あぁ)
因みに「彼女ら」というのは、私が中学3年生のときに私に聞こえる様にキモい!と言って私を虐めた2人の女の人物のことである。
私は彼女らへの呪いたい気持ちと、憎しみの気持ちと悔しさの気持ちを、持ち続けている。
その過去を引き摺り続けることを選んでいる。
自らの意思で。
私は心の中で謝りながら相手を攻撃性する。私は心の中で謝りながら相手に悪いことをする。私は心の中で謝りながら 自分を攻撃したり悪いことをする。 悪いことをすること、攻撃することを全面的に否定するのは悪いことなのだろう。 きっと男性を男性ではなくするのだろう。勃起不全を齎すのだろう。
私は「攻撃」を全面的に抑圧してしまう。がしかし、しては成らないのだろう。 私は私の中の「攻撃を否定したい」という気持ちを否定しなければ成らないのだろう。
「攻撃性を否定したい」という気持ちは否定しても良いのだろう。それは誤った優しさなのだろう。 私が「優しい男」に見られたいという欲望が生み出した、欲望なのだ。 女の人も男の人も「優しい男が好き」であると私は幼少期に感じた。 私は「優しい人」「優しい男」で居なければ成らないと、女の子とその親に囲まれながら感じた。 私は、自分に対して優しい人で有ることを強要してきた。がしかし、私は私で居ることを強要すれば良いのだ。優しい人で居ることや優しい男で居ることを強要しては成らない。また私は「男らしく居ること」を強要しても成らない。 (筆者:大塚将俊)
解る…わかる
因みに…ちなみに
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私の考え
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私の主張文があります。
臆見ばかりです。又、侃侃諤諤です。
反論、ご意見も平気です。
臆見ばかりです。又、侃侃諤諤です。
反論、ご意見も平気です。
好き 私は薄い色が好きだ。薄い色(クリーム色)をピンク、薄水色、薄黄色、薄黄緑色といった様に色とりどりに使うのが好きだ。しかし以前に他人にそういう色使いを嫌われた事が有るので、私はその色使いをごく最近では余りしない。
本当に弱い?色に於いて「薄さ」は「精神の薄弱さ」を表すだろうか。 答えは「半分正解で半分不正解」だろう。
色が幾つか有りそれらが全て薄いとき、色と色がぶつかり合って互いの力を弱めてしまったと考えられる。
そういう物語の後の様なのだと考えられる。
此のときの色は単なる色というより何かの象徴だったり代現物だと言える。
例えば、青と赤が両方薄いとき、青が男で赤が女だとしたら、互いに言いたいことを言い終わって2人とも疲れた状態を象徴しているのだ。
色の薄さは力を使い果たしたとか疲れているとかいう意味を持てるだろう。
クラリス クラリスという女の子二人組の音楽グループが有る。
そのCDジャケットに、お菓子が用いられる。
色は薄い。
その薄さは、気持ちの薄さを表しているのではなくって逆。
気持ちの強さを表しているのだろう。
そして、気持ちが一つではなくって複数混ざっているという意味を含むのだろう。
1つ空に向かって突き抜ける様な気持ちではなく、複数がぶつかり合う様な気持ち…。
「irony」という楽曲のマキシシングルのジャケット写真も薄い色だった。 (筆者:大塚将俊)
於いて…おいて
此…こ
代現物…たいげんぶつ(造語)
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性的に上手くいく男女 この記事の文章は女性と男性の関係においての話である。
どの様な時に男女が気持ち良く性行為に及べるだろうか。
日本において少子化が進む今、この問題は結構重要なものだ。
男性も自分の男性性(男性像)を好きであり、そして肯定でき、 また女性も、その男性の男性さを好きで、肯定できる時に2人の性的関係は上手く行きそうだ。 注意 勘違いして欲しく無いことは、私がこの文章で書くことは心を関連させない性行為ではない。
心と心の関係が上手く行っている状態での性行為が良い性行為であるとする上での文章である。
良い人間関係の上での、肉体関係についての文章である。
誰にとっても外側 勘違いしてしまい易いが、男性にとって「男性さ」は客体である。
客体という言葉を使わないで説明するならば、男性にとって「男性さ」は外側の物体である。 女性にとっても男性にとっても、どちらにとっても「その男性像」は客体である。 よそよそしい物だ。 自分とは一つ距離をおいて物体なのだ。 共に犯される男性は、「その男性像」そのものに成る(=像に犯される)。 女性は、「その男性像」を纏った男性に犯される。 男性が女性を犯している様で、その実どちらも犯されているのだ。 「像」が「S」で、男女は2人ともMである。
男は役を演じる。 女は「その人」と「その男性像」を同一と見做す(例え別物だと知っていても)。 そうすることによって、男性は勃起し女性はその勃起を受け入れられるのだろう。 「その男性」が好きなのだから。 積極的に好きなのだから。 嫌よ嫌よも好きの内 口では、自己の破壊を恐れて「嫌だ」と女性は言うかも知れない。
というか、異物が自分の中に侵入してくるのだから普通は嫌に決まっている。 「自分を破壊されたくない!」という意味での「嫌だ」だ。 しかし、人は「相手方に立つ」という「主体の擬似切り替え」という特別な技を使える。 その女性が、主体を「その男性像」に切り替えられるとき、女性は受け入れて積極的に成れる。 つまりは、その女性が「男に成りきる」ときに女性は性的な接触を許せられるのだろう。 言い換えれば女性は、「その男性像」に乗り移ることができる。 漫画「NARUTO」で言うところの、「心転身」の術である。 心転身の術 男性の方は「その男性像」に「乗り移られる」のだ。
自分の身体を「その男性像」に使わせてあげるのだ。 女性は、「その男性像」に乗り移るのだ。 「NARUTO」の「山中いの」の「心転身の術」を使って完全に解り易く説明する。
女性Aは心転身の術を使えるとする。 実は漫画に完全には沿えない。 「心身体の術」は人には乗り移れるが、頭の中にしか存在しない「像」に乗り移ることなんてできない。 しかし、この文章ではできるとしよう。 そして、女性Aは「像」に対してしか心転身の術を使えない。 先ずは女性Aが心転身の術を使って、男性像Bに乗り移る。 その後に、男性Cが男性像Bが自分の身体に乗り移ることを許すのだ。 女性Aは、男性Cの身体を乗っ取っている。 そして、山中いのは自らの身体を犯すのだ。 女性Aは「男性像B」を好きなのだから、好きな相手に自分の身体を犯されても嫌ではない。 自分が好きな「男性像B」に乗り移って自分の身体を犯すのは嫌ではないのだ。 そして、実は男性Cは山中いのに乗り移られてはいるが感覚を失ってはいない。 男性Cと女性Aが男性Cの身体を乗っ取っているのだ。 男性Cと女性Aが、気持ち良く肉体関係を持てる理由は2人とも男性像Bを好いているからなのだ。 同じ対象を好いているからこそ、上手くいくのだ。 不一致の事例 もしも、それぞれが別の「男性像」を好いていたりすると、上手くいかない。
例えば、女性Aが男性像Bを好きで。 男性Cが男性像Dを好きであるとき…。 そういう話をしよう。 女性Aは先ず心転身の術を男性像Bに対して行う。 男性Cは男性像Dが自らの身体を乗っ取ることを許す…。 「女性Aと男性像B」と「男性Cと男性像D」はそれぞれ全くの別々で接点が無い。 心の接点無しに身体のみ繋がろうとしたら、女性の方が「アウトオブコントロール感」(思い通りに成ってない感)を感じて 女性が嫌がる。 この例は、強姦の例だ。 そもそもどの様にして「男性像」は作られるのか。
「男性像」にも種類が有る。 「女々しい男」「マッチョマンな男」「インテリな男」…などなど。 そういった「男性像」は、記憶、経緯、物語によって構成される。 どの様な記憶経緯物語を持っている人でも、性欲を伴えばそれは1つの「男性像」として 「この世に有る、男の像コレクション棚」に1つの像として新たに置かれるのだ。 「女々しい男」だとか「マッチョマンな男」だとか、一般性が高い。 しかし、個人が作る唯一の像も存在する。 あっ!私とあなた、同じ像を持ってるね! 人は自分の意思で「男の像コレクション棚」の中から1つ選び取る。
手元に同じ像を持っている者同士が性交可能なのだ。
男は、自らの外見と同じ「像」を好き好んでいるとは限らない。
自らが作り出した、自主制作で世界で唯一の固有の自分だけの「男性像」は好きではなく一般的な「男性像」を「棚」から選び取るかも知れない。
だから、女性は惰性を身体で選んでもイケナイし、心で選んでもイケナイ。
自分が好きな男性像と同じ男性像を好きな男性を見付けるべきなのだ。
男性も、自分が好きな男性像と同じ像を好きな女性を見付けるべきなのだ。
「棚」に並んでいる「像」と同じ顔貌をした人が、現実世界にいたとしてもその顔と中身は別物かも知れない。
そして別物では無く同じだとしても、その本人が自分自身を好きで居られているかどうかもまた解らないのだ。
SM この文章では、男は須らくS的であり女は須らくM的であるとした。
男性器が女性器に侵入する様からその連想を行った。
しかし、心の面で言うならば説明した通りに、男性も女性も一緒に女性の身体を犯すのだ。
そして、男性は「男性像」の侵入を許す訳であるからM的であると言える。
M男 私は「Mの男って、最悪じゃん!」という言葉を女性の口から聞いたことがある。
確かにそうだなぁと思った。
勃起した男性器を突き刺す側なのにも関わらずMだなんて…。
私が最も傷付く言葉を使って表現してしまうならば、「気持ち悪い」。
気持ち悪いというか、攻めないんじゃ入れられないじゃん!みたいな気分に成る。
でも、私はMの男がイケナイとか、「Mなんて男じゃねぇ!」なんて言わない。
それは、私自身がMだから、自己弁護をしているという理由だけではない。
そういう男像だって有って良いのだ。
先に述べた様に、男像は多種多様である。
「マッチョで強くて優しくて元気でS」だけが男性像ではない。
男性像には種類が有る。
「男らしいことをする人が男らしい」だけではなく。
「男がしたことが男らしい」という、今から作っていくという力の向きも有るのである。
意思の一致 この話は、性行為以外にも応用が効く。
会社の方針が「A」だとする。
上司の方針が「A」だとする。
入社した人の方針が「A」だとする。
方針が一致する。
そういうとき、入社した社員は上司の命令を喜んで聞き入れる。
しかし、会社の方針が「B」で、上司の方針が「B」、社員の方針が「A」であるときに、上司からの命令には従いたくは成らない。
この、「従いたくならない」が、男女の性行為の話でいう「男性器の侵入を許せない」なのだ。
風俗 風俗嬢の方は、上記の説明で言うとどの様な心境なのだろうか。
きっと、棚から幾つも像を選び取る人だろう。
もしくは、自分とは違う像を選び取っている男性の性器を本当に嫌々受け入れているのだろう。
後者ならば、かなり嫌なのだろう…。
後者ならばもうきっと金銭的に物凄く切羽詰っていて仕方なく風俗嬢をしていうとしか思えない。
(筆者:大塚将俊)
顔貌…かおかたち
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大の大人がお子ちゃまみたいな
感情に揺さぶられて行動しているのを知ると 感情や心って有るんだと思う 大の大人が感情に関する事を子どもに見える様に行うのは子どもの情操教育の為にかなり良いと思う。 大人だって、恐い相手くらい有る。 お化けとか。 多分、お化けを信じれている人の方が心が満たされている。 多分、お化けを信じれている人の方が幸せだ。 私が最近不愉快な理由は、心の世界に入れていないから。 自分や他人の心を信じられていないから。 私と同じ心の流れを持つ他人に出会えていないから。 私の心が、性別を超越して複雑で豊かで珍しいから。 同じ人に会えない。 私は私に似た人に会えないから その内に私は私の心を信じられなく成った。 皆他人は、単純で短絡で、現実を見ている。 事実を見る。 甘い人や道理に適わない人に厳しい。 自分に甘い他人に厳しい。 自分に厳しい自分に優しい。 私が私の心や魂や独自の考えや流れを信じていないから、私は不安なんだ。 (筆者:羽旨魔歩流)
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感情に塗れていない人は、人間ではない。
感情に揺さ振られいない人は、人間ではない。 感情に埋れていない人は、人間ではない。 寄越された感情が、処理困難でも取り敢えず取り組んで。 やっぱり駄目ならば、無という亜空間へ保留しちゃって良いの。 保存しちゃって良いの。 今はできなくても、いつかは処理できる様に成れば良いわ。 ねぇ、無理はしないで。 怒りや悔しさは、最高に処理の難易度が高い感情だね。 でも、私ならば出来ちゃうわ! って威張っちゃう。 ここで、威張るべきなの。 受け止められる、心の技を幾つも持っているから。 居直ら無い。 私は私の概念位置から逃げない。 たまたま寄越された難題を華麗に解いてしまうの。 誰もが逃げる場面と時の際に、意味も無く逃げないわ。 私の心の技を見ていて! 与えられた場所で、流れ着いた場所で、心踊らせたいわ。 あなたが好き! もうどうしようも無く…。 そんな気持ちを、素直に高貴に望ましく感じられるわ。胸を張る様な気持ちで。 羽旨魔歩流
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