内部研修
今日は職場で、「職員の心得」というテーマで内部研修がありました。
幾つも有益なことを得られました。
その一部を書いておきます。
「小さなことなのに注意の言い方がきつすぎる…」
職場で、周りの職員の言い方(口調)が悪いときどのように考えれば良いのか。
小さなことをすごく言ってくる人が居るときどうすればいいのか。
今日の内部研修で2つ答えが出ました。
言い方が悪い
言っている方が言い方に気を付けるというのも1つです。
瞬間的な怒りがそのまんま言葉に出てしまう人が居ます。
科学的に言うとそういう人は「眼窩前頭前野の灰白質が少なめ」だったりします。
その部位が少なめだと感情を抑える(一旦我慢する)力が弱いです。
また、ミスをした人にはどんな言い方をしても許されるという訳でもありません。
また、ミスをした人には怒りをぶつけてもいいという訳でもありません。
怒られるほどのことをした人には怒ってもいいという訳ではありません(というのがわたしの持論です)。
怒ることと、ミスを犯したことは関係が無いとわたしは考えています。
相手がミスをしていても、していなくても、どちらにしても、相手に怒りをぶつけるというのは
相手の心を壊すことですから、「罪」に成るとわたしは考えています。
だから、怒りをおさえらればいいのですが…おさえられない人も居る訳ですね。
言われている方が悪い
言われている方の対処としてはどうすればよいのかというのが、もう1つの方。
今回の内部研修ではこちら側の方が、問題視されていました。
・なぜ言われているのかを考える(なぜ自分は言わせてしまっているのか)
・言い方とか口調に注目せずに、行動で応える
とかの意見が出ました。
そもそも怒らせるとか注意させるとかを相手ができない程に
自分が失敗を少なく仕事を熟せば良いという意見です。
既にしてしまった失敗が有れば、もう二度としなければ良いという意見です。
ん〜とは言っても、初心者は失敗はするのですよね。
だから、そんなにタイリョ―に失敗しないためには
職員同士の何気無い会話を多くして、介護の工夫をしていくことが大事ですね。
メッセージを受け取るアンテナを張り巡らす
また、こういうことを言う方も居ました。
「相手はもしも何も言わなかったとしても、相手というのは自分に教えてくれているのだ。
だから、わたしはこの人から何かを学び取らなければならないのに、
まだその何かがわからないでいるのだという思いで居た方がいいよ。」と。
わたしなりの言い方に変えると、
・全てはメッセージ
・全てには理由が有る
という2つのお題目です。
わたし風の考え方では、自分の生活は神様が作った物語だと捉えます。
神様が、1つ1つの出来事を順番に起こして、わたしに何かを学ばせようとしていると考えます。
出来事かもしれないし、風景かもしれないし、本かもしれないし、○○という考えとかだったり、誰かが言った言葉だったり、誰かの態度かもしれないし…。
神様が直接喋って「これはねこうした方がいいのよ」とは教えてくれないので、
こちらからメッセージを受け取らなくてはなりません。
何か引っかかる出来事や、言葉や、それこそイラッとさせられた言葉とか、気に成る風景とか、気に成る本だとか、やけにイライラするとかやけに気に成ることが、神様からのメッセージであることが多いです。
だから以下のようなことを平気で考えていたりします。
「あぁ、あのときのあれは、今日起きたこの出来事の伏線だったのね。」とかたびたび考えています(笑)
「あのときのあれが実はヒントに成っていて、それを活かせれば今日のこれは防げていたわけね。
なるほどね、神様、頭イイねぇ。」とか。
全てには理由が有る…その理由ってなに?
怒った人には怒ったなりの理由が有ります。
注意してくれているのだから、もちろん自分がミスをしたわけだから、自分が悪いというのは有るし…。
…。
そして、更に考えるべきなのは、それ以外にも理由が有りえるということです。
その人は、生理の前だからかもしれません。
その人は、プライベートで色々と重なっている時期なのかもしれません。
その人は、こちら側の身に起きていた複雑な事情を理解できるだけ余裕が無いのかもしれないです。
またそこまでその人はそもそも頭が良く無いのかもしれません。
その人は、海の方の生まれで「海の言葉」
(波で声が掻き消されるので、怒鳴る口調で端的に話す)
が身に染みてしまっているのかもしれません。
老化現象で、脳が少し委縮していて感情を我慢する能力が小さくなっているのかもしれません。
自分が悪いならば納得できますが、それ以外の理由で怒られても
こっちの心が壊れるだけです。
ですが、実際問題、純粋に自分がしたミスのみに対して怒るというのは意外と少ないです。
その人が独自に持っている、自分が犯したミスとは関係無い「理由」というのも有り得ると理解しておくといいと、今回の内部研修でわかりました。
わたしなりの言葉で言えば
・全ては(神様からの)メッセージ
という方が、自分が犯したミスに関する(威圧的な)注意なのだと理解する部分。
・全てには理由が有る
という方が、自分が犯したミスではない怒りを差し向けられたのだと理解する部分。
これら2つで、相手が自分に対して威圧的な注意をしたことに関して心の整理ができるはずです。
こういうのも、た・し・か・に、あるんだよ
また、ミスがあまりにも多くて、前回された注意を次に活かせないと周りの人は
注意するときにどんどんときつくなっていきます。
いつも殆どミスをしないし、一度された注意は確実に治していく人はに、何か間違いを犯したときに
「うん。そう。だから、気を付けようね。」で終わります。
でも、前回された注意を次に活かせない人には
「
(なんでこんなこともできないの!
あなたは何度言っても、言ったとおりにやらないじゃない!
わかったと言ってもわかっていないじゃない!)
×××××!!!!!
」
という感じで強い口調で怒ることになります。
その内容がどんなに些細でどうでもいいミスでも、一回一回のミスの注意が爆発的な表現になってゆきます。
わたくしめはこの職場にある悪い妖気を食べるためのお守り人形です
あと、別の方法としてわたしが奨めたいのが
「自分という存在は職場にとって邪気を吸いとるための神社で貰うようなお守り」
「自分という存在は職員にとって害を代わりに受けるための人形」と思うということです。
かなり、マゾヒスティック(殴られると気持ちよがる性癖)だなぁと我ながら思いますが。
ちょっと裏技的なのかも。
「自分という存在は職場にとって邪気を吸いとるための神社で貰うようなお守り」というのはどういうことかと言うと。
怒りというのは連鎖する…だから、自分のところで連鎖を止められて良かったなと思うということです。
邪気(良く無い気)がこの職場にうようよと浮いていては人に乗り移って人に嫌な思いをさせているのだとすれば
自分がその悪い気を吸い取って、自分の中に閉じ込めてしまえばいいという考え方です。
…。
ただ、このやり方はあんまりずっと続けていると「溜まってしまう」ので
誰かに思いや邪気を共有してもらう必要があります。
「自分という存在は職員にとって害を代わりに受けるための人形」というのはどういうことかと言うと。
或る現象(問題)が起きるのは決まった運命だと考えて…。
誰かしら職員は、その現象(問題)に突き当たる。
その「誰か」に自分は成ったのだという考え方です。
犠牲に成ったという考え方です。
そうすれば自分は或る意味英雄な訳です。
…まぁ。
その「誰か」には、できれば対処能力が高い人が成った方が良いのです。
そして必ず「誰か」に成った英雄の職員は、
これこれこういうことが有ったこういうときにはどうしたらよいだろうかと報告と問題提起をする必要があります。