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思い入れ・気持ち・思いやり。
そういうものって、人間に対してやっちゃうとときに危ない。 自分自身の思いや気持ちを
相手に入れたり(その人のものではないものを外側から注入する) 相手にやったり(その人のものではないものを外側から強制的に与える) するということだから。 生物である動物や、人形や物などの非生物などの 人間以外の何かに対して 思いを入れていたり、思いをやったりしているなら まだ収まりが良くて 付喪神やもったいないお化けなどの まぁ良質な怪異という形を取る。 だけど、人間に対して
思い入れをしたり思いやりをした場合の内 その思い入れや思いやりが 対象の人間にとって「迷惑」とか「ハズレ」とかの場合始末が悪い。 その人間の思いや気持ちではない思いや気持ちを 外側から無理やりに注入したり 背負わせたり、強制的に与えたりしているのだから。 血液が適合していない場合は、その人は死んでしまうように。
思いが適合していない場合は、その心は壊れてしまう。 親は子供のことを、自分の人形のように扱ってはならない。 親は子供のことを、自分とは違う一人の人物として扱い 「その」生体に必要な栄養とケアを与え 「その」心や魂が何を求めるのかを見極め、ソレを適切な量を適切なタイミングで 与える必要がある。 自分が与えたいものを与えるのではなく。 与えたくないものを与えないのではなく。 相手の心や相手の体が欲しがるもの(デマンド)や、 相手の心や相手の体が必要としているもの(ニーズ)を与える。 そして、デマンドに関してはたとえ本人が欲しがっていても
与えてはならないときがある。 相手に必要のないものや適合していないものを押し付けることは
その人のその人らしい成長を妨げてしまう。 |
なんとなく思った事
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子供のころに、親戚の家に行くと
妙な安心感があった。 旧家的な家の作りがあったからかもしれないし。 そうではなくて、自分の血筋の元の場所だからだったかもしれなかった。 その感覚は、きっとワンネスであって
もしくはそれを超えたゼロネスだったのかもしれない。 魔法の在り処が分かった気がする。 九星占術を知ったからそう感じているのだと思う。 九星占術は方位に関することを占える。 方向…場所。 他の占術よりも この現実世界により噛み合わせられる占術であるように考えられる。 この街はこういう街、この街はこういう街。 その場所は、あぁいう街とそういう街のつなぎ目の場所…とか。 だから霊的に心理的に○○なものが集まりやすいだとか。 「場所」「方位」に関することを イメージしてそのイメージが現実世界の実際の「場所」と 噛み合わせられているこの感覚を今感じている。 これもひとつのワンネスと言えそうだ。 宇宙と直接的に繋がっている感覚。 それをワンネスよりも強烈なゼロネスという造語で表してみたい。 そう思った。 自分自身は九星占術では、八白土星なのだけれども。 山のイメージだそう。 山の頂きに立っているうちはまだ足が地面に着いているからいいけど。 そこからもっともっと「その山における極み」へ登っていくと 足が地面から離れて、頂よりさらに上の上空へ行ってしまうような気がしている。 次第に行き過ぎれば宇宙へ行き。 まだ地球から近い宇宙空間ならばいいけど、それを超えると地球から離れすぎてしまう感じ。 もはや、この地球上での現世と距離がありすぎて
自分の心と、この現世との擦り合わせがしにくくなってくる感じ。 あんまり高みへ行き過ぎても、困るもののようだ。 以前、オリジナルの小説として「ワカメの国」という小説を書いたが。 動機とテーマは安心感のは居所だった。 それより以前の幼い頃に感じていたワンネスやゼロネスを感じにくくなってしまった時期 (中学生・高校生・大学生)に書いていた。 そして現在、再び、ワンネスやゼロネスを感じ取れている。
以前はそれがそれと知らずに感じ取っていた感があったが。 現在は、それがどういう名前であって どのような条件が揃うと味わえるのかを知りながら感じ取っている感じがある。 「道」と書いて「とう」と呼ぶ場合は、 エネルギーの太い通り道みたいな意味合いとなるそうだが。 その大きな「道」と繋がれたときに ワンネスやゼロネスを感じ取れると、今は理解している。 12支で言えば、自分のひとつ手前の12支と繋がれたとき(隣り合えたとき・出会えているとき)。
五行で言えば、自分のひとつ手前の行と繋がれたとき。 血筋で言えば、自分のひとつorふたつ手前の先祖と繋がれたとき。 そういうときに世界と繋がれている安心感覚(ワンネス)や宇宙と繋がれている安心感覚(ゼロネス)を
感じとれるのであろうと現在では確信している。 小説「ワカメの国」で求めていた回答を、僕は今得られたようだ。 |
今後独りで生きる苦しさ ドラマCOLD CASE「IT TAKES A VILLAGE」を観て。
最後の方の場面で、子が居なくなってしまって独り残された義理の母が ベランダの椅子に座っている姿を見て、心がギュッと悲しくなった。 その女性は50歳やそこらだろうが、その後の人生を可愛かった子無しで生きなくてはならない。 あまりにも悲惨だと感じた。 絆 …でも、「そうじゃないかも」と思った。
というのもその女性は、椅子に腰掛けながら殺された男の子が好きだった音楽を 初めてちゃんと聞いてあげていて微咲んでいたのだ。 その事件が起きずに、その男の子が好きな音楽の良さを一生理解してあげられないで 長く一緒に過ごしていたとしても 彼女と男の子の絆は強く確かに深いところで結び付いていただろうか。 もしかすると事件が起きずに一生その男の子が好きな音楽を理解出来ずにいた方が 「悲惨」だったかもしれない。 大事な一点 男の子が好きな音楽を聴いてその良さに気付いて、その瞬間に大事な絆が生まれた。
もう男の子は殺されて居ないのだけれども。 それでも、だからその女性の心は私が感じた程は悲惨ではないのだろうと思った。 大事な一点を押さえることが出来て、その男の子との絆を感じられたから。 もしかすると、その男の子が生きていたときよりも。 長く生きることよりも、ホントに大事な一点を押さえる方が大事なことかもしれないと思えた回だった。 犯人を捕まえる場面で、主人公の女性が言葉を用いて犯人の心に寄り添い、分析し導いていたのに対して。
一緒にいた男性の方は、犯人を単に貶してばかりでそして命令してばかりで「もうこの男の人の方は馬鹿なんじゃないか!」 と思った。 私は彼女の様に加害者側の心理にも入り込んで分析して加害者の心を導く人である。 だから、そうでない人のやり方を見ていると「それじゃ駄目!」と思ってしまう。 |
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ねぇあなたは自らが普通で、ありきたりだと、思っているね
私とあなたが一緒に居られる事をあなたも私も嬉しがっている でもあなたは私が嬉しがってないと思い込んでいる あなたは考え様によっては、たしかに普通でありきたり 私にも確かにそうも考えられる ただね私はその普通でありきたりを 当たり前だとは思っていない 思いたくない 希少ではないと思っていない 思いたくない 希少なものは、幾つ有っても全て希少 あなたを真正面から真面目に見て あなたがあなたで居る事を居られる事を当たり前とは 考えないで改まって見做しているの 私はあなたと居られる事を
嬉しく感じてる あなたが思う以上に あなたを見ていられる事が 量りきれるか量りきれないかどっちかぐらいなほどに嬉しいの それなのにあなたは私はあなたと一緒にいる事を面白くないと感じてると誤解してる 私が咲っていないせいなの? もっと私を見て 私の心の中を見透かして あなたに見透かされて感じる恥ずかしさは私にとって快感だから 私の心を裸にして 私の心の裸を見て! 私があなたと一緒に居られる事を嬉しいと思っている事を あなたは真正面から…斜めからでも受け止めて… あなたにナルシストに成ってもらいたいの 私とあなたの間に限っては
あなたはナルシストに成って良いの あなたはナルシストに成る必要が有るの 私の為に 私の口の赤い膨らみを
あなたの口の赤い膨らみに押し付よう 口を塞いで言葉を使わずに 私はあなたに愛という形の私を流し入れる 受け止められるんでしょう? 本当は 羽旨魔歩流
電車の中で、ちゃんとした格好の男性を見て思い付きました。
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全ての事を知っても
冒険はできそうだ 私が再び丘の上で「無」 を感じて空しさを感じても きっと今度は私が無に耐えられる 強く成ったから
無という病原菌に対する 免疫はもうバッチリ付いてる あれから私は私を硬くした
無を浴びて溶かされた事は 今から思えば悔しいよ 虚無に触れても
私はもう消えないし 無くならないし 溶けない程に 「私」は 硬く、確かで、濃くて、重いの 他人に迷惑を掛ける事を怖がり
過ぎないで居られるわ 愛で包めれば 迷惑は寧ろ悪ではなく愛だ 私を愛する人に
私が迷惑を掛けても その人は嬉しがる 私が好きな人に
迷惑を掛けたれたら とってもとても嬉しい 魅惑を掛けられて
「全く仕方ない」って言いながら 世話をすることは 抱き締める事に等しい 歌詞として書きました。
歌にできなそうな気がするので、詩として扱うことにしました。
もしも歌にできたらしたいです。
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