はむねまぼるのブログ

作詞作曲をしています。介護のことも書きます。強迫性障碍のことも。

なんとなく思った事

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全14ページ

[10] [11] [12] [13] [14]

[ 前のページ | 次のページ ]

 最近の私の中のキーワードは「ある分だけある」です。
誰かを好きという気持ちもある分しかありません。
それ以上にいつまでもずっと、さらに、もっと……はありません。
好きな分だけ好きなだけです。
その「もっと」の部分は故意に恋に恋している分です。
 
式 真の想いの量=好きという気持ち
 
だいたいの場合、彼を好きと言っている場合、
その好きの中に恋に恋している分があります。
その恋に恋している分をもしも取り除きたいのなら次の式が有効でしょう。
 
全ての恋心−恋に恋する気持ち=あの人への愛しい思い
 
です。
 
恋に恋する気持ちは自分の気持ちを楽しいものにはしてくれます。が、それはいわば故意の過剰反応。楽しむだけにしておきましょう。迷惑はかけない方が無難でしょう。
 
あまりに真の思いが小さいときは、その人のことはあまり好きでなく、恋をしたいと強く思っているのでしょう。
 
 
※行き過ぎの恋への恋は時にラヴソングの大音量での再生等で迷惑を近隣の人々に与えてしまいます。もしかすると、その近隣の人たちはその歌を聞いて「ああ、私にもこういうときがあったなあ」と思うかもしれないので、それはそれでよいのかもしれませんが。ちょこっとだけ注意が必要です。

自然に落ち込む

 落ち込むときは、落ち込んでいいのかもしれない、そう思います。
元気で、健康的で、活発でというのも勿論いいけれど、落ち込むのがそのときの気持ちならそのまま行動に姿勢に出した方が自然かも。無理に平常を保とうとするよりも。
 良くない雰囲気をまわりに撒き散らすのは悪いことだけれど、「自然」ではあると思う。それがそのときの気持ちなんだったら。

自然界

 台風があって、外に出たら、とっても風が吹いていた。
気持ちのいい風。
風は草を乾燥させながら、草の水っぽさをさらいながら乱暴に撫でていく。
草はやさしい草になる。
触れたときに手が濡れない。
電柱は風邪に水っぽさを持っていかれて、優しいコンクリートになる。
 
星のよく輝く黒い空。
星降る夜。
私の手を空にかざした。
私は空を司る形になった。
 
大好きだった人には何も言えずに今を過ごしている。
私が死んでからも私はきっと想ってしまう。
でも、何も言えなかった。
言わなかった。
 
世界はもっと優しい。
草に触れても、コンクリートに触れても、思っていたのと違う。
台風はものを乾かしてくれる。
手で触れたときに優しい。
 
やさしい人はいる。
もっとやさしい人がある。
本当は私も優しい。
 
世界は厳しいから、同じく風が吹くときには優しい。
どちらもある。
触れる草の根元はきっと湿気を帯びている。
 
もっと人間は汚いことができる。
もっと人間はバカなことをできる。
もっと人間はずるいことをできる。
もっと人間はきれいなことできる。
田んぼを、きれいな田んぼを作れる。
素敵な自然を、緑を、木を、村を育てられる。
 
 
それなのに、なんの表情もない道路。
 
土はもっと厳しい。
土は触れたときにざらざらするから。
草はもっと優しい。
太陽に干した布団は汗でベトベト。
この草の上に寝れるなら、そのほうがよほど気持ちがいいだろう。
 
そういう楽しい、色々あるいろいろなことが起こりうるものをなしにして、道路をしいている。
自ら世界をつまらなくしているようにも思える。
 

ちゃんと進歩している

 高校生のときによく通った橋のもう1つ隣の橋を歩いた。高校生のときの自分と今の自分で、進歩はあるだろうか。進歩しているかどうかがとても気になっている。進歩していなかったら、もしかして高校を頑張って通ったけれど、意味が無かったのではないかと思うことになるからそれが恐かった。
 でも、ちゃんと進歩している。感受性がそのときより深まっている。自然界のことも少しそのときよりも分かるようになった。他人が言っている事、他人が作った歌の歌詞の意味とか、理解が深まった。前はただイメージでいい感じとかで曲を聞いていたけれど、歌詞の「意味」を分かるようになった。自分もそういう気持ちになったから、だから「わかる」本当の意味で「わかった」。もちろん前から歌詞の言葉は理解できたし、なんとなくは気持ちとか分かっていたつもりだったけれど、それよりもっとよくはっきりと分かった。その言葉が出てくる、出てきてしまうまでのいくつかの気持ちとか、言葉とか、考えとかまで読めるようになった。なぜならそういう体験をしたから。
 知識の方はちょっと微妙にしか進歩していないと言うか、進歩してもあまり意味はないかもとかも思うけど、ちゃんと進歩していることがあるって気付いて、思えてとっても嬉しかった。
 人を車で轢きたくない理由は、勿論倫理的なものもあるがそれ以外には何があるだろうか。
 
 法律がある。車は歩行者を轢いた場合罪を問われるのは車の方である。なぜなら車の方が権力が大きいから。?権力が大きいのであるなら、その権力でものを言わせなければよいのではないか?そうれはない。弱いものいじめは駄目なのである。
 
 つまり、
①車に権力がある
②弱いものいじめは駄目
この2つの概念から
車が歩行者を轢いた場合車に過失があったとする理由である。
 
 それがあるから車は人を簡単には轢きたいとは思わない。少しくらい人を轢きたいなと思ってもこの法律があるのでほんのちょっと思ったくらいでは踏みとどまるだろう。歩行者はつまり法律に守られている。法律の保護魔法である。
 
 

全14ページ

[10] [11] [12] [13] [14]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
はむねまぼる
はむねまぼる
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事