はむねまぼるのブログ

作詞作曲をしています。介護のことも書きます。強迫性障碍のことも。

なんとなく思った事

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セラミックガール

オカタイ女の子

 セラミックガールの歌詞が深い。
新しい状況で生き始めた女の子。
新しくて楽しい刺激的な事を求めてる。
女の子は自分で思うよりも実は硬い。
柔軟な思考で古い凝り固まった遣り方を変えようと、表層意識では思っている。
しかし、彼女の深層意識は、古い遣り方を変えないつもりだ。表層意識では新しい事を求めてるのに深層意識では古い遣り方を守り続けようとしている。彼女は表層意識と深層意識で異なる事を考え欲している。
彼女は、自分の事を軽い、ミーハーな女の子だと思っている。
彼女は自分の事を新しい提案に柔軟に対応する、お硬くない、心の広い人だと思っている。
しかし、彼女は彼女が思うよりもお硬い人物なのだ。
新しい提案を実行しようとするのだが、何故か心が拒否する。何故か身体が動かない。
表層意識では、新しい提案を直ぐ様実行しようと本気で思っているのに身体は心の深いところは動かない。
私って私が思う程軽々しくないんだ…私って私が思う程柔軟ではないんだ…私って私が思う以上に今までどおりの遣り方を愛しているんだ…と女の子自身が気付いたという歌がセラミックガール。
瀬戸物の様にお硬い女の子という歌。ふわふわした天の気ではなく、土の気を歌った歌。お硬い役人とか頭が硬い大人は男という固定観念がある。
大人でも男でもない、若い女の自分が意外に石頭でお硬いと気付いて「いやぁ意外だ意外だ女の若い私が実はこれ程までにお硬い人だとは…驚いたもんだ」という気持ちで歌う歌がセラミックガール。
(筆者:大塚将俊)

妥当な給料

 本日私は図書館の短期雇用の仕事で給料を頂いた。
私の今月分の給料は、他の人より安かった。
私は腸から湧き上がる怒りを感じた。
それこそ、秋葉原歩行者天国無差別殺傷事件を起こしたく成る程の怒りを。
がしかし、違うのだ。
私の給料が少ない理由はちゃんと有る。
今月は一度割り当てられた仕事をど忘れして仕舞ったのだ。
怒りを感じるだなんて、身勝手な事なのだ。
頭ではそう知りながら、私は御腹の中に怒りを感じた。

仕事をど忘れした日

 その日は疲れ過ぎていた。
その日は休んで妥当だった。
ど忘れをして休んで正解だったと私は考えている。
私の健康の観点からして、私はその日仕事を行わ無いで良かった。
しかしながら、当たり前の様に、休んだと言う事は、すっぽかしたと言う事は、働いた合計時間が少なく成ると言う事だ。
詰(つ)まり貰える金が少なく成ると言う事だ。
私が他の短期雇用員よりも貰う報酬が少なくても妥当なのだ。
給料を貰って、「少なくて良かった」と呟いた。
仕事をし無かった分は貰わ無いで良かったと思ったのだ。
司書様方が、ちゃんと働いた時間数で給料を計算してくれてる様だ。
当たり前の事なのだ。
がしかし私の今までの経験では、失敗しても多目に貰う事が有ったから当たり前では無かったのだ。
働いたなら報酬を貰える、働いて無いならば報酬を貰え無いと言う当たり前の現象に触れる事が出来たのだ。

嬉しい

 私は此の妥当さを嬉しく感じた。
私だけ給料が低いと言う事に怒りを感じもしたのだが、嬉しさをも感じた。
どうして嬉しかったか…。
妥当な扱いを受けたからだ。
働か無ければ金は貰え無いと言う当たり前で、厳しい現実を「突き付けて貰えたから」だ。

不当に多く貰う

 給料が少なくて嬉しかったとは、一体私はどう言う事を言いたいのか。
私は今まで生きて来て、不当に多くの金を貰った経験が有る。
金を貰える事は喜ばしい事なのだろう。
がしかし私としては、不当さを感じた。
対して頑張っても居無いのに報酬を多く貰うと言う事を不満に思った経験が有るっぽいのだ。
 例えば高校生の頃の事。
自分のテストの結果が、実際よりも少し高く成ってた時に私は自分の先生へ持って行って間違ってるのに○に成ってるので
×にして合計点数を下げて下さいと言った事が有る。
その時に私は先生から、「こう言う時は言わ無くて良いからね」と言われた。
私は不当さを感じた。
実際よりも多目に点数を貰った訳だ。
 例えば大学での授業。
時間から少し遅れてでも入室出来る。
「社会は時間に厳しい」と言う論理を用いれば、それは可咲しい事だ。
 私は少な目に貰っても多目に貰っても不当さを感じる。
今回給料を少な目に貰う事が出来て私は妥当さを感じて嬉しかった。
多目に報酬を貰う事、優しさを貰う事は、「貴方は不当に行か無いと生きれ無い人なのよね」と言われる事の様な物なのだ。
具体的には思い出せ無いのだが、多目に報酬とか優しさを貰った経験が他にも有る気がする。
そういう多目に貰って仕舞う不当さに私は私が思っていた以上に不満を抱いていたらしいのだ。

妥当な少なさ

 今回給料を少な目に貰う事が出来て私は社会の厳しさに触れる事が出来た気がした。
其れが嬉しかった。
社会は厳しいと良く言われる。
がしかし、実際には結構甘い事が多々有る。
人は基本的に厳しくすると駄目に成る。
前に進め無い。
厳しくして前に進める人は、特別なのだ。
裁量しながら、許しながら、甘くしながら生きる方が人間としては普通なのだ。
結構、結構実際に厳しい事は少ない。
少なくとも私からすると「あれ?もっと厳しいんじゃ無いの?」と思った事が多い。
本当の厳しさと言う物に触れられる事は意外と少ないのだ。

 私は現在城西国際大学の水田記念図書館で学生短期雇用の仕事を貰っている。
私は強迫神経障害者だ。私の母は私はもう強迫神経障害者では無いと言う。
がしかし、私は私の強迫神経障害は無く成って無いと考えている。
要因、言い換えると「碍」は私の中から無く成った訳では無い。
私は其(そ)う考えている。私は障害を其の場、其の場、其の時、其の時で一々(いちいち)乗り越えている。
私は自分自身が持つ障害を上手く乗り越えられる様に成っただけだ。
私の中から原因が根刮(ねこそ)ぎ無く成った訳では無い。
私は私自身で言葉の薬を生産しブログで一般の流通に流し一般流通で言葉の薬を手に入れる。
私から私へ直接流通もしている。そんな風にして考え方を工夫する事で私は私を助けている。
強迫神経症には幾つも種類が有る。
手を洗い続ける、風呂の中で身体を洗い続ける、そして話を進める上で重要な「行動停止」が有る。
私は、手を洗い続ける、風呂の中で身体を洗い続ける、物に触ら無いと言う症状も嘗ては発症していた。
此(こ)の話を進める上で重要な症状は、「行動停止」なのだ。
「行動停止」は、悪い現象が起き無い様にする為に、行動をし無いと言う選択を本人が行っている状態だ。
私は行動する事、行動が出来てる状態を有難く考えている。私にとって基本形は自宅に引き篭っている状態だ。
そうで無い状況は私にとって、客観的に捉えて好ましい状況だ。
私が城西国際大学で水田記念図書館で仕事(しごと…単にする事と言う意味での使用をする)をしていると言う状況は、させて貰ってると言う状況は、私にとって有難い状況だ。
私が御金を支払う事が正しいと考えられる程に。
行動は勝手でも、貰う物と言う感覚を私は持っている。
持たされている。

元々多過ぎる

 仕事を貰ってるのだから金を支払う方が正しいのでは有るまいかと考える私は、貰った給料が多過ぎると思っていた。
私は図書館で今までに何回か給料を貰った事が有る。
が、あれ?多過ぎるのでは無いか?と思った事が有る。
事が有るというか、貰う度に多いと思った。
今回少な目に給料を貰ってはっとした。
本を所定の位置に戻すだけで金を貰うだなんて、変だと私は思う。
可咲しいと思う。
変では無いだろうか…。
私は変に思って仕舞う。
無料か、寧ろ有料で遣らせて貰う事が本来なのでは無いか?と考えている。
私からする、「貰う」「貰う」と言う感覚なのだ。
仕事を貰う、金を貰う。
二度貰う事に成って、不思議な、首を傾(かし)げたく成る感覚に成るのだ。
司書様に、給料貰うと嬉しいでしょ?と訊かれた時にも私ははいともいいえとも返事をする事が出来無かった。
二重に貰う事に違和感を覚えたからだ。
強迫神経障害を持ち、行動停止を一生懸命に避ける私からすると、行動する事、行動させて貰える事は、とても嬉しい事なのだ。飛び付く程に。

減給要求

 私は本気で減給要求をしようか迷っている。
本を戻すだけで、施設を管理するだけで、受付をするだけで金を貰うだなんて可咲しな事だと私は心の何処(どこ)か思っている。
もっと給料は少ない方が妥当だと感じる。
がしかし、どうだろう。
貰う給料が少なければ使う金の量も少なく成る。
景気を良くする為には、多く貰うと言う事は良い事なのだと考えられる。
 施設を管理して、受付をして、本を戻して、そんなに行って給料を貰わ無いならば、一体人はどの様にな事をすれば金を貰える事に成るのだろうか。
それらを人は、金を貰える類の仕事と呼ぶのだろう。
それで良いのだろう。
それで良いのだろうか。
日本の法律が有るから、物凄く少なく貰う事も、多く貰う事も出来無い。
私が給料を少なく貰えれば私は欲しい物を買え無い。
私は不幸に成る。
私が望む事は、「私が幸福に成る事」と「不幸に成る事」の両方だ。
不幸に成る事が出来ると言う方は減給で叶う。
 週に4日働いて1万円以上貰うのでは、気が引けて仕舞う。
だが、気が引ける位貰って、気が引ける程に使う方が景気の為には良いのだろう。
日本の法律、労働基準法で最低賃金が決められてるから、起業はし難い。
(筆者:大塚将俊)
生き残っている私
死んだ私は知ら無い誰か
違いは何?

生きているは私は誰なの?
どうして私は生きて居るの?
どうして死んだ人が居るの?
私が生きて誰かが死んだ違いは何?

人が死ぬ
他人が死ぬ
他人が死んだと知る私は生きている

他人が死んで
私は生きている
訳が分から無い
上手く受け止められ無いよ

恨む相手が死んだら喜べる
好きな相手が死んだら哀しい
名前も顔も知ら無い人が死ぬ
喜べ無いし哀しめる立場でも無い

死んだ人が居て
私は生きている
ドウイウコト?
イミガワカラナイヨ
よく解ら無い
上手く理解出来無いよ

楽しむ
苦しむ
悲しむ
哀しむ
憂う
沿う遣って心を豊かにして
生きる事が私は遣ろうと思う

沿(そ)う仕(す)流(る)事(こと)で私は死んだ人が出来無かった事もしたい
沿う仕留(る)事で私は死んだ人から許しを請いたいと思う
沿う仕流事で死んだ人にもっとちゃんと哀しんで貰いたい
生きたかったと強く思って欲しい
もう生きては居無いから思いも出来無いのだろうけれど

人生は命は世の中や世の外は
味の有る色の有る物だと私は証明して行きたい

解説

 平成25年3月11日に発生した東北大地震の事に関して思っている事を詩にしました。
モヤモヤが有って、一度出力する必要が有ると私は判断しました。
「死んだ人がいて生き残った私が居る」という事実を上手く受け止められ無い状態に私はいます。
取り敢えずは、「私は上手く受け止められて無い状況に居ます」という現状を出力してみる事にしました。
歌詞にして、演奏を付けて歌おうかと思いました。
が、長く成り、メロディの都合で文章を削りたく無いと思ったので「詩」という形にしました。
 
(筆者:羽旨魔歩流)

越す

茂原駅構内で

 学校から帰って来る途中で、茂原駅の構内に座って、ipodに歌詞を書いて待って居ました。
JRの構内放送で、両国に御越こし下さいと、言葉が流された。
「御越しを御待ちして居ります」と言う言葉の元来の意味を感じました。

遠い場所

 私が住む場所は千葉県の太平洋側の海岸沿いの村だ。両国は東京都内。
間には幾つも町や市が在(あ)る。
其等(それら)の町や市を越して遣って来て下さいと言う意味合いなのだろう。
 特に、山を越えて下さいと言う意味なのだろう。
私が住む場所から両国迄の間には山は無い。
時間の障害、気持ちの障害を越えて下さいと言う意味合いとして捉える事が可能だ。
交通の便が良く成った現代に於いても、遠くに行く事は、金、気、体力を消耗する。遠くに行く事は、一々面倒な事だ。
腰を上げる気も必要だ。
(筆者:大塚将俊)

内々無々蛙と生殖

此の記事は、怪異「内々無々蛙」の基礎知識が有る事が前提の記事です。
知ら無い方は、此方[ ]を御覧下さい。

  内々無々蛙に行き遭うと、伴侶を得る事を仕様と為る感覚を私は持つ。何故だろうか。
「内側、外側」と言う概念が実行される処(ところ)には、生き物が居る有る。
「内も外も無い」と考える事は自分が居る事は、確かだと言う感覚を失う事だ。
不安に成ると言う事だ。不安に成ると、安心を欲しがる。
特に、自分が居るのか居無いのか判ら無く成る類の不安感覚は、
性的本能と関連が有りそうだと私は感じる。
(筆者:羽旨魔歩流)

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