|
神様を冒涜してはいけないという強迫観念に行き当たるとほとんどもう、強迫観念から抜け出せません。
対策
神様を冒涜しましょう。
冒涜する必要もないのに積極的にわざわざする必要はありませんが、
するかしないかで迷ったら、しましょう。
|
強迫観念と暴露反応妨害法
[ リスト | 詳細 ]
|
自転車をこいでいたり、自動車を運転していたりして(私はしないが)誰かを怪我させてしまったのではないかという強迫観念です。それで道を行っていて何度も振り返る事になります。それが強迫行為です。
対策思考
人を殺しても、蟻を殺しても命が消えたことには変わりません。
また土に返って、魂はそれぞれの世界に返っていくだけです。
死ぬ事自体は一大事ではありません。
むしろ精神的変化の方が辛く、重苦しいものです。
結局どうすればいいか
とはいっても、強迫神経障害の人は何度も振り返ってしまうでしょう。
そういうときはもう外出しない方がいいです。
どうせその向かっている先へ行かなくても大丈夫でしょう。
そこへ行かなかったとしても平気だと思います。
駄目だと思ったらそれも強迫観念です。
だからそこ、学校や職場や集まりに行かなくて結構です。
断りましょう。
たまには休みも必要です。
医者と相談して、お薬を処方してもらいましょう。
|
|
これも典型的な強迫観念です。
どうせプロの盗賊は開けてしまうでしょう。
そうでなくても、自分の周りに良い気が漂っていれば、盗みに合う筈もありません。
だいたい、物を盗まれたからといってすぐに死んでしまうわけでもありません。
とは言っても、強迫神経障害の人には通用しません。
鍵を開けたまま出かけましょう。
それで中のものを盗まれてみましょう。
盗んだ人は喜びます。
持ちすぎているなら、持っていない人にあげたほうがいいでしょう。
|
|
この観念はかなり上級の強迫観念です。
いろいろと暴露反応妨害法をやってきて、最後の最後に出てくる強迫観念です。
答えをいうと、少しくらい強迫観念をしてもいいのです。
なぜなら、生活に支障がない強迫行為は障害ではありません。
暴露反応妨害法→薄い強迫行為はしてしまう。1回の手洗いはしましょう。0回にすることは寧ろ強迫神経障害を強めることになるでしょう。180度変わることは結構ありえることなのです(最近読んだ本より引用)。
|
|
勉強しなくてはならないという強迫観念はよほどの強迫観念でない限り、無害です。
勉強の強いという字と強迫観念の強いという字が同じことであることから、勉強の本質は強迫観念であります。
だから、勉強をしなくてはならないという感情は普通です。
しかし、あまりにもそれが強すぎてしまう場合にそれを障害と考え、強迫神経障害としての強迫観念と考えましょう。
そういう場合には勉強しなくて良いのです。
勉強しないことに不安を感じ、罪悪感を感じてしまうかもしれません。
しかし、それを味わいましょう。
不安と罪悪感を味わうのです。
きっとそれはその内、小さな感情になっていくでしょう。
時効も感情は時間とともに小さくなっていくことの象徴です。
時効は良くないという人もいますが、心配しないでください。
人には(気)という物があります。
この気がある限りあまりにもオカシナ事は起こりえないし、ありえません。
私が保証します。私は万能の神ですから、そのようなオカシナ事は起こさせません。
私の子供を殺した相手の犯人を許せないという感情は時効を許さないという事は起こりますが、
「勉強をしなかったからあの人を絶対に許せない」と言う人はこの世に存在できません。
|




