はむねまぼるのブログ

作詞作曲をしています。介護のことも書きます。強迫性障碍のことも。

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程度

 わたしは、強迫神経障碍者です。
もしくは「でした」。
「程度・頻度」に関する感覚が欠損している傾向の有る人ということです。

 そういうわたしが自動車教習所に通っています。
自動車運転についても、「どの程度から〇〇で、どの程度だと××なのか」というのがワカラナイということが有ります。
その中の1つについてまとめました。

見渡せる・見渡せない

 教習指導員の方は、「ここは見渡しの悪い交差点なのだから○○しなくちゃだめでしょ!」と自然と叱ってくるのですが。

何をもってして、「見渡しが悪く」てどの程度だと「見渡しが悪くはない」と判断しているのか当初はわたしからすると不明でした。
でも、4回程路上に出てみて色々な教習指導員と当たって、なんとなく掴めました。
下の図を自分で作りました。

イメージ 1

 わたしが受け取った(買った)教科書には、なにを持ってして「見渡しの悪い」なのかの定義が載っていませんでしたので自分で作りました。
どうやら、『自動車が通ることの出来るギリギリのラインまったくもって隣り合うラインから上空に向かって垂直に立ちはだかっている垣根とか壁が在る交差点』
のことを指すらしいです。
別の言い方をすれば
『垣根・壁から、歩道や路側帯や下水道などの間(ま)が全く無い交差点』を差すらしいです。

 逆に言えば
『垣根・壁から、少し間が在って(歩道や路側帯)自動車が通るスペース(車道)が存在する交差点』の場合、
それは見渡しの良い交差点と呼ぶ様です。

 図で言うと、一番上ならば「見渡しのいい交差点かな」と思えますが、
二番目だと、一番目よりかは、垣根や壁から車道までの距離が小さいです。
でも二番目でも「見渡しのいい交差点」と思えます。
でも二番目と三番目の間みたいな交差点が在ったら…、それは
『見渡しのいい交差点』と見做すのか、それとも『見渡しの悪い交差点』と見做すのか。
わたしは迷うでしょう。

 …というかわたしの場合は…一番目、二番目、三番目、どれを見ても「じゃあ何センチと何ミリからが、見渡しの悪いになるの?」と考え始めてしまうので、当初は全然見当を立てられませんでした。

 二番目と三番目の間みたいな場所だったら、「かもしれない運転」「安全運転」重視で、「見渡しの悪いめな交差点」だと脳内認定することに、わたしは今しました。
なんか、垣根や壁が車が走ることができるスペースとピッタリ隣り合っているか…もしくは、限りなく隣り合っているか…もしくは、ほぼ隣り合っている場合に、教習指導員は「見渡しの悪い」と見做しているようです。
つまり図の三番目のときに。

 あと他には、アミアミの網の仕切りが存在する場合も「見渡しの悪い交差点」と同じようにするように言われました。
路側帯がちょこっと存在していましたが…それでも「見渡しの悪い交差点」だと指導員は認定しました。
だから…たぶん…、路側帯が在ったし、垣根や壁ではなく網だったから
「見渡しの悪いめの交差点」よりの「見渡しの悪い交差点」なのでしょう。
二番目の図と三番目の図の間で、且つ三番目より的な場所でした。
その場所でもやっぱりやることは、「見渡しの悪い交差点」と同じでした。

 停止線が在っても無くても一時停止し、そのあと徐行よりもゆっくりな速度で、
上半身を前のめりにしながら、首を回しながら左右を確認しながら、
道路の向こうまでを見渡せるぐらいまで前へ進みました。
そして、安全だと判断して、右折やら左折をしました。

 このときも前へ出過ぎちゃイケないのでしょうし。
ゆっくりゆっくりと自分の自動車の頭を出すことで、相手も気付けるし、自分も安全だしということだそうです。

 また、カーブミラーが在るならば、一時停止し、
カーブミラーをまず確認し、
カーブミラーも使いながら、徐行よりもゆっくりな速度で、自分の自動車の頭を出してゆき、
道路の向こうまでを見渡せるぐらいまで来て、安全だと判断できてから右折左折しました。

 「カーブミラーを使いながら」ってことは、徐行よりもゆっくりな速度で、自分の自動車の頭を出していっている最中にもちょこちょこと、実際の現実を見るだけじゃなくてカーブミラーを見ている訳で、逆に危険だと私は思うけど。
そう思うならば、まず一時停止してカーブミラーを見て、頭を出してゆき、安全だと判断できたら右折左折した方がいいと思う。



 わたしの場合は、強迫神経障碍者だし、その障碍への対策としての鈍感力の上昇を行っている者でも有るから。
気にしすぎという症状も出るし、気にしなさすぎという現象も起きる。
だから、そこらへんを考えながら、果たして自分は自動車を運転する能力を持っているのか。
運転免許証を取得してもいい者なのかまで含めて考えながら自動車教習所に通っています。

 ほんとうならば、自分が強迫神経障碍を持っているし、それに対する対策として鈍感でいようと心掛けていることも教習指導員に伝えておいて、そこらへんも含めて「免許証を取得させない」という判断も選択の中に入れながら教習してくれるならば一番イイのだけれども。
う〜ん。
自分が強迫神経障碍だってことは言えなかった。
たぶん、言おうとすると両親が言わないでいいよって止めてくるから。
だからそういう難しい判断を自分でしなくちゃいけない。

 だから、あんまりにも自動車運転が苦痛すぎるとか。
あんまりにも、注意力が無い(鈍感力が高過ぎる)とか。
変なことに気を取られすぎるとか。
そういうのが有ったら、自分自身で自主的に免許は諦める。

 まぁ自動車教習所での全部の過程を終えてから、
そこらへんの感覚に関して信頼できそうな教習指導員を掴まえて
自分はどうなのかを相談してみるのも良さそう。
なんか、現在ではわたしは強迫神経症状が薄れているから
「単にときどきすごく神経質でときどきすごく鈍感なムラの有る不思議な変な人」程度にしか
周りの人は思わないのだろうけれども。
う〜ん、自分が自分を判断するに、けっこうけっこう危ないのよね。
 ものすごく疲れるし。
運転時の嫌悪感も有るし。
まぁ嫌いならば、嫌いだとして運転すればその方が良いと思う。
自分は嫌いで、且つ危ない乗り物に今から自分は乗るんだと思ってから乗るならばそれは安全な心掛けだろうから。

【高齢者介護業界の資格】


初任者研修
実務者研修
介護福祉士
社会福祉士
ケアマネジャー
医師
看護師
理学療法士
福祉住環境コーディネーター

[介護の資格]


 介護に関係してくる主たる資格を列挙してみるとこんな感じです。
出来立ての会社は、まず職員の数を確保するために無資格者を集めます。
でも、その内無資格者をお荷物扱いします。
 介護福祉士の資格を持っている人を雇っている会社には、国から補助金が入ります。
でも介護福祉士の資格を持っていない人を雇っている会社には、国から補助金が入りません。
雇っている職員の中で、介護福祉士の資格を持っている人の割合が多ければ多いほど
会社は経営が楽になるからです。
 また、初任者研修と実務者研修を終えてからでないと介護福祉士の受験資格は得られませんが

介護福祉士の資格を持っていなくても、ケアマネジャーの資格は取れます。
でも、介護福祉士の資格無しでケアマネジャーの資格だけを持って、利用者のケアプランを立て
る仕事に就いても
実際に働く職員から「介護福祉士の資格を持っていないんじゃ現場を知らないね。現場の大変さ
も知らないで、計画だけ立てられてあぁだこうだ言われてもね。」と
バカにされて取り合ってもらえないという状況が発生します。
ですから、介護福祉士の資格を抜きにしてケアマネジャーの資格は取らない方がよいです。
 介護福祉士の資格を持っているのか持っていないのかでは大きく待遇が違ってきます。
もしも自分自身の金銭的な余裕を更に作りたいのであるならば、
介護福祉士の資格を得ることは必須です。
とかとか、先輩に話をいただくことができたので回向の意味で書いておきます。

[介護に関係する資格]


 現代は医師が不足しているそうです。
医師は高齢者介護をする上でもちろん関わってきます。
しかし看護師の方が介護者との関わりが濃いです。
医師や看護師の指示が無いのに、医療行為を行ったり
医師や看護師の立ち合いが必要なのに、居無いときに特別な危険な介助をしたりすると
介護者としての領域を越えた行為をしたということになります。
体の内部の仕組みとか、ナントカホルモンとか病原体がどうとか、そういう勉強が好きだと取り
たくなるのが看護師の資格です。
 理学療法士は、脳梗塞で麻痺が残った方にリハビリをするとかをします。
それで大分良くなることが多いのだそうです。
現代やこれからの時代において需要が有りますし、儲かるそうです。
体の構造とか健康とかに興味が有ると取りたくなる資格です。
職場の看護師に色々とお話をいただくことができたので回向の意味で書いておきます。

教科書は勝手に読んで良い

 自動車教習所って、仕組みが難しいし細かく何をどうすればいいのか全部は教えてもらえないから気が弱いと途中で神経が疲れ切っちゃいます。
入所金を支払った後に、手にする教科書はお家で勝手に開いて、勝手に勉強してもいいのだそうです。
自動車運転の教科書なんて恐ろしくて開いていいのか開いちゃいけないのかも定かじゃない感覚に陥ってしまいますよね…。
むしろ教科書は自宅で開いた方がいいし、逆にそうしないと、免許を取れる訳が無いのだそうです。

精神的な侵入に構えておく

 …とかいきなり怒られるけれども、そういう怒りに耐えられるか否かが重要な鍵になってきます。
ただ大事な心掛けは、自動車教習所へは免許を取る為に行っているのではなくて
勉強する為に行っているということだろうと個人的には思います。
人によると思いますが。
ただ、教官の方はまるで生徒が「自動車教習所には自動車免許証を取りに来ているのだ」とか「やり直しは嫌だろう」とか「金を沢山払うのは嫌だろう」と決め付けてくるので、そういう心理的な侵入に耐えるということも鍵になってきます。
あくまで、自分自身の心のペース保ちましょう。

昔と今の違い

 昔は段階が第三段階まであって、学科(座学)を全部受けなくちゃ乗れなかったけれども。
現代だと、二段階までしか存在せず、学科と技能(実習)を組み合わせながら進めるのが普通です。
でも、人によって(心配性・神経質な人)は学科を全部済ませてから実技(実際に自動車に乗る)の方が良いです。
わたしは神経質なので、わたしの場合はそうでした。
いきなり自動車に乗ると不安感が高過ぎて嫌になります。
 技能の授業の前には原本の中の欄(これまで複雑で難しい)を覗き込んで、次回の教習項目番号をチェックしてメモしておいて(原本は
返さなくてならない)、それを自宅で運転教本(技能教本)を見ながら復習する必要が有ります。
ちなみに、原本に書いてある教習項目番号と運転教本の中の項目番号が同期しています(これを知ってビックリした)。
どうやら予習と復習は必須の様です。
 ただし、予習は「一度読んでおく」とか復習は「ダメだったところを確認」とかその程度で良いと思われます。
やり過ぎると神経をすり減らしてしまうので良く無いです。
 強迫神経障害だと、異常に予習復習してしまうことがあります。
0から100にしたくなりますが、「0じゃなくて1にする」という意識が有効でしょう。

自動車教習所はけっこう難しい

 …とかとか勉強の内容も難しいし、教習所の仕組み自体が難しいから自動車運転免許証を取るという行為はすごい高度だと私は感じ
ました。
「運転免許証はどんなバカでも取れる」とか言う人も居ますが、それは嘘です。
けっこう難しいです。

 しかもここに書いたことは全て、訊くまではワカラナイから他人に話し掛けるのが苦手だと、果てしない難しさになってきます。
「運転免許証を取るのは簡単説」は、他人とのコミュニケーションが苦手ではなくて、(パニック障碍とか強迫神経障碍とか自閉症とか)精神障碍が無いならば…という前提付きです。

 だからこそ個人的には一度で取れなくても良いと思います。
9ヶ月間に取れないと、一からやり直しで契約も結び直しで、金も再度払うことになります。
しかしながら金が有るならば、何度でもやり直せば良いです。
何としてでも一回で取る必要も無いでしょう。
何回もやり直していれば、「一回目の9ヶ月ではここまで勉強しきれた」「二回目の9ヶ月ではここまで勉強しきれた」
という感じになってゆきます。
契約は一から結び直しでも、自分の記憶は完全に消えるということはありません
(途中でなんらかの脳の病気に罹らない限りは)
(途中で死なない限りは)。

 見た目がふつうの精神障害を持つ生徒や、見た目がふつうの気の弱い生徒に対して、
何人かの教官の方はまるで、生徒が「ふつうのひと」であるという前提で接してきたりすることもあります。
予めそういうことも有ると心構えをしておいて、
「この人にはホントにわからないんだ」「この人にはわからないことがわからないんだ」と思いましょう。
それでも本当に苦しい場合は、その自動車教習所へ通うのを止めましょう。
時間を置いて、精神的な苦しさが抜けてから再度別の教習所へ通い始めましょう。
そこでも駄目ならば諦めてもよいことです。
無理はしないようにしましょう。

2大概念


自動車教習所における2大概念として、
・学科(座学・筆記)
・技能(実技・運転)
色々言い方が有るので、相手がどの言葉を使ってくるかわからないです。

テスト

  テスト(試験)というものがあります。
教習(授業・講習)だけではありません。
ただ、じゃんじゃん教えてもらって卒業する訳ではなくて、知識を憶えられているか・必要な分だけ技能が有るのかを、客観的に確かめる行為を、第一段階の最後と第二段階の最後で行います。

学科

 自動車教習所内の学科(座学)に関するテストは3つあります。
・仮免前テスト(第一段階の後の方で受ける)
・仮免テスト(第一段階の最後に受ける)
・卒業前テスト(第二段階の後の方で受ける)
これらのテストは同じ教室で行われます。
「あなたはどちらですか?」と訊かれるので、上記の2単語は覚えておきましょう。
第一段階の後の方で受けるのが、カリメンマエテストです。
第二段階の後の方で受けるのが、ソツギョウマエテストです。
もしもわからない場合は、原本を渡すとハンコの付き具合で相手がどちらのテストなのかを判断してくださいます。
だから、わからないならば「わからない」と言いましょう。

 また、第一段階のテストの順番は必ず「学科」→「技能」の順番です。
教習(講習)は現代では、学科でも技能でも好きな順番で出来ますが。
なぜか現代でもテストはこの順番が残っています。

 また、第一段階の学科のテストでは、第一段階の学科教本と運転教本の両方から出ます。
第一段階のテストで、第二段階の範囲の内容の問題は出ません。
そして、「教科書読み」と「問題集解き」の両方を行うという勉強法が必要です。

 80点以上を2回。
90点以上を1回。
どちらかで通り抜けられてしまうという、100点を取らないでも通れてしまう、完全ではない仕組みになっています。
そんな不完全な危ない存在を世に放ってしまうのか…!?という不安・恐怖が生まれますが…そこは気にしないようにする必要が有ります。

 技能の教習を何度も受け直すと、金が何度も必要になりますが。
なぜだか、テストは何度受けても料金が重ねてかかることが無いです。
それも押さえておきましょう。

 つまり、技能を何度もやり直すと怒ってくる教官(や親や他人)は居るけれども。
テストを何度も受け直すことで怒ってくる教官(た親や他人)は居ないということです。
ものによって、怒ってきたり、怒らなかったりして「この人は解離性人格障害なのかな?怖いな」と感じることが有るかもしれません。
金を異様に大事にする人は、金がかかるか、かからないかで、怒りの有無が決定します。
それも押さえる必要があります。


 教習所へ行くことが恐怖である場合には、ちゃんと全ての範囲内を勉強し終えてからテストを受けに行きましょう。
何度も外出して、外出恐怖を克服しようとする場合には、出題範囲内の途中までをやり終えて、一度テストを受けに行ってみましょう。
意外に簡単だと感じると思います。
人によりますが。

 また勉強の途中でも、一旦テストを受けに行っちゃうと、その教室がどんな感じかとかを覚えられるので、二回目の外出恐怖が軽減するはずです。
 私が通っている自動車教習所では、学科を受ける教室とテストを受ける教室が違いました。
そういうことも有るという頭で居ましょう。


・仮免テスト(第一段階の最後に受ける)
これは、50問の内45問正解しなければ先に進めません。
教習所に置いてあるパソコンを使ったり、問題集を解いたりして勉強するという流れのようです。

技能


 自動車教習所内の技能に関するテストは、私はまだやっていないのでわからないです。
判り次第書き足します。

と或る言い争い


 最近仕事場で、私が「仕事場内で自分を一番大事にしている」という派であることを、責められました。
「仕事場内に居る限り、一番大事なのはお客様だ」と、責められました。
その事件の経過報告です。


 なんだか、誤解されているみたいでした。
私は「自分の身を一番大事にする」という言葉を選んでいたのですが、
その意味は「自分の心を一番大事にする」という意味であり
「危険な場面でお客様の体を守るよりも自分の体を守ることを優先する」という意味ではありません。
「職員の心」が満たされていて平静であることは、「お客様の体」「お客様の心」「職員の体」を守れる状態であることです。
「良いサービス」の手前に有ること…その手前に有ること…そのまた手前に有ること…という風に後ろに下がっていき
元の元を探ると、そこには「満たされていて平静な職員の心」が有ります。
元の元を辿り、原因を変化調節保持することで現れる結果を操作しようという方法を私はしようとしています。
 また私が「仕事中お客様を一番大事にする」と考えない様にしている理由は、そこまでの実力は
まだ私には無いと感じているからです。
実力が無いくせに下手に余裕をぶっこいて、「自分より相手が大事」なんて言っちゃう方が寧ろ無責任で
危険だと考えているからです。


誤解されているやと気付いたきっかけ


 「介護の仕事では利用者様の盾になるつもりで居て下さい」と言われて「ん?そう思っているけれども…なんで今更?」
と感じました。
その言葉がきっかけで、私が言った「仕事中に自分の身を一番大事にする」を相手側が「仕事中に自分の体を一番大事にする」
という意味で取って誤解しているのだということに気が付きました。
「心」という言葉を入れれば誤解が無かった様です。


自然な心の変化


 今日、「能力高い系」(ハイブリッド型・技術高い・注意力高い)の職員さんが居なかったので、
「能力低い系」(ピュア型・技術低い・注意力低い)の職員だけで頑張っていました。
その中で…けっこう自分が、色んなことを考えて組み立てながらササササと動けたので、なんだか自信が付きました。
そうしたら、自分は「ハイブリッド型・技術低い・注意力低い」というタイプなのだと気付きました。

 自分自身のことはけっこう大丈夫なんじゃないかと思えたら、自然と「お客様が一番大事」という思想を受け居られていることに気付きました。
まず自分自身のことをしっかり固めて…固めている最中は「自分より相手が一番です」なんて言っていられませんし、たぶん、言っちゃいけません。
でも、リラックスした心(或る程度満たされていて、平静を保てている心)の状態(余裕の無い状態)ならば、
「お客様が一番大事」という思想に自然と成れることに気付きました。

 なんでわたしが「自分が一番大事」と言っているのか…言わなければならないのかというと。
わたしの心の状態を乱してくる職員が居るからです。
今日、私の心の状態を乱してくる職員が1人も居ない状態の職場で、私は自然と自分が持っている最大以上の能力を発揮できましたし、
自然と「お客様が一番大事」だと感じながら仕事をしていました。
つまり、結局は職員の心が平静で無ければ「お客様の体を大事に」なんてできないということです。





以下は詳細な説明です。

○上流を操作し、下流を思い通りにする
 或る方が「入居者様の盾になるつもりで思っていてください」と言われたので
「ん?そんなの当たり前だと思うし、私もそのつもりだったけれども、なんで今更それを私に言うんだ?」
と思って、「誤解」の存在に気が付きました。
勿論、入居者様の心や体に害が及びそうな危険な場面において
職員が盾になるべきだと考えていますが。
その「場面」に気付く為には、つまりしかるべきときに盾を成る為にはまず
自分自身の心が或る程度満たされていて、平静を保っている必要が有ります。
 他の職員の悪いところばかりを、毎日の様に他の職員に聴こえる様に
職場内で言い捲る職員が居れば勿論、「職員の心」の平静は崩れます。
そうすれば、「職員の体」「お客様の体」「お客様の心」に悪い影響を与えることになります。
「職員の心」は言わば「川の上流」に値します。
そこが汚れると、川の下流も汚れます。
 盾になりたくても、威圧的な行動や口調の職員が居ると、威力で周りの職員の
注意力、思考力、を抑え付けることになります。
注意力が落ちれば、入居者様が危険行為をしていることに気付くことができません。
思考力が落ちれば、入居者様の健康を増進維持する環境づくりの為の行動を思い付いたり組み立てることができません。
だから「威圧的な行動を取る人」や「威圧的な口調の人」は自分では
「悪いところ」を指摘して職場を良い方向へ導いているつもりで
結局のところ威力業務妨害をしていることになっています。
 「こういうところが危険だと気付いたので、こうしていきましょう」「はい、わかりました」
とかいう悪いところを示してそれに対する策を提案するということを
冷静に丁寧に他の職員に伝えるならば、それは純粋に「職場を良い方向へ導く行為」ですが。
それを威圧的に注意するならば、「職場を良い方向へ導く行為」と「職場を悪い方向へ導く行為」の両方を同時に行っているということになりま
す。
勿論、「威圧的な行動や口調がへっちゃらに成れ!」という威圧的な意見を持つ方も居るでしょう。
「職員の心」そのものを強くするという方法も必要で、有効なのですが。
人間の心はやはり人間の心なので、どこまでぇえも強くなるということは無理でしょう。
 どんな大人でも、心の中には「子供」が居ます(インナーチャイルド)。
その心の中の子供を怯えさせれば、その人は恐怖で委縮します。
委縮した人は周りに反撃を与え始め、他者を扱き落とすことで自分の優位性正当性の高さを示し味わい
自分の中の心の中の子供を守ります。
もしくは、委縮した人は鬱病に成るか体を壊します。

 「お客様を一番に考える」というのは、たしかに正解では有るのですが…。
完全なる正解とは言えないと、私は考え抜いた結果、気付いています。
「お客様だけを大事にする」という意味合いを含む「お客様を一番大事にする」という思想は
「職員に対する所作や言葉遣いを粗末にしても良い」という思想を生み出します。
 お客様の心と体を守る為には、まず、職員自身の心が満たされていて平静であることが第一条件です。
また体が健康であることが第二条件です。
職場内に威圧的な人物が居ると、その人に心の平静を乱されて、できることもできなくなりますし
できないことはもっとできなくなります。
ですから、私は「威圧的な人物が居る限りは職場内で、自分自身の心を一番大事にする」訳です。


○自分より相手が大事…なんて言える人(言っても良い人)は余裕の有る人

 また、私は私の能力を信じていません。
強迫神経障碍と注意欠陥多動性障碍の両方を持つ私が、そこまで高い能力を有するとは考えていませんでした。
自分にお客様を守るだけの、注意力も実力も無いのに、身の程知らずに無理をして「お客様が一番大事です」なんて言ったところで
「いや、お前はまず自分を守れよ。他人のことを守っている場合じゃねえだろ。」という話になると私は考えていました。
つまり、「お客様を一番大事にする」という心掛けをする権利を持つのは
それに相応しい注意力と実力を持つ人だけだと考えていました。
私は私のことを、注意力の欠損している実力を持たない人だと考えていました。
だから私の立ち位置は
「お客様を一番大事にしている(できるくらい注意力を持ち、実力を持ち、心も体も健康である)職員」のサポートをすることだと考えていました

つまり、入居者様を間接的に守るタイプの仕事をサッサと済ませることだけが私の仕事だと考えていました。
所詮私にできることはそれくらいだろうと。
 元々、他人のリアルタイムの行動に関する注意力が低く、程度や頻度の見当を付ける能力がほぼ無い私の心が
威圧的な職員によって乱されました。
だから余計に注意力と思考力を奪われて、もはや殆どなぁんにも気付け無い人に成ってしまっているので
余計に「先ずは自分の心を守ることに集中しなくちゃな」と考えたという流れです。


 先頭を切って周囲を観察し気付き、思考し仕事を組み立てる人は何人か居る中で1〜2人が丁度好い気がしています。
皆が皆先頭を切ってしまうと、ぶつかり合ってめちゃくちゃに成ってしまう気がします。
ですから、メンバーの中に先頭を切る人物が現れたら、その人には「直接介護」をお願いして自分は「間接介護」に回る様にしていました。
「間接介護」に入った時点で、リアルタイムの動作に関する注意能力はオフにしていました。
 私の中では、「今日は間接介護に回ろう」「今日は直接介護に回ろう」と決めていました。
こればかりは向き不向きが有り、私は間接介護の方が向いているので間接介護ばかりをしてきました。
そして、たまに直接介護に回っても(勝手に外へ出ていく認知症の入居者様を呼び止めるとか、お風呂介助とか)
いつも「リアルタイムの動作に関する注意能力をオフ」にして過ごしているので、オンにしたところで全然気付けません。
…というのも有りますし、間接介護中も注意能力をオンにしていますが、仕事に自信が無いし余裕が無いので
それにプラスして入居者を気にするというのができません。
 その理由は、「何事も大事(おおごと)として、捉えてよく考えて真面目に行う」という思想をしているからです。
その真面目な心掛けが逆に、注意能力を下げるということに成っていたのです。
それに今気付きました。
だから、間接介護(掃除・シーツ換え・軟膏塗り・排便確認・洗濯)などは「どうでもいい」と軽く考えるべきなのです。
そして脳内に「余裕」を作り、その「余裕」を使って直接介護を行うべきなのでした。
…ただもう1つ付け足すことが有るとすれば、威圧的な職員が居ると生まれた「余裕」は狭まります。

 全員が全員同じくらいの威圧さを持つならば、おさないで(威力に負けて黙る)必要なときに必要なことを言えます。
が、誰か異常に威圧的な人が居るともう言うべきことも言えなくなってしまいます。
そういう場合は、威力に負けないで言うべきことは言えたら良いけれども、悲しいかなどうしてもできないときは多々有ります。
 話がずれてしまいましたが…話しを元に戻します。
私は障碍者ですし、物事の元の元の原因を探るタイプの人なので、相手を守る為の『準備の段階』を重視しながら話します。
一方、基本的に常に体が健康で、自分は弱者であるという意識の無い人は、準備段階でのあれやこれやは全部すっとばして、話をします。
私は、「お客様は一番だけれども、それならば、職員の心を先ず一番大事にする必要が有る」と考えています。
それを「職員の心を先ず一番大事にする」と省略してしまっていた様に思えます。
しかも「職員の心を先ず一番大事にする」を「職員の身を先ず一番大事にする」と言い換えてしまったのが悪かったのだと気付きました。


 まとめてみると
・職員の心は、川の上流に値するのでそこを平静に保つことが大事
・間接介護を軽く見做し、直接介護をする為の注意力を上げる


 「川の上流」に関することについてもっと書いてみると…。
何を題材にして「介護における川の上流はどこなのか」を考えたのかというと、介護士が入居者に対して暴力を振った事件についてです。
事件を見て知って「あぁなんて酷い職員なんだ!地獄に墜ちろ!」という感情の反応をするだけの人が多いことは知っていますが。
そうやって感情の反応をするだけでは、再発防止にはなりません。
 人間の行動は心構えだけで制御できるものではないと私は考えているからです。
どんなに、お年寄りを敬おう…敬わなくてはならないんだ…お客様なのだから大切にしなくてはならないのだと考えいても…。
自分の心にストレスが溜まれば、ふっと有るときに何かが切れて暴力を振ってしまうでしょう。
悪気が無くても。
 だから、結局は何をどうすれば犯罪を防げるのか…どこに鍵(別の言い方をすればハンドル)が有るのかと深く私は考えます。
介護の事件意外のことに関してもそうです。
犯罪が起きた原因を探し、どの原因ならば操作が可能なのかを考えます。
「心構え」を操作するというのも1つの手ですが、人の心を変えるというのは自然の法則に逆らう様なものです。
また深層意識をいじくることは不可能であります。
人の心をいじくれたとしても、表層だけです。
もしも心の深層にストレスが溜まれば、表層でどんなに「ご老人は皆人生の先輩なのだから…」「入居者や入居者の家族はお客様は大事に…」
と心掛けていても、表層意識が深層意識に勝てることは奇異です。
殆ど有りません。
いつでも表層意識(頭)で深層意識(肚)を抑え付けられることを期待していては、危険です。
 川の下流で操作を加えるよりも、川の上流で予め操作しておく方が、自然であり安全です。
だからこそ川の上流であるところの、「職員自身の心」を重要視しています。
元の元を良い状態にし、それに付随する事柄も良くし、最終的に現実世界で現れる現象も結果として良くするという方法です。

 しかしたしかに、この「自然な方法」だけが、犯罪防止し、更にはまたより良いサービス提供をする方法ではありません。
肚(深層意識)では、全然お客を大事にしておらず、ストレスだらけでも
頭(表層意識)で抑え込んで、現す行為は良いサービスに変換する。
という風に、肚と頭の間に強力なフィルターを造り上げるという方法も有ります。
また、両方の方法を組み合わせる方法も有ります。
 私が考えるに、基本的には自然な方法を使い、どうしても難しいときには不自然な方法を使うというバランスが
もっとも恒常的に安定して良いサービスを提供する方法です。

文責:大塚将俊

直接介護と間接介護

間接介護と直接介護

 この話で重要になってくる語句は、「直接介護」「間接介護」「花形」「裏方」「ハイブリッド型」「ピュア型」。
私は介護を直接的な介護と間接的な介護に分けて考えています。

直接介護…入居者が勝手に外へ出ていく・転んだときにセーブできる様に付き添う・危険行為を制止する・入浴介助・排泄介助・お茶を出す・体操
間接介護…洗濯・掃除・Uクリーン・換気・加湿・風呂準備・食事作り・電気を点ける・カーテンを閉める・排便確認・軟膏塗り・直接介護の補佐

という風に分けて考えています。

介護の花形

 私は直接介護が介護の花形だと感じています。
いかにも介護らしい介護だからです。
また、「高い能力」が必要に成るからです。

介護の裏方

 私は自分に「高い能力」が備わっているとは考えていない為、「この人能力が高いな」と思った職員がその日のメンバーに居れば
すぐさま間接介護の側に回ります。
しかし、いつもその様に裏方の間接介護に入ってしまうため
周囲の人からは「仕事をしない人」と思われ易いです。
 また花形の仕事の方が高い能力が必要されるし、体力も必要になるので
裏方の間接介護ばかりしている職員のことを、「簡単で楽な仕事ばかり選んで…」と自然と、どうしても憎さを覚えることになります。
いつも裏方の間接介護ばかりしている職員が、たまに表方の直接介護にやってきても何をすればいいのかサッと思い出すことができずに
仕事をできず…「あの人は仕事をしない人」と認識され易いです。
故に自然に放っておけば、直接介護を主にする職員から間接介護を主にする職員へ苛めが起きるか、苛めっぽくなります。

ハイブリッド型かピュア型か

 また、ハイブリッド型とピュア型が有ります。

ピュア型…1つは直接介護をやるか、間接介護をやるか、どっちかしたできないとか、
どっちかしか憶えていられないという型。
ハイブリッド型…もう1つは直接介護も間接介護も入り交じえながらできる、ハイブリッド型。

因みに、訪問介護は他の職員と協力したり役割分担をしながら働くということしないので
訪問介護出身の方は、ハイブリッド型であることが多いでしょう
また、安全に速く行う介護技術も持っているでしょう。


組み合わせ


 「直接介護」「間接介護」「ハイブリッド型」「ピュア型」の組み合わせで、職場が悪い雰囲気になるか良い雰囲気になるかが決まります。



直接介護ピュア型と間接介護ピュア型の組み合わせ→良いです。

直接介護ハイブリッド型と間接介護ハイブリッド型の組み合わせ→良いです。

間接介護ハイブリッド型と間接介護ピュア型の組み合わせ→良いです。

直接介護ハイブリッド型と間接介護ピュア型の組み合わせ→悪いです。

直接介護ハイブリッド型と直接介護ピュア型の組み合わせ→悪いです。

直接介護ピュア型と間接介護ハイブリッド型の組み合わせ→良いです。



 これまで私が見てきた介護の現場を思い出したときに、上記の法則にホントに当て嵌まっています。
そのことに自分でもちょっと驚いています。
こういうことだったのか…!という感じです。
後半三つだけ説明をします。


○直接介護ハイブリッド型と間接介護ピュア型の組み合わせ→悪いです。

 ハイブリッド型が直接介護ばかりをしていて、間接介護をピュア型ばかりが行っているときは
前述の様に、ハイブリッド型は疲弊するし、ピュア型がどこで何をしているのかが判らないので
ハイブリッド型はピュア型に対してイライラします。
また、ハイブリッド型は自分自身の援助・補佐をしながら主体としても働けるため
援助や補佐を必要としません。
ですから、ピュア型を単に邪険に思うだけになります。
ピュア型は援助・補佐をする気満々なのに、「要らない」と言われて傷付くでしょう。


○直接介護ハイブリッド型と直接介護ピュア型の組み合わせ→悪いです。

ハイブリッド型が直接介護をして、ピュア型も直接介護を行っているときは
ハイブリッド型は直接介護の合間を縫って、間接介護をスッと入れ込むことができますが
ピュア型は直接介護をしているならば直接介護しかできないため、間接介護を合間に入れ込む要領の良さ無く
ハイブリッド型が「これくらいできてよ!」とイライラします。


○直接介護ピュア型と間接介護ハイブリッド型の組み合わせ→良いです。

 ピュア型が直接介護をしていて、ハイブリッド型が間接介護をしている場合
別に何も悪いことは起きないでしょう。
ピュア型が直接介護のみに集中していて、合間を縫って間接介護を入れ込むことはできないですが…。
それをハイブリッド型が援助すれば良いですから。


 …ただ、ピュア型の介護技術(安全に更には速く介護する技術)が低かったり
注意力が低かったりすると、良く無いです。
…同じ様にハイブリッド型の介護技術(安全に更には速く介護する技術)が低かったり
注意力が低かったりすると、良く無いです。
…つまり直接介護と間接介護が入れ替わり立ち代わりする職場では、
介護技術の高さと注意力の高さは必須です。


珍しい組み合わせ


 初期の勝手なイメージだと、ハイブリッド型で且つ介護技術が低い人、ハイブリッド型で且つ注意力が低い人
なんて居ないんじゃねぇかと思えますが…。
実は居ます。
ハイブリッド型はつまり頭がイイので、頭がイイなら介護技術も高いだろうとか注意力も有るだろうと予想してしまうのですがそうとは限らないで
す。
ハイブリッド型だと色んなことを同時に考える能力が高いし、できるのですが…。
色んな仕事の流れを同時に考え続けているということは、近くに居る入居者が危険なことをしようとしていても気付け無いことが有りますし。
同時に色んなことを考え続けているということは、目の前の仕事でミスをし易いということでも有ります。
だから、自分がハイブリッド型ならば(色んなことを加味して考えられるならば)先に考えて終えてしまって
作業をするときには作業のみに集中するという風にするのが望ましいです。

 私自身は、自己分析するに…ハイブリッド型・間接介護・介護技術低い・注意力低いです。
また、ハイブリッド型のくせにピュア型へ向かおうとしている人です。
ピュア型を装うとしている人です。
めちゃくちゃです。


直接介護と間接介護を完全に役割分担する?しない?


 私が考えるに
いつも直接介護をする人は、いつも直接介護をして
いつも間接介護をする人は、いつも間接介護をする…という風に区切った方がイイのでは?と考えています。
いつも間接介護をしているのに、たまぁに直接介護に入ると、ミスが出易いからです。
こちらの在り方では、「役割分担をして協力し合っている感」が出ます。
「それぞれの能力が低いながらも、それぞれができることを組み合わせて仕事を遂行したという達成感」が有ります。
しかし一方で
誰しもが、直接介護と間接介護をするという風に…要は入り乱れさせて全員が
「ハイブリッド型・直接介護&間接介護・介護技術高い・注意力高い」か
「ピュア型・直接介護&間接介護・介護技術高い・注意力高い」かを目指させるという方法も有ります。
こちらの在り方では、「役割分担をして協力し合っている感」が出ません。
「同士で前進していく快感」は有ります。
「ピュア型・直接介護&間接介護・介護技術高い・注意力高い」だと、色々はできないけれども
1つのことを確実に済ませられるため「取り敢えずは役立つ存在」と見做されることができます。


私のばあい…

 ただ、私は心の中では、完全に役割分担をするやり方を望んでいるのにも関わらず。
実際に私が働いている職場は、全員が
「ハイブリッド型・直接介護&間接介護・介護技術高い・注意力高い」か
「ピュア型・直接介護&間接介護・介護技術高い・注意力高い」かを目指させるという方法が採用されている為
難しいです。
こちらの方法だと介護技術の高さと注意力の高さは必須なので
技術を上げる努力や工夫・周りを見渡す癖を付ける努力は行います。
 直接介護と間接介護を分ける方式では、
直接介護に従事する者のみが、
介護技術(安全に速く)を上げる努力や工夫・周りを見渡す癖を付ける努力が必要になり。
間接介護者は、それらの努力や工夫は必要無いのです。
また、間接介護者が直接介護者の仕事を減らしてくれます。
だから直接介護者は緊張感を持つ必要が有りますが、やる事は限られます。
しかし、全員が戦士になる方式だと、やる事も多いし緊張感も持つ必要も有り、精神力の消費量がだだ多いです。
私はハイブリッド型だから、色々なことを組み立てることができるのですが…
そこまで大量の精神力を持っていないので、
直接介護に従事するか、間接介護に従事するかどちらかだけに成りたいのが本音です。
能力を持っていても、エネルギーが無いと能力は発揮できないです。
筆:大塚将俊

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