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西行法師が、伊勢神宮に詣でて
その時の感動を詠んだもの。 仏教に帰依した身の西行は 伊勢神宮の名前を直接出すことを遠慮し 『何がいらっしゃるかはわからないが そのありがたさに涙がこぼれる』 と、歌ったと伝えられる。 「異本山家集」 '''西行''' (さいぎょう) 1118〜1190 (元永元年〜建久元年) 平安後期の歌人。 左衛門尉佐藤康清(のりきよ)の子 母は監物源清経の娘、俗名は義清。 晩年に円位と号し、大宝房とも称す。 保延六年(1142)にわかに出家し、西行と名のる。 出家後数年間は嵯峨東山鞍馬などの草庵や寺を転々として修行。 生活体験のにじみ出た述懐歌にすぐれ 新古今和歌集では九四首が入集。平成二十二年三月 生命の言葉より 東京都神社庁 |
生命の言葉
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いたずらに悩んでもしょうがない。という教え
(死を求めるよりも)今を生きろ。 死後、難題が持ち上がったら読めと残した遺言と伝えられる。 '''一休 宗純''' (いっきゅうそうじゅん) 1394〜1481 (応永元年〜文明13年) 室町時代の臨済宗の僧で京都生まれ。 幼くして山城安国寺の象外集鑑(ぞうがいしゅうかん)の門に入る。 文明6年(1474)大徳寺住職の懇願を受け大徳寺の復興に尽力。 著に『狂雲集』『骸骨』など。 その豊かな人間味から一休にかこつけ頓知咄(とんちばなし)が作られた。平成二十二年二月 生命の言葉より 東京都神社庁 |
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どんなことでも
道理に背いた祈りを神はお受けにならない 願い事をする心にやましいことがないか 冷静に考えてみるべきである。 『玉葉集』より '''藤原 為守''' (ふじわらのためもり) 1265〜1328 (文永2年〜嘉暦3年) 鎌倉後期の歌人。 権大納言藤原為家の子、母は阿仏尼。 冷泉為相(れいぜいためすけ)の弟。俗名は冷泉為守。暁月は法名。 歌道の名門に生まれ、作歌は『玉葉集』『風雅集』などに収められるが 酒を好み狂歌を詠み『狂歌酒百首』の作者と伝えられる。平成二十二年一月 生命の言葉より 東京都神社庁 |
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人とのつき合いで最も大切であり最後に物を言うのは
相手に誠実を尽くすことにある。 相手に信頼されるためには真心と誠実が第一である。 '''渋澤 栄一''' (いぶさわ えいいち) 1840〜1932 (天保11年〜昭和6年) 実業家。埼玉県の人。号は青淵(せいえん) 一橋家に仕えた後、幕臣となる。 慶応3年(1867)徳川昭武に随行して渡欧。 西欧の近代的産業施設や経済制度を学ぶ。 維新後、大蔵省に出社。 のちに第一国立銀行・王子製紙・大阪紡績・東京ガスなど多数の会社を設立 教育・社会事業にも尽力平成二十一年十二月 生命の言葉より 東京都神社庁 |
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親はどのような気持ちで子どものことを思っているか。
親というものは子どもが親を思う以上に 子どものことが気にかかるものである。 '''吉田 松陰''' (よしだ しょういん) 1830〜1859 (天保元年〜安政6年) 江戸時代末期の勤王の志士、思想家、教育家。 長門国(山口県)萩で長州藩下士の杉田百好け之助の次男として生まれた。 天保5年(1834)、5歳のときに山鹿流兵学師範で叔父の吉田大助の養子となる。 安政4年(1857)松下村塾を開塾し久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などを教育した。 安政の大獄により江戸の伝馬町牢屋敷に送られ 安政6年(1859)刑死。 明治15年(1882)東京都世田谷区に松陰神社が創建された。平成二十一年十一月 生命の言葉より 東京都神社庁 |



