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その日の夜、隣の男が訊ねてきた。
銭湯帰りに買った缶ビールを呑みながら、私はインターネットで将棋を指していた。
幾つかの部屋を覗いて「パラドックス」を探してはみたのだが、やはりこの時間に彼はいなかった。
三千人もの将棋好きが、アルファベットと数字を組み合わせた記号に姿を変えて、この画面の中にいる。
ある時間にだけ姿を見せる人もいれば、一日中画面の中で過ごしているような人もいる。
勝ち負けに拘らず、将棋を楽しむ人もいれば、勝つことのみに拘泥し、あらゆる権謀術数をめぐらす輩もいる。話し好きの人もいれば、暴言を吐き散らす奴もいる。会社の経営者もいれば、受験生もいる。
医者や弁護士もいれば・・・・ニート、引き籠もりもいる・・・・・・。
ただ単に「将棋好きの集り」という一言では括りきれない何かが、この画面の向こうにはある。
この中で一体、自分はどういう位置にいるのだろう、棋力は上位に属しているが、生活も人生も破綻寸前にある。守りの駒を全て失い、詰みを覚悟した玉のようだ。
「パラドックス」を探しながら、私はそんな事を考えていた。
以前に指したことのある相手を見つけて、対戦している最中に、隣の物音が聞こえた。
その途端、私は集中力を失った。
ドアが開閉される音・・・数歩で部屋を横切る足音・・・建付の悪い窓が引き開けられる音・・・
衣類が擦れる音・・・・・・・携帯電話の着信音・・・・・もそもそと会話する声・・・・・・・・・
蛇口を捻る音・・・・水の流れる音・・・それをコップで受ける音・・水が喉から体内へ流れ落ちる音。
(どうしました・・・時間切れになりますよ)
パソコンの画面に書かれた相手のメッセージに気付き、我に返った。
(ごめんなさい・・・ちょっと考え事してて)
慌てて返事を返し、駒を動かした。 最悪の一手だった。
(なんか・・・今日は変ですね)
(はい・・・ちょっと悩み事が・・・・)
私は、投了のボタンを押して(負けました)と打った。
(悩み事ですか・・・・あなたは女性の方ですね?)
(はい)
(私は七十になる老人です、人生で課せられた義務はつつがなく完了し、最早悩む事柄もない)
(・・・はい)
(悩む事が無くなると、終局ですね将棋も人生も)
(そんなこと・・・・)
(楽しみは孫と遊ぶのと此処での将棋位です)
(お幸せなんですね)
(平穏無事で、単調な暮らしを幸せと呼ぶのなら、確かに今は幸せです)
(それは・・私が捨てて・・・今・・後悔してる物かも知れない・・・・・)
(そうですか。調子の良い時に、またお願いします、あなたは筋が良いから、指してて楽しい)
(はい、ありがとうございます)
私は、席を去りパソコンの電源を落とした。途端に深い夜が私を包み込んだ。
遠くでサイレンの音が鳴っている。中古で手に入れた扇風機がぎしぎしと呻いている。
隣室の扉が、何か不安げに開く音が聞こえる。
つづく
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さきが楽しみですね
2007/9/30(日) 午後 3:04 [ あ-ちゃん ]
都市生活者の一段面を、叙情的に捕らえてるという感じだ。
ただ、これだと、ストーリーに、詰まってしまうのではないか?
むしろ、あっさり詩のカタチで表現された方が、合うのではないだろうか?
生活のぶった切った面を、詩の形で、ポンと提示する方が、叙情的で、読者に余韻を与えられると思うのだが・・・
2007/11/5(月) 午後 3:47
水がめ座さん
私の拙い作品にまでコメントいただいて、ありがとうございます。
ご指摘の通り、詰まってしまいました。なんとか書き上げようとは思っているのですが、着地点が見つからないのです。
2007/11/5(月) 午後 6:16 [ すいす ]
再度、読み直してみました。
テーマをしぼった方が良いと思う。
例えば、「都会の孤独」とか、「若者と中年の出会い」それがもたらす違和感、とか、世代間ギャップ、それだけを単独のテーマにして、短編に仕上げる。
あるいは、PCネットを通じてしか、人付き合いが出来ない、現代の新しい孤独と共感とか。
今のままだと、長編の入り口のように見えるが、入り口でつまづいていては、先へ進めない。
この書きかけの小説の中から、絞り込んだテーマで、再度、最初っから短編で、書き直されてはいかがでしょうか。
せっかくココまで来て、投げては、あまりにも、もったいない。
それに、創作を、自分で苦労しながら仕上げる、これが、世界を理解するよき方法だと、私はいつも思っています。
ぜひ、再挑戦してみてください。
2007/11/7(水) 午後 0:11
ありがとうございます
水がめ座さんのお言葉、正直とても嬉しく思います。
なんとか完成させてみるつもりです。だけど少し時間がかかりそうです。
2007/11/7(水) 午後 6:27 [ すいす ]