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まなじりからこぼれたぬるい液体が頬をつたって耳のうらがわへと落ちる
それがずっと止まらないのだ
見なくてもよい光景が この身体の周囲をおおっている
それが終わりそうにないのだ
なめらかに移動する頭上には 均等に配置されたダウンライトとスピーカー
それから火災報知器 天井に貼られた不燃材は一枚910mm×455mm
滲む光景の片隅で女が笑っている
押さえつけられ滑らかに移動する顔を覗き込むのは
母か妻か娘か 見ず知らずの老婆か
流されていく耳元にすがりつくものは
悲鳴か哄笑か 怒号か子守歌か
そもそも
この身体は誰の物なのか
そして何処へ向かっているのか
それを私は
何処から
眺めているのか
太い声が 柔らかい枕に吸い込まれる
次の瞬間
私は未知の儀式を傍観する
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詩
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こういう浮遊感というのか身体からの離脱感は、アスペルガーの方たちの文章で接していますから、すんなりと読めました。決して難解ではありませんね。すいすさんは、中勘助のような感受性をお持ちなのだろうと思っていましたが、やっぱりそんな気がします。
2012/9/29(土) 午後 0:02 [ ひかり ]
ひかりさん
ここ2週間ぐらい病院通いしてます。病院での待ち時間に何気なく廻りを観察していて感じた事は「病人達に囲まれていると、自分の病など、どっーてことないな」と云うことです。単純なことだけれど、これがけっこう大切な治癒効果になっていたりします。
2012/10/1(月) 午前 6:51 [ すいす ]
「銀の匙」で中勘助の少年時代、床の中から見上げる天井がぐるぐる回って膨れ、勘助を飲み込みそうになり、勘助が病に至る場面があります。少年を救ったのは、療養のために訪れていた海岸で、松葉だったか、落ち葉だったかを掃いて燃やしている、白髪の老人を見た瞬間だった。細かいことは忘れましたが、そういう内容だったと思います。
少年を飲み込む肉としてのテリブリー・ママ(ユングの、人類普遍の象徴の一つ)からの開放は、白髪白髭として象徴される、賢者であったのです。
これは、デ・ラ・メアの翻訳者の著書に学んだものですが。私がスイスさんの作品から直感したのは、集合的無意識が無意識を飛び越えて意識世界を侵食しているということでした。しかもそれは病的というのではなく、作家ゆえの象徴との対峙と感じられるのです。私が多くを語る必要はないと思います。白い髭の賢者に出会われればすむことです。
作品楽しみにしています。私の学びの場でもあるのです。
2012/10/2(火) 午後 8:58 [ ひかり ]
昨日は断定的なものの書き方で、すみません。こういう風に考えた読者がいたくらいで、受け止めてください。
2012/10/3(水) 午後 8:46 [ ひかり ]
ひかりさん
コメントありがとうございます。「銀の匙」が懐かしくなって久しぶりに読み返してみようかなと思いました。こういうコメントは参考になりますし自分の書いた物を客観的に眺めるきっかけとなりますので大歓迎です。感謝してます。ありがとう。
2012/10/4(木) 午前 6:29 [ すいす ]
アー良かった。怒ってあったらどうしようという一抹のふあんがありました。
2012/10/4(木) 午後 9:23 [ ひかり ]