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真路のいた夏 後編

  結局僕は、家に帰った真二を一度も訊ねることなく終わった。同い年の変わり果てた

  従兄弟の姿を見ることが、どうしてもできなかった。

  「一度ぐらい行ってあげたら・・・」

  母さんは何度か、遠慮がちにそう言ったが、僕は頑なにそれを拒んでしまった。

  そして病床の真二を思う度に、あの日の叔母さんの無邪気に表情を想い出していた。

  「叔母さん、どうしてる?」

  「朝から晩まで、しんちゃんの枕元で聖書よんでるわよ・・・」

  「真二は・・・」

  「それを聴きながら、時々うわごとのように一緒に呟いてるわ・・・・もう見てられないよ

   ガリガリに痩せちゃって・・・しんちゃん」


  

  あの小さなテーブルに腰掛けて、信二に聖書を読み聞かせる叔母さん。そして、朦朧とした

  意識の中で、じっとそれに聞き入る真二の姿が、暗い部屋の中に浮かび上がった。

  「あたしさあ・・・最期にしんちゃんのこと抱きしめて泣いちゃったよ・・・細い躰を抱き

  しめてさあ・・・」

  母さんの声は涙で震えていた。その時、僕は家具屋での叔母さんの笑顔を想い出した。

  泣くことをやめた母親の、毅然とした表情だったのだなと、初めて気が付いた。

  

  ・・・・取り替えられた真新しい玄関の扉・・・・何度押し開けても次から次と現れて

  向こう側の見えない真二の家。

  「もういいよ・・・・二人きりで居させてあげたほうが・・・・」

  そう言いながらも、僕は自分の言い訳じみたせりふに腹が立った。そして死の訪れを待つ

  親子の、ごく自然な振る舞いに怒りを覚えた。嫉妬も感じた。

  ・・・・・ここにテーブルを置いてね・・・聖書を読むのよ・・・・

  あの日の叔母さんの歌うような台詞が、何度も頭を掠めた。

  「もういいよ・・・・もういい・・・一人にしてくれよ」

  そう言って、僕は自室に閉じこもった。

  「ちょっと・・・いったい何を怒ってるのよ・・?」

  「わからねーよ!」




  翌年、僕は叔母さんと二人、住宅街の長い道を歩いていた。半年前と同じあの道を。

  「ねえ叔母さん、前から一つだけ訊いておきたい事があったんだけど・・・」

  「なあに?」

  「真二ってさ、一人っ子だったのになぜ名前に二がついてるのか・・・」

  「・・・・・えっ」

  「だって普通は次男に付けるんでしょ・・・二は」

  「あんた本気で言ってるの?・・・・しんじの『じ』は、路よ・・・真路・・・真実の路」

  僕は長い間勘違いしていたのに、初めて気が付いた。

  「そうか・・・信路か・・・・」

  生まれ変わった信路が、路の向こうからこちらへ歩いてくるような気がした。
  




  

  

真路のいた夏

  「ねえ・・・ホントに全部片付けちゃっていいの?」

  溜息混じりに振り向いてそう訊ねると、フローリングの床に座り込んで額の汗を拭い

  ながら、叔母さんは僕の方へ顔を上げた。

  「いいのよ、もう本なんて読める状態じゃないから・・・・」

  そういって、叔母さんは再び床に屈み込み、拭き掃除を始める。僕は躊躇いがちに真二の

  書棚の本を段ボール箱へと移す。まだ大した手伝いもしていないのに、汗で背中が湿って

  いる。夏の始まりの、酷く熱い日曜日の朝だった。

   真二が家に戻ってくる。長い入院生活の果てに、最期の日々は家で過ごせるようにして

  あげようと叔母さんが決断して、今日、帰ってくる。

  昨日の晩、叔母さんから電話があって、真二の部屋を片付ける手伝いをする約束をした。

  正直言って、あまり乗り気はしなかったのだが、断る理由も見つからず「いいよ」と返事

  をした。電話を切ると、ソファーに座り込んだ母さんが、放心した表情でポツリと呟いた。

  「真ちゃん・・・・あと二、三ヶ月の命・・・だって」



  「ねえ昌幸・・・・ここに小さなテーブルがほしいなあ」

  真二の本を片付け終える頃、叔母さんが僕に言った。

  「丸い小さなテーブルとさ・・・洒落た電気スタンド」

  「どうして・・・・?」

  「ここでさ・・・真二に聖書を読んであげるの・・・」

  叔母さんは掃除を終えた部屋の窓辺に立ち、部屋の奥にある信二のベッドを見つめながら

  そう言った。強い日射しが少し和らぎ、淡い光が磨いたばかりの床にキラキラ輝いていた。

  「・・・・・・聖書」

  そう呟いて、僕は叔母さんの顔に目を向けた。何か悪戯でも企んでいる少女のような目で

  叔母さんは僕を見つめ「今から買いに行こうよ」と言った。



  住宅街の長い道を二人で歩きながら、叔母さんはずっと喋り続けた。近くにできたコンビニ

  エンスストアのことから、町内会の誰それのうわさ話。それから最近中国語を習い始めた話し

  に移り、いつか仲の良い友だちと連れだって、中国旅行に行きたいという事など。

  そんな話しを聞きながら、何時しか家具屋に着いた。

  叔母さんは店の店主をつかまえて、自分の欲しいテーブルのイメージを身振り手振り交えて

  楽しげに喋りだした。僕は少し離れた場所から、そんな叔母さんの姿を見つめていた。

   購入するテーブルが決まり、叔母さんはレジでお金を支払いながら、まだ店主に話しかけ

  ている。

  「あのさあ、玄関のドア取り替えたいんだけど、カタログありますか?・・・・・ああ、いい

  わね、こういう感じの・・・・だけど、けっこう高いのねえ・・・・あとでまた来るわ・・・

  来年になったら、取替たいと思うから・・・・じゃあ、どうもありがとう・・・・」

  店の出入り口で、僕は叔母さんと店主の会話をボンヤリと聞いていた。熱い日射しが作り出す

  陽炎の中で、初めて聴く言語を熱心に読解しようとしているような錯覚を覚えた。

  店主が笑っている・・・・叔母さんもニコニコ笑っている・・・・来年の話しをしながら。



   僕がテーブルを抱え、叔母さんがついでに買った小さな椅子をぶら下げて、来た道を戻った

  真上から照りつける夏の太陽が、足元に頼り無げな影をつくっていた。

  僕はとなりを歩く叔母さんの足もとを見つめながら、来年の事を考えていた。取り替えられた

  玄関の扉を、僕はどんな気持で開けるのだろうか。

  「明日、真二が帰ってくるからさ・・・たまに遊びに来てよね」

  「うん」

  「随分変わっちゃったからビックリするかも知れないけど・・・」

  「うん・・・・だいじょうぶだよ・・・」

  それから僕たちは一言も話さずに歩き続けた。額から眼に流れ込んだ汗を袖で拭き取ると

  陽炎の中に小さく、真二の家が映った。

  

  

淡い光

  塗料が剥げかけた木製の縁台にキラキラと陽があたっている。乾いた布団からは、夏の午後を

  照らす太陽の匂いが零れでている。畳の上に置かれた小さなテーブルの上には、向日葵の描かれ

  たガラスのコップが一つのっており、その中の薄緑色した液体が、時々微かに震える。

   微かに笑う声がする。襖の向こう側で、若い男女の楽しげな声がする。絹が擦れるような音

  の後で、女の囁きがか細い泣き声に変わっていくように聞こえる。

   床の間には一枚の掛け軸がつるしてある。奇妙な鳥が描かれたその絵を見る度に、私は怖くて

  泣きそうになった・・・・・・・・そしてまた、ガラスの中に微かな波が立つ・・・・。



  

   特に疲れて、もうなにもしたくない時に必ず頭に浮かぶ映像がある。曖昧な記憶を思い浮かべ

  てボンヤリしている時に、自然に呟いている名前がある。

  「宗太郎」・・・もう一つの私の名前。母が私を連れて二度目の結婚をしたときに、捨てられた

  私の名前。前の夫の名前から一文字貰ったその名が嫌で、義父が改名させたのだった。

  その義父も、十数年前にこの世を去った。実の父親も、おそらく生きてはいないだろう。

  
   母の七回忌に久しぶりに集まったとき、義理の妹が私に酒を注ぎながら、言い辛そうに切り出

  した。

  ・・・・・・お母さんがね・・・薄れていく意識の中で、最期に宗太郎って言ったのよ・・・

  最初は誰のこと呼んでるのかわからなかったけど・・・・義兄さんのことだったのね。


  私は妹の注いだ酒を飲みほして、母の遺影を見つめた。再婚後は、前の夫の話など一言も口に

  しない母だったし、その暮らしがどのようなものだったのか記憶にない私には、殆ど興味のな

  い事柄だった。その母が、最期に私の名を「宗太郎」と呼んだ。

  ・・・・・どうして・・・・私は母の遺影に問い掛けてみた。

  写真の母は何も応えず、静かに微笑んでいる。静かに泣いているようにも見える・・・。






  掛け軸の鳥に怯えながらじっとしていると、静かに襖が開き、細い光が畳に拡がった。

  柔らかな光りを背にして、母が立っていた。その顔は幾分赤みを帯び、髪は少しみだれていた。

  ・・・・・宗太郎・・・・おきてたの・・・ゴメンね、気が付かなくて・・・・・

  

  「そうたろう」私はもう一度自分の名前を呟いてみた。消えかけそうな光が映し出した母の

  横顔は、なによりも美しい女の顔であった。

初夏

  家に帰る途中にあるコンビニエンスストアーに立ち寄り、美雪はミネラルウォーターを買った。

  レジでお金を支払うと、受け取った釣り銭を暫く眺めていた後、カウンターの上に置かれた募金

  箱にそれを押し込みはじめた。小銭を全て募金しただけで、レジのバイト学生は驚いていた様子

  だったが、その後残りの千円札を一枚一枚小さく折りたたみ募金箱に入れ続ける美雪の行動を見

  て、若い男は戸惑った苦笑いをみせた。

  美雪の後ろに並んだ客が、面白そうにその行動を眺めていたが、美雪は落ちついた態度で残り9

  枚のお札全てを透明な箱に押し込んだ。

  「お金持ちの娘さんかな・・・」

  店を立ち去る美雪の背後から、そんな囁きが聞こえた。


   今年初めての真夏日だった。街は夕暮れ時の賑わいをみせていたが、行き交う人達の会話にも

  その額に滲み出た汗の粒にも、日中のうだるような暑さの名残が感じられた。

  熱の冷めぬアスファルト道路を足早に歩きながら、美雪はペットボトルの水を口に含んだ。

  未だ口の中にしつこく残る、ごま油や香辛料のギトギトした感触を消すために、美雪は空を

  見上げてうがいをし、足元に水を吐き出した。

  美雪の眼に映った空には、不気味なぐらい大きく、薄黒い雲が浮かんでいた。

   父親の運転する車でドライブをして、中華街で食事をした。一月ぶりに合った父親は真新しい

  スーツと、散髪したばかりの清潔な顔で美雪の前に現れた。

  美雪の肩にさり気なく置かれた掌からは、甘酸っぱい香水の匂いがした。

  何か生活に変化があったのだ。美雪は助手席からフロントガラスの向こうにひろがる突き抜ける

  ような青空と、その中を時々浮遊する千切れそうな雲を眺めながら、何度か父親に訊ねようと思

  った質問を唾と一緒にのみ込んだ。その度に、何時も楽しみにしていた、父と過ごす数時間が

  憂鬱なものへと変わっていった。

  食事の最中、父親は何時もと変わらず、美雪に学校の事や母親との生活の事を訊いてきた。

  食事の途中から、その声が誰のものなのか、美雪にはわからなくなった。ギトギトと油に塗れた

  食材を飲み込む度に、父親の声も厨房から聞こえてくる活気ある声も区別がつかなくなっていた。

   美雪は父親の顔を見た、その瞳に映る自分の表情が、惨めでたまらなくなり眼を閉じた。


   いつもより早い時間に父親と別れた。いつものようにお小遣いをくれた父親にお礼を言い、

  美雪は振り返らずに走った。もしかしたら、自分の勘違いなのかも知れない、一瞬そう思って

  立ち止まり、振り返ろうとしたが、身体が云うことを聞かなかった。

  家族連れで賑わう駅のホームを、俯いたまま小走りで通り過ぎ、隠れるように電車に乗った。

  
   家に帰り着くころ、街は黒い雲に覆われていた。その雲の遙か上から、雷の音が聞こえた。

  スカートのポケットから合い鍵を取り出し、玄関のドアを開けて、そのまま二階へと駆け上が

  った。ベランダの洗濯物を取り込み終えるころ、空は泣き出した。

  

  真夏のねっとりと暑い空気に身体中を焼かれても、僕は必死になって友だちを追い掛けていた。

  友だちは、風のように堤防を走り抜け、大きくジャンプして川原に駆け下り、大きな石の上を

  飛ぶように跳ねながら、僕の遙か遠くを走っていた。

  午後の熱射が否応なく肺に押し込まれ、時々目眩がして意識がうすれる度に、僕は立ち止まり

  友だちの姿を探した。始めて出来た友だちだった。だからまた、呼吸を整えて、後を追い掛け

  た。堤防をゆっくりと下り、靴を濡らしながら川の浅瀬を走り、背の高い草に覆われた場所に

  たどり着いた。暑くうだるような草いきれの中を、友だちの名を呼びながら歩いた。

  腐った水の臭いが漂う草むらの中に佇んで、友だちは何かを見つめていた。近づいていくと僕

  の方を一度見て、また足元に目を落とした。

  「犬が死んでる・・・・」

  友だちの隣に立って、僕は同じ物を見つめた。大きな犬が、眠るように横たわっていた。

  あばらの肉が、少し食い千切られ、赤い肉の間に白い肋骨が浮き出していた。

  陽射しが、僕の頭を焼いた。見上げると、数羽のカラスが青い空を舞っていた。

  友だちは、僕を見ずに走り出した。僕は少しホッとして、また友だちの後を走り出した。

  友だちの首筋には大粒の汗が浮かんでいた。暑い空気の中に、甘酸っぱいキャラメルのよう

  な匂いが微かに漂った。


  
  寝返りを打った細い腕が、僕の額に落ちてきた。僕はその腕をそっと握り、タオルケットの中

  に仕舞った。か細い寝息をたてる女の額には、細かな汗が浮き出している。

  また、夏が始まるのだなと思った。そして東京で暮らす夏も、今度で終わりにしようと思った。

  隣で眠る女の、甘い体臭に誘われて、僕はもう一度女の首筋に顔を埋めた。甘い汗の匂いが心地

  よい風となって、幾つかの記憶を呼び戻してくれた。川の匂い、草の匂い、強い陽射し、遠ざか

  る足音。眠るように横たわった犬の表情。そして何時までも、僕の遙か前方を走り続ける初めて

  友だち・・・・・。

  「どうしたの?・・・・眠れないの?」

  眼を閉じたまま、彼女が囁いた。

  「うん・・・ちょっと腕が痺れて・・・」

  そう言って、僕は彼女の下にある左腕をそっと引き抜いて起ち上がった。

  「・・・・ごめんね・・・我慢してたのね?」

  僕は窓辺に寄り、カーテン越しに夜明けの空を見上げた。また暑い一日になりそうだった。

  走り出す方向を見失っている僕の背後で、また女の寝息がきこえた。

  
  
  

  

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