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  身を引き裂かれるような思い。そんな言葉で表現される感情を、今私は味わっているのかも

  知れない。私の身体はバラバラに引き裂かれて、この暗い部屋の彼方此方に散乱している。

  そして表情を失った蒼白い心だけが、時々部屋の真ん中に座り込んで啜り泣きを始める。

  悲しみのどん底にまで沈潜して、そのまま息絶えてしまえば楽になれるのだろうが、そこに

  行き着く途中で何時も、あの笑顔に呼び戻される。不安げに私を見守る息子の微笑み。

  「お父さん・・・そんなに悲しまないで・・・僕は此処にいるから」そう言って、私を慰め

  現実に連れ戻してくれる。私はまた、辛い現実の中にいて、小さな仏壇を目の前に、泣いたり

  笑ったりを繰り返す。


  不慮の事故で祐一を失ってから、二ヶ月が過ぎた。僅か十年の人生の中で、息子が残してくれ

  た想い出は、あまりに少ない。小さな段ボール箱一つに納まるぐらいの玩具や絵本。擦り切れ

  るまで大事に履いていたお気に入りの靴。誕生日に買って上げた小さなグローブ。父の日に

  描いてくれた、私の似顔絵。

  祐一は、私の顔を青いクレヨンで染めた。それを見た妻は笑い転げながら「これは酔っぱらっ

  ている時のお父さんね」と言った。確かに、息子の描いた私の表情には、暗く陰湿な翳りが

  あった。十年間の人生。祐一にとって、それは幸せなものだったのだろうか。

  仕事の憤懣を家に持ち込んで、酒で憂さ晴らしする父親と、それを心底不快に感じて、露骨な

  態度をとる母親。何日も口をきかずに暮らす両親の間で、彼はどれだけの気遣いを覚えたのだ

  ろうか。三人で囲む、無言の食卓で、祐一は黙々と食事を終え、小さな溜息をついた。


  玄関の扉が開く音で、我に返った。廊下を歩く妻の足音が、私の耳に響いた。あの日以来私達

  は祐一の話題を避けて生活している。私には私の祐一がいて、妻にも彼女だけの祐一がいる。

  そんな風に、この二ヶ月、互いを避けてこの家で生活していた。

  
  私の部屋のドアが開き、妻が現れた。暫くぶりに見る妻の顔は、妙に明るく爽やかだった。

  「祐ちゃんの撮った写真があったのよ」

  そう言って、妻は私の隣に座り込み、写真屋の袋を見せた。私はその袋を受け取り、中身を

  取り出して、十数枚の写真に目を通した。

  「祐ちゃんのおもちゃ箱の一番下に使い捨てカメラが隠れていたの。二年ぐらい経ってるか

  ら、ちゃんと現像出来るのかなと思って写真屋さんに持って行ったのだけど・・・・」

  お祭りの屋台で金魚すくいをする祐一の姿が映っていた。おそらく小学校へ入りたての頃だ

  ろうと思った。お面を被る祐一や、口の周りに綿菓子をつけて笑う祐一の姿が活き活きと

  映っていた。

  「最期に・・・祐ちゅんが自分で一枚撮ったのよ。それを・・・・たぶん叱られるんじゃ

  ないかと思って・・・・かくした・・・の・・・よ、たぶん」

  泣き声で私に話し掛ける妻の声を聴きながら、私は祐一の映した写真を見つめていた。

  食卓で、私と妻が二人きりでいる時、祐一が戸の隙間から隠し撮りしたものだろうと思った。

  ファインダーを覗く祐一の表情を、私は想像した。おそらくニッコリ微笑んで、シャッター

  を押してくれたのだろうと想った。

  ウィスキーグラスを持つ私の頬に、妻が笑ってキスをしている。素敵な一枚だった。

  

美術館にて

  おかっぱ頭の女の子が俯いて見詰めているのは、足元にできた水たまりだった。その小さな横顔

  は髪に隠されてよく見えないのだが、水たまりに映った表情は、笑っているようにも見えた。

  女の子の手を握って正面を向いている女の眼と、視線があった。美しい女ではあるが、何処か

  疲れた暗い表情に、此方を射すくめる意志があるようで、私はすぐに視線を反らした。

  顔立ちの整った美人なのだが、少しだけバランスが崩れている。何処がどう悪いのかをはっきり

  言うことはできないのだが、嫌な印象を受けた。

  斜め後方から射す明かりが、水たまりにキラキラと光を落とし、女の子の表情を和らげている。

  足に履いた下駄の先から、紫色の陰が路上に延びている。


  「あの女の子は・・・・わたしなんです」

  振り返ると、小柄な女がいた。私は女の顔を一瞥し、また絵画に眼を向けた。

  「わたしなんですよ・・・・この絵に描かれてる子は」

  私の肩先で、女はもう一度言った。

  「そんなはずはないでしょう、これは八十年も前に描かれた作品ですよ」

  絵画の中の女の子を見詰めながら、私は言った。眼の片隅に居座る美しい女の表情が気になった。

  「だけど、わたしなんです。手を繋いでいるのは、わたしの母親」

  水たまりに映る女の子の表情が、少し曇ったように見えた。

  「死ぬまで・・・わたしの手を離してくれなかった」

  私は絵画に近づいて、水たまりを凝視した。笑っていた筈の表情が、泣き疲れた後の憔悴した顔

  にも見えた。

  「ねえ・・・分かってよ、これはわたしなの」

  私は振り返り、もう一度小柄な女の顔を見た。私と同じ物を見詰めながら歯を食い縛って笑い顔

  をつくる女の頬に、一筋涙が流れた。

  

  顔見知りの人達が乗り合わせたバスの一番後部の席に座って、薄暗い景色を眺めていた。

  前方に並んだ座席には、僅かに人の頭部が見えるだけなのだが、私にはその一人一人が

  何処かで出会った人物であることが分かった。

  (厄介な夢を見ている・・・・・その意識はあるのだが・・・・・・・・・・)

  バスが停車する度に乗客の一人が起ち上がり、後ろを向いて私に黙礼し降車する。

  その目には生気がなく、瞳孔が白く濁っている。

  「さよなら」・・・・「それじゃ・・・また」・・・・「お疲れさまでした」

  「ありがとうございました」 バスを降りる人達は、私にそんな言葉を残し、ポツリポツリ

  と去っていった。

  (この辺で、私は覚醒することを願った・・・・・のだが)

  バスの乗客は、半分に減っていた。私は指で強くこめかみを押さえ、硬く俯いた。

  もう絶対に顔を上げまいと思いながら(覚醒することを願った・・・・・。)

  
  「○○さん・・・・一緒に降りませんか?」

  バスが停車し、ノソノソと起ち上がった男が振り返り、私の名を呼んだ。

  近所に住む何歳か年上の遊び友達だった。歳よりずっと若く見え、いつも陽気に振る舞う

  その男の声が、寂しげに車内に響いた。他の乗客も遠慮がちに振り返り、私を見ている。

  私は頑なに俯いたまま、その声をやり過ごした。

  (そろそろ・・・目覚めなければ、という意識はあるのだが・・・)バスの中に漂う饐えた

  匂いが私を躊躇させた。思い切って腰を上げようかとも思ったのだが・・・・。

  「それじゃ・・・・お先に」

  諦めたような苦笑いを残し、友人はバスを降りた。

  私は少し顔を持ち上げて、暗い窓の外を凝視した(・・・バスが静かに走り出す・・・・)



  ベットから起き出して台所で湯を沸かし、コーヒーを飲んだ。黒い山の稜線が、仄かに紅く

  染まる頃、私の気配に起き出した妻が背後から「おはよう」と言った。

  「今日は○○さんの一周忌ですよ、忘れないで行ってくださいね」

  「分かってるよ・・・・忘れちゃいないさ・・・」

  友人の名を口にした妻の瞳孔が、青白く、くすんで見えた。

  ギターを練習する音が、遠くから流れてくる。エレクトリックギターの金属的な音。

 聴いたことのある曲だった。途中に入るソロパートの部分を何度も繰り返し、同じ処で何度も

 躓き、そして舌打ちするような弦の響きの後暫く音は途絶えるのだが、午後の静寂の中で、こ

 ちらが又うとうとし出すと、また最初から練習が始まる。

  その度に、私は顔を上げ窓の外に眼をやった。日曜の昼下がり。住宅街の道路から、時々子

 供達の歓声が響いてくる。二階から見おろすブロック塀の外側に、何人かの女が屯している。

 こぼしたオレンジジュースの染みこんだ真綿のような雲が、何か非現実的に、乾いた空を漂っ

 ている。

  私の匂いしかしない私の部屋で、また煙草に火を付けて、ゆっくりと紫煙を吐き出した。

 私のパジャマから漂い出た埃が、煙と絡み合いながらキラキラとくすんだ光りを反射している。

 窓を少し開くと、生暖かい風が入り込み、紫煙と私の匂いを部屋の外に運び去っていった。

 それと同時に、女達の声が聞こえてきた。甲高く笑う声の合間に交わされる会話、確かに数人

 で話をしているのだが内容は聞き取れない、日本語で交わされているのかさえ、私には判断出

 来なかった。

  ふらつく足取りで暗い階段を下り、台所の明かりを点けた。出し忘れたゴミ袋がフローリング

 の床を占領している。それを蹴飛ばしながら流し台まで進み、蛇口から直接水を飲み、顔を洗っ

 た。パジャマを脱ぎすてて、散らかった衣服の中から適当なものを選び、玄関でサンダルを履い

 て外へ出た。門を出ると、塀の外側にいた女達の声が静まり、幾つかの視線が私に注がれた。

 「お出かけですか・・・・」

 一人の女が、私に声をかけた。

 「はい、食料の買い出しに行こうと思って」

 醒めた視線を避けて歩き出す私の耳に、またギターの音色が響いてきた。私はもう一度、女達の方

 へ振り返り、誰にともなく「あのギターは、何処で弾いてるのですかね?」と、聞いてみた。

 「あれね・・・うるさいでしょ。近所迷惑だと思いません?」

 群れの中から、女の一人が進み出て私に顔を近付けてきた。

 「一本向こうの通りの○○さんの家の子なんですよ・・・最近は学校も行ってないらしくて」

 甘い化粧の香りのする女の、艶っぽい瞳を見つめながら、私は「そうですか」と頷いた。

 「ねえ・・・苦情言ってくれませんか?」

 「僕が・・・・ですか?」

 「うん・・・あなたなら黙って聞いてくれると思うんだけど」

 女は買い物袋から取り出したレシートに相手の電話番号を書き込み、私に差し出した。



  買い物から帰って、水割りをなめながら私は受話器を上げ、ダイヤルボタンを押した。十数回

 目の呼び出しの後、相手は電話を取った。

 「もしもし・・・・君の練習してるソロパートは、確かに難しいれど何時も引っ掛かってるとこ

 ろはね・・・・ちょっとコツがあるんだ・・・・・・・・・・・・。」

 私が一方的に喋り終えると、相手は深い溜息と共に「ありがとう」と一言いった。

 「・・・・ギター好きか?」

 相手は何も応えなかった・・・・電話も切らなかった。

 「好きなものは続けなさい・・・・嫌いになるまで、徹底的に」

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 「だけど、もう少しボリューム落とした方が良い。それでも十分聴こえるから」

 水割りを飲み干して、煙草に火を点けた。住宅街の夕暮れの匂いが薄暗い台所に流れ込んでくる。

 「お化け屋敷だあーっ」そう言って走り去る子供達の足音が遠くに響く。

 「あなたは一体誰・・・・・・?」

 「お化け屋敷の住人・・・・・・・」

  私は電話を切って水割りをつくり、階段を上った。ポツポツと明かりの灯る家々を眺めながら

 いつものように一人の宵をすごした。

  ボリュームを絞ったギターの音が聴こえてくる。何度かの舌打ちの後、完璧なフレーズが夜空

 に響いた。

  私がこの曲を夢中で練習したのは、三十年以上も前のことだった。

 ギターも自分の人生も、嫌いになるわけがないと信じ込んでいる頃のことだった。







 * yuzuさんのブログタイトルをすこーしお借りして、連作短編を始めてみたいと思っております。

  ・・・・・サクサクッ・・・サクッサクと、耳の奥に心地よい音が響いてくる。庭に出て、昨夜

  降り積もった雪の上を歩くような、軽快な音。少し硬くなった白い地面をゆっくりと歩き、ブロ

  ック塀に掛けられた郵便ポストまで、朝刊を取りに行くような軽やかな音が、冷たい部屋に響い

  ていた。

  サクッサク・・・サクサクッ・・・眼を閉じて、その音に聞き入る私の耳に、時々嗚咽混じりの

  咳や、低く啜り泣く声が混じる。閉じた目蓋の表面が熱で焼かれた。鼻の頭から、頬にかけて、

  その熱は少しずつ拡がっていった。


  「これが骨盤です」

  眼を開けると、男は長い箸の先で脆い骨を慎重につまみ上げ、ゆっくりと壺に収めた。

  そしてまた、小さな骨壺に収まりきれぬ妻の骨を、絹の白い手袋越しに押しつぶした。

  サクサクッ・・・・サクサクッ・・・・サクッサクッ。

  足の先から順序よく入れられた骨が、窮屈そうに不平を唱えているようだった。生前の、妻の

  少し拗ねたような表情を思い浮かべて、私は「我慢しろよ」と口の中で呟いた。

  男は、長い箸を器用に使い、もう片方の骨盤をつまみ上げた。

  再び眼を閉じると、なにか心地よい眠たげな疲労が体を包んだ。

  だらりと両側に垂れた私の掌が、何かを想い出しながら微かに動いた。壺に入れられ押しつぶさ

  れる骨盤。嘗てその骨を覆っていた妻の、若く滑らかで弾力のある肉の記憶を辿りながら、私の

  指は曲線を描いていた。

  ・・・・・サクサクッ・・・サクサクッ・・・そして嗚咽・・・啜り泣き。

  ・・・・・これが、顎の骨です・・・そしてまた・・・サクサクッ・・・・サクッサク。


  足の指先から始まって、徐々に太腿から両胸、そしてゆっくりとその小さな顎に辿り着くと

  妻は切なそうに微笑んで、私の背中に両腕を廻した。随分昔の話だ。

  隣に佇む孫娘のしゃくり上げる声を聞きながら、そんなことを想い出している自分が酷く滑稽

  に思えた。

  
  白い手袋に覆われた指先が、最期の骨をつまみ上げ「これが喉仏です」と男は言った。

  未だに妻の熱を放射する台の上に、焼けこげた針金のような物が残っていた。喉仏を骨壺に収

  めた後、男はそれを指さして「これは、入れ歯の芯だと思いますが、お骨と一緒に収めますか」

  と誰にともなく尋ねた。

  「それは、別にしましょう。僕が預かります」

  そう言って、私は二本の針金を受け取りハンカチにくるんでポケットにしまった。


  その晩遅く、雪が降り出した。私は桐の箱から陶製の骨壺を取り出し、蓋を開けた。

  さらさらと砕けた白い骨の上に、妻の喉仏が乗っていた。

  怒ったり、笑ったり。泣いたり叫んだり・・・・私に向けて様々な感情を表してくれた妻の

  声が、そこから響いてくるようだった。

  明日の朝は、早起きをして新聞を取りに外へ出ようか・・・そんなことを考えながら、私は

  炬燵で眠りに落ちた。

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