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夏も終わりの或る昼下がり、私は家の近くにある堤防を歩いていた
背後から砂利道を小走りに追いかけてくる拙い足音に注意しながら、少し冷気を含んだ川風
に背中を押されて、歩いていた。
二歳を迎えた耕太は、時々立ち止まり、堤防の砂利道にしゃがみ込んで雑草の間を覗
き込んだり、小さな石ころを拾っては、下の河原に投げたりしていた。
私は振り返って耕太を見た。耕太の投げる石は弧を描く間もなく、手から離れるとそのまま
足下の草地に落下した。そのままバランスを崩して転びそうになる耕太の方に戻り、私は平た
い石を拾って川に投げ込んだ。石は川原を飛び越えて、穏やかに流れる水面に波紋を広げた。
耕太は満面に笑みを湛えて私を見上げた。あごひもを掛けた白い帽子の下から覗く瞳がキラ
キラと輝いていた。
耕太の被る帽子のつばの部分に、金文字の刺繍があった。アルファベットで書かれた結婚式
場の名前、それは私と妻が結婚した時に、式場から送られた記念品であった。
一緒になってから耕太を身籠もるまでの五年間、箪笥の奥に大切に帽子を仕舞っておいた妻の
事を想った。私の両親や、親戚達の心配を余所に気丈に振る舞っていた妻の日常が断片的に想
い出された。
「田舎の人間は噂好きだから・・・気にするなよ」
「気にしてないよ、馬鹿馬鹿しい・・・せいぜい茶飲み話の話題にでもしてればいいのよ」
「はいどーぞ」
そう言って、耕太は足下の石を拾い、私に差し出した。私は小さな掌から小石を受け取り、表
面に付着した土を払い落として川に投げ込んだ。川面を切り裂いて飛沫が上がる度に、耕太は
歓声を上げて次の石を拾った。
人気のない堤防で、私は耕太の拾う石を投げ続けた。川の対岸は崖になっていて、鬱蒼と生
茂る草木が川面に涼しげな影を落としていた。私の投げる石は、時々その陰に届くことがあっ
て、その度に草木の奥から水の弾む音を返してきた。
私は石の飛び込む方向に眼をやる度に、何か奇妙な、日常的でない物を見てしまっている自
分に気づいていた。それは時折、葉の間から差し込む淡い光を受けて、蒼白く水面に映るのだ
った。
「耕太・・・・もう帰ろうね」
背中に浮き出た汗が冷たくなった。私は幼い耕太を抱き上げて、川を背にして歩いた。私の肩
越しに川を見詰める耕太の眼に怯えながら、足早に歩いた。
「耕太」
「なあに」
「早く大きくなれ・・・お父さん、新しい帽子、買って上げるから・・・」
「うん」
家に着くと、妻が耕太を迎えに来ていた。耕太は妻に抱かれ、妻の父親の運転する車で帰って
行った。私は終始無言のまま、遠ざかる耕太の白い帽子を見詰めていた。
その晩、家族のために建てた家で、独り酒を呑む私の頭を様々な想念が駆けめぐった。
将来、もし仮に耕太と話す機会があったならば、今日、二人で体験した事から話してあげよう
か・・・川の対岸の大きな木の根元で、ひっそりと浮遊していた髪の長い女の事から、話を切
り出してみようか・・・・そんなことを考えながら、酒を呑み続けた。
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