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お父さんの後に入る湯ぶねには
垢がいっぱい浮いていた
湯面ギリギリまで洗面器を沈めて
いちど追い払った垢がふたたび漂い出るタイミングを見計らい
その縁をちょっとだけかたむけると
すごい勢いで垢が流れ込む
お父さんの皮膚からこそぎ落とされた汚い物が
洗面器の水面を埋めつくす
紙縒(こより)状の生物に似た大量の死骸を
排水溝に流し終えてから
僕は胸元の湯をすくい顔を洗う
家の中で二番目に入浴する者の義務として
僕はそれを日課としていた
お陽さまの匂いを吸い込んだバスタオルで身体を覆い
簀の子が敷かれた通路から居間に駆け込んで
コタツで順番を待つ弟に合図をする
(新しくなったお父さんがテレビを見ながらお酒を呑んでいる)
だけどどうして
(僕はコタツの中からパジャマを取り出す)
だけどどうして毎日あれだけの垢がでるのだろう
(赤くツヤツヤになったお父さんが大きな欠伸をする)
自分が大人になってもお風呂の中で垢を擦るのだけは絶対やめよう
(お父さんが僕にお酒のおかわりを頼む)
だけどお父さんは気づいているのだろうか
(弟が湯気を立てて風呂から戻ってくる)
湯面にぶよぶよと浮かぶ垢を洗面器に移すとどれだけの量になるのかを
大量の死骸となった紙縒状の生物が排水溝に吸い込まれていくさまを
僕が毎晩眺めていることを
「今日は寒いから今すぐお風呂に入っちゃおうね」
(一番下の妹の手を引いて、お母さんがお風呂へと向かう)
コタツでウトウトしているお父さんの後頭部からぽわぽわと
湯けむりがのぼる
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詩
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たぶん記憶というものは
散乱した色彩 であって
光の射しかたによって様々に変形する
だから
今日は上手く 君の顔を
想い出せそうな気がする
食器棚の引き出し
の中で絡み合う
スプーンとフォーク
のように
僕たちはカチカチと
囁きあった
淡い光に包まれて
僕たちは不器用に
愛されあった
僕たちはずっと離れた場所で
存在することを
確かめ合った
窓の外にある 空も雲も光も鳥達も
じっと息を殺して君を見つめていた
あの日の午後
ながいながい沈黙の後で
ふり返る君の表情を
今日は上手く
想い出せそうな気がする
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まなじりからこぼれたぬるい液体が頬をつたって耳のうらがわへと落ちる
それがずっと止まらないのだ
見なくてもよい光景が この身体の周囲をおおっている
それが終わりそうにないのだ
なめらかに移動する頭上には 均等に配置されたダウンライトとスピーカー
それから火災報知器 天井に貼られた不燃材は一枚910mm×455mm
滲む光景の片隅で女が笑っている
押さえつけられ滑らかに移動する顔を覗き込むのは
母か妻か娘か 見ず知らずの老婆か
流されていく耳元にすがりつくものは
悲鳴か哄笑か 怒号か子守歌か
そもそも
この身体は誰の物なのか
そして何処へ向かっているのか
それを私は
何処から
眺めているのか
太い声が 柔らかい枕に吸い込まれる
次の瞬間
私は未知の儀式を傍観する
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何処に隠れているのかと訊かれたらやはり
昔から親しんだ小さな闇の端っこで おもいっきり四肢を伸ばし
赤ん坊が泣き始める前に見せる なにか迷ったような顔で
人生の最後の最後になにが見えるのか などと
云うこと を
人間以外の 誰かに
問い掛けている あるいは
蝉の抜け殻のように 身を固く閉じて 震えるほど拳を
握りしめ 階下からあがってくる匂いの正体をさぐる
使い慣れたフライパンから立ち上る ブタの生姜焼きの熱気に
眉をしかめて きっと
なんであんな人と20年も一緒に暮らしていのだろう などと
君はいまだに納得のいかぬ 釈然とせぬ 眉間の皺を
浮かべているのかも知れない
遠くから (そう 随分と遠くから) やってくる夕暮れの恐怖など
意に介さず 歯牙にかけずに 眼中にもなく・・・・・・
夕餉の食卓にのぼる湯気と話題と笑いと沈黙と
天気予報と 国会と
遠くの国で殺される若者と 近所でできた葬式と
炊きたての新米と 収穫した茄子で拵えた味噌汁と
そしてメインの 豚肉と
そろそろ取替時期にきた ガスコンロのことなどと
小さい頃から慣れ親しんだ僕だけの闇がある
ずっとずっと離せないまま
それでも結局 話さないまま
僕たちの時間は 刻まれていく
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そらがうごいている
空が動いている
そらがうごいていく
この地上に占めるわずかな僕の体積が
その位置と意味とを記述する力を
失うことのないよう
そういう日が来ることのないよう
ああ
なにか大きな力で裂かれていく雲の遥か上を
空が動いている
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