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amazonで読者からのブックレビューを読んでいると「この小説の主人公に感情移入できなかった」など
という理由で作品の評価を落とす例を結構見かける。感情移入できるできないが作品評価の基準にな
るというのはいかがなモノかと思う。だって僕なんか『初めてのお使い』に出てくる子ども達見て激しく
感情移入しちゃってウォンウォン泣いちゃうし今朝もyoutubeでモーニング娘のコンサート映像みて感情
移入しちゃって号泣したし・・・・・人を泣かせるってのは意外と簡単なことで、主人公に感情移入して泣
いたり笑ったり怒ったりしたければ別に小説に頼る必要など無いし、そもそも小説の味わいとはもっと
次元の高いものであって、だからこそ、こんな歳になっても女房子供の目を憚りながら夢中で読書を
しているのである。。。。そうであって欲しい・・・・・でなきゃ救われない。。。。。どう思います?????
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小説を書こう
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先日小学校時代の同窓会でウン十年ぶりに会う友達と話しをしていていろいろ驚いたのだけれど
小学校時代の6年間にあった様々な出来事には、僕個人としては忘れていることが多いけれど
その出来事を鮮明に覚えている奴が必ず一人はいて、それら此処の記憶をつなぎ合わせる事に
よって、ウン十年前のクラスであった事件の全貌が浮かび上がったりする面白さがある。
それによって長い間誤解していたことやら、良い子として印象付けられていた友人の意外な側面
が垣間見えてちょっと震えたりとか・・・・要するに同窓会は小説のネタの宝庫なのである。
老境に立った同級生達との会話から過去の意外な事実が浮かび上がる。それを尚かつ複数の
視点と今現在の暮らしを織り交ぜて語ることによって壮大な物語が出来上がりそうな予感がした
のであった・・・・・・だけど、これは既に誰かがやっていそうな気もする。村上春樹さんが翻訳した
小説にも同じテーマのものがあったような気がする・・・・・。
小学校時代のクラスというのは僕たちが初めて体験する疑似社会のようなもので、そこで僕たち
は、群で過ごすためのルールとか、他人に対する感情のコントロールを覚える。その過程で起こ
る様々な出来事。小学校の6年間というのは人間として劇的に変化する時期で、歳とってからの
6年とはまるっきり違うモノなのだと思う。ジリジリするようにゆっくりと流れゼイゼイと息が荒くなる
ようなめまぐるしい感情の起伏に翻弄されて、そこから遠く離れた今では、その断片しか手元にな
い。だけどクラスメート全員のカード(断片)を出し合うことによって、当時僕たちが過ごした小さな
社会の全貌が起ち上がる。同窓会の面白さは其処にあるのかも知れない。
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週刊文春をパラパラと眺めていたらページの隅っこに小さなコラムがあって、其処になんとも
懐かしい名前を見つけた。 木山捷平・・・・その記事の中で脱力系の手本のように書かれてい
たのだがまさにその通りで、彼の小説のすっとぼけたユーモアはちょっと真似の出来ない芸で
ある。
『下駄の腰掛け』という短編小説を引用しながらその面白さに触れていたので、懐かしさのあ
まり本棚から探し出して読んだ。
冒頭でいきなり小説を書くネタがないなどと言い始めて、それから人工授精の話題に移り、そ
んでもって睾丸は何故身体の外側にあるのかという疑問から、玉袋は体温より冷めているい
ることを検証するために(自分で触ってみてもよく分からないから)女房を呼んで触らせるとい
う流れで小説は進んでいく。 興味アル方は是非読んでみてください。
ソーユーワケで、小説というのは何処から始めてもいいのである。書き出しにルールも掟も
決まり事もない・・・・・木山捷平のように気楽に書き始めてみること。
ペンを持ったら・・・・・今はパソコンか・・・・・大きく息を吸って、タイミングよく書き始めてみて
ください。肩の力を抜いて、呟くように・・・・・脱力系でいってみませう。
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最初に小説を書いた人間のたくみな点は、私たちの情動を司る装置のなかではイメージが唯一
の本質的要素であって、現実に存在する具体的な人物を無条件にあっさり消し去ることになる単純
化がなければ、最終的な完成はおぼつかないという真理を理解していたということにあるだろう。現
実に存在する人間は、たとえその人にどれほど私たちが深い共感を覚えたとしても、大部分は私た
ちの五感でとらえたものだから、結局、不透明のままであって、いくらこちらの感覚能力を働かせて
も、その人自身が持つ静荷重まで支えることはできない。
『失われた時を求めて』 マルセル・プルースト
『失われた時を求めて』は膨大な過去の時間の中を彷徨う記憶の物語である。一人称で語られる
記憶は書くという行為によって少しずつ少しずつくみ上げられてゆき、大きな揺るぎにない構造物
の様相を一瞬読み手の目の前に鮮やかに描き出し、蜃気楼のように消えてゆく・・・・・それが僕の
持つ、この物語のイメージである。それと同時に、作品の中で屡々語られる文学論も、まさに小説
家の視点で書かれた種明かし的面白さがある。だけどそれはプルースト独自の感覚的譬喩やユニ
ークな思考経路で書かれているために、翻訳の文章になると大変理解しづらくて、その部分をはしょ
って読んでいたために、少しずつ厭きていったようにも思える。今回この部分を読んで、これは凄い
事を書いているなと立ち止まってしまった。引用が短いために、ちょっと分かりづらいかも知れないが
ちょっと関心を持った方は本を手にとってもらいたい。「・・・・その人自身が持つ静荷重」ちょっと理解
しづらい言葉が、前後の文脈により、微妙なニュアンスで脳に閃きを与える分かりやすい訳になって
いると思う・・・・・・そして、やはりこの時代に文学は語り尽くされているのかも知れないと感じた。
プルースト・・・・ジョイス・・・・カフカ・・・・・フォークナー・・・・・ムージル・・・・・・1920年代に固まってる
もんねぇ〜どえらい奴らは・・・・・。
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真夜中に真っ暗な部屋で目覚め、ボンヤリとした闇を見つめてうつらうつらしているうちに徐々に
眼が闇に慣れてゆき、部屋の中の様々な静物達の輪郭を捉えてゆく。闇のやさしさの中で少し
ずつ覚醒し、やがて窓の隙間から零れる薄明かりの中で隠されていた細部が浮かび上がり、部
屋全体が僕を迎え入れるように立ち現れる・・・・・・僕のイメージする小説・・・・物語とはそういう
ものなのだと思う。ライトを照射して無理矢理にある部分のみを照らし出すと、闇は怯えてしまい
なにも語ってはくれない・・・・・・・そういう小説が多い気がする。最近。
すいす・・・・・・・悲しい
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