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皆の衆は『四国靖国訴訟』を知っているだろうか?
簡単に言えば、01年から03年にかけて3度の小泉首相の靖国参拝を違法とし、四国の戦没者遺族と
宗教家、宗教法人が「政教分離に違反しておる。ケシカラン。精神的苦痛を受けたので一人一万円の慰謝
料を支払え」という、いつものパターンと言えばいつものパターンであった。
が、このニュース10月 5日に判決が出ているのだが、気づいた人はいる?
ワシもひょんなところでこのニュースに出会って、慌てて今コレを書いているのですよ(笑)
今回ニュースに取り上げられなかったのは高松高裁による『憲法判断』が無かった為だと考えられる。
で、結果から言えば「控訴棄却」な訳で、当然と言えば余りに当然な結果である。
ワシとしてはTB先の侍さんのところに意見として書かせてもらったが、
「もっと根本的な部分で私的・公的参拝と分けて考えるのは何故なのか?そんな議論は意味を成さない。
と、思います。結局どう言い繕っても「私人であり首相である小泉純一郎」なのだから「人間・小泉純一
郎」として如何に参拝し追悼の想いを伝えていくかが肝要と考えます。」
てのが本音。もうちょっと突っ込んで言えば
| 役所の無駄遣いを言うのであれば、同じような裁判を何故幾つも起こすかね? |
※ここで『一人一万円の慰謝料』について「そこまで金が欲しいのか」とか「金目当てか」と言った書
き込みを目にする事があるが、そんな低レベルな雑言(意見とすら言えない!)には目を覆いたくなる。賠
償額は象徴的なものであって、訴訟を起こし憲法判断にこそ意味があるものと解釈して欲しい。
参考 : 判決要旨/四国靖国訴訟(四国新聞社) 全文
四国靖国訴訟で高松高裁が5日、言い渡した判決の要旨は次の通り。
当裁判所も控訴人(原告)らの損害賠償請求はいずれも理由がないか不適法だと判断する。
▽権利侵害の有無
戦没者の回顧、祭祀(さいし)の在り方を自ら決定する行為の平穏を他者の宗教上の行為によって害されたとし、不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むのは心情として理解できないではない。
しかし、宗教上の感情を被侵害利益として直ちに損害賠償などの法的救済を求めることはできないと解すべきだ。控訴人ら主張の利益は強制や不利益を伴う行為によって妨害されない限り、損害賠償などの法的救済を求めることのできる法的利益とはいえない。
小泉首相の参拝は控訴人らに何らかの強制力を及ぼしたり、不利益を課したとは認められない。控訴人ら主張の利益は1988年最高裁判決にいう「平穏な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益」の範囲に包括され、法的保護に値する利益とは認められない。
▽政教分離規定
憲法の政教分離規定は制度的保障の規定で、私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではない。国やその機関ができない行為の範囲を定め、国家と宗教との分離を制度として保障することで間接的に信教の自由を確保するものだ。
国家により信教の自由が侵害されたというためには、少なくとも国家による信教を理由とする不利益な取り扱い、強制・制止の要素が必要となる。本件各参拝は控訴人らに何らかの強制力を及ぼしたり、不利益を課したとは認められず、信教の自由を直接侵害するものではない。
▽宗教上の感情と自己決定権
控訴人は、戦没者の回顧、祭祀を考えてきた感情は「内心の静穏な感情を害されない利益」として法律上保護される権利と主張するが、認められない。控訴人らが主張する利益が「宗教上の自己決定権」として最近の最高裁判決で法的保護に値する利益と認められているというが、いずれの判決も本件とは事情が異なり、根拠とはできない。
▽憲法判断の必要性
現行制度下では、特定の者の具体的な法律関係について紛争がある場合だけ、裁判所の判断を求めることができる。
具体的事件について裁判をする場合、法律、命令などにのっとる判断と、憲法解釈による判断とが共に前提となるときには、まず前者の判断をした上で、なお解決のため憲法解釈が必要となる場合だけ判断するのが違憲審査の在り方である。
本件では被侵害利益性を認められない、との判断によって損害賠償請求は理由がないとの結論に達するから、憲法判断をしなければならないというものではない。
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