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 昨日の夜広島の「原爆の日」にちなんだ番組、NHKスペシャル「原爆投下・活かされなかった極秘情報」を見ましたが、戦後66年も経ってもまだ新たな事実が次々と発見されていることに驚きを禁じ得ませんでした。当時、軍部の上層部の隠蔽工作は自らの保身と生き残りをかけて熾烈に行われていたようです。
 
 戦争末期、陸軍はB-29によって行われるアメリカ軍の本土空襲に対して、空襲の防御策を取ろうと「特殊情報局」を極秘で都内の杉並などの住宅街に設置、24時間体制で100人もの軍人を動員してB-29の発信する「モールス信号」を受信 していました。B-29のモールス信号は暗号化されていたため、解読することは不可能でしたが、最初の数文字のアルファベットだけは暗号化されておらず、それによって、サイパンーV400、グアムーY500、テニアンーV700といったB-29のモールス信号の発信地とおよその航路を推定することができました。マリアナ諸島のサイパン島は多くの戦死者を出した「サイパンの戦い」でアメリカ軍に占領されて以来、B-29による本土空襲の航空基地となっていました。
 
 しかし、広島への原爆投下の3ヶ月前ほどからこのモールス信号で「V600」という新しいコール・サインが受信されるようになります。しかもこのコール・サインを持つB-29は通常の空爆の編成ー100機以上の編成ーを取るものではなく、僅か十数機という極めて小さいものでした。訝しく思い、危機感を募らせた「特殊情報局」の堀少佐はすぐさま東条陸軍大佐に報告しますが、アメリカはこの時既に1945年の7月にニューメキシコで原爆実験に成功し、この「V600」というコール・サインは原爆投下の実践として広島をターゲットにしたB-29、「エノラ・ゲイ(Enola
Gay)」に原爆が搭載されたことを表すものでした。
 
 実は日本でもウラン鉱石を採取して原子爆弾を作成する研究が進められていました。しかし終戦直前の度重なる空襲や物資不足でこの計画は軍部によって断念させられます。ところがこの「度重なる空襲と物資不足」という理由は公表するために軍部が作り上げた名目上のもので、実際には当時の日本の化学力では「原爆」を作り上げることができなかったのです。驕りたかぶった軍部は自分たちで開発することができないものが、アメリカ人によって作りあげられるはずがないとの根拠のない確信から、ニューメキシコの原爆実験成功の情報が入ってもこれを原爆だと声を大にして主張する者は一人もいませんでした。
 
 8月6日未明、「特殊情報局」は「V600」のコール・サインを受信、これによって何らかの特殊な任務を負った小編成のB-29が本土に向かっていることが判明、情報局員は軍部にそのことを報告します。しかし軍部は最初に飛行してきた気象状況を探る偵察機が、そのまま帰っていったのを見て、大事にはいたらないと判断し空襲警報を解除、そしてその後何の警戒態勢もとられないままに運命の8時15分を迎えることになります。この人類初の原爆投下によって広島の推定人口35万人の内、14万人までもが死亡したとされています。
 
 広島に原爆が投下された3日後の8月9日、午前6時前、「特殊情報局」は長崎への原爆投下の5時間前に再び「V600」のコール・サインを受信、広島の時と同じ状況に情報局員はすぐに軍部に報告します。しかしちょうどこの時、ソビエトが「不可侵条約」を破って進撃してきたために軍部では最高会議が行われていました。会議の議題は「ポツダム宣言受諾か戦争続行か」。彼らにとって目前に迫った長崎の原爆投下などは眼中ではなく、戦争を続行するにしても、「ポツダム宣言」を受け入れるにしても、その際に自らの命を守ることが最大の関心事でした。自らの保身を図るために、会議では「アメリカが日本で開発できなかった原爆を2度、3度と投下できるはずがない」という何ら根拠のない意見まで出てくる始末。軍部は当初広島に落とされた原爆でさえも「核兵器=原子爆弾」であると認めようとはしませんでした。この愚直極まる軍部の最高幹部の言動!多くの尊い人命がこの愚直な軍部の幹部たちの驕り高ぶった言動や政策のために失われることになりました。
 
 
 
 
                        雷電21型 (J2M3)第352空分隊長機
 
 当時九州の長崎県大村市にあった大村飛行場にはB-29を撃墜する任務を負った戦闘航空隊が駐屯していました。大村飛行場には日本には数少なかったB-29と同じ高度が飛べて撃墜することが可能な撃墜機ー雷電21型 (J2M3)第352空分隊長機ーが用意されていましたが、ついに軍部からの出撃命令が下ることはありませんでした。原爆投下から5時間も前に、広島と同様に原爆投下の情報を掴みながらも、何の警戒態勢も取られることなく午前11時2分、長崎に原爆が投下されました。この原爆の投下で、当時の長崎市の24万人の人口うち、約14万9千人が亡くなったといわれています。
 
 終戦直前の8月11日、軍部は「特殊情報局」やその他の部署にすべての書類=資料を焼却処分にするように命じ、自らの戦争責任の記録の完全な廃棄=隠蔽を行いました。
 
 今も昔も、愚かな指導者たちは皆同じことを行ってきているようです。権力と地位の掌握→過信→驕り→保身!畢竟権力を得た無能な指導者は、皆最後には自らの保身に走り、そのために総ての国民が犠牲に成らざるを得ないという厳しい現実。私たち国民はこのことをしっかりと心に銘記し、為政者を監視していかなければいけません!
 
 今日は最後にモーツアルトの「グレート・ミサ」ハ短調K.427からジョン・エリオット・ガーディナーの指揮、モンテヴェルディ合唱団の演奏で「キリエ」をお送りします。お楽しみください。
 
 
 
 
 
 
 
 

閉じる コメント(6)

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戦前のことを扱った本を読むと今も同じことが繰り返されていることを感じ、愕然とします。この番組は観てないですが、ほぼ察しがつきます。半藤一利氏の「ノモンハンの夏」を読んでも現場の兵士は優秀だが、幹部はまるっきりダメである姿が描かれています。小松原師団長が策が尽き「日本の兵隊さんは優秀だから」とポツリと言った姿が出てきますが、それは今の原発の問題とだぶってきます。軍部にとって国民の命など、どうでも良かったのですから、更に質が悪いです。

2011/8/7(日) 午前 11:33 [ SL-Mania ]

いつも様々な楽曲情報のご提供ありがとうございます。
私は被爆3世(広島です)なので、いつもこの日は何かしら思うことがあります。
原爆に関して、一つも語ることのなかった祖父母(自分自身も聞かなかった)ですが、多くの苦しみや悲しみがあったのではと今になって思います。

2011/8/7(日) 午後 9:09 [ ronnie ]

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この Kyrie は、モーツァルトの数あるミサ曲のキリエのなかでも、秀逸ですね。先日読んだ、邦題「モールァルト殺人法廷」なる書籍でも言及され、妻コンスタンツェに歌わせるために気合を入れたのだとか。コンスタンツェを快く思わない父レオポルトに、ソプラノ歌手としての彼女の力量を認めさせる狙いもあったようです。さて、
戦時下の情報統制や曲解に端を発した悲劇については、悲憤を感ずるのみ。指導層にある人々の自己保身の思惑で儚くなった方々へはただただご冥福を祈るばかり。そして、今なお日本の指導層の無様なこと。この国難にあって、政治闘争など、ええかげんにせいよ!です。

2011/8/7(日) 午後 9:47 [ cygnus_odile ]

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SL-Maniaさん、私も戦前〜戦中の文献や書籍を読むと同じ結論にならぜるを得ません。軍部の最高幹部がいかに愚直であったか、もっとも戦争を惹き起こしたくらいですから、最初から分かりきっていることでもありますが!

愚かな指導者のもとで生きることほどつらく不幸なことはありません。

2011/8/8(月) 午後 4:59 [ maskball2002 ]

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ronnieさんコメントをありがとうございます。
ご指摘のようにおそらくおじい様、おばあ様は口ではいえないほどの苦しみと悲しみを味わったことだとおもいます。

原爆や戦争体験は決して風化させてはいけないものですね。その意味でも毎年8月に私はブログに採り上げることにしています。

2011/8/8(月) 午後 5:03 [ maskball2002 ]

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cygさん、いつもコメントをありがとうございます。
この「グレート・ミサ」もモーツアルトの傑作ミサですね。
初めて聞いたのが18歳頃のことでしょうか、当時レコード芸術の名盤特集などでよく採り上げられていたフリッチャイの名盤(ステレオ録音)でしたが、感銘を受けました。死を間近に控えたフリッチャイが自らの葬送の音楽としてこのミサを演奏してりような錯覚を受けたのも懐かしい思い出です。

2011/8/8(月) 午後 5:08 [ maskball2002 ]


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