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 おはようございます。ゴールデン・ウィークの初日、「憲法記念日」の朝、皆さんはいかがお過ごしのことでしょうか。今日は20世紀を代表する指揮者、カール・ベームの指揮で、ベートーベン唯一のオペラ「フィデリオ」(Fdelio)作品72をお届けすることにしましょう。

 カール・ベーム(Karl Böhm,1894〜1981年)はオーストリアのグラーツに生まれ、当初は法学者を目指して法律を学び、グラーツ大学では法学博士の学位を取得しました。これには弁護士でもあった父の意向が大きく反映していたといわれています。しかしグラーツ市立歌劇場の法律顧問でもあった父の影響で、音楽関係の友人も多かった彼のこころの中では次第に音楽家ー指揮者になりたいという願望が大きく膨らんでゆき、父親の友人でもあったフランツ・シャルクの紹介を受けて、ベームはオイゼビウス・マンディチェフスキ(オイゼビウス・マンディクスゼウスキ ブラームス全集の編者)の下で指揮法を学び始めます。

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 そして1917年に グラーツ市立歌劇場で指揮者として公式にデビュー、このとき彼が指揮したワーグナーの「ローエングリン」を聞いたカール・ムックが感銘を受け、バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターに紹介します。1921年にはミュンヘン国立歌劇場に移り、ワルターやクナーパーツブッシュらと指揮者として仕事をともにしました。
 1927年、べームはダルムシュタット市立歌劇場の音楽総監督の地位に就任、この時の総監督は、後年メトロポリタン歌劇場の総支配人となるルドルフ・ビングで、二人は生涯にわたって親交を結ぶことになります。さらに31〜34年にはハンブルク市立歌劇場でも音楽監督として迎えられています。そしてこのハンブルク時代に彼の音楽の一つの核ともなるR・シュトラウスとの親交が始まります。

 1934〜43年にかけて、べームはR・シュトラウス縁の地、ドレスデンで国立歌劇場のオペラ監督に迎えられ、ここで、R・シュトラウスの「ダフネ」や「無口な女」の世界初演を行いました。(この2作品はべームに捧げられていますーまたこの時代を「ザクセン時代」とも呼んでいます)
 1943〜45年、ベームはついにウィーン国立歌劇場の総監督に就任しますが、 第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われて消失しまいます。
 しかし1954〜56年べームは再びウィーン国立歌劇場の総監督に迎えられ、おりしも55年に歌劇場が再建された時には再開記念公演として彼の指揮の下、ベートーベンの「フィデリオ」が上演されました。                                       
                                         (これ以降の履歴は省略します)


 「フィデリオ」は周知のようにベートーベンが完成することができた唯一のオペラですが、その完成に至るまでにはかなりの紆余曲折を経なければなりませんでした。しかしそれ故にこのオペラがベートーベンの残した唯一のオペラの傑作に成り得たことも事実でしょう。当時のヨーロッパでは無実の罪で捕らえられた囚人を救うという「救出」オペラが人口に膾炙し、イタリア出身でありながらフランスで活躍した作曲家であるイージ・ケルビーニ(Luigi Cherubini, 1760〜1842年)の「ロドイスカ」(1791年)や、ジャン・二コラ・ブイイ原作による1898年のピエール・ガヴォーによる『レオノール』、1804年にドレスデンで初演されたフェルディナンド・パエールによる『レオノーラ』などが上演され、ヨーロッパ中を席捲していました。実はケルビーニにオペラの依頼をしたのが、モーツアルトの「魔笛」のリブレットで有名な興行師シカネーダーでした。

 「レオノーレ」はすでに1798年にはフランスの作曲家ピエール・ガヴォーの手によって作曲されていましたが、この作品がイタリア語に翻訳されイタリアで上演されて大反響を呼び、さらにはドレスデンでも上演され、大変な人気を博していました。シカネーダーはこのリブレットによる新しいオペラを獲得しようと奔走しますが、結局シカネーダーと争ったブラウン男爵にアン・デア・ウィーン劇場は買い取られてしまいます。しかし彼のあとを継いだヨゼフ・フェルディナント・フォン・ゾン・ライトナーはドレスデンでの「レオノーレ」の成功を目の当たりにして何とかオペラの上演を成功させようとリブレットをドイツ語に翻訳し、ベートーベンに作曲の白羽の矢を立てました。
 
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 1801年にバレエ音楽音楽「プロメテウスの創造物」を作曲して以来、ベートーベン自身も劇音楽ーオペラの作曲に創作意欲を燃やし続け、自らリブレットを探した結果ブイイの台本による救出オペラを作曲することを決意します。ここにライトナーーとベートーベンとの新たな結びつき始まります。
 そして4年後の1805年にベートーベンによって作曲されたのが全3幕の「レオノーレ」第1稿で、(ドイツ語台本はヨーゼフ・ゾンライトナーおよびゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ)1801年にアン・デア・ウィーン劇場で初演されました。しかしウィーンがナポレオン軍に占領されたこともありー観客の大半がフランス軍兵士であり、ドイツ語を理解できる兵士がいなかったー初演は大失敗に終わります。

 翌1806年にはベートーベン自身もこの作品の不備を認め全2幕のオペラ「レオノーレ」と改定してアン・デア・ウィーン劇場で上演されますが、一度再演されただけで、それ以降作品が顧みられることはなく、作品も聴衆に受け入れられることはありませんでした。

 1814年になって、ケルントナートーア劇場の3人の委員によって「フィデリオ」が再び上演される運びとなります。これには1810年ころから急速にベートーベンの作品ー「アテネの廃墟」などー人気が高まってきたことが大きな要因として挙げられます。そこでベートーベンは宮廷劇場の秘書であったゲオルク・フリードリッヒ・トライチェケと一緒に再び「レオノーレ」の改定を行い14年に同劇場で上演されたのが第3稿「フィデリオ」。これが現在一般に広く聞かれている「フィデリオ」です。この2回にわたる改定でベートーベンは都合3曲の序曲「レオノーレ」と、1曲の「フィデリオ」序曲を書かなければなりませんでした。「フィデリオ」の核心は美しい夫婦愛と不正な権力への強い抵抗の意志、その理想を豊饒な管弦楽の中で、歌手たちが高らかに謳いあげていきます。しかもレオノーレやフロレスタンには高度な歌唱の技術が要求されています。個人的に、「フィデリオ」は最も愛着を持っているベートーベンの理想主義オペラの1作でもあります。
                                                               
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 今日紹介する1944年の(43年と記載されているものもありますが、44年が正しいようです)べームとウィーン・フィルによる「フィデリオ」は、録音こそ古いものではありますが(それでも当時のライブの録音状況を考えると、鑑賞には耐えうるものだと思います)、ウィーン国立歌劇場の総監督になったばかりの若いべームの覇気と、求心的な音楽創りが如実に伝わってくる演奏で、ウィーン・フィルがべームの指揮に見事なまでの豊麗なリリシズム溢れる音色を加味している様が見事です。いわばウィーン・フィルと出会うことで、べームは自身の求め得る本当の音色を醸し出すことができたともいえるでしょう。ザクセン時代の演奏なども録音に残されていますが、やはりどこかまだ自身の音色を探求しているという印象を拭うことができません。歌手陣は多少スタイルの古さを感じさせはしますが、まずは万全で、何よりもべームとウィーン・フィルが渾然一体となってべーム自身が「運命のオペラ」と呼ぶこのオペラを、共に音楽として再創造してゆくあたりは一種の感動さへ呼び起こします。  

 ベームはこのオペラを得意にしていただけに、セッション、ライブを合わせて、多くの録音を残しています。今回紹介する44年のウィーン・フィル、55年のウィーン国立歌劇場再建の演奏、60年のメトロポリタンでの上演、そして63年の日生劇場の杮落とし、69年のドレスデン国立歌劇場とドイツ・ベルリン・オペラ管弦楽団との演奏、78年のバイエルン放送管弦楽団での上演、さらに70年のドイツ・ベルリン・オペラ管弦楽団との映像と少し挙げてみただけでも8種類もの録音を残しています。この44年の演奏も好んでいますが、とりわけこころに残っているのが、63年の日生劇場の杮落としでの上演です。就職したばかりのころに発売されたこのCDを躊躇なく購入し、べームの凄まじいまでの緊張感と音楽の奥底を求心的に追究する姿勢にすっかり圧倒されたのを今もってはっきりと覚えています。この上演一つで、べームが日本で神格化されたといっても決して過言ではありません。(この来日の折にべームは「フィガロの結婚」、そしてベートーベンの第9も指揮しています)また、映像ではやはり70年のドイツ・ベルリンオペラ管弦楽団を指揮した演奏がべームの指揮、そして演出ともに優れた演奏です。

 「フィデリオ」は全曲を聞き通すのに、2時間20分ほどかかる作品ですが、休日の一日、カール・べーム指揮のウィーン・フィルによる1944年の演奏で、ベートーベンの「フィデリオ」をごゆっくりとお楽しみください。






ヒルデ・コネツニ - Hilde Konetzni (ソプラノ)
トルステン・ラルフ - Torsten Ralf (テノール)
イルムガルト・ゼーフリート - Irmgard Seefried (ソプラノ)
パウル・シェフラー - Paul Schoffler (バリトン)
トミスラフ・ネラリク - Tomislav Neralic (バス)
ヘルベルト・アルセン - Herbert Alsen (バス)
ペーター・クライン - Peter Klein (テノール)

ウィーン国立歌劇場合唱団 - Vienna State Opera Chorus
ウィーン国立歌劇場管弦楽団 - Vienna State Opera Orchestra
カール・ベーム - Karl Bohm (指揮) 1944年


第1幕
 場所はスペインのセヴィリャの近郊、そこの刑務所の地下牢には、政治犯のフロレスタンが幽閉されている。彼は刑務所長でもある、政敵のドン・ピツァロの不正を暴いたため、恨みを受けて監禁されてしまったのである。これを知っているのは、牢番のロッコだけで、フロレスタンの妻レオノーレは、男装してフィデリオと名乗り、ロッコの手下として潜入している。そしておりあらば、夫を救出しようと時を窺っている。
 刑務所の敷地内にあるロッコの官舎、有名な序曲の後、ロッコの娘のマルツェリーネが洗濯物を乾かしていると、門番のヤッキーノが来て彼女に結婚を迫る。だがマルツェリーネは、最近ロッコの手下になった、美青年のフィデリオに惹かれているので、彼の誘いに色好い返事は出来ない。そして一人になった彼女は、フィデリオに対する燃えるような心をうたう。

 外出から帰って来たフィデリオは、ロッコとヤキーノを加えて四重唱を始める。自分の娘にはレオノーレが最適だとロッコはいい、マルツェリーネはこれを聴いて狼狽する。またロッコは結婚は愛情だけではだめで、金もなければ幸せにはなれないと、世俗的な自分の哲学をうたう。そこでフィデリオはそれとなく、地下の囚人のことを聞き出そうとする。ロッコは善人らしく、2年ほど以前から、重要な政治犯が囚われていて、1ヶ月前から食事の量を徐々に減らして行くよう、所長から言い渡されているという。フィデリオは益々、それが夫だと確信を深める。
 突然力強い行進曲が聞こえて、門が開かれると、多くの兵をしたがえた所長のドン・ピツァロがあらわれ、ロッコから受け取った手紙を読む。彼の顔は見る見る蒼白になり、驚愕の表情を浮かべる。そこには監禁しているフロレスタンの同志で、大臣のドン・フェルナンドが、不法に監禁されている政治犯がいないかどうか、査察に来ると書かれていたからである。そしてピツァロは、これを機会にフロレスタンを殺してしまおうと計画する。ピツァロは部下たちに警戒を厳重にするよう命令すると、大金の入った袋をロッコに渡して、自分のいい付けどおりに、地下牢の囚人を殺せという。小心で根が善良なロッコは、とてもそんなことは出来ないと断る。ではお前は墓を掘れ、殺すのは俺がやるとピツァロ、ロッコは仕方なくピツァロについて行く。物陰からフィデリオがあらわれると、このオペラの最も有名なアリア、「悪者よ、どこへ急ぐのだ」をうたう。

 フィデリオが退場すると、入れ替わりにマルツェリーネとヤキーノがあらわれる。ヤキーノは、なおしつこく結婚を迫る。ロッコとフィデリオが再び登場して、ロッコはヤキーノに、この娘はお前にはやれないと、一喝する。そこでフィデリオは、今日は天気もいいので、囚人たちにも日光浴でもさせたらと、ロッコに提案する。ロッコは最初はためらうが、ピツァロの信頼を得ているのを心得ているので、独断でそれを許可する。そして囚人たちが陽の光を求めて、中庭に集まってくる。この場面で男声4分合唱によってうたわれるのが、これも大変有名な「囚人の合唱」である。そこへマルツェリーネが駆け込んで来て、ピツァロの許しもなく囚人たちを日光浴させたので、彼がかんかんに怒っていると告げるので、ロッコは慌てて囚人たちを牢に戻るように命じる。そこへ怒気満々のピツァロがあらわれ、ロッコを激しく怒鳴りつける。囚人たちの喜びも束の間に終わり、弱々しく合唱しながら退場する。


第2幕
 真っ暗で陰惨な地下牢、その片隅に鎖に繋がれたフロレスタンが、静かにうずくまっている。彼は絶望しながらも、愛妻のレオノーレことを思っている。そして有名な「レオノーレ」序曲第3番にも使われている、旋律をもとにしたアリアがうたわれる。疲れたフロレスタンが、再びその場へうずくまると、ロッコとフィデリオが水がめと、穴を掘る道具を携えてあらわれる。ロッコは牢の片隅に死体を埋める、大きな穴を掘り始める。フィデリオはそれを手伝いながら、囚人が夫であるかどうかを注意深く観察する。気息奄々とした囚人が、ここの所長は誰かと尋ねると、ロッコが正直にピツァロだと答える。それを聞いて憤激した囚人をみて、それがまぎれもない夫のフロレスタンだと、フィデリオは確信する。

 ロッコは最後の晩餐のつもりで、フロレスタンにワインを飲ませると、フィデリオはパンの少しの部分を与える。フロレスタンは、感謝する歌をうたう。ロッコが穴を掘り終わると、黒いマントに身を包んだピツァロがあらわれ、フィデリオを追い払う。だが彼女は片隅に隠れて、その場の様子を窺う。さっとマントを脱ぎ捨てたピツァロが、短刀をかざして、フロレスタンに近づいた瞬間、「下がれ」と大声でフィデリオが飛び出して来る。そして妻である私から先に殺せと叫ぶので、ピツァロもロッコもびっくりする。フィデリオの手には、しっかりと拳銃が握られているので、さすがのピツァロもどうすることも出来ない。ここでようやくこの若い下働きが、フロレスタンの妻レオノーレであるのを知る。するとその緊張を破るかのように、舞台裏からラッパのファンファーレが聞こえて来る。大臣の到着を告げる信号である。レオノーレとフロレスタンは、それこそ危機一髪で助かったのである。愕然として口惜しがるピツァロ、ただ呆然として佇むロッコ。再びラッパが高らかに鳴り渡ると、ピツァロとロッコは悄然として立ち去る。そしてレオノーレとフロレスタンは、気を取り直して喜びの二重唱をうたう。この後現在では「レオノーレ」序曲第3番が演奏されるのが普通だが、これはウィーンの宮廷歌劇場の総監督を務めていた、作曲家のマーラーのアイデアによるものだといわれている。

 第2場は刑務所内の広場で、大臣のドン・フェルナンドが、ピツァロや大勢の兵士たちを従えてあらわれる。フロレスタンのほかにも、故のない濡れ衣を着せられて、投獄された政治犯が多くいたらしく、大臣が釈放した囚人たちがヤキーノに導かれて入場し、フェルナンドの前に跪く。そしてロッコがフロレスタンを連れて登場するので、大臣は生きていた彼をみて驚く。そしてロッコが、今までの経過を包み隠さずに報告し、レオノーレの勇敢な行ないを告げるので、群衆が悪人を罰せよと叫び、ピツァロは悄然と、兵士たちに連行されて行く。鎖を解かれたフロレスタンは、今や完全に自由の身となり、貞淑で勇敢な妻レオノーレとしっかりと抱き合う。正義の勝利と崇高な夫婦愛を称える合唱が大きく盛り上がり、壮麗な気分のうちに幕が下ろされる。
                   (あらすじは「オペラ名曲辞典」の 出谷 啓氏のものをお借りしました)




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