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追悼 冨田 勲さん







 日本のモーグ・シンセサイザーの草分けとなった冨田勲さんが去る5月5日にお亡くなりになりました。享年84才、ご冥福をお祈りいたします。

 冒頭に紹介したのは冨田さんの傑作の一つ、「新・日本紀行」のオープニング・テーマですが、この作品は日本の風土、そして四季や情緒を表した名曲だと思います。ところで冨田さんといえばすぐに「シンセサイザー」の響きが脳裏を過りますが、冨田さんが本格的にシンセサイザーの作品を発表する以前は「映画音楽」、そしてテレビ・ドラマやアニメの音楽の傑作を数多くものしていました。これらの下地をすべて融合してシンセサイザーによる記念碑的な第1作アルバム、「月の光」を国内でリリースしようとします。(ウオルター・カルロス【現ヴェンディ・カルロス】が1968年にリリースし、実質的なデビュー作となった「スウィッチト・オン・バッハ」を聞いてシンセサイザーの道へ進んでゆくことを決意したということです。私も「時計台のオレンジ」の中でシンセサイザーがベートーベンの第9を歌うのを聞いて驚嘆した一人でした)しかし、日本のレコード会社はすべて首を縦に振ることはありませんでした。そこで日本RCA東京出張所長(後にワーナーパイオニアレコードの社長)山本徳源に頼みこんで、米国RCAのニューヨーク本社にテレックスを打ってもらったところ直ちに会おうという回答を貰いやっとの思いで契約にまで漕ぎ着けましたが、蓋を開けてみるとこれが世界中で大ヒット!慌てて日本のレコード会社がLPを逆輸入してリリースするという奇妙な現象がおこります。このあたりは閉鎖的で保守的な日本の音楽界を垣間見る思いがします。

 さて次に紹介するのはテレビ・ドラマ、「だいこんの花」のテーマです。この作品はNET=現テレビ朝日系列で4期にも渡って放送されたテレビ・ドラマですが、そのテーマの親しみやすさと純朴さ、そして美しさで広く人口に膾炙したものです。もう一曲は手塚アニメの代表作、「リボンの騎士」のテーマ・ソングです。「だいこんの花」も「リボンの騎士」も小学生のころ、そのテーマ・ソングの美しさに誘われて番組を見たものでした。






 冨田さんは映画音楽にも多くの作品を残していますが、やはりこの作品を忘れるわけにはいかないでしょうー内田吐夢監督1965年度作品、「飢餓海峡」。冨田さんはここで仏教の「声明」である「御詠歌」、「賽の河原地蔵和讃」をベースにして極めて印象的なオープニング音楽を創作しました。初めてこのオープニングをラジオで聞いた高校生の頃、背筋に思わずぞっとするような感覚を受けたのも忘れられない想い出です。(「実際に作品を映画館で鑑賞できたのは大学に入ってからでしたが)おそらくこのコーラスは冨田さんがシンセサイザーで作成したものでしょうが、そのシンセサイザーの不思議な響きが原作の水上勉や内田吐夢の描こうとした「日本人とその宿業」という概念を見事に音楽で表現している様に感服しました。





 本日最後に紹介するのはNET(現テレビ朝日)でオン・エアーされた「大忠臣蔵」のオープニング・テーマです。
「大忠臣蔵」は1971年(昭和46年)1月5日〜12月28日まで全52回にわたって、NHKの大河ドラマの向こうを張ってNETと三船プロが総力を決して制作した作品で、三船敏郎以下のオール・キャストもまた大きな魅力になっていました。私事ながら、小学生の頃は家族団欒で、この作品を鑑賞するのを楽しみにしていたものでした。
 ここでも冨田さんはドラマティックで魅力的なテーマ・ソングを作曲。シンセサイザーを部分的に駆使しながら、「赤穂浪士」の悲劇を歌い上げていきますが、冨田さんのテーマは封建体制ゆえに起きたこの悲劇ー封建体制の矛盾ゆえに死なねばならなかった赤穂四十七士と浅野長矩の挽歌であり、痛烈な矛盾へのアンチテーゼにも聞こえてきます。しかしこのテーマは日本人好みする作品でもありますね。余談になりますが、小学生の頃母と「大忠臣蔵」展に行き、浅野長矩自刃の刀を見たこともいまだに強烈に記憶に残っています。

 最後に冨田さんのシンセサイザーの作品は、アレンジだとか、編曲だとかとよく言われますが、思うに氏のすべてのシンセサイザーの作品は決して単なるアレンジに終わるものではなく、ある意味での作曲=創作行為でもありました。リスナーは氏の魂魄の創作を聞いているからこそ、大きな感動を受けていったわけですね。それでは「大忠臣蔵」のオープニング・テーマをお送りしましょう。お楽しみください。

ps.氏の「月の光」の記事はこちら http://blogs.yahoo.co.jp/maskball2002/67172557.html














 
 おはようございます。冒頭に紹介したのは故ジム・クロウチが歌うミュージカルの名曲、「オールマン・リヴァー」(作曲:ジェローム・カーン、作詞:オスカー・ハマースタイン ミュージカル「ショウ・ボート」より)です。最近クッキー・モンスターが「iPhone 6s」、Siriのハンズフリー機能を使って大好物のチョコ・クッキーを作るというコマーシャルがオン・エアされていますが、そのバックに流されているのがジムクロウチの「タイム・イン・ア・ボトル」!クッキー・モンスターは「セサミ・ストリート」が放映されていた頃から、その何とも言えない愛らしさが好きで、学生時代は「セサミ・ストリート」を見るのを楽しみにしていました。しかも今回のコマーシャルにはジムの名曲「タイム・イン・ア・ボトル」まで流されてます!そこで今日はジムの「タイム・イン・ア・ボトル」の記事を再投稿してみることにしましょう。

 You Tubeを検索していたら、1960年代〜1970年代始めにかけて活躍し、1973年9月20日、不慮の飛行機事故で若くして亡くなったジム・クロウチの動画を見つけることができました。このブログでもお気に入りの名曲、「タイム・イン・ア・ボトル」や「ラスト・アメリカン・ヒーロー」等を紹介しましたが、彼の動画を見ることができたのは望外の幸せでした。今回の動画は73年のライブのものですが、73年といえば奇しくもジムが世を去らなければならなかった年…合掌。

 ジム・クロウチのヒット曲がラジオから頻繁に流れていたのが、私が小学生〜中学生の頃にかけて、丁度思春期に入る難しい時期ですね。私とジムとの出会いは大ヒットを記録したシングル盤「ラスト・アメリカン・ヒーロー」、彼の歌声はどこか多感な少年を優しく包み込んでくれる温かさを持っていました。ジムのギターのソロでゆっくりとイントロが導入され、それに続いて彼の温かい歌声が流れていきます!一聴しただけでこの曲に酔いました!!


 Like the pine trees lining the winding road,I got a name, I got a name;
 ワインディング・ロードに沿って生えているマツの木みたいに,オレにだって名前がある
 And I'm gonna go there free.... Like the fool I am and I’ll always be, I got a dream, I got a dream.
 たとえうまく行かなくても自由でいたい。オレは今も,これからも愚かだろう。でも俺には夢がある、  夢があるんだ。
                                                       

 当時の私はジムの歌声がアメリカン・ドリーム=自己実現は必ずできるんだと優しく諭してくれているように感じたものでした。これ以来私はすっかり彼の歌の虜になってしまいましたが、続いてリリースされた「タイム・イン・ア・ボトル」でその思いは決定的になりました。さて次はどんな作品をリリースしてくれるのかと思っていた矢先に悲劇が訪れました・・・。

 ジム・クロウチ(Jim Croce 1943〜1973年)は1943年生まれのアメリカ人、現場工事員や学校の教員等の職を転々とし苦労を重ねながらも歌手を目指し、72年にABCから初のアルバム「ジムに手を出すな "You Don't Mess Around With Jim"」をリリースします。このアルバムに収められたタイトル曲がシングル・カットされヒットし、初の全米トップ10入りを果し、やっと念願の歌手として認められます。

 続いてリリースした2作目のアルバム "Life And Times"(ABC)からシングル・カットされた「リロイ・ブラウンは悪い奴 "Bad Bad Leroy Brown"」はヒット・チャートのNo.1に輝き、ついにジムは全米で名実共に一流の歌手として認められることになりますが、その彼を悲劇が襲うことになります。

 1973年9月20日、いつものようにジムと彼の仲間はコンサートを終えて次のコンサートへに向かう小型チャータ機(ビーチクラフトD-18)に乗り込みます。しかし、飛行機が離陸した直後、機体が木に接触。飛行機は地面に叩きつけられ、ジムとその仲間はそのまま帰らぬ人となってしまいました。ジムは享年30歳!やっとこれから本当の活躍が始まるという矢先の出来事でした。そして彼が帰らぬ人となって3ヶ月後の73年12月に、ジムの最後のオリジナルアルバム"I Got A Name"(ABC)がリリースされます。このアルバムの冒頭を飾った曲が「ラスト・アメリカン・ヒーロー」のテーマ・ソングでした。
                                                               
  「タイム・イン・ア・ボトル "Time In A Bottle"」はジムのファースト・アルバム「ジムに手を出すな」に収められた曲ですが、彼の死後にシングル・カットされた名曲です。ジムのギターの物悲しい旋律と、その歌詞の奥深さ!!この美しい曲の前ではもう言葉は必用ないでしょう。「タイム・イン・ア・ボトル」は「リロイ・ブラウンは悪い奴」と共にビルボードのヒットチャートでNo.1に輝きました。

 今回見ることができた動画は1973年のコンサート(30分ほどのVideoからの映像ですので、画質は決して良いといえるものではありません)と画像を16:9に編集した高画質のもの9曲(何年のコンサートかは不明)ですが、ジムのライブ・コンサートでの雄姿とその温かい歌声が聞けるのは何物にも代えがたい喜びです。

  なお、タイトルの「拝啓 事務・クロウチ様」はもう随分前にテレビで、斉藤由紀が大きなジムの写真を前にして「拝啓、ジム・クロウチ様」と言って始まるカセット・テープのコマーシャルから頂いたものです。しかし、現在の日本では彼の名前が忘れ去られようとしているのは本当に寂しいことです。(ウィキペディアでジム・クロウチを検索してみると、日本語でのサイトを見つけることができませんでした・・・)
またクイーンがジムのこの作品へのオマージュとして"Bring Back That Leroy Brown "(リロイ・ブラウン)をリリースしたのは有名な話ですね。

 今日はジムのライブの動画から「リロイ・ブロウンは悪い奴」と「タイム・イン・ア・ボトル」をオリジナルのヴァージョンでお送りします。お楽しみください。(「タイム・イン・ア・ボトル」の動画にはジムの生涯の伴侶になったイングリッド・クロウチとまだ幼い息子のエイドリアン・ジェイムス・クロウチとの微笑ましい交流の姿も映し出されています)

 *73年のライブはこちらのサイトで鑑賞できます。https://www.youtube.com/watch?v=5Do-XX2m9Tg









"Bad, Bad Leroy Brown" / 「リロイ・ブラウンは悪い奴」

Well the South side of Chicago
Is the baddest part of town
And if you go down there
You better just beware
Of a man named Leroy Brown

シカゴの南半分は
この町のなかでも最悪の場所さ
あそこへ行くときは
気をつけた方がいいぜ
リロイブラウンという名の奴に

Now Leroy more than trouble
You see he stand 'bout six foot four
All the downtown ladies call him Treetop Lover
All the men just call him Sir

リロイときたら厄介ごとなんてものじゃ済まない
奴の身長は6フィート4インチ
場末の女たちはのっぽのいい人って呼んでる
男たちは、サー(Sir)と声をかける

Chorus:
And it's bad, bad Leroy Brown
The baddest man in the whole damned town
Badder than old King Kong
And meaner than a junkyard dog

リロイブラウンはワルの中のワル
くそったれな街の中でも最悪の男
老いぼれのキングコングよりももっとワルで
ごみ捨て場の野良犬よりも卑劣な男

Now Leroy he a gambler
And he like his fancy clothes
And he like to wave his diamond rings
In front of everybody's nose
He got a custom Continental
He got an Eldorado too
He got a 32 gun in his pocket for fun
He got a razor in his shoe

リロイはギャンブラーさ
ケバい服がお気に入り
みんなの鼻先で
ダイヤの指輪をひけらかすのが大好き
特注のコンチネンタルを乗り回し
おまけにエルドラドだって持っている
32口径をポケットにねじ込み
靴には剃刀を隠してる

Chorus:
And it's bad, bad Leroy Brown
The baddest man in the whole damned town
Badder than old King Kong
And meaner than a junkyard dog

リロイブラウンはワルの中のワル
くそったれな街の中でも最悪の男
老いぼれのキングコングよりももっとワルで
ごみ捨て場の野良犬よりも卑劣な男

Now Friday 'bout a week ago
Leroy shootin' dice
And at the edge of the bar
Sat a girl named Doris
And oo that girl looked nice
Well he cast his eyes upon her
And the trouble soon began
Cause Leroy Brown learned a lesson
Bout messin' with the wife of a jealous man

先週の金曜日のことだ
リロイはサイコロをやっていた
バーの端っこの席に
ドリスという名の女が座っていた
奮いつきたくなるようないい女だ
リロイはちらちらと視線を送る
すぐにトラブルがもちあがった
つまりリロイブラウンは学んだわけさ
焼餅焼き男の女房にちょっかいを出すとどうなるかって

Chorus:
And it's bad, bad Leroy Brown
The baddest man in the whole damned town
Badder than old King Kong
And meaner than a junkyard dog

リロイブラウンはワルの中のワル
くそったれな街の中でも最悪の男
老いぼれのキングコングよりももっとワルで
ごみ捨て場の野良犬よりも卑劣な男

Well the two men took to fighting
And when they pulled them off the floor
Leroy looked like a jigsaw puzzle
With a couple of pieces gone

取っ組み合いが始まった
ふたりを床からひき起こした時には
リロイの身体はまるでジグソーパズル
かけらがいくつか無くなっていたぜ

Chorus:
And it's bad, bad Leroy Brown
The baddest man in the whole damned town
Badder than old King Kong
And meaner than a junkyard dog

リロイブラウンはワルの中のワル
くそったれな街の中でも最悪の男
老いぼれのキングコングよりももっとワルで
ごみ捨て場の野良犬よりも卑劣な男

(注1)コンチネンタル  リンカーン・コンチネンタル[車]
(注2)エルドラド   キャディラック・エルドラド[車]

                                    Bad, Bad Lery Brown 訳詩 庄野 健









”Time in a Bottle" 「タイム・イン・ア・ボトル」

If I could save time in a bottle
The first thing that I'd like to do
Is to save every day
Till eternity passes away
Just to spend them with you

もし時を瓶に入れてとっておけるなら
最初にしたいことは
一日一日をとっておくこと。
永遠が消え去るまでとっておきたい
ただあなたと過ごすために。

If I could make days last forever
If words could make wishes come true
I'd save every day like a treasure and then,
Again, I would spend them with you

もし私に日々が永遠に続くようにできる力があれば
もし言葉で願いが叶うならば
私は宝物のように一日一日を取っておく。
そうすれば再びあなたとの日々を過ごせるだろう。

But there never seems to be enough time
To do the things you want to do
Once you find them

時間はいつも十分あるとはいえない。
したいことが見つかっても
それをやるだけの時間は十分にはないものだ。

I've looked around enough to know
That you're the one I want to go
Through time with

振りかえって見てわかった。
あなたこそ私がいっしょに
時をすごしたい人だということが。

If I had a box just for wishes   
And dreams that had never come true   
The box would be empty   
Except for the memory   
Of how they were answered by you    

もし 願い事を入れる 箱を持っていたら
そして(入れる)夢が まだ叶わぬものだとしたら
その箱の中は 空っぽだろう
その思い出以外は
きみがそれ(願い事)に どう応えてくれたかという

But there never seems to be enough time
To do the things you want to do
Once you find them

時間はいつも十分あるとはいえない。
したいことが見つかっても
それをやるだけの時間は十分にはないものだ。

I've looked around enough to know
That you're the one I want to go
Through time with

振りかえって見てわかった。
あなたこそ私がいっしょに
時をすごしたい人だということが。


                                                                      (なつめろ英語より)




 おはようございます。少し前に高田渡の「人生の柄」をアップした時に、昭和の名人、古今亭志ん生のことに触れましたので、今朝は久しぶりに志ん生の古典落語を紹介してみることにしましょう。演目はお気に入りの「六尺棒」です。

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 「六尺棒」は彰義隊あがりの元御家人という珍しい経歴を持つ初代三遊亭遊三が得意にした演目で、古いところでは、文化4年ー1807年という口演の記録が残っています。初代遊三は「飲む、打つ、買う」とまあ見事に3拍子が揃った大の遊び人で、お城勤めよりも寄席に立ち寄るのが本業だったという強者。彰義隊に駆り出され上野の山に籠りますが、負け戦とわかるや否や命からがら一目散に逃走、その後は裁判官の職務に就きます。しかし裁判で被告の女に色目を使われて、有罪判決のところを無罪としたために解雇され、ついに望み通りの落語家になったという大変な御仁!

 この遊三と五代目古今亭志ん生の父親美濃部戌行、そして初代三遊亭円遊は御家人時代の遊び仲間で、遊三は志ん生を可愛がり、志ん生は遊三にこの「六尺棒」や「火炎太鼓」を直接習ったということです。

 いつものように夜遅く吉原通いから帰ってきた大店の若旦那幸太郎、さて、今日も番頭が起きていりゃいいがと思いつつ番頭の名を呼ぶが誰も出てこない。仕方なく戸口をドンドンと叩いて番頭を起こそうとするが、そこに聞こえてきたのは、「ええ、夜半おそくどなたですな?お買い物なら明朝願いましょう。はい、毎度あり」という口うるさい親父の声。そこで親父に取り入って何とか家に入れてもらおうとするが・・・。
                                                               
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  「六尺棒」は落語には珍しく、父親と道楽息子のたった二人のダイアローグで進められる演目です。しかしそれだけに二人の性格描写や心理描写、そして間合いの取り方などをいかに表現してゆくかが問われることになり、落語家の真の力量のほどが図られる難しい演目でもあります。

 ところでこの親子、ダイアローグから察しても父親の方は表面上は幸太郎を冷たくあしらっているようですが、内心は幸太郎が心配でなんとかしたいという思いで一杯で、幸太郎もそのことを十分に承知の上で、話が展開していきます。その上での二人の丁々発止のやり取りを聞いていると、なんともいえない面白味を醸し出してきます。

 「人生の柄」の記事でも書きましたが、志ん生の豪放磊落な芸風の味わいのあること!ここで聞かれるのは志ん生の人格が溢れ出たこころの話術。現在落語愛好家の中で、志ん生の評価が急速に高まってきているのは、志ん生の芸風が「芸=人」であり、志ん生のこれまでの人生が芸となって語られているから。志ん生の落語では辛酸を舐めつくした人生とそこから形成された人格がそのまま話術となって語られています。しかし現在ではこのような落語を聞かせてくれる噺家がすっかり少なくなってしまいました。

 「六尺棒(ろくしゃくぼう)」というのは防犯・警備・護身用などに用いた樫の木などで作った長六尺の棒のことで、志ん生の父親は維新後は「棒」と呼ばれた草創期の巡査で、巡邏のときは、いつも長い木の棒を持ち歩いていたということです。

 それでは五代目古今亭志ん生の「六尺棒」をお送りします。お楽しみください。










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 おはようございます。ゴールデン・ウィークの初日、「憲法記念日」の朝、皆さんはいかがお過ごしのことでしょうか。今日は20世紀を代表する指揮者、カール・ベームの指揮で、ベートーベン唯一のオペラ「フィデリオ」(Fdelio)作品72をお届けすることにしましょう。

 カール・ベーム(Karl Böhm,1894〜1981年)はオーストリアのグラーツに生まれ、当初は法学者を目指して法律を学び、グラーツ大学では法学博士の学位を取得しました。これには弁護士でもあった父の意向が大きく反映していたといわれています。しかしグラーツ市立歌劇場の法律顧問でもあった父の影響で、音楽関係の友人も多かった彼のこころの中では次第に音楽家ー指揮者になりたいという願望が大きく膨らんでゆき、父親の友人でもあったフランツ・シャルクの紹介を受けて、ベームはオイゼビウス・マンディチェフスキ(オイゼビウス・マンディクスゼウスキ ブラームス全集の編者)の下で指揮法を学び始めます。

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 そして1917年に グラーツ市立歌劇場で指揮者として公式にデビュー、このとき彼が指揮したワーグナーの「ローエングリン」を聞いたカール・ムックが感銘を受け、バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターに紹介します。1921年にはミュンヘン国立歌劇場に移り、ワルターやクナーパーツブッシュらと指揮者として仕事をともにしました。
 1927年、べームはダルムシュタット市立歌劇場の音楽総監督の地位に就任、この時の総監督は、後年メトロポリタン歌劇場の総支配人となるルドルフ・ビングで、二人は生涯にわたって親交を結ぶことになります。さらに31〜34年にはハンブルク市立歌劇場でも音楽監督として迎えられています。そしてこのハンブルク時代に彼の音楽の一つの核ともなるR・シュトラウスとの親交が始まります。

 1934〜43年にかけて、べームはR・シュトラウス縁の地、ドレスデンで国立歌劇場のオペラ監督に迎えられ、ここで、R・シュトラウスの「ダフネ」や「無口な女」の世界初演を行いました。(この2作品はべームに捧げられていますーまたこの時代を「ザクセン時代」とも呼んでいます)
 1943〜45年、ベームはついにウィーン国立歌劇場の総監督に就任しますが、 第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われて消失しまいます。
 しかし1954〜56年べームは再びウィーン国立歌劇場の総監督に迎えられ、おりしも55年に歌劇場が再建された時には再開記念公演として彼の指揮の下、ベートーベンの「フィデリオ」が上演されました。                                       
                                         (これ以降の履歴は省略します)


 「フィデリオ」は周知のようにベートーベンが完成することができた唯一のオペラですが、その完成に至るまでにはかなりの紆余曲折を経なければなりませんでした。しかしそれ故にこのオペラがベートーベンの残した唯一のオペラの傑作に成り得たことも事実でしょう。当時のヨーロッパでは無実の罪で捕らえられた囚人を救うという「救出」オペラが人口に膾炙し、イタリア出身でありながらフランスで活躍した作曲家であるイージ・ケルビーニ(Luigi Cherubini, 1760〜1842年)の「ロドイスカ」(1791年)や、ジャン・二コラ・ブイイ原作による1898年のピエール・ガヴォーによる『レオノール』、1804年にドレスデンで初演されたフェルディナンド・パエールによる『レオノーラ』などが上演され、ヨーロッパ中を席捲していました。実はケルビーニにオペラの依頼をしたのが、モーツアルトの「魔笛」のリブレットで有名な興行師シカネーダーでした。

 「レオノーレ」はすでに1798年にはフランスの作曲家ピエール・ガヴォーの手によって作曲されていましたが、この作品がイタリア語に翻訳されイタリアで上演されて大反響を呼び、さらにはドレスデンでも上演され、大変な人気を博していました。シカネーダーはこのリブレットによる新しいオペラを獲得しようと奔走しますが、結局シカネーダーと争ったブラウン男爵にアン・デア・ウィーン劇場は買い取られてしまいます。しかし彼のあとを継いだヨゼフ・フェルディナント・フォン・ゾン・ライトナーはドレスデンでの「レオノーレ」の成功を目の当たりにして何とかオペラの上演を成功させようとリブレットをドイツ語に翻訳し、ベートーベンに作曲の白羽の矢を立てました。
 
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 1801年にバレエ音楽音楽「プロメテウスの創造物」を作曲して以来、ベートーベン自身も劇音楽ーオペラの作曲に創作意欲を燃やし続け、自らリブレットを探した結果ブイイの台本による救出オペラを作曲することを決意します。ここにライトナーーとベートーベンとの新たな結びつき始まります。
 そして4年後の1805年にベートーベンによって作曲されたのが全3幕の「レオノーレ」第1稿で、(ドイツ語台本はヨーゼフ・ゾンライトナーおよびゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ)1801年にアン・デア・ウィーン劇場で初演されました。しかしウィーンがナポレオン軍に占領されたこともありー観客の大半がフランス軍兵士であり、ドイツ語を理解できる兵士がいなかったー初演は大失敗に終わります。

 翌1806年にはベートーベン自身もこの作品の不備を認め全2幕のオペラ「レオノーレ」と改定してアン・デア・ウィーン劇場で上演されますが、一度再演されただけで、それ以降作品が顧みられることはなく、作品も聴衆に受け入れられることはありませんでした。

 1814年になって、ケルントナートーア劇場の3人の委員によって「フィデリオ」が再び上演される運びとなります。これには1810年ころから急速にベートーベンの作品ー「アテネの廃墟」などー人気が高まってきたことが大きな要因として挙げられます。そこでベートーベンは宮廷劇場の秘書であったゲオルク・フリードリッヒ・トライチェケと一緒に再び「レオノーレ」の改定を行い14年に同劇場で上演されたのが第3稿「フィデリオ」。これが現在一般に広く聞かれている「フィデリオ」です。この2回にわたる改定でベートーベンは都合3曲の序曲「レオノーレ」と、1曲の「フィデリオ」序曲を書かなければなりませんでした。「フィデリオ」の核心は美しい夫婦愛と不正な権力への強い抵抗の意志、その理想を豊饒な管弦楽の中で、歌手たちが高らかに謳いあげていきます。しかもレオノーレやフロレスタンには高度な歌唱の技術が要求されています。個人的に、「フィデリオ」は最も愛着を持っているベートーベンの理想主義オペラの1作でもあります。
                                                               
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 今日紹介する1944年の(43年と記載されているものもありますが、44年が正しいようです)べームとウィーン・フィルによる「フィデリオ」は、録音こそ古いものではありますが(それでも当時のライブの録音状況を考えると、鑑賞には耐えうるものだと思います)、ウィーン国立歌劇場の総監督になったばかりの若いべームの覇気と、求心的な音楽創りが如実に伝わってくる演奏で、ウィーン・フィルがべームの指揮に見事なまでの豊麗なリリシズム溢れる音色を加味している様が見事です。いわばウィーン・フィルと出会うことで、べームは自身の求め得る本当の音色を醸し出すことができたともいえるでしょう。ザクセン時代の演奏なども録音に残されていますが、やはりどこかまだ自身の音色を探求しているという印象を拭うことができません。歌手陣は多少スタイルの古さを感じさせはしますが、まずは万全で、何よりもべームとウィーン・フィルが渾然一体となってべーム自身が「運命のオペラ」と呼ぶこのオペラを、共に音楽として再創造してゆくあたりは一種の感動さへ呼び起こします。  

 ベームはこのオペラを得意にしていただけに、セッション、ライブを合わせて、多くの録音を残しています。今回紹介する44年のウィーン・フィル、55年のウィーン国立歌劇場再建の演奏、60年のメトロポリタンでの上演、そして63年の日生劇場の杮落とし、69年のドレスデン国立歌劇場とドイツ・ベルリン・オペラ管弦楽団との演奏、78年のバイエルン放送管弦楽団での上演、さらに70年のドイツ・ベルリン・オペラ管弦楽団との映像と少し挙げてみただけでも8種類もの録音を残しています。この44年の演奏も好んでいますが、とりわけこころに残っているのが、63年の日生劇場の杮落としでの上演です。就職したばかりのころに発売されたこのCDを躊躇なく購入し、べームの凄まじいまでの緊張感と音楽の奥底を求心的に追究する姿勢にすっかり圧倒されたのを今もってはっきりと覚えています。この上演一つで、べームが日本で神格化されたといっても決して過言ではありません。(この来日の折にべームは「フィガロの結婚」、そしてベートーベンの第9も指揮しています)また、映像ではやはり70年のドイツ・ベルリンオペラ管弦楽団を指揮した演奏がべームの指揮、そして演出ともに優れた演奏です。

 「フィデリオ」は全曲を聞き通すのに、2時間20分ほどかかる作品ですが、休日の一日、カール・べーム指揮のウィーン・フィルによる1944年の演奏で、ベートーベンの「フィデリオ」をごゆっくりとお楽しみください。






ヒルデ・コネツニ - Hilde Konetzni (ソプラノ)
トルステン・ラルフ - Torsten Ralf (テノール)
イルムガルト・ゼーフリート - Irmgard Seefried (ソプラノ)
パウル・シェフラー - Paul Schoffler (バリトン)
トミスラフ・ネラリク - Tomislav Neralic (バス)
ヘルベルト・アルセン - Herbert Alsen (バス)
ペーター・クライン - Peter Klein (テノール)

ウィーン国立歌劇場合唱団 - Vienna State Opera Chorus
ウィーン国立歌劇場管弦楽団 - Vienna State Opera Orchestra
カール・ベーム - Karl Bohm (指揮) 1944年


第1幕
 場所はスペインのセヴィリャの近郊、そこの刑務所の地下牢には、政治犯のフロレスタンが幽閉されている。彼は刑務所長でもある、政敵のドン・ピツァロの不正を暴いたため、恨みを受けて監禁されてしまったのである。これを知っているのは、牢番のロッコだけで、フロレスタンの妻レオノーレは、男装してフィデリオと名乗り、ロッコの手下として潜入している。そしておりあらば、夫を救出しようと時を窺っている。
 刑務所の敷地内にあるロッコの官舎、有名な序曲の後、ロッコの娘のマルツェリーネが洗濯物を乾かしていると、門番のヤッキーノが来て彼女に結婚を迫る。だがマルツェリーネは、最近ロッコの手下になった、美青年のフィデリオに惹かれているので、彼の誘いに色好い返事は出来ない。そして一人になった彼女は、フィデリオに対する燃えるような心をうたう。

 外出から帰って来たフィデリオは、ロッコとヤキーノを加えて四重唱を始める。自分の娘にはレオノーレが最適だとロッコはいい、マルツェリーネはこれを聴いて狼狽する。またロッコは結婚は愛情だけではだめで、金もなければ幸せにはなれないと、世俗的な自分の哲学をうたう。そこでフィデリオはそれとなく、地下の囚人のことを聞き出そうとする。ロッコは善人らしく、2年ほど以前から、重要な政治犯が囚われていて、1ヶ月前から食事の量を徐々に減らして行くよう、所長から言い渡されているという。フィデリオは益々、それが夫だと確信を深める。
 突然力強い行進曲が聞こえて、門が開かれると、多くの兵をしたがえた所長のドン・ピツァロがあらわれ、ロッコから受け取った手紙を読む。彼の顔は見る見る蒼白になり、驚愕の表情を浮かべる。そこには監禁しているフロレスタンの同志で、大臣のドン・フェルナンドが、不法に監禁されている政治犯がいないかどうか、査察に来ると書かれていたからである。そしてピツァロは、これを機会にフロレスタンを殺してしまおうと計画する。ピツァロは部下たちに警戒を厳重にするよう命令すると、大金の入った袋をロッコに渡して、自分のいい付けどおりに、地下牢の囚人を殺せという。小心で根が善良なロッコは、とてもそんなことは出来ないと断る。ではお前は墓を掘れ、殺すのは俺がやるとピツァロ、ロッコは仕方なくピツァロについて行く。物陰からフィデリオがあらわれると、このオペラの最も有名なアリア、「悪者よ、どこへ急ぐのだ」をうたう。

 フィデリオが退場すると、入れ替わりにマルツェリーネとヤキーノがあらわれる。ヤキーノは、なおしつこく結婚を迫る。ロッコとフィデリオが再び登場して、ロッコはヤキーノに、この娘はお前にはやれないと、一喝する。そこでフィデリオは、今日は天気もいいので、囚人たちにも日光浴でもさせたらと、ロッコに提案する。ロッコは最初はためらうが、ピツァロの信頼を得ているのを心得ているので、独断でそれを許可する。そして囚人たちが陽の光を求めて、中庭に集まってくる。この場面で男声4分合唱によってうたわれるのが、これも大変有名な「囚人の合唱」である。そこへマルツェリーネが駆け込んで来て、ピツァロの許しもなく囚人たちを日光浴させたので、彼がかんかんに怒っていると告げるので、ロッコは慌てて囚人たちを牢に戻るように命じる。そこへ怒気満々のピツァロがあらわれ、ロッコを激しく怒鳴りつける。囚人たちの喜びも束の間に終わり、弱々しく合唱しながら退場する。


第2幕
 真っ暗で陰惨な地下牢、その片隅に鎖に繋がれたフロレスタンが、静かにうずくまっている。彼は絶望しながらも、愛妻のレオノーレことを思っている。そして有名な「レオノーレ」序曲第3番にも使われている、旋律をもとにしたアリアがうたわれる。疲れたフロレスタンが、再びその場へうずくまると、ロッコとフィデリオが水がめと、穴を掘る道具を携えてあらわれる。ロッコは牢の片隅に死体を埋める、大きな穴を掘り始める。フィデリオはそれを手伝いながら、囚人が夫であるかどうかを注意深く観察する。気息奄々とした囚人が、ここの所長は誰かと尋ねると、ロッコが正直にピツァロだと答える。それを聞いて憤激した囚人をみて、それがまぎれもない夫のフロレスタンだと、フィデリオは確信する。

 ロッコは最後の晩餐のつもりで、フロレスタンにワインを飲ませると、フィデリオはパンの少しの部分を与える。フロレスタンは、感謝する歌をうたう。ロッコが穴を掘り終わると、黒いマントに身を包んだピツァロがあらわれ、フィデリオを追い払う。だが彼女は片隅に隠れて、その場の様子を窺う。さっとマントを脱ぎ捨てたピツァロが、短刀をかざして、フロレスタンに近づいた瞬間、「下がれ」と大声でフィデリオが飛び出して来る。そして妻である私から先に殺せと叫ぶので、ピツァロもロッコもびっくりする。フィデリオの手には、しっかりと拳銃が握られているので、さすがのピツァロもどうすることも出来ない。ここでようやくこの若い下働きが、フロレスタンの妻レオノーレであるのを知る。するとその緊張を破るかのように、舞台裏からラッパのファンファーレが聞こえて来る。大臣の到着を告げる信号である。レオノーレとフロレスタンは、それこそ危機一髪で助かったのである。愕然として口惜しがるピツァロ、ただ呆然として佇むロッコ。再びラッパが高らかに鳴り渡ると、ピツァロとロッコは悄然として立ち去る。そしてレオノーレとフロレスタンは、気を取り直して喜びの二重唱をうたう。この後現在では「レオノーレ」序曲第3番が演奏されるのが普通だが、これはウィーンの宮廷歌劇場の総監督を務めていた、作曲家のマーラーのアイデアによるものだといわれている。

 第2場は刑務所内の広場で、大臣のドン・フェルナンドが、ピツァロや大勢の兵士たちを従えてあらわれる。フロレスタンのほかにも、故のない濡れ衣を着せられて、投獄された政治犯が多くいたらしく、大臣が釈放した囚人たちがヤキーノに導かれて入場し、フェルナンドの前に跪く。そしてロッコがフロレスタンを連れて登場するので、大臣は生きていた彼をみて驚く。そしてロッコが、今までの経過を包み隠さずに報告し、レオノーレの勇敢な行ないを告げるので、群衆が悪人を罰せよと叫び、ピツァロは悄然と、兵士たちに連行されて行く。鎖を解かれたフロレスタンは、今や完全に自由の身となり、貞淑で勇敢な妻レオノーレとしっかりと抱き合う。正義の勝利と崇高な夫婦愛を称える合唱が大きく盛り上がり、壮麗な気分のうちに幕が下ろされる。
                   (あらすじは「オペラ名曲辞典」の 出谷 啓氏のものをお借りしました)



 
 こんにちは、今日の午後は佐藤豊彦の弾く、温かく美しいリュートの音色をお送りすることにしましょう。佐藤豊彦のリュート演奏はこのブログでも幾度か採りあげていますが、今日は彼の出世作となったアルバム、「グリーンスリーヴス、涙のパヴァーヌ 佐藤豊彦リュート・リサイタル」の冒頭に収められた「グリーンスリーヴス」を紹介することにします。

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 ご存知のようにルネッサンス時代に全盛を誇ったリュートは、17世紀頃のフランスでルネサンス・リュートからバロック・リュートへとその形態を変え、弦の数が著しく増やされてーバロック・リュートでは 11コース20弦として定着しますー依然としてその人気を保っていました。バッハがリュートを愛し、その作品を残しているのは有名な話ですが、もちろんそこには彼の友人であった当時最高のリュート奏者であり作曲家と称された、シルビス・レオポルト・ヴァイスの存在が大きく影を落としていることを忘れてはいけません。またバッハの弟子にはクレプスというリュートの名手もいました。
 ルネサンスからバロック期にかけて隆盛を誇ったリュートも、ギターなどの音量が大きく表現の幅の広い他の楽器の興隆により、一時はその姿を完全に消してしまうことになります。しかし20世紀に入りリュートは奇跡的な復興を成し遂げます。そのリュートの復興に大きな功績を残したのがドイツの名リュート奏者、ヴァルター・ゲルヴィッヒでした。
 
 音楽学者の皆川達夫さんの話によれば、大学での音楽史の講義(リュート)の時間に、一人の学生が燃えるような眼差しで真剣に皆川さんの講義に聞き入っていたそうです。講義の終了後、その学生が皆川さんの許に訪れ、「今日のリュートの話を聞いて、リュートを勉強したくなりました」と語ったということです。学生の名前は佐藤豊彦!もちろん現在リュート奏者として世界中で活躍されている佐藤さんのことです!!
                                                             
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  佐藤豊彦は現在のリュート奏者の第一人者として世界的な活躍をし各地で高い評価を得ています。佐藤さんは立教大学出身で、在学中に音楽史を皆川達夫さんに、大沢一仁さんにギターを、そして作曲を呉泰山に学んで研鑽を積みました。68年にはスイスに留学しバーゼルのスコラ・カントルムでリュート奏者のオイゲン・ミュラー・トンボワ(彼はヴァルター・ゲルヴィッヒの弟子にあたります)の下で学び、71年にはバロック・リュートのアルバムを出し現在に至るまで第一線で活躍を続けています。

 今からもう20年以上も前のことになりますが、フィリップスから発売された彼のアルバム「グリーンスリーヴス、涙のパヴァーヌ 佐藤豊彦リュート・リサイタル」を初めて聴いて深い感動を覚えたことは今でもはっきりと記憶しています。ヴァルター・ゲルヴィッヒ譲りの(爪を使わない)指頭奏法によるそのリュートのまろやかで温かい響きは、こころの琴線に触れるものがありました。今日紹介する「グリーンスリーヴス」は作者不詳ともイギリスのリュート音楽家のフランシス・カッティングのものともいわれている作品で、有名なイギリス民謡の「グリーンスリーヴス」の旋律に基づく変奏曲です。
 
 それでは佐藤豊彦の演奏するルネサンス・リュートの演奏で「グリーンスリーヴス」をお楽しみください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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