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. さて、産経新聞の昨日の靖国神社の1日についての記事がありましたので紹介します・・・ 平成20年8月15日
8月15日22時28分配信 産経新聞 終戦記念日に参拝のため靖国神社を訪れた安倍晋三前首相=15日午前10時25分、東京・九段北の靖国神社 63回目の終戦の日を迎えた15日、東京・九段北の靖国神社は、この夏2番目の暑さ(最高気温34・9度)に見舞われたにもかかわらず、妙に静かで、物々しい警備だけが目立つ冷めた雰囲気が漂っていた。この日は、小泉純一郎、安倍晋三の両首相経験者は参拝に訪れたものの、靖国に距離を置く福田康夫首相は当然のごとく来なかった。 話題性が少ないと判断したためか、国内外の報道関係者も目立たず、福田政権下における靖国が「冬の時代」を迎えていることを実感した。 (阿比留瑠比) ■2年で薄れた熱気 わずか2年前のこの日には、靖国神社には小泉元首相の参拝効果で約25万8000人もの参拝者が詰めかけた。それが、昨年は一気に約16万5000人へと落ち込み、今年はさらにそれを下回る約15万2000人となった。 靖国に祭られた246万6000余柱の英霊の慰霊は本来、ときの首相が参拝するかどうかで左右されるべきものではないはずだ。だが実際、「戦没者慰霊の中心施設」(小泉元首相)と位置づけられてきた靖国に対する国民の関心は、薄れてきているようだ。 これは、福田首相が靖国参拝について「お友達の嫌がることをする必要はない」と不参拝を明言していることが大きい。日中間の焦点だった靖国問題は、日本側が一方的に白旗を揚げる形で後ろに引っ込み、首相の靖国参拝に反発する中国に対し、さらに日本国民が反発するという構図もとりあえず消えたからだ。 例年、首相や閣僚らの車が横付けされる「到着殿」の前には、大勢の報道陣のほか、その何倍もの参拝者が陣取り、やってくる政治家や記者たちに声をかけていた。ところが今年は、人影も比較的まばら。参拝を終えた安倍氏に対する「安倍さーん」「頑張って」との声援も、こだまするような勢いはなく、小泉元首相へは声援も飛ばなかった。 ■相次ぐ福田首相批判 「靖国神社問題は現在、『冬の時代』にある。一気に『氷河期』に突入することも予想される。靖国の無視、ご英霊の否定にも発展しかねない事態だ」 神社境内で開催された戦没者追悼中央国民集会で、「英霊にこたえる会」の堀江正夫会長はこう指摘し、靖国不参拝を明言した福田首相を担ぎ、総裁に選んだ自民党に苦言を述べた。 自民党は平成20年の運動方針で「靖国神社の参拝を受け継ぎ…」とうたっている。ところが、堀江氏によると、自民党衆院議員304人のうち、昨年春の例大祭、終戦記念日、秋の例大祭、今年春の例大祭と続けて参拝した議員は、わずか2人だけ。この間、一度も参拝していない議員は142人にも上るという。 「首相は本心では参拝したいのかしたくないのか言わない。反靖国一派と同じ考え方なのだろうが、それを明らかにしないのは男の風上にも置けない」(三好達・日本会議会長) 「首相は北京五輪には行ったが、靖国には来ない。英霊よりも中国の方が大事だということだ。しかし、胡錦濤国家主席は決して首相のことを友達とは思っていない。完全になめられている」(中国から日本に帰化した評論家の石平氏) 集会では、対中関係重視に傾く福田首相への厳しい批判が相次ぎ、「そうだ」「その通り」と同調する声が上がっていた。 ■国立追悼施設の亡霊 15日は、靖国神社近くの日本武道館で開催された全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長が、政府が無宗教の追悼施設をつくるべきだとの考えを表明した。 ただ、この構想は、福田首相が官房長官当時につくった私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が14年に出した答申をなぞったものにすぎない。 これは、自民党内からも「税金の無駄遣い」「そんな施設に誰が行くのか」「靖国の存在をおとしめるもの」などと酷評され、福田首相自身も「時期尚早」として引っ込めざるを得なかった経緯がある。問題は、そんな「亡霊」のような話がなぜ今になって蒸し返されるかにある。 福田首相は「追悼懇」の委員10人の選定に当たり、「当初は『靖国参拝支持派は一人も入れない』と言っていた」(当時の政府関係者)。こうした首相の姿勢が、河野発言の呼び水となった部分はありそうだ。 靖国には逆風が吹いている情勢だが、一方で「年々若者の参拝者が増えている」(関係者)という見方も根強く、15日も手をつないだカップルや、若い女性の参拝者を何組か見かけた。古い政治家が旧来の発想にとらわれているうちに、参拝者の世代交代が進み、英霊の慰霊は受け継がれているのかもしれない。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080815-00000975-san-pol ということで、もちろん日本の総理大臣は自ら進んで靖国神社へ参拝すべきであることは、わたしも支持しています。 ですが、この記事内の太字部分で紹介した考え方にはちょっと賛同できません・・・ 何が何でも8月15日にメディアの注目を靖国神社へ集める必要はなのではないでしょうか。 熱気を否定はしませんが、やはり純粋に英霊への慰霊のための参拝であって欲しいと思います。 このブログのトップページへ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/master3511【にほんブログ村 政治ブログ】 クリックしてね(^^)v→ https://politics.blogmura.com/ |
靖国
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. さて、2005年に外国人(フィリピン人)である妻と始めて一緒に靖国神社へ参拝させていただきました事を、前にサイトとして作ってあったのですが、それを今日のこの日にこちらに転載しておこうと思います・・・ 靖国神社参拝記 (2005・6・20) 靖国神社へ行って参りました フィリピン人の妻と一緒に参拝させていただきました じつは、わたしの祖父は福井県の出身なんですが 15歳のころに東京に出てきたようです そして居を構えていたのが九段下でした 昭和19年 戦況があまり芳しくないということでまだ10歳前の父達は 母方の田舎である秩父へ疎開しました 終戦後も東京に戻ることなく九段下の自宅は 手放すことになってしまったようですが 祖父や父から靖国神社の話はよく聞かされました そんな私が 縁あってフィリピン人の配偶者を持つ身となりました フィリピンもあの戦争での日本との因縁は 浅からぬ物があります 妻の父親は日本軍の侵攻時には赤ちゃんだったそうで 箪笥の中に隠されたという話もしています 2005年の今、戦後60年を迎えて小泉首相の靖国神社参拝に対して 中韓の反発や日本国内での反対の論議も盛んになっています そんな中、実際に中韓等が言うように 靖国神社はあの戦争を美化しているのか そして、ある意味被害者サイドでもある妻が 靖国神社へ行ってどんな気持ちを持つのか 自分の目で確かめてみたいという思いも供に 英霊の方々の魂に手を合わせに行かせていただきました 30年ぶりに訪れる靖国神社は30年前と変わらぬ姿で そこに鎮座していました 「大鳥居」「大村益次郎銅像」「第二鳥居」を進み 「大手水舎」で手と口を清め「神門」をくぐり 「拝殿」の前へとたどり着きました こちらで御霊に手を合わさせていただいてから 「遊就館」に赴きました 「遊就館」は靖国神社の神様を長く世に伝えるために 明治15年に創立された日本初の軍事博物館です 神話の時代から平城・平安…そして武士の時代 明治維新から富国強兵政策…欧米列強との紛争 日清・日露戦争から続く大東亜戦争(第二次大戦) そして終戦へと続く中での軍事にまつわるエピソードを 虚飾もなく胸を張るでもなく 淡々とその歴史上の事実をここに伝えています 英語での説明書きもあり、妻もかなり集中して読み込んでいました 鎌倉時代の鎧を見て「凄い…綺麗」とポツリと洩らし 日本がアジアの欧米からの侵略からの開放を説明する図を見ながら 「戦争とはこういうものだ」と又ポツリと… ちなみに一人いかにも「空想平和主義者」の雰囲気を漂わせる 若い女性が、説明書きの中に自分が気に入らない部分を見つけると メモをして回っているのが印象的でした 第二次大戦で亡くなられた英霊の方々の遺影を前に わたしは何故か大きく励まされているような錯覚を受けました この方々はわたし達のために戦ってくれたのだ・・・ ふと横を見ると、写真を食い入るように見つめる妻の顔が… 2時間ほど展示品を拝見させていただいた後 外に出て妻に 「中国や韓国では今のミュージアムをアジアの人を 苦しめた日本の兵隊やリーダーたちをセレブレートしていると 言っているけど、お前はどうに感じたか」 と尋ねました 妻は 「実際にあった事をそのまま使えることはどこも悪くないし どの国だってその国の為に戦った人はヒーローなわけで それをちゃんとしないほうがおかしい」 と答えました 妻はアメリカのイラン攻撃も 「フセインのために自由のない人がたくさんいるほうが罪で そのフセインを倒す為にアメリカがイラクを攻撃することは どこも間違っていない」と前に言っていました 日本のフィリピンへの戦争の事にはどうに思うかという問いには 「あのころのフィリピンはフィリピンであって フィリピンではなく実はアメリカだった もしかしたら日本が来ていなければ 今でもアメリカだったかもしれない それに、わたしのおじいちゃんは “あれは戦争だったんだよ”と良く言っていた 戦争は終わればもうそこから未来の事を考えるべきで、 いつまでもその頃の事を言っていてもしょうがない」 と答えます さて、わたしの靖国神社への印象ですが 拝殿で御霊に手を合わせるという時点では まったく他の神社と何も変わりません 元々わたしは神社等で拝むときに現世利益をお願いしませんので 靖国神社でもいつもの通りに 「いつも穏やかに、この世を見つめ照らしてください」 とお願いさせていただきました 「遊就館」での展示・解説等も先にも書きましたが これといって今の時代にあのときのこともう一度と思わせる ようなものは何もなく、ただただその時代に起きた事実を 淡々とそこに明示してあるという印象です 「軍国主義」を称えているという風にここで感じる人は この世の全ての騒乱 たとえば兄弟喧嘩や夫婦喧嘩のようなもの また子供のしつけのための親の毅然とした態度すら否定するような そんな思想の人たちでしょう ↑には写真も掲載して紹介してありますので、まだ靖国神社へ参拝された事のない方は是非ごらんになっていただければ幸いと存じます。 妻とはこの翌年・・・ 小泉首相が8月15日に参拝されたあの日の前日にも、また参拝させていただいております。 犠牲者310万人の冥福祈る=遺族ら参列、戦没者追悼式−63回目終戦記念日
8月15日4時50分配信 時事通信 63回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。天皇、皇后両陛下や福田康夫首相、遺族らが参列し、戦争の犠牲となった約310万人の冥福を祈る。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080815-00000029-jij-soci このブログのトップページへ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/master3511【にほんブログ村 政治ブログ】 クリックしてね(^^)v→ https://politics.blogmura.com/ |
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. さて、今年も刷り込み報道の始まる季節が始まりました・・・ <東条英機・陸軍大将>手記を確認…終戦直前の心境つづる
8月12日12時40分配信 毎日新聞 太平洋戦争開戦時の首相、東条英機・陸軍大将が終戦直前の1945年8月10〜14日につづった手記が、国立公文書館(東京都千代田区)に保管されていることが分かった。戦争目的を「東亜安定と自存自衛」としたうえで、ポツダム宣言受諾を「敵側の隷属化に立つに至る」とつづっている。また、敗戦理由を「敵の脅威におびえ簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」としながらも、開戦に及んだ指導者としての責任に触れている。 手記は、政府がポツダム宣言受諾を決めた45年8月9日の翌日の10日に首相官邸で開催された重臣会議の様子についての記載から始まり、席上、戦争目的が達成されないままポツダム宣言を受諾すれば、戦争による多くの犠牲者が死んでも死にきれない、という趣旨の発言をしたことが記述されている。しかし、昭和天皇の裁断で、終戦を受け入れたことを示す記述もある。 11日から13日にかけては、今後の情勢分析や敗戦の原因などをつづっている。14日には、首相時代の秘書官あてで「死をもっておわび申し上ぐる」と記したり、戦犯に問われることを予期して「敵の法廷に立つごときは日本人として採らざるところ」とも記し、自殺する覚悟をつづった。 東条大将は41年10月に首相に就任したが、戦局の悪化を受けて44年7月に辞任。45年9月に自殺を図ったが、一命を取り留め、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として死刑判決を受け、48年12月に処刑された。 手記は、東京裁判で東条大将の弁護人を務めた清瀬一郎弁護士が法務省に寄贈した資料の中にあった。99年に法務省から公文書館に移管された。 「東京裁判」などの著書がある赤沢史朗・立命館大法学部教授の話 終戦直前の東条元首相の考えを間接的に示す資料はこれまでもあった。こうした資料に記載されていたことが、この手記で本人の考えとして明確に裏付けられた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080812-00000040-mai-soci ということで、ただ一言 「なんでこの時期に発表するの・・・」 このブログのトップページへ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/master3511【にほんブログ村 政治ブログ】 クリックしてね(^^)v→ https://politics.blogmura.com/ |
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. さて、誠に不敬であるとは承知の上で・・・ 皇太子さま 富士山に初登頂
8月8日11時3分配信 毎日新聞 皇太子さまは8日早朝、富士山(3776メートル)に初登頂した。7日に静岡県側の富士宮口新5合目から登り始めた皇太子さまは、山腹の宝永火口を経由して8合目の小屋に到着。一泊して8日午前5時ごろ、小屋でご来光を眺め、山頂には同6時20分すぎに着いた。「富士山の雄大さを感じました。ご来光もすばらしかった」と感想を語った。 宮内庁東宮職によると、皇太子さまは88年8月にも登頂を目指したが、天候悪化のため8合目付近で引き返している。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080808-00000007-maip-soci ということで、皇太子様におきましては、今回の20年来の悲願でございました富士山登頂に続きまして、是非とも8月15日に靖国神社へ参いられます事、心より祈念するしだいであります。 このブログのトップページへ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/master3511【にほんブログ村 政治ブログ】 クリックしてね(^^)v→ https://politics.blogmura.com/ |
さて、政治家に愛国者は少ないようですね・・・ 首相、15日の靖国参拝せず 閣僚で参拝明言は保岡法相のみ
8月5日12時58分配信 産経新聞 福田康夫首相は5日午前、終戦記念日の15日に靖国神社へ参拝するかどうかとの記者団の質問に「わたしの過去の行動をみてほしい」と述べ、参拝しない考えを表明した。首相は昨年9月の自民党総裁選でも靖国参拝は行わない意向を示していた。 閣僚では、保岡興治法相が5日午前の閣議後の記者会見で参拝の意向を表明した。保岡氏は森内閣で法相だった平成12年にも参拝している。ただ、会見では「法務大臣、保岡興治として参拝する」と言明したが、会見後になって「参拝は私人の立場で行う」と変更した。 小渕内閣で郵政相だった平成10、11年に参拝している野田聖子消費者行政担当相は「今のところいろいろ考えている」と述べるにとどめた。太田誠一農水相も可能性に言及しつつもこの日は留保した。 一方、町村信孝官房長官は「外相では参拝しなかった。官房長官の立場で、いろいろなことに配慮しながら行動することも必要なことだ」と述べ、参拝しない考えを示した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000926-san-pol ということで、前にも書きましたが、今年はチャンスだったんですけどね。 まぁ、そういうチャンスなんていう考え方自体をじぶんでも不遜であると思いますけどね・・・ 東京オリンピックの最中に、それをボイコットした中国は核実験を行ったんですけどね。 しかし、いつの頃からか「どういった立場で参拝をしたんですか」って質問をするようになってしまいましたが、日本国の将来のために命をかけて戦ってくれた方々の御霊に対し、それを慰め礼を尽くすことは、日本人から選挙で選ばれている政治家が行うことは当然の事で、それを聞くこと自体がおかしいわけで、それでも聞いて来るのであれば、 「わたしは日本人として参拝いたしました。」 って答えればいいじゃないですか。 そして、終戦記念日のみにそれに関わろうとするからそこを漬け込まれてしまうわけで、春秋の大祭を始め、それ以外でも事あるたびに参拝すればいいわけですよ。 全く恥ずかしい記事であります・・・・・・・・ このブログのトップページへ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/master3511【にほんブログ村 政治ブログ】 クリックしてね(^^)v→ https://politics.blogmura.com/ |



