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先般の霊視でのご宣託「楠木正成」に仕えていたという前世を確認すべく、神戸・湊川神社へ。
懸命に何かの願をかけるというよりも、観光気分。
しかし、考えてみると、新撰組にしても大楠公にしても、関西圏。
関西圏に絶対にゆかりの地はあるわけで、「どこかへ参拝する」必然性からするならば、当然、例えば「奥州藤原氏」の家臣だったとかいう前世だと、奥州まで簡単に参拝できないから、当然、地元の寺社に関係する「過去世」を引っ張ってこないといけないわけで。
となると、次に霊視してもらったら、おそらく
「真田幸村」
とか
「石田三成」
とか
いう、メジャーでありながらも、歴史的には敗者の側の名前が出されると推察される。
だいたい、宗教も含めて、スピの世界では、理由はどうあれ、自死はいかん。
この世とあの世の間をさまよい続けることになるというのは、もはや定番の話。
・・・あれ?
大楠公は、自死だったはず・・・でも、神様になってるよな?
そういえば、乃木将軍も明治天皇に殉じたはず・・・でも、神社あるよな?
自死は悪なのか???
神になってるじゃないか。
忠義で殉じれば、スピの「自死はいかん」という理屈はひっくり返されてもいいものなのか???
などと、大きな矛盾を感じる今日この頃。
新撰組の実感は今もって皆無だが、
「何回も(関連の寺社には)行かないといけない」
との話。
それは、例えば自分が70歳、80歳になっても通じる理屈で、
1回でだめなら10回。それで駄目なら100回とかいうように、無限運動にはまりこむ。
しかも、100回行ったから何かなるのかという保障もない。
おそらく、よほど自分がひねくれているのか、勘が鈍いのだろう。
そういうことにしておこう。
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