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情報化社会などいう言葉は、今となってはすっかり手垢のついたものだが、IT社会というと違和感は
ないかもしれない。厳密には連続性はないかもしれないが、その言葉の解釈・定義はともかく、「情報が
重要」というのは、古今東西、共通な話だというのは、誰もが否定できないだろう。
単純なことで言えば、古代においても「正確な情報」は戦時においてはまさに明暗を分けるものであ
り、近代においてはそれはビジネスの場でも明暗を分けるものである。
こうした「情報」の重要性を論理化してきたのが、ベルやマハループの業績であるが、メジャーなとこ
ろではトフラーだろう。「第三の波」や「パワーシフト」でトフラーが強力に主張してきたのが、まさに
「情報」を持つ者こそが権力を持って優位に立つ世界である。これは現状、ネットでの情報氾濫や流出な
どの事象を見れば、「情報」を握る者の強さを実感できよう。典型的なものは、アメリカのCIAだと言
っても的外れではあるまい。
では、その情報を「操れる者」が誰なのか。第1次産業、第2次産業の影響力を凌ぐ「情報」の力をフ
ルに発揮できたのは誰か。言うまでもない。マスメディアである。それは過去の歴史においても、世界的
に国家が「情報統制=マスメディアの統制」に腐心してきたかを考えればわかりやすい。情報の収集・加
工・伝播において、マスメディアほど強力で、なおかつ「比類なきもの」はなかったのである。その実力
は自他ともに認める「第4の権力」(第4の階級という説もある)にふさわしいものであった。
その結果、「マスメディア」=「知識産業」=「知的階級の職業」という公式ができあがってしまっ
た。もっとも、確かに、それ相応の知識や教養がないと「人に理解してもらえる」記事を仕立てるのは難
しい側面もあろう。そのために、いわゆる「高学歴者」が集まる知的エリート集団が形成され、そのエリ
ート意識は「自分たちこそが社会の先導者」とのプライドにも結び付く。いや、プライド(誇り)を持っ
て職務に励むことは何ら悪いことではない。だがそれは、「一般的に健全な精神」を前提とする。
知的エリートが「人間的にも」「社会的にも」立派であるという保証はどこにもない。おかしな思想や
おかしなプライドを持つこととて皆無ではない。勉強はよくできるかもしれないが、へんなプライドばか
りを持った「マスコミ人(記者)」が多くないか。昔からだよ、という話もあろうが、特に昨今、小さな
犯罪でつかまったりするマスコミ人が後を絶たない。あげくは、まるでヤクザかのように「謝罪しろ」だ
とか「会わせろ」と記者の肩書きをかかげて高圧的な態度に出るマスコミ人の姿が目立つ。
こうしたことは、個人の「資質」とか「社会性」の問題であろうが、そこには「エリート」の影などみ
じんもない。
だが、本当に問題なのは、そうした「小物化」しているマスコミ人ではなく、むしろ「確信犯」たちで
ある。
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