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任天堂が最近経営的には辛い時期にかかっているようだが、それでもここには「ハード」があれば「ソ
フト」もある。ファミコンが大成功したのは、「スーパーマリオ」というソフトがあったからに他ならな
い。ハードも提供しつつソフトも提供するという2元軸がうまく回っていたのが、最近はうまくいってな
いようだ。
本稿の主旨と違うように思われるかもしれないが、言いたいことは、今日的なマスメディアも「ハー
ド」と「ソフト」の一体型組織なのである。新聞は紙というハードを有しながら、ニュースというソフト
を提供し、テレビは電波・放送設備というハードを有しながら放送というソフトを提供してきた。ただ、
先に触れたように、既存メディアはつねに敏感に「自分たちを脅かす新参者」にはしっかりと参入してき
ており、今では新聞社はネットでの紙面提供が当たり前になっている。
では、ここで例えば、「新聞社」が紙面というハードをなくした場合、生き残っていけるのか。ここは
難しいところで、既成の媒体としての「新聞社」は死に絶えるかもしれない。が、「情報発信者」として
の「新聞社」は生きていけるかもしれない。これは正確には、「通信社」に近いかもしれない。というの
は、例えば海外でのニュースなどとなると、メジャーな地域ではともかく、例えば「共同」とか「時事」
とか、その取材は「通信社」がやっている。個々の地方紙などに海外をくまなく報じられるほどの余裕は
ないからである。となると、国内・海外の区分はさておき、それなりに「取材」する者は必要だからだ。
その役割、つまり純粋な「取材者」としての新聞社は生き残るかもしれない。ただし、それはもはや、新
聞という紙媒体ではなく、タブレットやディスプレイの上で消費される情報になっているだろう。
TVなどはもっと深刻で、周知のように、実質番組を作っているのは、多くの「下請け」製作会社であ
る。プロデューサー的にTV局がいるわけで、その「製作会社」がそのTV局から離れて、独自に「番組
提供して、それなりのペイができる体制」さえあれば、彼らがTVというメディア、放送局に固執する理
由はない。そう考えると、キー局から番組を提供されていることが大半の地方局などは、もう悲惨な状態
になることは容易に想像できよう(NHKはどのレベルまで製作会社を動員してるのかよくわからない
が、民放とは背景が違うのでいったん差し置く)。
そうなると、まず、既存マスメディアとはいえ、新聞とTVでは、ハードとソフトが分離がしやすいの
は、新聞のようである。独自に「通信社」として生き残ってもいけそうだ。TVの方は放送法制の免許の
問題もあるため、簡単にはそうはいかないだろうし、「製作会社」がみんな離反してしまえば、どうもこ
うもしようがなくなりそうで、単体でソフト提供は難しいだろう。自らが全部作ってソフト製作会社の旗
を掲げるのならば別なのだが。
どうしてこんなハードとソフトの話を唐突にもってきたかと言うと、結局、「ソフト」が重要だと言い
たいのである。あるニュースがあって、それを「紙」の上で読むのか、「スマホ」の上で読むのか、何か
違いがあるだろうか。そのニュースの中身・価値は変わらないはずである。TV番組も同じだ。画面の大
きさや解像度は違うが、同じ番組を見るのだから、「TV画面」で見ても「パソコン画面」で見ても、そ
の内容の「質」自体に変化はないのだ。簡単にいえば、どういうメディアを経由してそのソフト・情報を
受け取ったとしても、その外形的質(速報性や解像度など)は違っても、「同じ情報は同じ価値」なの
だ。どういうパターンで見たとしても、その「ドラマ」のエンディングは同じあるし、その「ニュース」
のキャスターのコメントは同じなのだ。
総じていえば、「ソフトとしての情報の価値」を、誰がどうやって、我々に提供しているのか。ここを
突き詰めていく必要がありそうだ。
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