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一口にメディアというと、一般的には「TV」と「新聞」という2大マスメディアが思い浮かぶところだ。ただ、両者を
同じ視点では考えにくい。その機能として両者の持っているものが違いすぎるからだ。新聞の機能が「娯楽」とは
言い切りにくいからだ(タブロイド紙の中には無論、それをあえて狙ったものもあるわけだが)。
一方TVは、「総合編成」が基本である限りは、「娯楽」もあれば「教養」もあれば「報道」もある。このため、ここを
ごちゃまぜに考えると、焦点がのやけてしまうので、あえて「報道」の部分だけを考えよう。
そもそも論でいくと、これは日本のマスメディアは「新聞」から「ラジオ」「TV」という登場の時系列になっており、
そのために「新聞」の資本が「ラジオ」「TV]に流れ込んでそれぞれ成立しているため、名目的にはというか、法
的にはマスメディア集中排除原則によって、一手にメディアの独占集中化は防がれているように見えるものの、
現実は「新聞」「ラジオ」「TV」は明確なグループ化になっており、そこでの「主張」のトーンも似たものとなる。ある
新聞社の論説委員がそのグループのTV番組で解説をしているような場面を、我々はよく見かけていないだろう
か。
無論、ここで当該の新聞社の主張が、そのまま当該のグループのTV局に反映するとは言いがたいが、反映して
いないと考える方が無理があるだろう。資本による支配はないかもしれないが、人的交流・協力関係はあるわけ
で、そこに当然、無色透明な「思想」ではなく、新聞社のそれまでの色のついた「思想」がリンクしてくることは、グ
ループ企業としては至極当然なことかもしれない。長らくその体制が続けば、「TV局」設立自体に力を持ってい
た新聞社に対して、TV局が逆らうことが可能だろうかと問えば、おそらく無理だろう。
つまり、少なくとも「報道」の領域に関しては、日本テレビで朝日新聞記者が解説することはないし、TBSで産
経新聞記者がキャスターをすることもないだろう。引退したあとでなら別にせよ、新聞とTVという2大マスメディア
がそのグループ力を発揮した場合、「その新聞」と「そのTV」は同じ方向性を目指した報道になっていくのも当然
な話である。それどころか、おそらく、何らかの「キャンペーン」がおこなわれる場合、同グループのメディアが動
員されるのも当然な話ではあり、それはそれなりの国民への影響力のキャパシティーを確保できるはずだ。
ところが近年、それが「マズゴミ」と揶揄され、マスメディア自体が批判の対象となっている。この「マスメディア
のグループの総合力」を否定する力は、どこから出ているのだろうか。
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