過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

「情報を持つものが力を持つ」のは、今に始まったことではない。たとえば、昔から宗教などいい例で

ある。奥義に教義、教典などなど、多くの「情報」を持っているものが上位に立つ宗教が、それが大量

の活版印刷によって知識と情報は社会に拡散流出、それに反比例し、教会の権威は失墜していったあげ

くに宗教改革につながっていったことは、「情報」を持つ者がすなわち即「権威」でもあったことのい

い例であろう。

 近代においての日本では、それは「知識人」であったし、新聞記者であった。今でも我々は「新聞

記者」と聞くと、知的なイメージがあることを払拭できない。たしかに、高学歴なインテリ階層である

かもしれないし、実際、有名大学しか入社できないだろう(念のために言っておくと、筆者は、大学出

たから知的などとは思ってはいない)。

 つまり、「情報を発信する者」はすべからく「知的」であり、その知性は決して間違うことはないと

いう、ある種の宗教的幻惑があるのである。事実、確かに、新聞に代表される言論機関が世論を形成し

てきたこともあろう。勤勉な日本人は、その「権威」を疑うこともなく、むしろ社会人のマナーとして

「新聞くらい読め」と言われてきた土壌がある。

 しかし、情報を統べる者が常に正義とは限らないのである。宗教家だって、めちゃくちゃな理論を振

りかざすことは古今東西で発生しているのだから、聖人君子を目指しているわけでもない「ジャーナリ

スト」「メディア関係者」に「絶対正義」を求めるのはまったくもって幻想なのである。

 ただ、いままではその幻想がうまく機能していたのだ。それは単純に、我々が、「マスメディア」以

外から情報を得るすべを持っていなかったからである。換言すれば、これまで馬車しかなかったところ

に、車もバイクも電車もあるような話である。我々は新聞のみ、雑誌のみ、テレビのみに情報を頼る必

然性はまったくなくなっている。

 そのことはつまりは、情報を一手に握っていた「マスメディア」や「記者」「ジャーナリスト」の権

威を、即時はく奪するような事態である。記者は正義の味方でもないし、新聞は常に中立で正しいとも

限らず、それに我々が従う理由は何一つなくなっているのである。

 最近、マスコミが「マスゴミ」などと揶揄されるのはその最たる象徴であろう。

全1ページ

[1]


.
まてりん
まてりん
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事