まてよ?のひとり言

屋上淵から滴る雨滴が窓枠にあたってタコタコ音が気になります

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(私はしばらくロシアと呼ぶ。なぜなら後に新京に着いても、ロシア兵をロ助と皆が呼び名に使っていたからである)

父は少し背が足りないために召集を免れたらしい。でも十字に弾創帯を掛け、腰に銃剣を下げ銃は三八式の歩兵銃、足にゲートルを巻いて武装した姿は、勇ましく見え頼もしかった。

私は父の後ろを付いて歩きながら周りを眺めていた。畑は蜀黍の種類で稲科の高粱(コーリャン)の畑だ。満人達の主食の一つで実の付かない玉蜀黍に見える。その畑に近くなると道幅も以前よりぐっと広がったようだ。

その時二人は出っ張った山裾を迂回して円を描くように進んでいた。たいして高くない山が幾つも右側に連なって見えていた。私は何気なく左の畑から右の山へと目を移しさらに後方の山の頂きを見やった。その時だった。

時は八月十四日午前十一時頃、太陽の反射でぴかりと光る物を見た。何だあの光は。木のない坊主山なのに予想もしない黒い物体を不思議な面持ちで見つめていたが、何度見直しても戦車の形なのだ。しかも山のてっぺんにと自分の目を疑った。

と次の瞬間静かだった山野をくつがえすがごとく、いきなり天地も揺るがす大音響となった。ごうごうごうと響く連続音に回りの空気が揺らぎ耳の鼓膜は音で塞がれ、何が起きたのかも悟れずただ茫然と立ち竦んでいた。

その時、山の上ばかり気に取られていたその轟音の中、今歩んできた後方より土煙を上げながら突進してくる巨大な戦車の姿が目に映った。

戦車は今にも掴み掛らんばかりの勢いで眼前に迫り、辺り一面ごうごうと響く中で、戦車砲がどかっどかっと火を吹き、ばばばばばと連続音の戦車機関銃も鳴り響き、ぴゅうんぴゅうんと頭上を飛ぶ弾の音にはっと我に返った。

私はいやもう腰を抜かすほどびっくり仰天、肩から荷物を投げ捨てるや、一目散に前へ走り出した。後を振り向くとなんと戦車はさらに近付いている。あんな重い鉄の固まりが私より速いとは予想もしてなかった。

 私の恐怖は絶頂に達し、少しでも身軽になろうと夢中で走りながら外套のボタンを外し脱ぎ捨て、よしこれならと足に力を入れ走り出したその時、強い力で腕を掴まれ引っ張り込まれた。見ると父の引き締まった顔だった。

もう何が何だか解らず父の事をすっかり忘れていた。とっさに自分の身を守ることしか頭になく、ただ真っ直ぐに逃げる事しか考えていなかった。もし父が側にいなかったら戦車の射程距離内へ自分から飛び込んで行ったろう。

「そこに隠れろ!」

押し込められるように飛び込んだ場所は、自然に出来た掘り割れだった。体

を隠すにはもってこいの場所だ。しかし戦車の轟音と乱射される機関銃の音は、止む事なく激しさを増していた。

 頭上を弾が通り過ぎる度に首を縮めた。近くで屋根をたたく雨だれのように鈍く「ぷすっ。ぷすっ。ぷすっぷすっ」と音がしていた。 そうっと頭を上げ山頂を見ると三台の戦車が見え、真ん中に一台、少し後ろに二台。間隔を置いて撃っていた。

 今にも私を踏み潰す勢いで追って来たあの戦車の姿はどこにも見えない。気がつくとさらに上のほうに仲間が四人伏せていた。

敵は攻撃の手を緩めず地上を見る余裕はなかったが、父が側にいる事で少し余裕も出来敵の攻撃もおぼろげに感知できた。あの戦車は既に先に進み後続の戦車が何台かいるようだ。山の対斜面に仲間が三十人位張り付いているのが見えたが、それも一瞬で危なくて頭を長く上げられなかった。父もじっと成り行きを窺っていた。

「宏生、もうここは危ない。出ていくから父ちゃんの後に、同じように付いてこいいいな」

 轟音の中、父の声が小さく聞こえた。

「はいっ」

大きく答えたら少し怖さも薄らいだ。気が付くと近くの人や山の中腹に張り付いていた人達の姿はなかった。

父は掘から出ると銃を片手にほふく前進で道を横断し始め、私も直ぐそれに続く。ぴゅうん、ぷすぷす、ぴゅうん、ごうごうごうごう、ずずーんばばば…さらに大きく銃声音が聞こえ、周りなど見る余裕はなかった。ただただ前だけを睨んで進む。父の目標は高粱畑だった。

すでにキャタビラで崩された地面はでこぼこでその進みずらい事、周りに飛びくる銃弾に頭も上げられず、父とは五メートルぐらい遅れ、必死でなんとか畑に辿り着けた。

 畑に入ると父は待っていたように、

「ここはまだ危険だ、もっと奥へ行こう」

「はい」

と答えて二人は奥へ向かって三、四歩進んだ。とまさにその直前を巨大な戦車が轟音とともに高粱をキャタビラでなぎ倒し背面を通過したのだった。聴きなれないキャタビラの音と途方もないどでかい戦車に二人は棒立ちとなり去り行く後姿を見ていた。

ひゃあーあと二秒遅れていたら下敷きだった。戦車との距離は二メートルと離れていなかった。キャタビラに踏みにじられた高粱は無残にも蛇のように土の中にめりこんでいた。

まだ攻撃は続いていたが敵の姿が見えないので少し気持ちも落ち着き、あの時新田さんに会わなかったら、粉ミルクを貰わなかったら、そして今の間一髪。生と死は紙一重にあるのだとおもった。

父も私が荷物を忘れたために死を逃れたことになる。私たちの行動は敵に見られ的にされていた。

父は高粱の間から戦車のナンバーを手帳に控えていた。私は怖いのでそんな所まで見なかったが、戦車の騒音が下火になった頃父の側へ行って見た。

「戦車十四台、装甲自動車十二台、ロシア兵満載トラック十四台」

と手帳を見ながら一人で呟いていた。耳を澄まし音の方向を探ると、大分遠くに行ったようだ。

 安堵すると共にまた焼け付くような喉の渇きを思い出した。もう何十時間も水にあり付いてないのだ。ふと高粱を見て砂糖黍なら糖分も水分もある、この高粱は砂糖黍に似ているから水分はないのだろうか、と一本折って歯で皮を剥き芯をしゃぶってみた。

 だが期待に反し水分は少しもなかった。ああ水が欲しい水を飲みたい---真昼の太陽は畑の中まで光が射し込み地面も乾いていた。畑の奥には二十人位隠れていたが中の在郷軍人の一人がたまりかねて、

「くそっ何もかも掻き回しやがって、虫けらみたいに!我慢ならん。ぶっぱなしてやる」

 と言って拳銃を戦車の方に向けたが、他の仲間が直ぐ、

「あせるな、なんぼ攻撃をかけた所で相手は鉄板だ!撃ち抜くのは無理だ。様子を見ろ!」

 もう一人の在郷軍人も、

「そうだぞ。ここは我々だけじゃない女、子供もいる。下手に撃てば我々の居場所を知らせるようなものだ」

「本当に悔しいわね。前の方は皆撃たれていたわ」

 他の女の人たちも、

「あたしも見たわ。ばたばた倒れるのを」

「でも大丈夫かしら、ここは」

「大丈夫だ、まあ落ち着け」

助かる道は隠れる事しかなかった。



最初の戦車が攻撃を仕掛けてきた頃、最後尾で指揮を執りながら進んでいた浅野参事官の一行が最初の犠牲者だったといわれる。敵の奇襲攻撃に遭遇した時は五人位で歩いていたらしいのだが、その時の状況を知る人は誰もいない。

馬に跨っていたとも聞くし、銃の先に白シャツを巻きいち早く敵意のない事を示したが敵弾に倒れたとか。またもう一つの説は参事官はハンカチを取り出し、それを振りながら敵に向かって片言のロシア語と日本語で、

「撃たないでくれ」

 と叫んだが、敵はそれを無視して容赦なく攻撃を仕掛けてきたというものである。

 私はどちらかと言うと後者の説ではないかと思う。前者であれば、供の者に命じ敵意のない表明をさせたのはわかるが。もし参事官が馬に乗っていたのなら、急遽馬で危険を知らす事も出来たはずだ。また現地の近くに住む満人からその後聞いた話では最初に発砲したのは日本人との話もある。

日本に帰国後に聞いた情報では、山頂で待機するロシアの戦車部隊を、満服に身を包んだ三人の日本兵が近くで目撃していた。ロシア軍の指揮者は満人と思い込み向こうへ行けと言ったが、その三人は去る振りをして見ていたらしい。

 後年になって判明したその時の日本兵の証言内容はおよそ次の通りである。

「指揮者の拳銃が発射されるや一斉に戦車は動き出した。車種は大小様々で十四台。日本人の点々と曲がりくねって進む姿が延々と見えた。戦車は猛然と攻め込み、慌てふためく婦女子の姿と、無情にもキャタビラで巻き上げられる人体がマッチ棒のように小さく見え、戦車は波状攻撃を繰り返しつつ、数台ずつ去って行った」

さらに次のような説明が続く。

「後に葛根廟の浅野隊を襲った戦車隊は、マリノフスキー極東軍司令官が指揮を執るザバイカル方面隊のうち三十九軍狙撃二個師団に属し、ソロン方面を襲った第十二戦車隊の三十台からなる内十四台が、余勢をかってか葛根廟まで逃げまどう浅野隊を追撃した」

以上は興安学友会の会員で現日銀副総裁の藤原作弥氏の『満州、小国民の戦記』からの引用である。



 暑さと空腹と三十時間に近い睡眠不足と疲れに、逃げ込んだ藪の中で銃弾を受けて苦しむ肉親や友人に夢中で縋り付く子供や、友を助けようにも術はなくそのまま眠って終った人が何人もいたのだった。

畑の中の人達は戦車が遠のいても、危険を感じて動くことが出来なかった。暑い日照りはまだ続きただ一心に水が飲みたかった。

「宏生、父ちゃん、何か食べ物を捜してくるからな」

というと畑を出ていった。一人になると今度は母や弟たちが心配になってきた。もしや戦車に踏みにじられたのではないか。

 母ちゃんは美津子を背負い潔の手を引いている。恐らく満ちゃんも共にいたであろう。母は小柄なだけに凄く心配だ。

 あれだけの弾の中で助かるはずがない。母と離れてもそんなに遠くでないはずだ。と自分なりに想像していた。そういえば自分の荷物も気になりだした。

戦車の攻撃中にも拘らず、馬に乗った蒙古人風の男が馬上から熊手を使って荷物を物色し鞍に積んでは去りまた来ては拾い集めるのが見えた。

 ロシア軍の一方的攻撃に、彼等は昨日の彼等ではなく日本人に堂々と反旗をひるがえしてしまっているのだ。

 そうこう考えているうち父が何か持って戻って来た。固い干しパンで皆と一緒に食べ他のおじさんから砂糖と粉ミルクを貰った。

「父ちゃん、母ちゃん達どうしたかなあ」

「うん…恐らく母ちゃんは死んだな」

 父はもう半分諦めていたようだ。父が皆と話始めたので、

「俺荷物ちょっと捜して来るよ」

「うん行ってこい」

初めて畑の外へ出たのが午後の二時を回っていたであろう。ほとんど風のない炎天下だが、キャタビラが掘り起こした後の土がこちこちになりその歩きづらい事、キャタビラの幅は一メートルもありそうだ。

足を取られながら投げ捨てた荷物を捜した。主のない荷物がそこここに投げ捨てられ先ほどの惨状を物語っていた。

自分の外套と風呂敷包みは見つけたが、肝心の銀行関係の書類の方はなくなっていた。恐らくあの馬の男が取ったのだろう。

たまらぬ暑さに、どこかに水のある場所はと回りを眺め、遠くを見渡しても、期待を持てるような窪地も沢らしき物も見えずがっくりして戻った。

(私はしばらくロシアと呼ぶ。なぜなら後に新京に着いても、ロシア兵をロ助と皆が呼び名に使っていたからである)

父は少し背が足りないために召集を免れたらしい。でも十字に弾創帯を掛け、腰に銃剣を下げ銃は三八式の歩兵銃、足にゲートルを巻いて武装した姿は、勇ましく見え頼もしかった。

私は父の後ろを付いて歩きながら周りを眺めていた。畑は蜀黍の種類で稲科の高粱(コーリャン)の畑だ。満人達の主食の一つで実の付かない玉蜀黍に見える。その畑に近くなると道幅も以前よりぐっと広がったようだ。

その時二人は出っ張った山裾を迂回して円を描くように進んでいた。たいして高くない山が幾つも右側に連なって見えていた。私は何気なく左の畑から右の山へと目を移しさらに後方の山の頂きを見やった。その時だった。

時は八月十四日午前十一時頃、太陽の反射でぴかりと光る物を見た。何だあの光は。木のない坊主山なのに予想もしない黒い物体を不思議な面持ちで見つめていたが、何度見直しても戦車の形なのだ。しかも山のてっぺんにと自分の目を疑った。

と次の瞬間静かだった山野をくつがえすがごとく、いきなり天地も揺るがす大音響となった。ごうごうごうと響く連続音に回りの空気が揺らぎ耳の鼓膜は音で塞がれ、何が起きたのかも悟れずただ茫然と立ち竦んでいた。

その時、山の上ばかり気に取られていたその轟音の中、今歩んできた後方より土煙を上げながら突進してくる巨大な戦車の姿が目に映った。

戦車は今にも掴み掛らんばかりの勢いで眼前に迫り、辺り一面ごうごうと響く中で、戦車砲がどかっどかっと火を吹き、ばばばばばと連続音の戦車機関銃も鳴り響き、ぴゅうんぴゅうんと頭上を飛ぶ弾の音にはっと我に返った。

私はいやもう腰を抜かすほどびっくり仰天、肩から荷物を投げ捨てるや、一目散に前へ走り出した。後を振り向くとなんと戦車はさらに近付いている。あんな重い鉄の固まりが私より速いとは予想もしてなかった。

 私の恐怖は絶頂に達し、少しでも身軽になろうと夢中で走りながら外套のボタンを外し脱ぎ捨て、よしこれならと足に力を入れ走り出したその時、強い力で腕を掴まれ引っ張り込まれた。見ると父の引き締まった顔だった。

もう何が何だか解らず父の事をすっかり忘れていた。とっさに自分の身を守ることしか頭になく、ただ真っ直ぐに逃げる事しか考えていなかった。もし父が側にいなかったら戦車の射程距離内へ自分から飛び込んで行ったろう。

「そこに隠れろ!」

押し込められるように飛び込んだ場所は、自然に出来た掘り割れだった。体

を隠すにはもってこいの場所だ。しかし戦車の轟音と乱射される機関銃の音は、止む事なく激しさを増していた。

 頭上を弾が通り過ぎる度に首を縮めた。近くで屋根をたたく雨だれのように鈍く「ぷすっ。ぷすっ。ぷすっぷすっ」と音がしていた。 そうっと頭を上げ山頂を見ると三台の戦車が見え、真ん中に一台、少し後ろに二台。間隔を置いて撃っていた。

 今にも私を踏み潰す勢いで追って来たあの戦車の姿はどこにも見えない。気がつくとさらに上のほうに仲間が四人伏せていた。

敵は攻撃の手を緩めず地上を見る余裕はなかったが、父が側にいる事で少し余裕も出来敵の攻撃もおぼろげに感知できた。あの戦車は既に先に進み後続の戦車が何台かいるようだ。山の対斜面に仲間が三十人位張り付いているのが見えたが、それも一瞬で危なくて頭を長く上げられなかった。父もじっと成り行きを窺っていた。

「宏生、もうここは危ない。出ていくから父ちゃんの後に、同じように付いてこいいいな」

 轟音の中、父の声が小さく聞こえた。

「はいっ」

大きく答えたら少し怖さも薄らいだ。気が付くと近くの人や山の中腹に張り付いていた人達の姿はなかった。

父は掘から出ると銃を片手にほふく前進で道を横断し始め、私も直ぐそれに続く。ぴゅうん、ぷすぷす、ぴゅうん、ごうごうごうごう、ずずーんばばば…さらに大きく銃声音が聞こえ、周りなど見る余裕はなかった。ただただ前だけを睨んで進む。父の目標は高粱畑だった。

すでにキャタビラで崩された地面はでこぼこでその進みずらい事、周りに飛びくる銃弾に頭も上げられず、父とは五メートルぐらい遅れ、必死でなんとか畑に辿り着けた。

 畑に入ると父は待っていたように、

「ここはまだ危険だ、もっと奥へ行こう」

「はい」

と答えて二人は奥へ向かって三、四歩進んだ。とまさにその直前を巨大な戦車が轟音とともに高粱をキャタビラでなぎ倒し背面を通過したのだった。聴きなれないキャタビラの音と途方もないどでかい戦車に二人は棒立ちとなり去り行く後姿を見ていた。

ひゃあーあと二秒遅れていたら下敷きだった。戦車との距離は二メートルと離れていなかった。キャタビラに踏みにじられた高粱は無残にも蛇のように土の中にめりこんでいた。

まだ攻撃は続いていたが敵の姿が見えないので少し気持ちも落ち着き、あの時新田さんに会わなかったら、粉ミルクを貰わなかったら、そして今の間一髪。生と死は紙一重にあるのだとおもった。

父も私が荷物を忘れたために死を逃れたことになる。私たちの行動は敵に見られ的にされていた。

父は高粱の間から戦車のナンバーを手帳に控えていた。私は怖いのでそんな所まで見なかったが、戦車の騒音が下火になった頃父の側へ行って見た。

「戦車十四台、装甲自動車十二台、ロシア兵満載トラック十四台」

と手帳を見ながら一人で呟いていた。耳を澄まし音の方向を探ると、大分遠くに行ったようだ。

 安堵すると共にまた焼け付くような喉の渇きを思い出した。もう何十時間も水にあり付いてないのだ。ふと高粱を見て砂糖黍なら糖分も水分もある、この高粱は砂糖黍に似ているから水分はないのだろうか、と一本折って歯で皮を剥き芯をしゃぶってみた。

 だが期待に反し水分は少しもなかった。ああ水が欲しい水を飲みたい---真昼の太陽は畑の中まで光が射し込み地面も乾いていた。畑の奥には二十人位隠れていたが中の在郷軍人の一人がたまりかねて、

「くそっ何もかも掻き回しやがって、虫けらみたいに!我慢ならん。ぶっぱなしてやる」

 と言って拳銃を戦車の方に向けたが、他の仲間が直ぐ、

「あせるな、なんぼ攻撃をかけた所で相手は鉄板だ!撃ち抜くのは無理だ。様子を見ろ!」

 もう一人の在郷軍人も、

「そうだぞ。ここは我々だけじゃない女、子供もいる。下手に撃てば我々の居場所を知らせるようなものだ」

「本当に悔しいわね。前の方は皆撃たれていたわ」

 他の女の人たちも、

「あたしも見たわ。ばたばた倒れるのを」

「でも大丈夫かしら、ここは」

「大丈夫だ、まあ落ち着け」

助かる道は隠れる事しかなかった。



最初の戦車が攻撃を仕掛けてきた頃、最後尾で指揮を執りながら進んでいた浅野参事官の一行が最初の犠牲者だったといわれる。敵の奇襲攻撃に遭遇した時は五人位で歩いていたらしいのだが、その時の状況を知る人は誰もいない。

馬に跨っていたとも聞くし、銃の先に白シャツを巻きいち早く敵意のない事を示したが敵弾に倒れたとか。またもう一つの説は参事官はハンカチを取り出し、それを振りながら敵に向かって片言のロシア語と日本語で、

「撃たないでくれ」

 と叫んだが、敵はそれを無視して容赦なく攻撃を仕掛けてきたというものである。

 私はどちらかと言うと後者の説ではないかと思う。前者であれば、供の者に命じ敵意のない表明をさせたのはわかるが。もし参事官が馬に乗っていたのなら、急遽馬で危険を知らす事も出来たはずだ。また現地の近くに住む満人からその後聞いた話では最初に発砲したのは日本人との話もある。

日本に帰国後に聞いた情報では、山頂で待機するロシアの戦車部隊を、満服に身を包んだ三人の日本兵が近くで目撃していた。ロシア軍の指揮者は満人と思い込み向こうへ行けと言ったが、その三人は去る振りをして見ていたらしい。

 後年になって判明したその時の日本兵の証言内容はおよそ次の通りである。

「指揮者の拳銃が発射されるや一斉に戦車は動き出した。車種は大小様々で十四台。日本人の点々と曲がりくねって進む姿が延々と見えた。戦車は猛然と攻め込み、慌てふためく婦女子の姿と、無情にもキャタビラで巻き上げられる人体がマッチ棒のように小さく見え、戦車は波状攻撃を繰り返しつつ、数台ずつ去って行った」

さらに次のような説明が続く。

「後に葛根廟の浅野隊を襲った戦車隊は、マリノフスキー極東軍司令官が指揮を執るザバイカル方面隊のうち三十九軍狙撃二個師団に属し、ソロン方面を襲った第十二戦車隊の三十台からなる内十四台が、余勢をかってか葛根廟まで逃げまどう浅野隊を追撃した」

以上は興安学友会の会員で現日銀副総裁の藤原作弥氏の『満州、小国民の戦記』からの引用である。



 暑さと空腹と三十時間に近い睡眠不足と疲れに、逃げ込んだ藪の中で銃弾を受けて苦しむ肉親や友人に夢中で縋り付く子供や、友を助けようにも術はなくそのまま眠って終った人が何人もいたのだった。

畑の中の人達は戦車が遠のいても、危険を感じて動くことが出来なかった。暑い日照りはまだ続きただ一心に水が飲みたかった。

「宏生、父ちゃん、何か食べ物を捜してくるからな」

というと畑を出ていった。一人になると今度は母や弟たちが心配になってきた。もしや戦車に踏みにじられたのではないか。

 母ちゃんは美津子を背負い潔の手を引いている。恐らく満ちゃんも共にいたであろう。母は小柄なだけに凄く心配だ。

 あれだけの弾の中で助かるはずがない。母と離れてもそんなに遠くでないはずだ。と自分なりに想像していた。そういえば自分の荷物も気になりだした。

戦車の攻撃中にも拘らず、馬に乗った蒙古人風の男が馬上から熊手を使って荷物を物色し鞍に積んでは去りまた来ては拾い集めるのが見えた。

 ロシア軍の一方的攻撃に、彼等は昨日の彼等ではなく日本人に堂々と反旗をひるがえしてしまっているのだ。

 そうこう考えているうち父が何か持って戻って来た。固い干しパンで皆と一緒に食べ他のおじさんから砂糖と粉ミルクを貰った。

「父ちゃん、母ちゃん達どうしたかなあ」

「うん…恐らく母ちゃんは死んだな」

 父はもう半分諦めていたようだ。父が皆と話始めたので、

「俺荷物ちょっと捜して来るよ」

「うん行ってこい」

初めて畑の外へ出たのが午後の二時を回っていたであろう。ほとんど風のない炎天下だが、キャタビラが掘り起こした後の土がこちこちになりその歩きづらい事、キャタビラの幅は一メートルもありそうだ。

足を取られながら投げ捨てた荷物を捜した。主のない荷物がそこここに投げ捨てられ先ほどの惨状を物語っていた。

自分の外套と風呂敷包みは見つけたが、肝心の銀行関係の書類の方はなくなっていた。恐らくあの馬の男が取ったのだろう。

たまらぬ暑さに、どこかに水のある場所はと回りを眺め、遠くを見渡しても、期待を持てるような窪地も沢らしき物も見えずがっくりして戻った。

「母ちゃん、美津子は」

「疲れてるんだよ。ずっと負ぶわれ通しだもの、もう口もきかねえし食う力もねえんだから」

「母ちゃん、僕もおなかが空いたよ」

 いつも余り口をきかぬ潔も空腹を訴えてくる。

「お前も腹が減ったろうね」

「うん」

「こんなとこじゃ何もねえし。もう少し我慢するんだよ、みんな腹をすかしてるんだから」

「僕ももう腹ペコだよ。あの山のおむすび持ってくればよかったな」

 と満ちゃんも思い出して残念そう。あの洞穴で食べたおむすびが最後ですでに二十一時間も経過していた。しかも昼夜連続歩き続けだった。

時間が経つに連れ気温はどんどん上がり出す。昨晩一睡もしないで歩いている人達は特に疲れと空腹で、朦朧としながら足を引きずるように歩いていた。

 私は自分の回りの草花や石ころが色々な色彩で出来た落雁のようなお菓子だったらと、そして甘くて美味しい花柄模様のお菓子の家に着き、家の中は何を取ってもお菓子で出来ていて、ぷーんと甘い匂いが漂う…そんな空想に耽っていた。

いつも母の近くにいた私は皆から自然に遅れている事に全然気付かなかった。気がつくといつの間にか山裾から沿道に出て歩いている。

 何の取り柄も無い景色も変わり藪らしき物や遥か先に畑も見えてきた。畑があれば人家も近いはずだ。三十分も歩くと畑もはっきり見え右側は山ばかりだが、左は畑と草原でもなし荒れ地でもない場所になっていた。

太陽の照り返しも強くなる頃、どこからか騎馬の一団が現れ後方から一列に私達と歩調を合わせ、まるで同行でもしているかのように山際を一列励行で馬を進めてきた。彼らは私たちの横から一メートルと離れていなかった。

 帽子や衣装の姿から蒙古人だと直ぐ解った。大人の人達は皆暑さと疲れと空腹で、素姓の解らない奴を見ても疑念も起きないほど疲れ切った表情で歩いていた。

 それを馬上の蒙古人達は、冷ややかな目付きで表情を変えずちらりちらりと見下ろしていた。どの顔も馬賊のような顔立ちできつい目付きの者ばかり、全員弾創帯をたすきに掛け銃を肩から釣っている。

 同じ方向へ同行しているのだが疲れた人達より馬足は速く、じわりじわりと差が付く。私は姿や人数からみて昨日山の上から見た蒙古兵ではないかと思った。

彼等は一癖有りそうな顔で笑顔も見せず、終始無言であった。私は一人の蒙古兵の顔をじっと窺うように見続けていた。ほとんど表情を変えず時々ぎょろりぎょろりと見回す、そのうち私と目が合ったがふっと目を反らせ相手にされない。次の奴は前の奴よりさらに目付きがきつい。突然現れて何が目的なのか、皆武装しているだけに何となく薄気味悪い。別に強硬手段に出るふうはなく、毛むくじゃらな色黒な男が多かった。

 何んとも親しみにくい人相に何やら不吉な予感もして、近くを歩く在郷軍人のおじさんに聞いてみた。

「おじさん、この人等は何者なの?」

「我々の護衛部隊だそうだ」

「へー、変だね、今まで、護衛の話なんてなかったのに」

「誰かに命令されたのだろ」

「そうかなあ、こいつ等昨日…」

「昨日、どうしたんだい」

「ううん、何でもない」

 昨日見たよとは言えなかった。浅野参事官は興蒙対策関係で蒙古びいきだという。そしてロシア語も少し分かるとか。でもおかしいもしこの蒙古兵に参事官が護衛の命令を出したなら、当然昨日のうちに合流しているのが本当なのに。怖い顔をして話もしない護衛兵なんてあるだろうか。

 私は何となく嫌な予感がしていた。興安の町を出た翌日にはもう、そこは暴徒の町と化し数人が早くも惨殺されたというが、その後に聞いた話によると何キロか離れた東京開拓団の約四百名の家族が、ロシア軍か暴徒により攻撃を受け全滅の報が入っていた。

 蒙古兵は隙を狙って危害を加えようとしているのではないのだろうか。浅野参事官はいつも後方から連絡をとってくるのでどんな人物か私は知らない。

 「後方誠に最悪な事態に付き」とは開拓団全滅の報をキャッチしての指令なのか。さらに誰かが連絡しているがごとく偵察機は憎いほど正確に我々の行動を捕らえている。恐らく午後にはまた来るだろう。私は疑心暗鬼になっていた。

 嫌な感じの護衛兵の一団は付かず離れずで約一時間同行していたが、先頭の頭目の手が上に伸び指が回されると馬は速度をあげ先に行ってしまった。

時刻は八月十四日午前十時頃だった。変な一団が現れたお蔭で不信感や警戒心に捕らわれ、母との差が俄然開いた事に気づき私はやや急ぎ出したが、その急ぐ気持ちも五分とは続かず喉の渇きと空腹でうんざり、日は容赦なく照りつけるし地熱でかっかとしていた。別にはぐれた訳でないので自分の歩調で歩く事にした。

 昨日の井戸水を飲んだだけなので、顔だけは火照っているのに汗も出ない。私は幾らかでも寝たからよいが約二十八時間寝ずに歩く人達はこの暑さに脱水状態。睡眠不足に疲労と空腹でまるで地獄をさ迷うとはこの事だろう。まして子連れの人達は哀れとしか言いようがなかった。

私も暑さに酔ったように歩いていたのだが、何か話しながら笑い合う声にふと気付き横を見た。

 こんな地獄にも笑い声があったなんてと見ると、三人の女子の上級生で肩を並べて歩いている。真ん中にいるのは新田さんではないか。町を出て初めて会う知人であった。

前述したが富栄洋行という名の本屋さんの娘で六年生、姉妹が多く皆美人三人とも彼女の同級生で、新田さんはあの倉庫の粉ミルクの缶を抱え歩いていた。三人共しばらくぶりに再会したような様子で仲良くミルクをなめていた。私が見た時彼女もすぐ私を認め、

「あらっ大嶋さんじゃない。貴方も嘗めない?美味しいわよ」

「うん悪いな。僕も赤ちゃんになるか」

「ふふ、本当はお腹が空いて困ってるのでしょう」

「ああ、実はそうなんだ」

 と言いながら片手を出すと、

「両手を出しなさいよ、一杯あるから」

「いやぁ、感謝感激雨あられ」

「アッハハ、調子いいわね。じゃまたね」

「あの子、知っているの」

「ええそうなの。毎月家へ遊びにくる子なの」

 彼女達は話ながら過ぎて行った。私はなめながら歩くが両手の粉ミルクは今にもこぼれそう。どうせなめるなら落ち着こうと近くの土手のような所に腰を下ろし、ミルクをゆっくり味わいながら人の通るのを眺めていた。

 実は生唾が出ないので舌や喉に絡まってしまい、なかなか飲み込めないのである。何年振りかで味わう味だったが砂糖がなくても結構甘いと思った。

過ぎ行く人達を漠然と見ていると、皆薄着になって荷物は諦めたのか小荷物程度で子供を連れて歩く人が目立ち、中にはどこで見つけたのか背丈以上の棒を杖に縋るように歩く姿が印象的だった。

粉ミルクに幾らか満足したが二十八時間の空腹を満たすにはほど遠く、食べたという感覚は全くなかった。ミルクをなめ終わっても直ぐ立つ気になれずしばらくそのまま休んでいたが、人の過ぎるのが疎らになったのに気づき、これはいかんさて行くかと自分に言い聞かせ立ち上がるや急ぎ出した。

 すると随分身が軽くなって元気が出ていたのにびっくりした。ミルクって凄いな。さっきは急ぎたくても力が出ず直ぐ参ったのにたいしたもんだ。

母とは大分遅れているはずだ。一気に追いつくかとふと随分身軽になった体を手探りした。

「あれっ荷物がない、しまった。あそこの休んだ所に忘れてきた」

 私は慌ててしまった。誰かに取られたらそれこそ大変だ。母に、

「どんな事が合っても忘れるんじゃないよ」

 と言われただけに、私は慌てて引き返していた。

ところが、何歩も歩かぬうちに、

「宏生どうした。どこへ行くんだ」

 二日も見ていない父に声を掛けられ、不思議な気持ちだった。

「さっき休んだ所に荷物を忘れちゃった」

「そうか。じゃ父ちゃんはここで待ってるから、早く行って取って来い」

「はい」

父に出会えた事で急に気持ちが楽になった。休んだ所は直ぐ見つかり荷物は無事だった。急いで荷を肩に掛けるや父の所へ急いだ。父は山裾に腰を下ろし旨そうに煙草をふかしていた。

 私は父の煙草の吸い終わるのを待つ積もりで、

「あったよう」

と言い父の横に腰を下ろした。

「父ちゃん、葛根廟ってまだ遠いの?」

「そうだな。父ちゃんも行った事はないが、もうそんなに遠くはないはずだ」

「どっかに水ないかなあ、喉が乾いてからからだよ」

「父ちゃんもだよ」

「母ちゃん、もう何の辺まで行ってるかなあ」

父は答えなかった。

「よし行くか」

 二人は立ち上がり歩き出した。

新田さんから粉ミルクを貰ったり荷物を忘れたりしてもたもたしていた事が、その直後に彼女と私の運命を大きく左右しようとは、その時誰がしっていただろう。

 太陽はすでに真上に移動し、これから起こる惨劇を何も知る事無く進んでいる我々を、容赦なく照らしていた。

チビと別れて私は一番後方を歩いていた。道は曲がりだしチビのいた場所はほとんど見えない。これから先チビは、子供もいてどうやって生きていくのだろう。幾日かは皆の食べ残しがあるからよいけれど。泣くだけ泣いて涙は止まったものの足取りは鉛のように重かった。

 一時間位はチビの事ばかりが頭に浮かんでどこをどう歩いたのか、気づいた時は山と山の間を進んでいた。周りは相も変わらぬ草原ばかり、今日も暑くなりそうだった。

一中隊から七中隊まで編成されてはいたが、女、子供の足ではそれも無意味で徐々に間隔が開いていった。目的地は葛根廟(カッコンビョウ)駅と在郷軍人の話から知ったが、全然地理を知らぬ私はここがどこかも見当がつかず、目的があってないようなものだった。

 知らぬ路ほど遠く感じる事はない。ただ人々の後について道ならぬ道を歩いていたのだった。日差しの強さに道ばたの葉はしおれ熱風が顔面を横切る。山頂に辿り着いた時突然、

「伏せ、伏せろ、身を伏せろ」

と直ぐ近くの在郷軍人の叱咤に私はいつもの偵察機がきたのだと思いながら身を伏せたが、爆音はせず在郷軍人の目は前方の山の下を覗いていた。

一体何が起きたのか。私は頭を上げないように這って行き、下を見下ろすと一本の白い道路が長い尾を引いて見える。

 そこを二台の軍用トラックが左前方に砂煙をあげて走り去るのが見えた。二台ともびっしり兵隊が乗っている。在郷軍人はトラックに狙いを付け様子を見ていたが、砂煙から見えた旗印は何と日本の国旗だった。

在郷軍人はいっぱい食った表情で銃を直し、

「異状無しだ。出発!」

在郷軍人の声に皆やれやれと立ち上がるが暑さにこたえて動作は鈍く、空腹と喉の渇きに幼児達はぐずり出していた。

 おばさん達は自分の子を騙し騙し子供の歩調に合わせて進んでいる状態で、ますます列の間は開き始めた。

少数の在郷軍人は婦女子の誘導に片時も休む事なく前後の警護を続けているが、後方からの悪情報に焦りは隠し切れないようだった。突如現れた軍用トラックの敵味方の区別も付けがたいほど疲れていた。

私はその点熟睡出来たお陰で神経も敏感だった。草の間から見たトラックの型と色は私と小山蓉子さんと野営中の兵隊さんの慰問に行った時見て覚えていた。乗員の戦闘帽を被った後ろ姿は日本人特有の骨格だったし舞い上がる埃の

中でちらっと日本の国旗を見て日本軍だと確信した。

さらに数時間は休息もなく日蔭の無い坊主山を必死に避難民は歩いていた。容赦無く照りつける日差しに荷物を担ぎ老人の手を引き子供を連れてるおばさん達も、疲労の色はは隠せずだんだんいらいらしていた。中には熱を出している子もいたが医者はいないしどうする術もなかった。

 後に母から聞いたが美津子もその一人だった。

「まるで背中にぺたっと張りついたようにぐたーとして、食い物を口に入れてやっても舌で押し出してしまって、もう口も聞けなかったよ」

美津子の容体はその時衰弱の一途だったのだ。ほとんど母と行動を共にしない父だったが、こんな時こそ側にいてやればよいのにと思った。

「しっかり歩きなよこの子は」

 ぴしゃっと音がした。

「何んだい、その顔は。歩かないなら母さん置いて行くよ」

私が見ると一人のおばさんが怖い顔で幼児を睨んでいた。母親に叩かれた幼児は泣けば置いて行かれると思い、必死で泣くのを堪え涙を溜めて歩いていた。

八月十三日、正午はとっくに過ぎていた。

「危ないから、伏せろ」

在郷軍人の声にまたかと思いながら草に伏せ、今度は何だろうと頭を上げて下を見ると騎馬隊の一団である。父の武装と同じに銃を背に弾倉帯をたすきがけにどう見ても満人ではない。

 鍔の無い丸い帽子は蒙古人だと思う。五十騎位固まり私たちと逆の方向に去って行くが誰も上の私達に気付いていないようだ。

騎馬の一団が去った後私達はまた歩き出す。騎馬隊はトラックの通った道路を通っているが、私達はわざと道を避け山を登り下りしているようだ。

 朝からまだ一度も水にありつけず喉を枯らせて歩いていたが、ある山を下りた所に一本の井戸が見え大勢の人が群がっていた。

 皆むさぼるように飲み干している。水を前にして順を待ち、待ちに待ってやっと自分の番になった。汲み立ての水は冷たくて胃に染みるようで、この時ほど水の旨さを感じた事はなかった。

 次から次へと人々が辿り着き皆歓喜の声をあげ喉の渇きを潤し一息付いたが、その休息も長く続かず、追い立てられるようにその場を離れた。側に部落が見えたがここも人の気配がなかった。

老人や幼児達は気の毒なほど疲れが見えだした。かくいう私も子供だが学級一の暴れん坊まだ余裕があった。もっとも私の荷物は着替の風呂敷包みと銀行関係書類の二個だけで、身軽だったのが幸いした。

時間にして三時頃だったと思う。いつものお見舞がやって来た。強い日差しに機体を光らせ悠々二回ばかり旋回すると元来た方向へ去って行った。

「敵機だ、皆伏せて隠れろ」

在郷軍人に言われても隠れる場所はないし、伏せた所で上空からは丸見えだし、一時伏せるのは休息と同じだった。お見舞が去った後は平穏無事だったが、灼熱の太陽に悩まされ続け暑さと空腹でぼやっとして歩いていた。

 母や弟達の近くにいたがいつの間にか自然に別になり神経は麻痺状態で、足をふらつかせ夢遊病者のように歩いていた。町中の人達が歩いているのに、知った友達に一人も会う事がなかった。 

 近くで人がよろけようが、子供がぐずっていようが、弱々しく泣く赤ちゃんの声がしようが、叱咤する母親の声を聞こうが、もうたこに念仏聞く気も見る気もなく、無情の心境で歩き続けていたがやがて太陽が西へ沈み出すと、

「ここはお国の何百里、離れて遠き満洲の、赤い夕日に照らされて」

 という歌詞の通り、その巨大な太陽は一時は疲れも忘れて見入ってしまうほどの美しさだった。その赤い夕日に照らされながら山頂を歩む人々は、切り絵から抜け出たように黒い人影が点々と写し出されていた。

やがてその黒い影も長い尾をひいて夕陽は沈み夕雲だけが赤く照らされる頃には、山裾の蔭も人影も供に暗闇へと溶け込んで行った。

 その後は墨を流したような暗さの中を、時々立っている在郷軍人の声を頼りに黙々と歩くのみだった。

ほとんど休んだ記憶のないまま隊列は乱れに乱れ、延々二キロに及ぶ長蛇の列となった。

「はぐれるなよ」

「頑張れ」

「こっちだ、曲がるんだ」

時折聞こえるのは在郷軍人の声だけで、誰ももう口も聞けないほど疲れ切っていた。さらに数時間気温もぐっと下がった頃、

「さあ、もう少しだ頑張れ」

と言う声にほっとして元気を取り直し少し行くと小さな灯が見えた。ああ着いたんだ…目の前に家の屋根が見え、指示された家に直ぐ入るとすでに部屋には三十人位いた。部屋には一本のろうそくが点されている。

 私は直ぐ土床のアンペラ(中国のござ)の上に荷物を置くと横になった。母を捜す気力もなく、疲れて隣にいるおじさんと二言三言話すのも束の間に寝ついていた。時刻は夜中の十二時ごろ洞穴を出て十六時間の強行軍だった。着いた地名はハヘントボスと後で聞いた。

八月十四日午前三時半頃だった。皆起き出し出発準備に取り掛かっているのに、私はまったく気づかず熟睡していた。

「こらっ起きろ坊や、出発だぞ」

 と揺り起こされ重い瞼を開けるとすでに周りの人は外へ出ている。寝たと思ったら起こされた感じでその眠い事といったらなかった。

もう幾人も残っておらず私は手探りで荷物を引き寄せ肩に掛け、眠さを堪えて外へ出た。何だ外は真っ暗じゃないか、いつもなら八時頃が出発時間なのに、と大いに不満であった。何しろ闇夜で分からないが大勢の人がいる事だけはわかった。

そこへ母や弟達も出て来た。闇の中だが影の形で直ぐ分かった。潔はまだ眠り歩きだ。よく見ると家の外壁に遅れて来た人達が大勢寄り掛かっている。

ふらふら歩いて出て来る人達は、ほとんど寝ていないか着いたばかりのようだ。先頭とは四時間も差が開いた事になるが後方からの連絡で

「後方誠に最悪な事態に付き、即時出発せよ」

 と浅野参事官より指令が出されていたのだ。私は三時間半でも寝られただけよかった。

この部落で初めて馬車一台が調達でき老人と幼児と食料を積み先発したと聞く。何しろ朝には相違ないが、冷やっとした空気が顔を撫でるだけで暗い事この上なく、顔の前にさっと手を出されても見えぬほど暗かった。一寸先は闇とはこの事だと思った。

 外套を着ているので寒くはないが冷やっとした空気の中で、人影を頼りに歩いているので自然に眠気も覚め気も引き締まってきた。

人の話声は殆ど聞けず足音だけがささささと夜道に響く。皆遅れまいと黙々と歩き続けていた。やっと東の空が白くなるのを見て、ああやっと朝が来るんだなと思いながら歩く。

次第に明るさが増してくると朝の清々しさに一時的ではあるが気が晴れる。我々はその時平坦な場所を歩いていた。どうやら山の間の麓を歩き続けていたようだ。

チ ビ と の 別 れ

婦人会の人たちは忙しそう立ち回っていたが朝食にはまだ間がありそうだった。また探検でもするか。とふとこの裏山には何があるのか気になった。

「おい、誰かこの裏山に行ってみないか」

「何かあるのか」

「わからん。探検だから」

「よしいいだろう。行ってみよう。」

 仲間は四人で裏山に登り始めた。その山の麓にも一本柳の木がぽつんと生えている。山の中腹に珍しい大石が今にも転げ落ちそうに突き出ていた。

「うわーでっかい石だな」

「危ないぞ」

私は、自分が誘ってもしもの事があったら困るのでちょっと慎重になった。

「びくともしないぞ。見ろ真下は砂肌になってる」

「本当だ、石の下から水が湧くのかな、石にコケまで生えてるぜ」

「夏だというのにな。それにこの石何百年も立っているな、きっと」

「うん、恐らく俺達が最初に出会った人間かもな」

 坊主山に突き出た大石は,お山の大将われ一人といわんばかりに山々を見渡していた。

「あっ、飯だ。飯がきているぞ」

 それと四人は一斉に走り出し私はまた要領よく二人のおばさんからお結びを貰いチビを捜した。

「チビ、チビ」

 おかしいないつも呼べば直ぐ来るのに。まあいいや、先ず食べる事だ。

用が済んだのかおばさん達や母も戻って来た。

「母ちゃん、美津子は」

「ああ、頼んであるんだよ」

昨日は皆が空腹だったが、今朝は塩だけのお結びに飽きたのかあっちこっちに食べ残しが捨てられ、青い草の中に白い花が咲いたようだった。勿体ないな配給だと言うのに。そこへ満ちゃんが来て、

「宏ちゃん、チビに小犬が生まれたよ」

「ええっ、本当かどこに?」

「こっちだよ来てみな。僕がチビにお結びやろうと思って捜したんだ。そうしたらほら、ここだよ」

 動物の本能とでもいうのか、人にはちょっと気づかれない草の生え茂った場所にチビはいた。

「俺もチビチビって呼んだけど。ここにいたのか」

 私は腰を屈み、

「お前、赤ちゃん産んだのか」

 と頭を撫でてやるが、チビはお愛想にちょっと尻尾を振るだけで生まれた三匹の子犬の体と自分の体をなめて清める事に余念がなく、私たちの相手にはなれないといわんばかりだった。

「チビのお腹の大きかったの。満ちゃん知ってたか?」

「いや、全然気が付かなかったよ。いつも一緒に遊んでいたのに」

「だよな」

今日は八月十三日、町を出て同じウラハタの二ヵ所で二夜明かした事になる。私は流れて姿を変えていく雲を見るのがだいすきだった。山になり川になりさらに雲の渦から動物の姿を捕らえる。それが変わると巨大な人物の顔に見えたりする。

そういえば、私達の担任の田村先生は今どこにおられるやら、召集されて以来何の音沙汰もない。学友で協力して千人針を作って上げたっけ。

一級上の福岡先生と蓉子ちゃんの父小山校長先生はここにいらっしゃる。田村先生も召集がなければ私達と共に行動していたろう。そして色々な話が出来たのに、教壇に立った時の眼鏡ごしの目は、爛々としていた。黒板に字を書きなぐり鼻をこする。授業が終わると鼻の下はチョークの粉で白ひげとなり皆に笑われた。

先生は日本の師範学校を卒業するとすぐに私達を受け持ち、私達が最初の教え子だったという。だから満語は全然駄目だった。

 二年から五年まで持ち上げ式で色々な事があった。二十歳そこそこの若さもあってある日の事思い違いをした。宮という他所からの編入生の母親がやたらとおべっかいを使う。そんな宮を私は嫌いだった。授業が終わり自分達の靴を、靴箱から出していた時、一人の学友が、

「俺の靴がない」

 と騒ぎだした。悪戯である事は一目瞭然だった。互いに探るような眼差しでいた時、誰が知らせたのか田村先生がやってきて、事が大きくなってしまった。

「誰が靴を隠した。正直に答えろ!」

 その怒声に皆しーんとなり体が固くなってしまった。先生が怒り出すと凄く怖いのだ。

「貴様等はそれでも日本男子か。卑怯者正直に答えろ!」

 ぎょろりと眼鏡ごしににらまれると身の気がよだつ。

「田中、お前か?」

「はい、違います」

「山田、貴様か?」

「違います」

「宮、お前か」

「はい、僕ではありません」

「じゃ誰なんだ」

「大嶋です」

 私は晴天の霹靂。弁解の余地すら与えられず先生は真っ赤になって私の前にくるや、

「貴様、見損なったぞ」

 怒声と共に平手が飛んできた。不意を突かれた私は煽を食らってその場に倒れてしまった。皆の目は一斉に私に注がれていた。

「立てっ」

 私は直ぐ直立不動になった。途端に往復ビンタが見舞われよろける所を足払いまで食らい、目から火花が飛んで意識は朦朧、皆の顔がぼやっと見え何人かの女生徒の顔もみえた。「立てっ」その声に意識は戻ったが、また往復ピンタ。もう情けないやら悔しいやら恥ずかしいやら。

私は胸が張りさけるような気持ちで家に戻ったが、家に着いたとき暴れ者で通っているわたしは、母にまた何か言われるかなと思ったが、自分が悪い事をした訳でなしと思い直し家に入った。

母は私の顔を見るなり、

「お前どうしたんだい、その顔は?」

 自分でも気が付かぬほど腫れ上がっていたのだ。聞かれた途端悔しさが込み上げ、涙がぽろぽろと流れ出した。

「先生に叩かれたんだ。俺は何もしていないのに」

「何もしていない者が、何で叩かれるんだい」

「母ちゃん、俺は本当に何もしないものはしないんだ。宮が友達の靴を隠して俺になすり付けた。俺は…皆の前で叩かれて、俺は…俺は…悔しいよ」

「だったら何で先生に早く違いますって言わねんだい」

「先生はほかの奴には聞いたのに、俺には何も聞かないうちに叩かれてしまったんだ」

「そんな馬鹿な事ってあるかね」

 母はその場で先生の宿舎へ乗り込んで行った。私は意地張りの悪戯好きだが、嘘は付かないのを母も承知していた。

 母が先生の部屋に入るのを見計らって私は窓下に回った。

「信夫さん、うちの子が本当にやったというなら、あたしは何も言わないがね。良く調べもしないで、皆の前で叩かれる子供の事も考えて見なさいよ…」

母は先生を信夫と呼び弟のように可愛がっていたのだ。結局、母の強い抗議に先生は謝っていた。

また、四年生の夏休みの時だった。全員そろって朝鮮部落へハイキングに行く途中満人に出会い、あと何キロあるか聞いてみろと先生にいわれ、何里あるのかと聞けなくて恥を掻いた。級友の笠松英子ちゃんが聞いてくれ満語が上手なので感心してしまった。

 部落に着いて朝鮮人からゆぜ立ての玉蜀黍を出して貰ったり、釣りを楽しんだり、私は初めて話に聞く蒲の穂を見つけ大喜びで、母の土産にもって帰った。

その帰り道に先生と一緒にスイカ泥棒に潜り込み、地主に見つかりわっと逃げ帰ったが、スイカは十五個もあり先生の部屋で全員語りながら食べた楽しい一日だった。

 八月十三日午前八時を過ぎた頃、出発の指令が回ってきた。

「宏生、お前この二つの荷物を持っとくれ。その小さい方は大事なものだから、何があっても忘れるんじゃないよ」

私は二個の荷物を受け取ると両方を縛り、弥次喜多のように前後にぶら下げる事にした。母は美津子を背負うと先に壕を出ていった。父が折角持ってきたトランクはまたここに捨てらてしまった。

「さあチビ行くぞ」

穴の中や出入口の付近には諦めらめて捨てられた荷物が散乱し、数人が表にいるだけで穴の中はもう誰もいなくなり、元の静けさに戻ろうとしていた。

「チビ、チビったら、何をしてるんだ」

 本当に皆行ってしまうのに、と私は気を揉みだした時、

「あっそうだチビに子供がいたんだっけ」

と、すっかり忘れていた私はチビの所へ行き頭を撫でてやりながら、

「ほら皆行ったぞ行くぞチビ」

 チビは嬉しそうに尾を振るが、チビの様子の違うのに私は全く気がつかなかった。

「ほらチビったら」

 チビは尾を振っては夢中で自分の子をなめ回し、何かを訴えるような目で見るのだが、私は呼べばチビはくるものだとばかり思っていた。山にはもう三人しかいなかった。行く振りをすると何歩か付いて来るが直ぐ子供の所へ引き返す。

「チビ、ほら皆行ってしまったぞ。本当に俺行くぞ」

「若い私のご主人様。私にも可愛い子供が生まれました。私も大事な皆さんと一緒に行きたいのです。でも私の大事な子供を置いて行けないのです」

と、チビの大きな目に涙が潤んだようだった。生まれたばかりの子犬に触っては駄目だと思っていた。しかしただ一心にチビだけは連れて行かないとと思う心と、みんなに置いて行かれる不安に板挟みになっていた。

もうこれ以上は待てないと考え仕方なく少し山を下り、声を掛けた。

「チビ?」

 降り口を見て待つが付いて来ない。

「チビ!」

 今度は姿を見せた。私と子犬と両方を見てチビは凄く迷っているようだ。

「若い私のご主人様、ごめんなさい。私はもう諦めるしかありません。子供のためにこれ以上私を責めないで…」

と訴えるような眼で私を見てチビの姿は消えてしまった。私は本当にこない積もりなのかと思うと、とめどなく涙が流れ出し止まらなくなった。

少し離れて呼んだら、もしやと思い直し大声で泣きながら叫んだ。

「チビ!チビ!」

 私のあまりの悲しみの声にチビは姿を見せ、山の中腹まで下りてきたがまた山を駆け登ってしまう。

「来いチビ、ここまで来いよ」

 チビはクンクン泣きながら、登り切った草の蔭で見ていたがまた姿を消した。私と弟は最後の大声で、

「チビーッ…」

チビはもう一度姿を見せ、

「ウオーン、ウオーン」

 最後に遠吠えをすると二度と姿は見せなかった。山は何もなかったようにしーんと静まっていたが、洞穴の淵の草藪が風に波打ち私達を見据えているようにみえた。

 それでもチビの姿を期待して、涙にむせび何度も振り返り洞穴を後にしていた。思えば思うほど悲しみとなり泣き続けて歩いた。あれほど俺達と一心同体で暮らしたのに馬鹿だよお前は、もう誰もいないのだぞ。


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