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(私はしばらくロシアと呼ぶ。なぜなら後に新京に着いても、ロシア兵をロ助と皆が呼び名に使っていたからである)
父は少し背が足りないために召集を免れたらしい。でも十字に弾創帯を掛け、腰に銃剣を下げ銃は三八式の歩兵銃、足にゲートルを巻いて武装した姿は、勇ましく見え頼もしかった。
私は父の後ろを付いて歩きながら周りを眺めていた。畑は蜀黍の種類で稲科の高粱(コーリャン)の畑だ。満人達の主食の一つで実の付かない玉蜀黍に見える。その畑に近くなると道幅も以前よりぐっと広がったようだ。
その時二人は出っ張った山裾を迂回して円を描くように進んでいた。たいして高くない山が幾つも右側に連なって見えていた。私は何気なく左の畑から右の山へと目を移しさらに後方の山の頂きを見やった。その時だった。
時は八月十四日午前十一時頃、太陽の反射でぴかりと光る物を見た。何だあの光は。木のない坊主山なのに予想もしない黒い物体を不思議な面持ちで見つめていたが、何度見直しても戦車の形なのだ。しかも山のてっぺんにと自分の目を疑った。
と次の瞬間静かだった山野をくつがえすがごとく、いきなり天地も揺るがす大音響となった。ごうごうごうと響く連続音に回りの空気が揺らぎ耳の鼓膜は音で塞がれ、何が起きたのかも悟れずただ茫然と立ち竦んでいた。
その時、山の上ばかり気に取られていたその轟音の中、今歩んできた後方より土煙を上げながら突進してくる巨大な戦車の姿が目に映った。
戦車は今にも掴み掛らんばかりの勢いで眼前に迫り、辺り一面ごうごうと響く中で、戦車砲がどかっどかっと火を吹き、ばばばばばと連続音の戦車機関銃も鳴り響き、ぴゅうんぴゅうんと頭上を飛ぶ弾の音にはっと我に返った。
私はいやもう腰を抜かすほどびっくり仰天、肩から荷物を投げ捨てるや、一目散に前へ走り出した。後を振り向くとなんと戦車はさらに近付いている。あんな重い鉄の固まりが私より速いとは予想もしてなかった。
私の恐怖は絶頂に達し、少しでも身軽になろうと夢中で走りながら外套のボタンを外し脱ぎ捨て、よしこれならと足に力を入れ走り出したその時、強い力で腕を掴まれ引っ張り込まれた。見ると父の引き締まった顔だった。
もう何が何だか解らず父の事をすっかり忘れていた。とっさに自分の身を守ることしか頭になく、ただ真っ直ぐに逃げる事しか考えていなかった。もし父が側にいなかったら戦車の射程距離内へ自分から飛び込んで行ったろう。
「そこに隠れろ!」
押し込められるように飛び込んだ場所は、自然に出来た掘り割れだった。体
を隠すにはもってこいの場所だ。しかし戦車の轟音と乱射される機関銃の音は、止む事なく激しさを増していた。
頭上を弾が通り過ぎる度に首を縮めた。近くで屋根をたたく雨だれのように鈍く「ぷすっ。ぷすっ。ぷすっぷすっ」と音がしていた。 そうっと頭を上げ山頂を見ると三台の戦車が見え、真ん中に一台、少し後ろに二台。間隔を置いて撃っていた。
今にも私を踏み潰す勢いで追って来たあの戦車の姿はどこにも見えない。気がつくとさらに上のほうに仲間が四人伏せていた。
敵は攻撃の手を緩めず地上を見る余裕はなかったが、父が側にいる事で少し余裕も出来敵の攻撃もおぼろげに感知できた。あの戦車は既に先に進み後続の戦車が何台かいるようだ。山の対斜面に仲間が三十人位張り付いているのが見えたが、それも一瞬で危なくて頭を長く上げられなかった。父もじっと成り行きを窺っていた。
「宏生、もうここは危ない。出ていくから父ちゃんの後に、同じように付いてこいいいな」
轟音の中、父の声が小さく聞こえた。
「はいっ」
大きく答えたら少し怖さも薄らいだ。気が付くと近くの人や山の中腹に張り付いていた人達の姿はなかった。
父は掘から出ると銃を片手にほふく前進で道を横断し始め、私も直ぐそれに続く。ぴゅうん、ぷすぷす、ぴゅうん、ごうごうごうごう、ずずーんばばば…さらに大きく銃声音が聞こえ、周りなど見る余裕はなかった。ただただ前だけを睨んで進む。父の目標は高粱畑だった。
すでにキャタビラで崩された地面はでこぼこでその進みずらい事、周りに飛びくる銃弾に頭も上げられず、父とは五メートルぐらい遅れ、必死でなんとか畑に辿り着けた。
畑に入ると父は待っていたように、
「ここはまだ危険だ、もっと奥へ行こう」
「はい」
と答えて二人は奥へ向かって三、四歩進んだ。とまさにその直前を巨大な戦車が轟音とともに高粱をキャタビラでなぎ倒し背面を通過したのだった。聴きなれないキャタビラの音と途方もないどでかい戦車に二人は棒立ちとなり去り行く後姿を見ていた。
ひゃあーあと二秒遅れていたら下敷きだった。戦車との距離は二メートルと離れていなかった。キャタビラに踏みにじられた高粱は無残にも蛇のように土の中にめりこんでいた。
まだ攻撃は続いていたが敵の姿が見えないので少し気持ちも落ち着き、あの時新田さんに会わなかったら、粉ミルクを貰わなかったら、そして今の間一髪。生と死は紙一重にあるのだとおもった。
父も私が荷物を忘れたために死を逃れたことになる。私たちの行動は敵に見られ的にされていた。
父は高粱の間から戦車のナンバーを手帳に控えていた。私は怖いのでそんな所まで見なかったが、戦車の騒音が下火になった頃父の側へ行って見た。
「戦車十四台、装甲自動車十二台、ロシア兵満載トラック十四台」
と手帳を見ながら一人で呟いていた。耳を澄まし音の方向を探ると、大分遠くに行ったようだ。
安堵すると共にまた焼け付くような喉の渇きを思い出した。もう何十時間も水にあり付いてないのだ。ふと高粱を見て砂糖黍なら糖分も水分もある、この高粱は砂糖黍に似ているから水分はないのだろうか、と一本折って歯で皮を剥き芯をしゃぶってみた。
だが期待に反し水分は少しもなかった。ああ水が欲しい水を飲みたい---真昼の太陽は畑の中まで光が射し込み地面も乾いていた。畑の奥には二十人位隠れていたが中の在郷軍人の一人がたまりかねて、
「くそっ何もかも掻き回しやがって、虫けらみたいに!我慢ならん。ぶっぱなしてやる」
と言って拳銃を戦車の方に向けたが、他の仲間が直ぐ、
「あせるな、なんぼ攻撃をかけた所で相手は鉄板だ!撃ち抜くのは無理だ。様子を見ろ!」
もう一人の在郷軍人も、
「そうだぞ。ここは我々だけじゃない女、子供もいる。下手に撃てば我々の居場所を知らせるようなものだ」
「本当に悔しいわね。前の方は皆撃たれていたわ」
他の女の人たちも、
「あたしも見たわ。ばたばた倒れるのを」
「でも大丈夫かしら、ここは」
「大丈夫だ、まあ落ち着け」
助かる道は隠れる事しかなかった。
最初の戦車が攻撃を仕掛けてきた頃、最後尾で指揮を執りながら進んでいた浅野参事官の一行が最初の犠牲者だったといわれる。敵の奇襲攻撃に遭遇した時は五人位で歩いていたらしいのだが、その時の状況を知る人は誰もいない。
馬に跨っていたとも聞くし、銃の先に白シャツを巻きいち早く敵意のない事を示したが敵弾に倒れたとか。またもう一つの説は参事官はハンカチを取り出し、それを振りながら敵に向かって片言のロシア語と日本語で、
「撃たないでくれ」
と叫んだが、敵はそれを無視して容赦なく攻撃を仕掛けてきたというものである。
私はどちらかと言うと後者の説ではないかと思う。前者であれば、供の者に命じ敵意のない表明をさせたのはわかるが。もし参事官が馬に乗っていたのなら、急遽馬で危険を知らす事も出来たはずだ。また現地の近くに住む満人からその後聞いた話では最初に発砲したのは日本人との話もある。
日本に帰国後に聞いた情報では、山頂で待機するロシアの戦車部隊を、満服に身を包んだ三人の日本兵が近くで目撃していた。ロシア軍の指揮者は満人と思い込み向こうへ行けと言ったが、その三人は去る振りをして見ていたらしい。
後年になって判明したその時の日本兵の証言内容はおよそ次の通りである。
「指揮者の拳銃が発射されるや一斉に戦車は動き出した。車種は大小様々で十四台。日本人の点々と曲がりくねって進む姿が延々と見えた。戦車は猛然と攻め込み、慌てふためく婦女子の姿と、無情にもキャタビラで巻き上げられる人体がマッチ棒のように小さく見え、戦車は波状攻撃を繰り返しつつ、数台ずつ去って行った」
さらに次のような説明が続く。
「後に葛根廟の浅野隊を襲った戦車隊は、マリノフスキー極東軍司令官が指揮を執るザバイカル方面隊のうち三十九軍狙撃二個師団に属し、ソロン方面を襲った第十二戦車隊の三十台からなる内十四台が、余勢をかってか葛根廟まで逃げまどう浅野隊を追撃した」
以上は興安学友会の会員で現日銀副総裁の藤原作弥氏の『満州、小国民の戦記』からの引用である。
暑さと空腹と三十時間に近い睡眠不足と疲れに、逃げ込んだ藪の中で銃弾を受けて苦しむ肉親や友人に夢中で縋り付く子供や、友を助けようにも術はなくそのまま眠って終った人が何人もいたのだった。
畑の中の人達は戦車が遠のいても、危険を感じて動くことが出来なかった。暑い日照りはまだ続きただ一心に水が飲みたかった。
「宏生、父ちゃん、何か食べ物を捜してくるからな」
というと畑を出ていった。一人になると今度は母や弟たちが心配になってきた。もしや戦車に踏みにじられたのではないか。
母ちゃんは美津子を背負い潔の手を引いている。恐らく満ちゃんも共にいたであろう。母は小柄なだけに凄く心配だ。
あれだけの弾の中で助かるはずがない。母と離れてもそんなに遠くでないはずだ。と自分なりに想像していた。そういえば自分の荷物も気になりだした。
戦車の攻撃中にも拘らず、馬に乗った蒙古人風の男が馬上から熊手を使って荷物を物色し鞍に積んでは去りまた来ては拾い集めるのが見えた。
ロシア軍の一方的攻撃に、彼等は昨日の彼等ではなく日本人に堂々と反旗をひるがえしてしまっているのだ。
そうこう考えているうち父が何か持って戻って来た。固い干しパンで皆と一緒に食べ他のおじさんから砂糖と粉ミルクを貰った。
「父ちゃん、母ちゃん達どうしたかなあ」
「うん…恐らく母ちゃんは死んだな」
父はもう半分諦めていたようだ。父が皆と話始めたので、
「俺荷物ちょっと捜して来るよ」
「うん行ってこい」
初めて畑の外へ出たのが午後の二時を回っていたであろう。ほとんど風のない炎天下だが、キャタビラが掘り起こした後の土がこちこちになりその歩きづらい事、キャタビラの幅は一メートルもありそうだ。
足を取られながら投げ捨てた荷物を捜した。主のない荷物がそこここに投げ捨てられ先ほどの惨状を物語っていた。
自分の外套と風呂敷包みは見つけたが、肝心の銀行関係の書類の方はなくなっていた。恐らくあの馬の男が取ったのだろう。
たまらぬ暑さに、どこかに水のある場所はと回りを眺め、遠くを見渡しても、期待を持てるような窪地も沢らしき物も見えずがっくりして戻った。
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