発足 共和 岩内 北海道 日本

画像と徒然文のブログです。よろしければ、画像一覧をクリックして写真だけでも覗いて見てください。

全体表示

[ リスト ]

日本共産党と自分。

日本共産党と自分と言う題で、このあと幾つか投稿を続けたと思います。
ヤフーの共産党についての掲示板に、matibitott2004と言う名前で投稿を続けてきた。

『日本共産党は結社です。』
憲法にそう書いてあります。
それで、もう終わったような気がしていました。

そこで、今度は
『自分と日本共産党』の関係を書いてみようと思いました。
徒然なるままの日本共産党史です。

(1)働くと言う事;大学紛争までの自分と日本共産党。
○四国で生活していた時ですから、9歳以前の事です。父親の本棚に『赤本』があったのを覚えています。サラリーマンの次男ですから、大人になるために、豊かな仕事と社会につくせる仕事につかなければならないと両親は考えたようで、約束(時間についての)を守る事。みんなとの予定に従う行動から逃げてはいけないと教えられました。事情があり、姉と一緒に通った幼稚園で、姉が卒園したあと、自分の周りは同年齢の者ばかりとなり、1年前とちがって寂しい思いをしたのでしょう。その時、母親に躾けられた事が自分の一番の思い出です。

○『働かざる者、食うべからず』『職業に貴賎はない』『天上天下唯我独尊』等、高校を卒業する頃には、同年代のみんなと同じような考えで、大学に進学しました。それから、高校での自分を一番感じたのは、他のクラス担任から『君がこの学年の中で、一番高校生らしい高校生だ』と評価された事です。それから、中学では『生物クラブ』に属し、そこでの楽しさも自分を作っていったような気がします。

○大学進学は昭和42年。1967年でした。ごく普通の大学生です。マージャン、パチンコ、トリスバーの時代です。結局大学院進学をあきらめ『恋が原因です』、施設に勤める事になりましたが、その大学で日本共産党との歴史が始まったようです。1967年、大学紛争が火をあげた年のように思います。お決まりの波は全国に、自分も同じクラスの友人に誘われて細胞での学習に参加する事にしました。その夜で、自分の日本共産党との亀裂は生まれたように思います。『誰にも、つけられなかったか?』この一言に、少しの幻滅を自分はそのとき感じたのです。『俺は、泥棒でも、火付け強盗でもない。ウルトラマンでも、スーパーマンでも、少年ジェットでもない、普通の大学生だ』そんな思いが、幻滅の理由でした。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事