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8月21日;光=夕陽を撮る。
焦点を∞に合わせず、太陽をぼかして撮りました。
実際は、・・・・。我が家の前での撮影。サクランボの枝の間で陽が落ちようとしています。
8月21日18時11分。
林の木の葉の照り返しが陽の影を作りました。
サクランボの枝を避けて高圧線鉄塔の後ろに落ちて行く夕陽を撮りました。
光りの干渉作用で、鉄塔の下部がが消えています。無くなった訳ではありません。光の干渉により、見えなくなってしまっただけです。
ようよう白くなる山際。
この清少納言の言葉が僕は大好きです。
ようよう赤味を増し続ける山際。この後、更に朱色をますのでしょうか?
それとも、唯、唯、黄昏てゆくのでしょうか?
あまりに遥を見ていたので僕は、近傍、足下を改めて見たくなりました。
足下には多様な命が息づいています。
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恵子ちゃんの事思い出しましたぁ
2015/8/27(木) 午後 8:23 [ あっぷる ]
> あっぷるさん
黄昏については多くのミュージッシャンが様々な思いを歌っていますね。
黄昏に導かれる想い。
実は人それぞれ。
自分は、黄昏を前にすると哀しくなってしまいます。
黄昏、夜の帳。やがで深い眠り。
はたして深い眠りに落ちる自分に明日はあるのだろうか?
そんな不明の中で、眠りに付かざるを得ない自分。
自分が哲学的な命題の中で、苦吟したのは小学6年生の頃。
『眠ってしまった自分の脳天を直撃する流れ星があったら、自分ただ一人死に、朝の活動の時の中で両親、兄弟は何を思うのだろ』
そう考え、自分はなかなか寝付けない、そんな小学6年生でした。
黄昏は良い。
すべて、あらゆる存在と言う存在がそれぞれの黄昏を迎える。
ただ、ただ、それだけの事なのですね!
2015/8/30(日) 午後 8:45