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10月15日No2;神仙沼紀行。先日通行止めになった神仙沼、除雪車が入り又開かれました。
そこで神仙沼に入ります。
No2は水面を撮った写真です。
秋の空は青味をまし、白い雲は益々白く輝きながら映ります。
高地の風は休むことなく流れています。上空の雲も流れ、水面の漣が静かに静かに動いて行きます。
さざ波の中で松の黒い陰と雲の白い輝きが揺らいでいます。
さざ波はsin波、cosin波。
波がプリズムの役をするのデショウカ?
光りの分光でしょうか?
白い雲の陰に赤味がさしたように僕には見えました。
水面の赤味は木の葉の陰なのでしょうか?
対岸の実像と水面の虚像を撮りました。
さざ波で揺らぐ虚像は虚像の虚像。虚像の二乗なのでしょう。
神仙沼も湿原もチセヌプリ北斜面の窪地。
この地形は何度か繰り返されたチセヌプリの噴火、最後の噴火以降の雨や雪(即ち水)と風(即ち気化水)の歴史なのでしょう。
湿原内の小さな溜りに白樺の白い幹が陰を落としていました。白樺の枝のその枝先はまだ白い皮を纏う事が出来ていません。
そこで、水面には枝先は陰を落とす事が出来ないようです。
小さな小さな溜りに映る白雲を撮りました。萱草のそれは細い陰が映りそれにピントをとりました。
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10月15日;神仙沼紀行;NHKの取材班が入っていました。ずうずうしく質問。『明日午後6時10分からのニュースに流す』と教えてくれました。
神仙沼の動画で何を流すのでしょう?
明日のニュースが楽しみです。今日の写真は秋の紅葉と冠雪です。
ニセコパノラマラインゴミ処理場手前の松林の中に蔦漆の紅葉を発見しました。
今秋のゆるかった冷え込みが雪を伴った寒気。そこで、低地の蔦漆が発色したようです。
今秋は紅葉よりも黄葉。きっと赤の色付きには日照時間が必要なのではないでしょうか?
今秋の長雨、日照不足はハウス内のトマトの色付きにも影響は大。赤よりも黄のトマトの方が色づいています。
目国内岳の崖崩れ斜面に雪がつきました。
その下の森は谷合に形成された自然林。ナナカマドの赤や、ダケカンバの黄が散見dきます。
谷合に吹く風は尾根筋よりも弱く、それで落葉が遅れ秋の色付きが再現されるのでしょう。
パノラマラインの左下の谷に光が入りました。秋の色付きが輝きました。
パノラマラインの閉鎖期間は2日?それとも3日?
今朝8時に又開通しました。もう神仙沼紀行はないかもしれないと思っていた自分。
早速昼、時間がとれたので神仙沼に入りました。
湿原には雪がついています。萱草が薄く地面がでかかっているところの雪が消えずに残っていました。
木道上の雪は踏みつけられシャーベット状。靴に水が浸みました。長靴を持参しなかった自分。こんなに雪が残っていると予想できなかった自分。
反省します。
神仙沼は小さな湿原と小さな沼。
神仙沼に落ちた風は巻ます。
風は巻き萱草をなぎ倒します。そのなぎ倒された萱草の上に雪は積ります。
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自分がカメラを向ける時、輝きを確かめたくてカメラを手にしている。 そう思いました。
自分がカメラを向ける時、輝きを確かめたくてカメラを手にしている。
そう思いました。
水面に流れた塵芥の輝きを撮りました。
湿原で実入り済ませた萱の実の輝く様を撮りました。
久しぶりの秋晴れの中、15時19分。45度の陽の中ではありとあらゆる存在が輝いていました。
空も、水面も、枯れた萱も!
全て存在する物は適時の光を受け輝くものなのです。
貴方も、私も。全てのありとあらゆる全てが!
ゲーテの臨終の言葉;1830年、一人息子アウグストに先立たれる。ゲーテは死の直前まで『ファウスト』第2部の完成に精力を注ぎ、完成の翌1832年3月22日にその多産な生涯を終えた。「もっと光を!(Mehr Licht!)」が最後の言葉と伝えられている。
水面に逆転して映った枯萱の輝き。
死に至る一時のミツガシワと水草の輝きを撮りました。
温暖化・乾燥化する池塘沼を見る(確かめる)ため、僕は300㎜ズームで対岸で頭を出した岩を撮ります。
乾いて輝く岩頭と水没期間が長く多く、植物相が想定される黒っぽい水の輝きと。
僕は二つの輝きを見ました。
陽を受けて輝く枯萱の中に、踏み入れてはならないと表示された木道の外地の塩ビ管を撮りました。池塘の成長を確かめるため地質学者か管轄する営林署が埋めたものではないでしょうか?
その塩ビ管の周囲に闇の輝きがあるように自分は思いました。
僕は輝きの実相・本質を知りたいのに違いない。
それゆえにカメラを向けるのに違いない。
・・・・・・そうして『輝き』とは何か?
『我々は、何を輝いていると記憶するのか、認識するのか』
と
僕は又考えます。
輝くとは何か(どのようなことなのか)
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10月7日神仙沼紀行。そこで写真を撮る。
自分は見る事がすきだ。「見る事は自分で考える事のはじまりだ」と思っている。
写真を撮りながら、『何を見たい・何を記憶したい・何を知りたかったのか』そんな事を考える。
かって神仙沼紀行で写真を撮っていると何を撮っているのと聞かれると、当時は『風を撮りたい』と答えていました。
10月7日。思いつくまま写真を撮った。
そうして写真を整理しながら、自分は何をと考えた。
そう自分は輝きを撮っていたようです。
水面に落ちた白樺の白い幹はその輝を増す。
水面の揺らぎは鏡面の輝きと曲面の輝きを生む。
友人が来ましたので後で次を書きます。
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神仙沼紀行10月7日;色とは何か?
光りの当たり具合によって変化する色。そんな色を知った僕は、色とは何かと自問し、「色とは記憶である」と自答する事にした。
10月7日自然を撮りながら、僕は又『色とは何か?」と自問して、……「色とは輝く記憶」と言った方がより適切な気がした。
パノラマラインの斜面に生えた白樺の光と陰。
エゾノ根菊のアントシアニンと水滴の輝き。
イヌツゲの実の輝き。
水面に生えるダケカンバの輝き。
水面の漣は空の色を映して青く輝く。
陽を受けてミツガシワの枯葉は輝き。水面の塵芥も白く輝く。
小さな小さな光に目を近づけすぐると光の玉が網膜に映える。
水の底では光を受け続けた水草が枯葉色に輝きていた。
色は輝きの記憶と言えるかもしれない。
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