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書庫歴史徒然

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《日本古代王族の婚姻系譜》
柿本一征(かきもとかずゆき)
言語復原史学会正会員

加治木義博
大学院講義録05:13〜15頁

 「ヒメをめぐる雑考」 柿本一征

 さて、記紀神武天皇といえば、
 古事記の皇后選定段に

 「富登多多良伊須須岐比売命亦の名は
  比売多多良伊須気余理比売」
 という名があり、

 続いて
 「七媛女(ななおとめ)…
  その中に伊須気余理比売ありき、
  ここに大久米命(が云々…)」
 という部分がある。

 「七媛女」といい
 「八少女、八美女」というのは、
 古代の
 「ウーマンズ(ウイーメンズ)ハウス」
 とかかわる表現であろう、
 七と八の意味の鮮明は省略
 (僕はまだ解明していない)、

 大久米は倭・久(留)米でもあるのではないか、 などと乱暴(?)な解釈で通過するとして、

 富=穂(=種子島)、
 登=投(馬国)(十島村やトカラ列島)、
 多多良=立(辰)の国(種子島であり、

 また徳之島町手手、武堆市立岩
 〈山の名または山中のある箇所の名》)、

 良伊=雷(雷山列石遺跡)、
 伊須須=伊勢の=伊邪国(鹿児島県伊作都)、
 
 気=岐=霧(之国)、
 比売(「ヒメ」タタラ…の方のヒメ)=姫=
 姫木山(鹿鬼島県隼人町国分市の境)、

 余理=依=ユイ=イエ=伊江島、
 壹国=イエッマ
 (加治木先生通信講座)、
 などの名乗りが復原されるから、
 これはあきらかに壹與の名乗りでもある
 (この部分はP133加治木義博
  「邪馬壹国の風雲」魏志倭人伝詳解2
  原語復元史学会参照)。
 
 もっと強くこだわると、
 富登=太=フツ=仏=仏教、
 多良=多羅=倭国、
 多多須=
 (タンバヒコ・タタス・道主王《御中主》)
 のタタスで、
 これは天御中主神の別称か?
 (アーガタは如来、
  タターガタは如去を意味する
  パーリ語という研究がある)。


 「壹與をとりまく仏教名と列石遺跡」

 壹與は
 卑弥呼の宗教的後継予定者であったのであり、
 血縁者でもある(卑弥呼や弟の曾孫)が、
 シーラバッガ派(シンドー教の一派)
 の位宮の養女として
 (加治木著書及び通信講座)、
 女王に共立され、自らは天御中主
 (ビシュヌー教徒)になった。

 三角縁神獣鏡は卑弥呼の好物(鏡)と、
 シンドー(西王母東王父、神獣)教を
 折衷した要素を表現したもの=
 ビシュヌー教徒を
 意味しているのではないだろうか。

 壹與は結果として卑弥呼の仏教倭国を排して
 (タタス《仏を去る?》)、

 ビシュヌーの倭国女王として
 宗教的に成長した女性である、
 という意味が含まれている。

 おつぼ山列石遺跡のすぐ目の前の山が
 「立岩」である
 (…使用された石材は安山岩質のもので、
  杵島山の各所で見られ、
  おつぼ山に近い立岩付近が 
  その石材採集加工地といわれている。
  立岩は神籠石の北東約800mに位置し、
  おつぼ山東側によく見える一
  武堆市教育委員会による掲示板より)。

 以上から、以下の図式が得られそうである。

 壹與     −−咄固(儒礼王)− 美川王(肥前王)−故国原王

 朴赫居世       (基臨王)  300〜331 331〜371

 富登        岐(黄、気)  多多須      良伊(雷)

 穂・投        霧(之国)  立の(立岩の)     

 伊勢(伊須須)    

 伊江島=依

 壹国=依、姫木山         おつぼ山列石遺跡 雷山列石遺跡



 「列石遺跡と山城」

  故国原王は前出のように
 335年、342年に城を築いた
 (およそ岩で築く山城)という記録があり、
 列石遺跡と半島の山城との類似性は、
 その両方を観察した人が
 一様に表現しているから
 (僕は半島の山城は本の写真を見るだけ)、
 上のような相関関係になることが、
 初歩的ながらいえる。

 おつぼ山列石遺跡は規模が最も小さく、
 最も素朴な印象がするから、
 相対比較上(比較遺跡学的にいって)
 一番始めの築造物といえるのではないか。

 それに、
 所在位置的にも一番西に位置している
 遺跡である。

 築造目的
 (なんのために築造したのか、
  何を築造したのか)については、
 おつぼ山に限らず、

 ほとんどが山城説=山城として築いた
 (あるいは、
  神域説は退けられて山城(跡)説に
  落ち着いた(結論になった)、
 というものである。

 この遺跡については
 「権威ある学説?」などというものは
 適用しないから
 (僕も含めてあれこれいっているだけ)、
 どのようにいわれているかを知るだけで
 十分なので、
 二つだけ紹介する
 (ほかのものも大同小異である)
 その部分だけ)。


 「観光パンフレット(おつぼ山)」

 昭和36年に発見されたとき、
 水門、木柵を立てた穴、列石の上の土塁などが
 認められ、
 神籠石を山城とする説の決め手となった。

 石城山(山口県、大和町教育委員会)
 昭和38、39年、
 国の文化財保護委員会と
 大和村との共同による発掘調査の結果、
 従来知られていなかった
 空壕、桂穴、版築工法による大土塁が
 数百メートルにわたり発見され、
 神籠石式古代山城の一つであると
 いわれるようになった。

 M.K記(責)
 連絡先:090-2485-7908



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