歴史徒然:History Tsurezure

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通信講座(言語復原史学)

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日本古代王族の婚姻系譜(13)

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 ≪日本古代王族の婚姻系譜(13)≫
 ※出典:加治木義博
     大学院講義録05:32〜34頁

 柿本一征(かきもとかずゆき)
 言語復原史学会正会員

 「神篭石=山城説の決め手・おつぼ山遺跡」
 これらの文中にある「土塁」は7世紀後半に、
 別の目的
 (強制的奴隷労働=奈良の亀石施設と
  その周辺の大土木工事と機を一にしたもの)に
 よって行われた工事で、
 エネルギーを消耗させるためだけの工事
 (労働のための労働)である。

 一例だけ上げると、
 おつぼ山の何番目かの水門は
 比較的小規模であるが、
 美しいものである(芸術的印象を受ける)が、
 それでさえもスッポリと
 土塁で覆い隠されていたものを、
 (昭和36年に?)土塁を除いて
 水門が見えるようにしている部分がある。

 これだけでもいえることは、
 列石遺跡築造の時期に、
 土塁は存在していなかったことがわかる、
 ということである。

 目の前に美しい水門が見えていて、
 そこからトウトウと水が流れ落ちていてこそ、
 水門施設築造の目的に適うのだから、
 ことさらそれを土塁で覆い隠す必要はないし、
 もし山城施設用の水門なのであれば、
 それは単なる排水施故でさえあれば
 十分なのであって、
 なにも芸術牲を志向する必要性は皆無である
 (実用牲だけが意味をもつ)。

 巨大な鬼城や御所が谷遺跡ならまだしも
 (山城か杏か吟味する値打ちがある)、
 一番低平なおつぼ山や、
 鹿毛馬、永納山遺跡を「山城跡」と判定するのは、
 およそ合理的な知性の範疇を逸脱している、
 としかいいようがない。

 列石施設築造時期には、
 土塁は無関係と考察する必要がある
 (頭の中で土塁を消去して、
  もとの施故をイメージする)。

 「儀礼施設としての列石築造物」
 これら十数例の列石遺跡は全て数百年
 (三百数十年)の年代差を含み持つ
 複合遺跡なのである。

 施設築造の目的は、国立(建)
 (正確にどういう学術用語がよいのか
  僕には解らない)−
 我らが叢の象徴を造る(造った)
 ということだったのではないか、と考察する。

 列石は丘(又は小高い山)の中腹を上昇したり、
 下降したりして、
 低平面に降りているものもある
 (おつぼ山や鹿毛馬の場合)から、
 これは、
 必ずあの世(冥界)とこの世(現世)の境界(境目) 
 を意図している。

 これらの施設が例外なく強調している
 水門、泉、門(城門などではない)、
 崩れ(混沌=カオス)、
 オンパロス
 (これら施設内邸には必ず象徴物がある)などは、
 全て宗教的、宇宙観、世界観、信仰的な
 意味でのよみがえり
 (=冥界を潜ってこの世に復帰する)の
 象徴である
 (この部分は「境界論」の専門家の領分である)。

 このことから、僕は当初、
 「王の即位のための施設」だったのではないか、
 との素人的直観的想定のもとに、
 観察、考察、研究を出発した。

 首尾よく完成の暁には、
 その築造者は必ずなにがしかの儀式儀礼を
 その施設を利用して行っていることは
 間違いないし、
 年々の儀式儀礼においても、
 王ただ一人だけだったか、
 あるいは国民も含めての集団が
 そうしたか否かは不明だとしても、
 更新儀礼施設としても利用された筈である。

 王が即位儀式をおこなう施設として
 築くこともありうるし、
 完成された施設を利用して即位儀礼か、
 あるいはなにがしかの
 更新儀礼かをおこなったこともありえるが、
 それよりも現実的な解釈は、
 「新しい国造り」もまた「よみがえり」
 であるから、
 こういうものを築造して、
 新しい国のシンボル(象徴)にしたのである。

 「「国造り」=「よみがえり」世界観の象徴」
 どんな小さな国(邦)でも、
 新しく邦を始めるときには、
 その邦のシンボルとなるものを設定する
 (ヘソ石を据える、山中の岩を割る、
  小山を築く、杭を打つ、木を植えるなど)、
 あるいはそういう行為を為すのである。

 こういうものを築造して王の権威の高揚を図る
 (築造するだけの力量を誇示する)、
 あるいは国民意識の高揚の効能もあるであろう。

 いずれにしても、奴隷労働などではありえない、
 ということはいえる。

 立岩から割石一つ切り出すにしても、
 国民総動員で力を合わせて運搬したのである
 (総動員というのは直接間接という意味である。
  男はロープを引っ張り、女は食事をつくった
  《かどうかはわからないが》)。
 それが国造りというものだからである。

 ある時期(四世紀初頭〜およそ前半)、
 ある集団にとっては、
 丘の中腹に列石施役の築造がそれに該当した、
 というだけのことである。

 それにしても、
 こんな大それた施設を軍事目的以外の目的で
 築くということは、
 相当に強く大きな、意識的、生産力(国力)的な
 インパクトがあったのに違いない。

 世界観の断裂があったと表現出来る程度の
 それである。
 
 M.K記

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