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邪馬臺国の発音と意味

 出典:邪馬臺国の言葉・192〜194頁
   :『言語復原史学会:加治木義博』
    http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1575878.htm

 次は邪馬臺とは何を意味し、何と発音するのが正しいかという問題である。

  <邪>という字は、<ヤ>、<ジヤ>、<ヨ>などと日本で使われてきたが、

 北京音では<シェ>、広東音では<ツェ>、呉音では<ゼ>、上海音が<ジャ>である。

 また明(みん)音で<スウ>と使われている。

 カールグレンの研究によると、この邪の発音は2系統があり、

 上古音<ディオ>と<ディア>。

 中古音<ヂウォ>と<ヂァ>。

 近世音<スウ>と<シェ>に分れている。

 お気づきのように<ヤ>と発音するものはない。

 では日本で<ヤ>と用いられた例はいつからか。

 記紀万葉時代にありそうに思われるかも知れないが

 中田祝夫氏の新選古語辞典によれば、

 <ヤ>の音に用いられたのは

 <夜>、<移>、<也>、<野>、<耶>、<楊>、<椰>、<揶>、<瑯>、<八>、<矢>、<屋>の

 十二文字であって邪はヤ行はもちろん、他の仮名としても全く使われていない。

 筆者があげた<ヤ>という使用例は、邪馬臺以外には、はるか後世まで無い。

 3世紀当時、ヤマト論者のいうように邪馬臺国がヤマトと発音されていたのなら、

 魏人はこんな文字よりも<ヤム>という発音の<奄>や<淹>や<掩>、<厭>、<弇>に、<ト>と

 はっきりした音の<土>、<吐>、<堵>、<稌>など幾らでも選んで用いることができた。

 それをしていないということは、魏使たちが耳にし、語りあっていた邪馬臺の発音は、

 ヤマト以外のものだったという動かない証拠なのであるる。

 これはヤマトが実在しなかったということではない。

 ただ邪馬臺とは別のものかまたは邪馬臺がヤマトに変ったとしても、

 それは後世のもので、倭人章の邪馬臺でないことだけは、はっきり断定できるのである。

 <邪>と同じく<臺>も上古音<ダグ>、中古音<ダイ>、近世音<タイ>である。

 3世紀当時はせいぜい<ダ>までで、とうてい<ト>ではない。

 こうした奇妙な間違いがなぜ横行してきたか、

 それは字音が時代によって大きく変ったという事実や、

 字音の内容について無知であった江戸時代の学者たちが、

 いい加減につけた読み方が、似たような人々によって、

 何の疑問ももたれずに現在まで踏襲されたということである。

 ヤマタイコクなど実在しなかったのだ。

 実在したのは邪馬の用字が示す<ディオマ>、<ディァマ>あるいは<ヂウォマ>、

 <ヂァマ>に近い発音をもった国名であった。

 これは一見<ジョオウ>(女王)によく似ている、だが<女>は上古音<ニョ>、

 中古音<ニゥォ>または<ヌヂウォ>で、<ディ>または<ヂ>という強い頭音をもっていない。

 これは女王以外の、官名や伊勢や諏訪や祇園や賀茂、

 そのほか実に多くのものが一致して示した<ジワ>が<邪>の字の本体であり

 国称の<マ>が<馬>の字の意味するものであったというほかない。

 なぜなら、それだけの痕跡を今に伝える国の名が<ジワマ>と呼ばれたであろうことは

 当然といえるのに他にそれに当るものがない。

 さらにこれには中国側からの証拠といえるものがある。

 「写真:カリー女神像」(加治木原図)

 この像は北インドのものである。

 シバ大神の妻であったカリーは、

 仏教にとりいれられて訶梨帝菩薩と変化し新らしい縁起を与えられた。

 日蓮はこれを鬼子母神と訳したが、

 一方ではインド亜大陸の南海地方で慈母聖母としての

 愛の女神「カシー」となり、観世音の文字があてられた。

 奈良朝の厚い崇敬にもかかわらず香椎廟が当時の重要な祭政施行令であった

 延喜式の神名から除外されているのは、

 神功皇后を観世音すなわち仏と見ていたことの一証である。

 なお前出の観世音菩薩鏡の像と見比べて戴けば相互の類似が単なる空似でないことを

 御理解戴けよう。(筆者所蔵)

 それは中国で「邪教」という用字で呼ばれた起りが、

 やはりこのジワ教を意味したという事実である。

 文献に登場する邪教淫祠、または邪神というのは、いずれもヒンドゥ系の信仰を意味する。

 このことはインド各地の石窟寺院の実態を知る私たちには、すぐ納得のいく事実である。

 注意を要するのは、この<邪>という用字が、

 本来は<ジワ>に対する当て字であったということである。

 それは別に非難の意味で用いられたのではない。

 邪が悪の意味に転化したのは、儒教や仏教が猛烈に排撃非難した影響で、

 それ以前は善神と信じられたからこそ祭られていたのである。

 こうした事実を知らず、邪を卑字であるとして、

 女王国にわざわざこの悪い字を選んで使ったのは中国人の中華思想のあらわれである。

 と称してそれを軽蔑する風潮があったが、それは彼自身の無知と下司の勘ぐりを曝露しただけで、

 邪の字は別に倭人を卑しめて用いたのではなく、ジワ教の名に一番適切な名で、

 しかも中国での呼び名を用いるという、ごく当り前なことをしたまでなのである。

 同じことは卑弥呼の卑の字についてもいわれるが、これも本来は卑でなく、

 卑という別字が使われている。

 無知プラスいい加減な想像がどんなに恥かしいものであるか、

 ということをよく噛みしめておきたい。

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