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 出典:言語復原史学会・加治木義博

 『日本国誕生の秘密』277〜278頁

 また、日本式の結婚式には欠くことのできないものに


 『高砂(たかさご)』という謡曲があります。

 そこでも翁と嫗が「高砂の尉(じょう)と姥(うば)」と呼ばれて出てきます。

 『竹取物語』と『高砂』。

 この二つの関係を調べてみましょう。

 謡曲『高砂』は世阿弥(ぜあみ)という名で知られている

 観世元清(足利義満らに仕えた観世流二代目=1443<?数説あり>年没)の作で、

 始めは『相生(あいおい)』という名でしたが、

 いつか謡い出しの「高砂」の方が題名として有名になったものです。

 その、あらすじは、肥後(熊本県)の住人の一人の神官が、

 高砂の浦で老人夫婦に出会って、

 高砂の松と住吉(すみのえ)の松とが、

 なぜ相生の松といわれるのか、その由来を教えられます。

 そこで神官は、その有名な

 「高砂や、この浦船に帆をあげて……」という謡の通りに

 高砂の浦から船出して、

 住吉の浦に「早や、住吉に着きにけり」と到着すると、

 前の老人が住吉明神になって現われ、

 美しい月光を浴びながら太平の世を祝う舞を舞って、

 次第に消えていく。

 という大層、夢幻的で優雅なものです。

 今、高砂の尉と姥として飾られている人形や絵は、

 この能の装束(しょうぞく)を写したものが多いために、

 日本人の思考はこの謡曲で中断してしまって、

 全て世阿弥の想像の産物だと思いこみ、

 それ以上の追究をやめていたきらいがありました。

 しかし詳細に、この謡曲『高砂』のモチーフを分析してみますと、

 世阿弥は創作者ではなく、彼は古くから伝わっていた伝承を、

 香り高い文芸作品に仕立てあげた

 「脚色者」だったという事実がはっきりします。

 この「高砂」は現在の兵庫県高砂市のことだと思われていますが、

 伝承が生まれた当時の高砂は、

 『桃太郎≡竹取物語』の老夫婦がいた「タカの国」でなければなりません。

 「タカの国」と「タカ砂」とを比較してみると、

 砂を「サゴ」と読んだのでは答えは出ないが、

 「スナ」と読んでみると、何と、ぴったり一致するのです。

 日本の古語の特徴の一つに「ス」と「ツ」の区別がなかったことがあります。

 だから古代には「スナ」と「ツナ」は同じ言葉だったのです。

 また「ナ」は国のことですから、「ス国」と「ツ国」、は同じです。

 これを「高の国」と比較しますと、

 助詞「の」に当たる古語は「津=ツ」ですから、「ス国=ツ国=津国」と、

 謎がほぐれてきます。

 高砂とは「高津国(タカズナ)」という発音に対する別の当て字だったのです。

 この「高津国」は仁徳天皇の皇居が「高津の宮」と呼ばれたことと関係があります。

 その宮は大阪市にあったとされますが、大阪には「住吉」もあります。

 ところが高津の宮は上町台地という高台にあって、

 そこから住吉へは船では行けません。

 だから大阪の地名は後世に南九州から幾つもがセットになって大阪へ、

 一緒に移動してきたものです。

 だから「高砂」はなくて「高津」しかないのです。

 もちろん兵庫の高砂も大阪と同じく移動した遺跡なのです。

 「『高砂』の起源と読み方」

 『竹取物語』と『高砂』

 『日本国誕生の秘密』

 『魏書倭人章』

 「メソポタミア」

 「シュメル=シュメール」

 「ウバイド:倭人:ウワイト」

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 『言語復原史学会:画像』

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