歴史徒然:History Tsuredure

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明星院だより・広島県関連・日記

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪

《男女で異なっていたイサナの真意》

※出典:加治木義博
    大学院講義録25:23

 履中天皇の場合も、
 イザナキは語源とは異なった意味に
 使用されている。

 彼は応神大皇の孫であり後継者なのだから、
 仏教徒の天皇だったことは動かない。

 国民からイザナキと呼ばれても、
 自分をシバの化身だなどと思うはずがない。

 それが
 事実だったことを証明する証拠が、
 被の巨大古墳のある堺市に、
 地名として残っている。

 応神天皇が
 2人の神功皇后=卑弥呼か壹與か、
 どちらの子孫であっても、
 金髪のギリシャ系の血を
 引いていたことは動かない。

 今も
 京都の松尾神社や東寺などの
 神宝の女神像として残っている
 彼女らの木像は、

 御存知のように
 イシス像を聖なる規範として造られている。

 イサ・イザは石の別名だったのだから、
 このイシスが役に立ったのである。

 彼等は女王をイシズと呼び、
 それに石津と当て字した。

 その遺跡が堺市の石津町である。
 石=イサ、津=ナである。

 ここまでわかると
 岐・美2神の「男尊女卑」説話が、
 何を意味していたか?
 
 という先号でお話しした結論が、
 どんなに正しかったかが、
 改めて強く真実だと確認できる。

 イサナ王はシバを意味していた、
 彼は破壊の神として知られる
 恐るべき宇宙の支配者だ。

 イサナ女王は
 女神イシスを理想とする
 卑弥呼らの守護陣で、
 不殺生、慈悲、愛の仏教の象徴である。

 ご説明するまでもなく、
 それは
 「戦争」と「平和」との
 2大象徴だったのである。

 ※松尾神社・東寺の女神像

 ※イシス像・イナンナ像・イシュタール像

 M.K記(責)  

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《イサナキとは何か?その真相と勝者の実態》

※出典:加治木義博
    大学院講義録25:22

 このビシュヌーと並ぶ
 インド古来の大神がシバである。

 それを別名のイサナで呼んだ人々が
 日本列島にいても不思議ではない。

 彼等が王にその名を奉ったなら
 イサナ王(キ)である。

 だとすれば
 歴代の王、すなわち天皇は、
 イサナキという尊称を
 必ずもっていたことになる。

 世界各地からの渡来者が
 混在していた日本列島では、
 記録者が変わると、
 そうした尊称も変わる。

 『記・紀』の編集者は、
 有りあわせの史料を拾い集めて
 編集したから、

 インド系の文献しか
 見つからなかった天皇は、
 イサナキという 
 名乗りしか分からなかった。

 履中天皇がそれだったのである。

 というよりも、
 履中天皇が伊邪木和気と
 記録されている事実こそが、

 この推理が正しいという
 証拠なのである。

 しかし
 天皇たちは東征して新国民と和解し、
 国土を広げて行った。

 昨日までの敵地に入り、
 信仰も言語も異なる新地域に
 首都を置いて住み、

 さらに
 新たな敵地を求めて
 新国土の拡大を図らねばならなかった。

 聖武天皇が
 「三法の奴(やっこ)」
 と自称したのは、

 正にこうした辛苦を記録しているのである。

 決して
 彼が全身全霊から仏教徒だったのではない。

 むしろ
 そんなことが
 特記されなければならなかった
 奈良の、
 特殊事情を考えなければならない。

 そこは
 聖徳太子=蘇我氏系の旧倭国が滅びた、
 怨念醒めやらぬ
 深刻な敵地だったからである。

 M.K記(責) 

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《イザナギとは天皇のことか?その語源は?》

※出典:加治木義博
    大学院講義録25:21

 これで
 兵庫県下のイザナギ名乗り関連地は、
 それぞれに別のイザナギが
 天皇として君臨していたわけではなく、
 淡路島に入った
 履中天皇1人の領地だったごとが
 明らかになった。

 このことでさらに知見を加えたのは、
 これまで見てきた47の地名は、
 その1つ1つが
 全て別人のイザナギの領地ではなく、
 47人のイザナギが
 いたのではないという事実である。

 別の時代に
 別人のイザナギがいたことは確かだが、
 その領地は1つずつではなく複数で、
 その全てに名乗りのイザナギがついていた。

 だから47もあるが、
 イザナギの首都圏はその何分の1かで、
 孝霊天皇から履中天皇までが11代。

 各代の天皇が
 平均1つの首都と3つの所領の計4つ程度、
 直接支配地をもっていたというのが、
 史実に最も近いと考えられる。

 だとすると
 天皇は皆イザナギの名乗りを
 もっていたことになるが、
 そんな可能性があるだろうか?。

 それは1つだけある。

 古代インド語では
 シバ神を
 「イス・イサ・イサナ」
 という別名で呼ぶ。
 
 古代日本人が
 インドの神名を名乗った事実を、
 特記しているのは、
 ほかならぬ『古事記』で、
 その開巻第1に挙げる
 神名・天の御中主神が

 「ミチュヌーシン=
  ミチヌウシん=
  道(みち)の(ヌ)大人(ウシ)の」

 を指すことは、
 すでに幾度もご説明した史実である。

 古代人が
 美主綯神や美紐縫神という
 ビシュヌー神への当て字を、
 ミチュヌーシンと読むのは
 ごく自然である。

 M.K記(責) 

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《経路以外の名乗り地名は勢力拡大後の属領名》

※出典:加治木義博
    大学院講義録25:20

 これらの地名は、
 四国からわざわざ遠く迂回して
 淡路島へ入ったとは考えられないから、
 淡路島入島以後のものとみるしかない。

 とすれば、
 それらは移動の経路ではなく、
 淡路島に到達以後に実行された、
 勢力拡大の跡なのである。

 これで、
 これまで未解決のままになっていた、
 但馬、丹波、丹後といった
 種子島を語源にもつ国々が、
 淡路島占領以前のものではなく、
 淡路島を本拠にした後の
 新領土だったことが判明し確認できた。

 南九州からの大挙移住は、
 履中天皇・伊邪ナ木和気の命以後で、
 芦屋と氷上と八鹿に
 新領土の拠点が生まれたのである。

 邪馬台国畿内説のいう
 旁国=巴利国は播磨といった説は
 成立しない。

 地名はこうした細部まで、
 しっかり記録していたのである。

 それだけではない。

 氷上の地名は「崇神天皇紀」に、
 出雲の神宝を巡って
 出雲振根を殺した話があり、
 そのとき氷上の氷香戸邊(とぺ)が、
 後の垂仁天皇に神託を
 奏上したという記事がある。

 本州が五彩圏外だった
 崇神天皇当時に
 そんな事実があるわけはなく、
 五王の時代の事件を
 『日本書紀』編者がわざと、
 或いは間違えて、
 「崇神天皇紀」に入れたことがわかる。

 氷上はまた
 藤原鎌足の娘で
 天武天皇夫人の名乗りでもある。

 氷上が履中天皇の伊邪木和気時代に
 占拠されたこと、

 後の百済倭国(ふじわら)の
 要地になったことまで見て取れるのである。

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《経路外の地名分布は何を意味するか?》

※出典:加治木義博
    大学院講義録25:19

 話をイザナギの東征経路に戻すと、
 南九州から北上して大分から四国へ渡り、

 東端の阿波から
 淡路島へ渡ったコースは
 動かないことが重ねて確認できた。

 これはすでに
 ウサギという仁徳天皇の別名でも
 確認済みのコースだった。

 それをイザナギの名乗り地名が、
 さらに重ねて立証したのである。

 当然なことだが
 『史実』は正しい文化財を遺すのである。

 するとその周辺に残っている関連地名は
 何を記録しているのだろうか?。

 それをもう一度見てみることから始めよう。

 近畿地方には

 39 伊弉諾神社(兵庫県・津名郡・一宮町)が
   到着点だとすると、

 そこから広がった形にみえる
 次の地名が分布している。

 36 伊勢 (兵庫県・芦屋市) 
   イセはイサの南九州訛り。

 37 伊佐口(兵庫県・氷上郡・氷上町) 
   イサコと読んでイサ木だった可能性がある。

 38 伊佐 (兵庫県・養父郡・八鹿町) 
   伊佐ナ王=イサナキ。」

 の3か所があり、
 その延長線上に、
 さらに中国地方に入っている

 28 石井垣(鳥取県・西伯郡・中山町) 
   イシガキの訛化とみると石垣と同じ。

 がある。

 これらは

 九州→四国→淡路島→大阪→奈良
 という倭の五王コースに入るのであろうか?。

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