驚愕!危険なダイエット! 〜心の窓から見えるものとは〜

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六波羅蜜寺【ロクハラミツジ】
真言宗

見どころ・・・空也上人像、建物

〜歴史〜

応和3年【963年】に空也上人が悪霊退散の為に刻んだ十一面観世音菩薩像を本尊として

この地に創建した。

創建当時は西光寺と呼ばれていたが、空也上人が亡くなった後に六波羅蜜寺に名を変えている。

平安時代後期には天台宗別院として栄えていた。

しかし、寿永2年【1183年】の平家都落ちの時の兵火によって、本堂を残して、平家一門の屋敷や

すべての諸堂が消失してしまう。

その後も度重なる兵火によって荒れ果てた寺は、豊臣秀吉によって修復され、徳川歴代将軍の保護も

あったが、以前の壮大な姿を取り戻すにはいかなかった。

ただ、貴族の御殿を彷彿させる色鮮やかな朱塗りの本堂だけが、昔の面影を残している。

〜見どころ〜

さて、私がなぜこの六波羅蜜寺に訪れたのかと言うと、般若心経にでてくる〜波羅蜜多〜いわば

悟りの世界という言葉が寺名に入っている事から、前から気になっていたのです。

ようやく、行ける機会がおとずれたのです。

細い路地にある小さな寺だなぁ〜と言うのが第一印象です。

かなり入り組んでいますので、探すのに大変かな?と思ったのですが、意外にすぐ探し出せました。

この寺と言えば開基した空也上人像ですね。

日本史の教科書や仏教美術書に良く出ているあれです。

真っ先に宝物館へと足が向かったことは言うまでも無いですね(笑)

時には空也上人の木像は各地の博物館などに出展の為にいないことが多いのですが、

私が訪れたときは運よくいらっしゃいました。

さすがにこの像は独特で、口から六体のもの仏様が出ている様子を細かく再現しております。

踊念仏で知られている空也上人。

空也上人は若くして諸国を巡り歩き、苦行修練した人物。

当時の京都に流行していた悪疫退散の為に十一面観世音菩薩像を自ら刻み、それを市中で引き回し、

踊りながら念仏を唱えた。その事から「市の聖(ひじり)」とも呼んでいた。

彼の京都における布教地は、今の堀川七条にあった東の市。彼が市の聖と呼ばれたのはこの場所である。

ちなみに現在の西本願寺があるところである。

この像は檜の寄木造り。粗末な鹿皮の衣をまとい、左手に鹿の角をつけた杖、右手に撞木、

首に鉦をぶら下げている。

空也上人は鉦をつきながら、「南無阿弥陀仏」の六字名号を唱え、庶民を教化した。

その一字一字が阿弥陀仏の姿となり、口から現れたという。

この像はその瞬間を的確に表現している。


ちなみにこの像は鎌倉時代に康勝によって造られた。


宝物館内にはその他、地獄を絵にしたものなどが飾られており、小さいながらも

満足のいく内容となっていた。


その後、本堂で写経をしている人たちの横で十一面観世音菩薩像を眺めながら拝みました。


イメージ 1


イメージ 2


所在地・京都市東山区松原通大和大路東入ル二丁目轆轤町81−1
電話・075-561-6980
交通・京都駅より市バス206で清水道徒歩10分
拝観時間・8時〜17時
拝観料・500円、団体(30名以上)450円
駐車場・なし

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