ここから本文です

FOREVER, MICHAEL

マイケルジャクソンの音楽とアート。ジャズ・ロック・ブルースなど黒人音楽の歴史とライブ魅録。

書庫全体表示

ブラジルのゴスペルシンガー、ジョッタ・アー君。(JOTTA A: 1999年生) 
マイケルの再来?と騒がれたけど聴いたことありますか?
時折天をみあげるきらきらした目も美しいボーカルも、まさに神様からのギフトのよう。。。
 
アメイジング・グレース Amazing Grace (My Chains are Gone)
お客さんのノリも歓声も、教会でゴスペルを聞けばこんな雰囲気になるのかな。。。

と、思いました。




 
曲は原詩ではなく、映画のサウンドトラック版。
 
そしてジョッタ・アー君に導かれた映画は・・・
 
アメージング・グレース: ウィリアム・ウィルバーフォース伝記
 
英国で奴隷貿易が撤廃されてから200年 ― を記念して、2007年に公開された
英米合作映画。(日本では2011年3月の公開。)
ウィリアム・ウィルバーフォース(1759−1833)は、大英帝国における奴隷貿易、
および奴隷制度廃止法案に尽力した、英国議会の議員。 
知識階級の貴族出身かと思ったら、裕福な交易商人の家柄だった。。。
 
映画は1797年、心身を病んだウィルバーがソーントン家で療養するところから始まる。
彼は鎮痛剤の常用でアヘン中毒にもなっていた。
ソーントン夫妻に紹介されたバーバラ(彼女も廃止論者で後に結婚)に、
自分たち活動家の歩んできた紆余曲折の困難な道を語る。
この時点を軸に場面は、過去と未来を行き来する。 


段階的な法案の否決や可決。

啓蒙運動の一方、様ようなポリティクスが渦巻く議会で、粘り強い駆け引きを演じた。


当時の英国史に無知な私はいささか混乱したので、ウィキペディアへ飛び、参照して、
ウィルバーたちの活動の流れをおおまかに、時系列でまとめてみました。
 
1783: 親友ウイリアム・ピット(1759−1806)が若くして首相となり、
彼のサポーターとなる。
1784: ヨークシャー選出の国会議員として議会に復帰
1785: 霊的な経験を得「神のために奉仕する」事を誓う。
このころジョン・ニュートンに助言を請いに会いに行く。
 
映画には二人の邂逅が描かれている。
ニュートンはアメージング・グレースの作詞者。この時点では英国国教会の聖職者だが、
彼には奴隷商人、奴隷船の船長という過去があった。
彼の自伝「アメージング・グレース」物語は翻訳本が出版されている(2006年)。
 

この本については、Shinkaiさんが、ブログGOSPEL SOUPで解説されており、

彼女のレビューを読めば、きっと自伝を読みたくなると思います。 
しんかいさんはこの本が自伝というより、「訳と編集をされた著者の一大研究書」、
のようだとおっしゃってますね。

 

1787: 奴隷貿易反対運動のグループを紹介され、
議会で運動のリーダーになるよう説得される。
友人グランビル・シャープが設立した奴隷貿易廃止促進協会*に参加。
*奴隷を解放し「自由の国」をスローガンにアフリカ(シエラレオネ)へ
解放奴隷を移住させる計画
1788: サー・ウィリアム・ドルベン法
(大西洋を横断する船の奴隷輸送容量を制限)が議会を通過
1789: 奴隷廃止について最初の演説を庶民院で行う。
奴隷貿易は 道徳的に非難されるべき、と主張。
奴隷船の状況を述べ、西インド諸島にいる奴隷の状況改善を求めた。 
(フランス革命勃発)
1790: 1月には、議会の審査委員会から奴隷貿易につき審議し、
彼が提出した膨大な資料を審査する許可を得た。
1791: 奴隷貿易廃止のための最初の議案を提出。
88163で否決された。
 
〜この時期、活動家たちは世論を動かすために、精力的に動いた。 
解放された元奴隷が著した本の出版とサイン会、奴隷船を公開し、臭覚(!)と視覚に訴える。
奴隷は当時西アフリカから西インド諸島のプランテーションへ運ばれていった。
そこから輸入される砂糖には、奴隷の血と涙が混じっているのだ、と啓蒙され、
商店の中には、「奴隷の労働搾取による砂糖」取り扱いをやめる店も現れたこと、〜
などが映画で描写されている。
 
17921793: 各議会の会期ごとに廃止を支持する動議を提案。
92年4月と93年2月には廃止法案を提出するも否決される。
1793: フランスとの戦争勃発。
これにより大衆の関心は国家の危機に向けられた。
1799: 奴隷貿易規正法 (奴隷輸送船の過密状況をさらに回避)が成立
1804: 6月には法案が庶民院の各段階をすべて通過したものの、
貴族院への提出には間に合わず。
1805: 再度法案を議会に提出。
1806: 1月に盟友、ピットが死去。
後継のグランビル・フォックス政権を支援。
党を超えて廃止主義者との協力を深めてゆく。 
 
映画でも描かれているが、この政権下で奴隷貿易法を巧みな戦術 (トリック) で成立へと導く。しかしこの部分はウィキの解説を読んでも、いまいちわからなかった。。。
 
1807: 1・31に「奴隷貿易の廃止に関するレター」を出版。 
首相グランビルは貴族院に廃止方案を提出し、
奴隷貿易は「正義・博愛・健全な政策の原理に反する」と主張。 
3月に国王の裁可を得て、奴隷貿易法 が成立。 
 
ウィルバーはこれ以後も奴隷制そのものの廃止という立場で活動を続ける。
 
1823: 奴隷制緩和・段階的廃止協会が設立された(後の反奴隷制協会)。
ウィルバーは庶民院での最後のスピーチを行った。
1824: 病を得て議員を辞職。
1833: 7月29日没。
ウェストミンスター大修道院に親友ピットと並んで埋葬される。

1ヵ月後、議会は英国のすべての奴隷に自由を与える

奴隷制廃止法 を成立させた。
 
ウィルバーは 「よりよき社会を作るために (Making a Better World)」 
教育や健康保険、刑務所の環境改善にも取り組んだ(映画クレジットより)。
「社会を変えるには、まず自分が変わるんだ」
という親友ウィリアム・ピットと交わす会話が印象的。
マイケルの思想はこの時代のイギリスにルーツがあった、ということでしょうか。
 
スリリングな政治的駆け引き、彼が得たという霊的な啓示、当時の議会制度や
社会背景も知りたく、ウィリアム・ウィルバーフォース伝記をカートにポン。
アマゾン・コムで選んだのは、一番読者レビューが高かったペーパーバック*です。  
(翻訳本はまだない)
* AMA ZING GRACE: WILLIAM WILBERFORCE AND HEROIC CAMPAIGN TO END SLAVERY: 
HarperOne: 2007


ウィルバーが生まれ、活動した時期、日本は鎖国中の江戸時代。
明治維新は1867年。
そして、アメリカでは・・・。
と書いているうちに長くなりそうなので、リンカーンについてはページを改めます。イメージ 1


・・・が、とても大ざっぱに述べれば、ウィルバーたちの活動が人道主義に基づいたものであるのに対し、リンカーン政権下の議会決(1.1.,1863: 奴隷解放宣言)や米国憲法第13アメンドメント(1865: 国内すべての奴隷制を廃止)は、合衆国をひとつにまとめるために不可避な政策のひとつにすぎなかった。


リンカーンの思想は、奴隷制は「建国の父」たちの「自由・平等な社会」理念に反し、共和制への障害になるから、「排除」する、というもの。
極端に言えば、彼の言う「社会」のなかにインディアンの人々は含まれず、黒人を自分たちと同等だとはみなしてなかったのです。 




人道主義者たちに導かれ世論が望み、奴隷制廃止に至ったイギリス。
一方のアメリカは当時、建国(独立)して100年にも満たない若い国。
公民権運動が生まれるまで、まだ100年の年月が必要なのでした。



この記事に

  • またお邪魔します〜

    ジョッタ君すごい
    きっとマイケルも、ワォ!と感動してますネ♪♪

    アメイジング・グレースにこんな「背景」があったなんて・・・
    危うく、単に「あー知ってる〜、きれいな曲よねぇ〜」で終わるトコロでした;
    松さん、ありがとうございます(*^^*)

    [ - ]

    2013/1/29(火) 午前 8:35

    返信する
  • 顔アイコン

    いらっしゃいまし〜。
    ジョッタ君、アメリカに招待されて
    ジャネット・Jには会ったようです。
    この当時は、お姉さんに連れられて
    教会でゴスペルを歌っていたとか。

    わたしなんてこの歌をアメリカのフォークソング
    だとばかり思っていました。
    歌のエピソードを知り、驚いたものです

    松

    2013/1/30(水) 午前 1:31

    返信する

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事