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FOREVER, MICHAEL

マイケルジャクソンの音楽とアート。ジャズ・ロック・ブルースなど黒人音楽の歴史とライブ魅録。

書庫70年代のMJ

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新春を寿ぎ、キュートなマイケルをお届け。当時18歳のヤングマイケルがモハメッドアリにボクシングで挑む!?
1977年1月からザ・ジャクソンズはCBSのTVバラエティショー・セカンドシリーズを始めた。マイケル本人はテレビショーの出演はグループの安売りになるようで嫌だった、と自伝で告白しているけれど。その第三回目のゲストに呼ばれたのがボクサーのモハメッドアリ (1942−)。ユーモアのある人らしく、ジャクソンズの面々の「いじり」に負けていない。

マイケル: 引退後、何をするか考えてる?
アリ: 一線を退くことになったら、体を作り直して、君たちのグループに参加させてもらうよ。ジャクソン6になるのさ。
さて、このヘビー級世界チャンピョンであるアリに、無謀にも立ち向かうマイケルだけど、そのパンチ力はいかがなものか。

あ、結構さまになってる。お、スピンなんか入れたりして、アリを煙に巻こうとしている。でも細い体から繰り出すパンチはなかなかアリに届きませんね。というか、相手にされてないし。

「ぼくにも蝶のように舞い、(バーン) 蜂のようにさせると思う?」とマイケルに聞かれて、「もっと穀物を食べて骨に肉をつけなきゃね。」とカウンターパンチ。アリがまだカシアス・クレイと名乗っていた頃、彼のボクシングスタイルは『蝶のように舞い、蜂のように刺す』 floatlike a butterfly, sting like a beeといわれた。また彼はなかなかのエンタテナーであり、試合前に相手を挑発するトラッシュ・トーク(*)で有名だった。詳しくは、ちばてつや作 『明日のジョー』 をお読み下さい。

アメリカにまだ徴兵制度があった1967年、アリは宗教上(イスラム)の信念からベトナム戦争の兵役につくことを拒んだ。彼は逮捕され有罪となり、収監は免れたものの、ボクシングのタイトルを剥奪され、ライセンスを取り上げられた。連邦の最高裁判所に訴えるも、そのあいだ4年間試合をすることができなかった。後年(1984年)パーキンソン病と診断される。1996年のアトランタ・オリンピック。 車椅子のアリはオリンピック開会式の聖火点灯を担い、病と闘う姿は世界の人々の心に残った。
僕の強さはどこから来るのか−そう人に聞かれたとき、僕は答える。マイケル・ジャクソンが見つめる 『鏡の中の男』 を僕も見るのだと。
― モハメッド・アリ (**)

(*) スポーツの試合やイベントなどで、試合前に相手を威嚇するため、挑発的な言葉を吐く。多分にユーモアの精神で行われる。アリは60年代、70年代に多用し、その後ボクシングの試合では恒例となった。『明日のジョー』でこんなシーンが描かれている。試合前アリは無言で指を3本(?本数は記憶が遠く、あいまいです)突き出した。これは3秒で相手を倒す、というパフォーマンス。

(**) 原文:  When people ask me where I get mystrength from, I tell them that I look at the man Michael Jackson looks at whenhe looks at the man in the mirror.– Muhammad Ali

 

マイケルジャクソンの「ボーカル・ヒカップ」が好きだ。ヒュッとしゃくりあげるように、あるいは息を詰めて吐き出すような発声。ときには動物の奇声のようにすら聴こえる。。。マイケルが語尾に使用する独特の「ンダッ」も。 初めて聴いたときは「なんか変」と思ったものだけど。
「黒人音楽のルーツはアフリカ。その力は多様なリズム、コール&リスポンス、アフリカ独特の『意味のもつ調子』から発している。 その力は自然界そのもの―鳥やこおろぎの鳴き声、雷、動物たちの生き生きした動きから発散される。。。だからいろんな表現の形(ジャンル)を切り離して考える必要はないのだ。 」とクインシーは自分の音楽スタイルを自伝で述べている。
これを読んで、まさしくマイケルのステージパフォーマンスそのものだ、と感じた。「音楽のシチュー」をかき回すようなステージ。クラシカル音楽を取り入れようと、「起承転結」の白人ポップ音楽の体裁であろうと、マイケルの音楽にはアフリカのルーツが根を張って生きている。「ボーカル・ヒカップ」や「ンダッ」はそんなルーツを示す大事な表現手段。あるいは自然発生的に彼の中から生まれてきたものかもしれない。
「ンダッ」が最初に登場するのは、ジャクソン5時代の IT’S TOO LATE TO CHANGE IN THE TIME オリジナルは1973年のJ5 アルバム: GET IT TOGETHERに収録。そしてこの歌の出だしで、初めてボーカル・ヒカップのテクを披露している。息を呑むような短い「ウッ」と「アッ」の中間のような音が入ります。
 

「ゴールド」というアルバムがある。マイケルジャクソンという大きなブランドになる前の、ファミリーの一員あるいはソロとして放ったヒット曲(モータウンレーベル)を集めたもの。71年の初ソロシングル、GOT TO BE THEREに始まり、ラスト32曲めはモータウン時代にはリリースされなかったFAREWELL MY SUMMER LOVE。青春まっただなかの皆さんには今の季節にぴったりな曲〜。楽曲は、ほぼ時系列で収納されているので、マイケルの声とボーカルがどう変わっていったかよくわかる。のびやかで透明な優等生・ボーイソプラノ。ハイ・テノールに変わり、そしてハスキーなテノールでおとなびてくる。この辺になると、華やかなバタフライに変身する前の助走期間と言う感じでしょうか。
IT’S TOO LATE TO CHANGE IN THE TIME はこのゴールドにも収められてます。時を経て変遷してゆくマイケルのボーカルスタイル。いつの時代も輝きを失うことなく、最高のマイケルを魅せてくれていたんだ、とあらためて確認できるお勧めアルバムです。
そして「オフ・ザ・ウォール」の登場を待って、いよいよマイケルのボーカル・ヒカップはその全貌を現します。
ボーカル・ヒカップを意識して、全曲あらためて聴いてみたら・・・なんだかとても新鮮に聴こえた。
一番印象的なのがイントロから妖しいボーカル・ヒカップが重なる WORKIN’ DAY AND NIGHT 。。。ため息風であったり、雄たけびであったり・・・多彩なテクニックが曲中自在に使用されている。彼のボーカルはファルセットに・・・軽やかにスムーズに変化していき、マイケルの世界に引き込まれてゆく。この歌聴かずにはおれない大好きな一曲。脳が「もっと聴きたい」と求める感じでしょうか。
ボーカル・ヒカップは感情をぐっと高めて、ホールドし一瞬に吐き出す。それは悲しみであったり、喜びであったり、緊張であったり、ため息であったりする。マイケルがどんな感情を演出しているのか、あるいは「自然発生的」にでてきたものなのか・・・それを探るのも楽しみです。
最近気づいたのだけど、マイケルはいろんな「遊び心」を歌に仕掛けているな・・・と思う。それを感じ取るのは聴き手の想像力なんだ、と。 「ホー」とか「ヒーー」とか、「パウ」とか「シュクチュク」とか「心臓の音」とか・・・「さあ、僕のエモーションを受け取ってよ」 そういう気合がびしびし感じられます。マイケルのエモーション・ローションを浴びて、私の脳も痺れてくる・・・。そしてまるで一対一で対座してるかのような甘い勘違いをさせてくれる。そんな蜜な時間と空間を与えてくれるのがマイケルの音楽。
見方を変えれば、違う光を放つ・・・マイケルの変幻自在なボーカル。彼の歌がいまだ輝き、新たなファンを魅了している・・・というのもそこに一因がある気がします。
過去ログ:
GOLDは
書庫「70年代のMJ」 
WORKIN' DAY AND NIGHTは「OFF THE WALL」の書庫にあります。
(・・・リンクが貼れないんだけど。何故?)



1978年にシングルリリースされたEase On Downthe Road。マイケルジャクソンとダイアナロスのデュエット。

1981年のダイアナTVスペシャルショーでは二人おそろいのタキシードでこの歌を歌う。プロデューサーQ がピアノ伴奏という豪華なセットアップ。


クインシーはマイケルと映画ウィズで初めて仕事をした。その頃のマイケルについてQは自伝でこう語っている。
1972年ロス。はじめてマイケルに会ったのはサミーデービスJr.の自宅。アフターヌーンパーティのときだった。みんなでジャクソン5がでているエドサリバンショーを見ていた。サミーがビデオに取っておいたのだ。「バブルガム」スターを超える可能性を感じた。マイケルはポップ音楽の天才。でも彼の偉大さは依然誤解されたままだし、本人自身にもよくわかってないようだ。こんにち(2002年当時)作家や評論家はマイケルを歴史からつまみだそうと決意したように思えるけど、そんなことは起こりっこないんだ。・・・マイケルジャクソンはポップの歴史の頂点にたったんだからね。イーグルスが国内セールスで彼を抜いたとか、行動がいかに常軌を逸してきたかとか、誰がなにを言ったところでその歴史が消えることはない。地球規模のセールスで言えば、彼を抜くことが出来るのはマイケル本人しかいないのだから。
映画ウィズで初めて一緒に仕事をしたのだけと、僕は当初乗り気じゃなかった。大ヒットしたブロードウェイのショーで歌われた歌には何も感じなかったからね。でもHomeEase on Down the Road、そしてBrand New Dayの3曲だけは別。仕事を引き受けたのは監督のシドニー・ルーメットのため。映画音楽を最初にやらせてくれた恩人なんだ。ほかにも彼にはたくさん恩義があったから。
マイケルは当時19歳。60歳の分別と子供のような情熱を持っていた。純粋でシャイでハンサムな少年。そして驚くほどの知性をもっていた。くすくす笑ってあまり大笑いをしないんだ。でも恥ずかしがり屋の外見の下に、完璧さを追求する火のような情熱と、「世界一のエンタティナーになるんだ」という限りない野心を秘めていたんだ。ジェームズブラウン、サミーデービス、フレッドアステア、ジーンケリー。マイケルは心から彼らを尊敬し研究もしていた。(映画ウィズのために)彼はガゼルやチーターのテープを見てはその自然な動きと優雅さを真似しようとしていた。彼はそれぞれのカテゴリーのトップモデルをたどり、他の誰もできないような動きやパーソナリティを作りあげる。サミーがまったく同じ事をしてたんだ。
はじめは単なるロールモデルで始まるんだけど、そのうち現実(自分)と幻想(モデル)の境界線が曖昧になってくるんだ。マイケルはまったくスポンジかカメレオンみたいなんだよ。ぼくはエラやシナトラ、サシー、アレサ、レイチャールズ、ダイナなど偉大なジャズ歌手たちと仕事をしてきた。それで感じるんだけど、マイケルにはかれらのもつ資質の何かが備わっているように思えるんだ。彼らは痛みを打ち砕くように、傷づいた心を癒すように、問題を解き放つように歌う。彼らにとって音楽は牢獄に閉じ込められた感情を解き放つ手段なんだ。
マイケルは僕の家に初めてきたときにこう言った。
「そろそろエピックで最初のソロレコードを出そうと思ってるんですけど。どなたかプロデューサーを紹介していただくことができますか?」
「今は映画の準備で手一杯だけど、考えておくよ」
ウィズの音楽シーンのリハーサルで、僕はますます感銘した。彼は朝5時に案山子メークのために現場に現れ、すべて必要なことは頭の中に記憶してた。映画の誰のどの歌の歌詞も、どのシーンの会話も、ダンスのステップもすべて覚えていたから。ある日。リハでソクラテスのことを彼は間違って「ソー・クレイ・ティーズ」と発音していた。3日たって誰も訂正してないので僕は休憩のときに彼を連れ出して、小声で言ったんだ。
「マイケル。癖にならないうちに直したほうがいいと思うんだけど。
あの名前はサーク・ラ・ティーズって発音するんだ。」
「本当?」
なんて可愛い反応!大きな目がさらに見開かれたんだ。そのとき即座に約束した。僕が君の新しいレコードをプロデュースするよ、ってね。
 
ON THE JOB
イメージ 1

「師匠。さすがにすばやいですね。何ですか、そのひざの上の手は・・・。足もくっつきすぎですよ!」
「君ぃ。僕の手と足に聞いてくれよ」
「いいのよー。クインシーなら許せるわー。全然いやらしくないしぃ。マイクも少し見習ったらどう?」
「え?それって・・・」
「プチマの頃はわたくしが母親代わりだったんだから。シリアルだって食べさせたのよー。」
「あの頃から女神のように思えて目でずっと追ってました・・・」
「目で追うだけじゃだめだ。行動で示すんだ、マイク」
「そうすか。じゃ失礼します」
「なんか、今日ももてもてね。うれしいわ」
 

ベンのテーマ(音楽)

鼠(ラット)と病気の少年の友情を描いた映画BEN。1972年公開されるや、マイケル少年は劇場へ足を運び、映画のエンディング・クレジットが流れるのを待った。『‘BEN’SUNG BY MICHAEL JACKSON』の一行を見るために・・・。 (MOONWALK, p.99)

ジャクソン5時代(モータウンレーベル)の4番めのソロ・シングル。1972年7月にアルバムBENよりシングルカット(2:48)。カップリングは同じアルバムからYOU CAN CRY ON MY SHOULDER。ソロ・アーティストとして、初めてUSビルボードチャート1位になった曲。

私にとっては、プチマやジャクソン5の歌を聞くきっかけになった大・大好きな曲。

ジャクソン5時代のソロアルバムは4枚ある。第一弾がGOT TO BE THERE。そしてBEN。それぞれ1972年1月、8月にリリース。第3弾は1973年4月のMUSIC & ME.。そしてモータウン最後の一枚、FOREVER MICHAELは1975年1月。同年CBSと契約し、以後傘下のEPICレーベルからレコードを出すことになる。

ソング・ライティングはDON BLACKとWALTER SCHARF。もともとオズモンド・ブラザーズのダニー・オズモンドが歌う予定だった曲。彼がツアー中で、レコーディングが不可能だったため、マイケルの元へ、オファーが届いた。リリースして、1週間でUSポップチャートのトップになる。そののち、ゴールデングローブ賞のBEST SONGを受賞。’73年3月のアカデミー賞BEST SONGにノミネートされ、セレモニーのステージで歌う。情感のこもったバラード。このときマイケルは14歳だった。

45回オスカーで歌うマイケル:



余談ですが、この年は、THE GODFATHER がBEST PICTUREをとり、主演のマーロン・ブランドー(マイケルと親交が深かった)が受賞を拒否。ショーをボイコットした。BEST SONGはTHE MORNING AFTER。映画ポセイドンアドベンチャーの主題歌。MAUREEN MCGOVERNが歌う、この歌も名作。

2009年、9月。エイコンはリミックスバージョンをリリース。それは、マイケルのオリジナル・ボーカルと自分のバックグラウンド・ボーカルをリミックスしたもの。エイコンはほんとにマー様の事好きなんだな・・・。

Konvict remix −Remix Suite 3 BY AKON + MJ:




2001年9月。マイケル・ジャクソンの30TH ANNIVERSARY SPECIALショーでビリー・ギルマンが歌う。またプチマとは違う個性でいいね。88年5月生まれというから、このときビリーは13歳。 1:25あたりから私、鳥肌立ちました。恐るべし。今繰り返し聴いてます。こうしてマイケルが若い人に受け継がれていく。今21歳のカントリー歌手。




音楽一口コーナー:

BENはFメイジャーのキー。テンポは88bpm。これは、1分間に刻むビートの数。一秒で刻めば60bpmということになる。たとえば、BEAT ITは140bpm なのでかなり早いテンポってことね。ボーカル・レインジはB3からD5。これはピアノの鍵盤で説明されるが・・・はい、これ受け売りです。でもね自分でも少しは調べましたよー。下の鍵盤図。C4がドですね。B3はその左のキー(シ)。そしてD5は、(レ)。グラフィックだと良くわかりますね。

イメージ 1




イメージ 1レンタルDVDで見たTHE WIZ。面白かった。喜劇ではないんだが、おなかが捩れるほどよく笑った。マイケル・ジャクソンはじめ、役者がゴージャス。衣装やセット、ライティングもゴージャス。制作費、たくさん掛かってます。
1978年10月公開。134分の映像はデジタルリマスター版なので、とても美しい。ニューヨークを舞台にした、都会的でモダンテイストなミュージカル・ファンタジー。
原作を読んだことは無いのだが、主人公のドロシーは確か6歳の少女。なのでダイアナ・ロスが登場したときは、かなりびっくり。・・・ドロシーおばさんの話かと思ったけど、そこは芸達者な彼女。次第に(年齢が)気にならなくなるので大丈夫。何より脇を固める3人のキャラクターがいい。案山子(MJ)、ブリキ男(NIPSEY RUSSELL)、臆病なライオン君(TED ROSS)。特に、このライオンが何気にキュートで、ユーモラスで笑わせてくれる。そして、もちろんMJも。

MJのかかし:

イメージ 2かわいそうに全身ゴミで出来ていて、なんと頭の中までゴミが詰まっている。
「脳が無いんだ」といって、帽子を取って見せたり、おなかから紙を取り出して、格言を語るところなんか、絶妙のタイミングで笑わせてくれる。彼のせりふや仕草は逐一おかしくって、つくづくユーモアのある人だなあ、と思う。
メディアからは、「本物の演技の才能(genuine acting talent)」と評された、MJの案山子。・・・でも、その裏には、血を吐くほどの努力があったんです・・・。

BEHIND THE SCENE:

イメージ 3オリジナルは1975年のブロードウェイミュージカル。ドロシーはR&B歌手のステファニー・ミルズが演じた。このミュージカルが大好きだったMJは、楽屋にステファニーを度々訪ねている。
・・・ン?何か妙に親密そうな感じ・・・。

イメージ 4モータウンのベリーゴーディ社長は当初、このステファニーを映画の主役に考えていた。・・・が、モータウンの女帝、ダイアナが自分を主役にできないかといってきた。ゴーディは、33歳のロスでは、老けすぎだから、と断る。女帝、今度は、映画の配給会社(Universal Pictures)に根回しをして、役を射止める。自分をドロシーにするなら、フィルム制作にその会社も参加する、というオファーを提示してね。凄い政治力だよね。ダイアナ姉(あね)さん。
でも、あねさんが主役に決まったことで、当初予定されていた監督が降りた。理由は姉さん、ドロシー役には老けすぎだから、とまたもや言われてしまった。

あねさんの勧めで、案山子役のオーディションを受けたMJ。完璧な演技目指して、カモシカや、チーターや、豹などの動きをビデオで研究。

この映画出演に関して、MJはその思い入れや、撮影のエピソードなどを自伝MOONWALKで語っている。以前に書いたものを、抜粋。

同時にあらたな挑戦として、映画出演への興味があった。その頃モータウンはブロードウェイミュージカルのTHE WIZを映画化する権利を得ていた。主演はダイアナロス。彼女はマイケルにオーディションを受けるよう勧めてきた。マイケルはフィルムが記録として残るという点に意義をみいだしている。素晴らしい演技が永遠に焼き付けられる。そして、それは世界中の人々に、世代を超えて分かち合える。後年の、エポックメーキングなショートフィルムの発想はこのころ既に芽生えていた!(下の写真:いつみても賢そうなマイケル)

イメージ 5

マイケルはかかしのキャラクターでオーディションを受け、合格。ニューヨークのハーレムで撮影が始まる。この撮影でのエピソードがちょっと笑えたりして。本人は大真面目で怒ってたりするのですが・・・。本来マイケルはユーモアがあり、いたずら好きの人。でも本番中は凄い集中力で、用意も万端、完璧主義。そこが周囲との軋轢を生んだりしたようで・・・。(下の写真:あねさんの髪型・・いかがなものか。)

イメージ 6

マイケルの物覚えの速さは超一流。踊りの振り付けも一回見ただけで覚える。でもダイアナをはじめ、他のキャラクターたちはそうはいかなかった。みんな四苦八苦して何回もやり直すところを、マイケルは一回で苦もなく出来る。皆さん、そんなマイケルがむかついたらしい。ダイアナはマイケルを引っ張っていき、早すぎるのよっ!と一喝。で、俳優たち、そんなマイケルに一矢報いようと、意地悪をしたらしい。まじめなシーン撮りの時、マイケルを笑わせようと、変な顔をしたり、大事なせりふのときに気を逸らせようとしたり・・・。マイケルは本気で怒ってます。私、なんかこの温度差がおかしくて笑っちゃいました。

でも・・・笑ってごめんね。マイケルはこの撮影、楽しいながらもストレスと不安にさいなまれていて、ジャーメインの家にいるとき近くの海辺で気を失い倒れた。肺のなかの血管が破れたという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、有名なエピソード。Qとの出会い。ある日撮影中のMJ。台詞でソクラテスと発音したとき、だれかがその発音を訂正した。マイケルは声の主を見、お礼を言った。(なんて、礼儀正しいMJ!)それは、この映画の音楽を担当していたクインシー・ジョーンズだった。

この映画撮影を通して、MJは映画制作のプロセスを学んだ。そして、新たなインスピレーションと力を得た。次に自分は何をするべきなのか?この新たに得たものをどう生かしたらよいのだろうか?それから、怒涛のQ&MJ時代が幕を開ける・・・。



*参照:http://en.wikipedia.org/wiki/The_Wiz_%28film%29
    Moonwalk, Michael Jackson: 2009 p.130-142

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