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FOREVER, MICHAEL

マイケルジャクソンの音楽とアート。ジャズ・ロック・ブルースなど黒人音楽の歴史とライブ魅録。

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ネバーランド2010

心待ちにしていたネバーランド最新ニュース。

ネバーランドを州立公園に
カリフォルニア州では立法に携わる議員の間に、ネバーランドを州立公園にするという考えが浮上してきた。今月13日。州議員マイク・デービス(ロサンジェルス出身。民主党)が発言。カリフォルニア州公園&リクリエーション局がネバーランドを買い取り、管理するという考えは検討に値すると述べた。8月の立法議会で提言する予定。
「マイケルは比類なきエンタティナー。彼の土地を管理下におくことは州にとっても有益だ。音楽と芸術を愛する多くのファンが集ってくるに違いない。」デービスは「芸術、エンタテインメント、スポーツ、観光、インターネットメディア州議会委員会」の執行委員長でもある。  (7/14 latimesblogs.latimes.com/lanow)
 久々になんという朗報でしょう・・・。私に選挙権があったらマイク・デービス、あなたさまに生涯投票いたします。ネバーランドに使っていただけるなら喜んで税金も払います。カリフォルニア州は2001年のエネルギー会社エンロンの不正会計事件と破産(11月)手続きをきっかけに、財政危機が続いている。いまその妥当性を巡って意見を求めているようだ。こんな時代だからこそ、内需拡大、連邦の補助が受けられるグリーンビジネスの展開が必要。新しく州立公園・アミューズメントパークを作るなら、この機会こそ環境ビジネスのチャンス。雇用拡大、消費拡大、グリーンプロジェクトの展開と新しいビジネスのモデルケースにもなるはず。・・・というようなマイ・オピニオンを私も届けようと思う。

ネバーランドは現在どうなっているのでしょうか・・・。 そして本件の実現可能性は・・・?          
かつてあったパークの乗り物や動物園。その多くが取り壊されたり、売却された。 コロニーキャピタル LLCという、サンタバーバラの私企業がネバーランドの権利を持っていた。マイケルジャクソンが抵当物受取権喪失でほとんど土地を失いかけた時期に、ベンチャー契約を結び、2008年に35 ミリオン(@90で31億5千万円: 注:彼はオリジナルのランチを1988年に17百万ドルで購入)でコロニーキャピトルに移譲。現在はジャクソン家とキャピタルの共同所有となっている。
2009年7月のネバーランド:

カリフォルニア州は19 ビリオンの予算赤字。以前シュワルツネッガー知事は赤字補填のために州の歴史的建造物を売却する案を提出したほど。
「州が赤字を抱えているから・・・州の公園局だけで購入するのは難しいと思う」 デービス氏は公・民のパートナーシップを提案するつもりだ。今はただのアイディアに過ぎないが、8月に立法議会が召集されたら、法案・決議案として提出できるかもしれない。「可能な限り詳細を煮詰めて、適切な提案になるよう努力する」と氏は言う。彼はNAACP (National Association for the Advancementof Colored Peopleのアリス・ハフマン議長などからそのアイディアを持ちかけられたということだ。しかし当のハフマンの事務局からはデービス氏が発言した日に、折り返しの電話はなかったという。
 
購入のファイナンスは??
公園&リクリエーション局は最近予算の削減を受けた。州政府がランチの購入や管理維持費をどうやって払うかははっきりしていない。去年、シュワルツネッガー知事は財政節約のため279の州立公園のうち220を閉めようと提案したが却下。しかしある時点で、半分の公園を閉め、サービスも減らすことを決定。
11月。州立公園への安定した資金供給のために、車のライセンス代に18ドルを上乗せするーという案件に対し、州民の是非を問う投票が行われる。もし認可されたら、カリフォルニアナンバーの車は公園の駐車料がただになる。
もうひとつ否定的な見解がある。一年前、サンタ・イネス・バレー(ネバーランドがあるところ)付近の住民が組織を作り、ネバーランドを観光地にする計画にはすべて反対することに決めた。ネバーランドが児童虐待の舞台になったという疑惑をうんだところだからだ。
デービス氏はジャクソンを取り巻く否定的な意見に対し、プレスリーのグレースランド(*)を持ち出して反論。そこはプレスリーの業績に焦点をあてたもので、彼の私生活は問題にしていない、と。(7・14付けktla.com
 難題山積み・・・本件は今後の動向に注目していきたい。がんばれ〜デービスさん。
 
*グレースランドはプレスリー財団が所有。以前記事にあげましたが、元妻プリシラの手腕もあって巨額

の利益を生む成功をおさめた施設となっている。


サンタ・イネス谷にある2,700エーカーのZACA LADERAS ランチ。古きよき時代のカリフォルニアを思わせる。ロスからは車で2時間あまりのところにある。海岸に近く冷涼な風と湿った土壌。その丘はシカモアとオークの木で覆われていた。まわりは南カリフォルニアの最上のぶどう園に囲まれていた。

1977年。不動産業を営むウィリアム・ボーン氏はその土地を調査・検分した。そしてこの荒れたカウボーイランチが自分のドリームワールドになると確信した。13,000スクエア・フィートの母屋(2階建て)、離れ屋、雄大な庭、滝と石橋のある4エーカーの湖。15年家を作り続けたノウハウを全て表現したいと思った。家族を呼び寄せ、シカモア谷・ランチと名を変えた。 シカモアの木のように家族が繁栄することを願って。

イメージ 12年半かけて、ボーン氏と建築家はアイディアを練った。1982年までには、全米の匠たちの技術を招集して行われた長期間の建設工事も終わった。チューダースタイルの家。細工が幾重にも施されたインテリア。花で覆われた前庭。玄関ホールの天井は手塗りの漆喰が施され、手で削った荒削りのはりが渡されている。それはオーク材で作られた、繊細な細工を施した階段と好対照を成している。
19世紀の真鍮のシャンデリア。くるみの木で作られたフランス製アンティークの大きなケース時計。17世紀の朝食用テーブル。錫製の食器コレクション。アンティークのへリーズ製ペルシャ絨毯。

「わたしのビジネスでやりたかったこと、けれど実現不可能だったこと。を全てここでやってのけたんだ」とボーン氏は述懐する。

そして1988年。この土地は新たな所有者を得ることになる。(ARCHITECTURAL DIGEST 誌。2009年11月号。P106-111)

・・・マイケルは家具もカーペットもそのまま引き取った。内装も家屋自体も購入時のまま。ボーン氏のリビングに茶色のピアノが置かれてあった。ハリーの撮った写真には同じピアノを弾いているマイケルの姿がある。

Taraborrelli著伝記より。マイケルは1988年3月に当時シカモア・ランチと呼ばれていたサンタ・イネス谷にある2700エーカーの土地と家屋を購入した。マイケルはSAY SAY SAYビデオロケのときに、この土地に滞在し、すっかり気に入っていた。しかしこのランチを手に入れるまでいろんな紆余曲折があった。

マイケルにとって重要な要素は、まずエンシーノから地理的に十分に離れていて、家族との距離が保てること。当時の敷地所有者は不動産業のウィリアム・ボーン氏。多大な年月と資産をつぎこみシカモア・ランチを作った。マイケルはボーン氏の提供した馬車に乗って敷地を探索した。

敷地購入について、弁護士ジョン・ブランカにとっては気乗りのしない一件だった。ビジネスの観点から見て、将来利益を生むような投資ではないから。それで、マイケルに手紙でアドバイスをする。もしどうしても買いたいのなら、投資目的で買うべきではないと。

マイケルはポールの自宅に滞在して、その贅沢な広さと、緑の生い茂る敷地に魅了されていた。「僕のゲストは何か雄大なものを期待するよ。」「スケールの大きなことをやってきたんだからそのように見えなきゃいけないんだ。」とジョンに訴える。

・・・マイケルはポールのライフスタイルに随分影響されたようだ。

それで、マイケルの為に少しでも有利な取引を確保すべく、厳しく長い交渉に入った。このランチに売主が提示した金額は大きすぎる。その対価に見合う価値は無いと考えるジョン。交渉が遅々として進まない。マイケルは欲しいとなったら一刻も早く手に入れたい。二人の信頼関係に亀裂が生じ始める。

そのうち、どたんばで所有者のボーン氏の気持ちが揺れ始めた。ランチには特別な思い入れがあって、失いたくないと思い始めた。しかし経済状態の危機にあったボーン氏はいくつかの条件を出し、最終的に17.0百万ドルで合意。売値は35.0百万ドルだったから、この大きな譲歩についての理由は明らかにされていない。マイケルは家屋のインテリア装飾、18−19世紀のアンティーク、カーペットや家具などもそっくり手に入れた。

ボーン氏は毎年1週間ランチで過ごす権利を得た。所有地を売り渡した翌年から、3年の間という期間限定ではあったが。けれど、そのためにボーン氏はランチを完全に失ったという感情からは救われた。

マイケルはまず最初にランチの名前をネバーランドに変えた。ロスで仕事があるときは、ウェストウッドに借りてあるコンドミニアムに泊まる。マイケルはそこを“隠れ家”と呼んだ。それ以外はネバーランドランチに住み、エンシーノの家には二度と帰らなかった。マイケルは新しい土地で静かに生活したかった。空間と考える場所とBADツアーから戻って休める場所が必要だった。

余談


・・・ネバーランドは現在もとの姿を復旧すべくスタッフが入っていると言う。(マーロン談)12/8/09のインタビューなのでもう復旧作業も終わっているのではないだろうか。 願わくは、マイケル・ミュージアムにしてください。ボーン氏の思いもマイケルの思い出も消さないで、現状をそのまま残して欲しい。

サンタ・イネス谷は風光明媚なリゾート地。ホテルもショッピングモールもある。ホテルからは10分程度のドライブでネバーランドにいくことができる。ご家族たちの裁判に無用に使うお金を集めて、MJミュージアム・トラストを作り、敏腕な経営者(フランク・ディレオでもいいやね)を雇い、世界中から観光客を集める。そのミュージアムは、環境ビジネスともリンクし、・・・ああもう、妄想がとまらない。

たとえば、プレスリーの未亡人、プリシラはプレスリーの居住していたグレース・ランドをミュージアムに仕立て、レストラン・ショップを作り世界中からファンを集めた。維持するだけでも年間50万ドル(5千万円)掛かる邸宅。初期投資は53.6万ドル。しかし’82年にオープンして38日で回収したと言う。潤沢に利益を上げ、プリシラが創立した、エルビス・プレスリー・エンタープライズの重要な利益源となっている。いまやそのトラストの資産は100ミリオンダラー(@100で100億円)ということだ。

イメージ 1

“ARCHITECTURAL DIGEST” 誌11月号‘09

ハリーベンソン(Harry Benson, フォトグラファー)の回想:

わたしが始めてマイケルに会ったのは、1984年コロラド州の丘の中腹である。
ビクトリーツアーの最中であった。わたしはぬかるんだ急な坂を上っていく
途中、足を滑らせた。すぐに駆けつけて助けてくれたのが、マイケルだった。
わたしは大丈夫だったが、レンズのいくつかが泥にまみれてしまった。マイ
ケルはわたしの茶色のスコットランド製ツイードのジャケットを見るや、気
に入ってしまった。私はそれを脱いで、マイケルに渡した。彼は気に入って
くれたようで、すぐさまジャケットをはおり、明るい太陽光のもとで、くる
くると回った。わたしは走り、ジャンプする彼を写真に収めた。その夜のス
テージで彼は、スパンコールを身につけ、きらきら輝いていた。私は、撮っ
た写真とともにニューヨークに戻った。

ビクトリーツアーの勢いはとまらず、フィラデルフィアでもマイケルに合
流し、写真を撮った。また同じことが起きた。今度はグレーのハリス・
ツイード社のジャケットだった。私は、彼がツイードに織りこまれた色に
じっと見いっているのに気がついた。気に入ったようなので、わたしはそ
のジャケットを彼に進呈した。

しばらく後に、ニュースを見ていたら、おもしろいことに、マイケルがそ
のジャケットを着て、ファンに囲まれリムジンに乗り込むところであった。

1985年、“WE ARE THE WORLD” レコーディングの際、ロスのスタジオで、
マイケルの写真を撮った。クインシーは、「エゴはドアの前でお捨てくだ
さい」とメモ書きを貼っていた。そして45人の参加者はそうした。プリン
スは「今から行こうと思う。」と何度も電話で言ってきた。クインシーは
もう始まってるから急ぐようにいった。マイケルの声が聞こえてきた。
「プリンスはぼくがいる限り、ここには来ないよ。」プリンスがふたたび
電話してきたとき、クインシーは言った。「かまわないでくれ。もう全て
終わったから。」と。

最初に会ったとき、マイケルは内気そうだった。彼は、とても柔らかい声
で話し、よく知られた高音だったが、10分もすれば彼の声は低くなった。
わたしは気づいたのだが、権力を持つ人々、国家元首とか、その多くのひ
とたちがとても優しく話すものである。そういう人たちは、注意を惹くた
めに声高に話す必要はないのである。彼らの話は一回で聞き取らなくては
ならない。彼らは繰り返しを嫌うから。マイケルも同様であった。一時間
後、ふたたび会ったときには、またはじめの繰り返しだった。高音で、静
かな口調、そして10分後にはまた、なにかしら低めの声に変わった。

1995年に会ったとき、またわたしの着ていたツイードジャケットがマイケ
ルのお気に召したので、ふたたびそれを進呈した。彼はそれを着て、新婦
リサ・マリー・プレスリーと写真に納まった。

1997年にわたしはネバーランドを訪れた。そして最初のお子さん、プリン
スと一緒の写真を撮った。プリンスに食事を与えているとき、顔中に食べ
物がこぼれてしまった。マイケルは冗談に「リンダブレアの時間だ。」と
いった。映画エクソシストの主演女優の名である。赤ちゃんは機嫌よく笑
っていた。そのあと、私たちはプリンスを連れて2階の彼の部屋へといった。
そこで、マイケルはプリンスが眠りにつくまでミルクを与え、歌を歌って
あげるのである。マイケルは語った。「プリンスに、僕は歌のイメージを
与えられるんだ。過去のどんなときよりもね。」と。

翌日マイケルはリハーサルスタジオに案内してくれた。そこで、彼はムーン
ウォークをさらに進化させてきたのである。マイケルはここにプリンスをた
びたび連れてきて、鏡の前で練習する姿を見せるそうである。そして、いつ
か一緒に踊りたいと語った。プリンスは座って、マイクロフォンをもて遊び
ながら、父親のあらゆる動きを見つめていた。マイケルはわたしにムーン
ウォークは簡単だよ、といった。「ハリー、やってごらん。足をうしろに引
っ張るんだ。」いうまでもなく、わたしは挑戦してみるほど愚かではない。

彼の寝室の外側に立っているのは、女王の騎兵隊のマネキンである。寝室は
暗く、そっけない。ベージュと茶色のトーンで、正直なところ、幾分気分が
滅入るようだ。ベッドの隣には、大きな、王朝風赤い金箔張りの椅子がある。
マホガニーの4柱式のベッドの上には、ブロンドのキリストの絵が飾ってある。

マイケルとは仕事がやりやすい。彼は喜んで家の中を案内してくれた。撮影
はすべて速やかに終わった。忘れがちな教訓は、“速やかに仕事をすすめる
べし。被写体が飽きないように。” ということである。マイケルは何を着
たらよいかたずねてきた。私は、「あなたらしく。リラックスできるものを
着てください。」と答えた。

誰にでもわかるだろう。ネバーランドがいかにマイケルの心を不安から解き
放ち、ストレスに満ちた現実の生活から逃避させるくれる、ということを。
彼は望むもの全てをここに作った。私の印象では、マイケルは別段そこで世
捨て人生活をしているわけではない。彼は新聞を読み、世間のニュースにも
通じている。一度彼は私に尋ねた。レーガン政権をどう思うかと。そして、
ロシアの作家、ソルジェ二ツィンのことも、わたしが撮った彼の写真を見な
がら、どういう人物か知りたがった。マイケルは誰が誰であるかを、必ず知
っていた。いつでも、彼の悲しげな目は鋭く、顔を近づけて私を見ていた。
時には、彼は爆笑したものだが、おおむね彼はただ見ていただけだった。

マイケルと私はとくに親しかったわけではないけれども、お互い親しみも感
じ、尊敬もしていた。仕事をともにさせてくれる人との関係はそれで十分で
はないか。わたしは彼がいなくなって寂しい。私たちはみな彼の偉大な才能
を惜しむ。

イメージ 1

この部屋にファクス機が置いてあるのがツボ。


―さあ、充実した一日でしたね〜(ってほんとか)。
園内に流れるChildhood を聞きながら、不機嫌な動物
たちにも挨拶をして、お帰りも横門からですよ。
エリザベスの象、ジプシーの写真も撮りましたか?

ネバーランドのその後。2005年に無罪確定の後、
マイケルはネバーランドを離れ、バーレーンに移住。

2003年12月に、マイケルはCBS’60 minutes’ のインタビュー
を受けて、虐待容疑での逮捕からネバーランド邸宅の捜索に
いたる、一連の出来事を述べている。取り調べでのあまりに
むごい体験が語られているので、文字にすることは出来ません。
サンタバーバラのポリスの馬鹿〜x10。マー様になんていう
仕打ちを・・・。検察のあほ〜x10。ほかに追いかける
凶悪犯罪が山積みでしょうに。


*PAUL THEROUX: 「ARCHITECURAL DIGEST」誌 寄稿文
マイケルジャクソンのネバーランド − 
“誰か僕の子供時代を見ましたか?”より − 3/3

子供たちは暗闇が嫌いである:ネバーランドは
きらめく光の国。

子供たちは沈黙が嫌いである:音楽はとぎれる
ことなく、家の中でも、庭でも流れていた。
TVのかわりに、マイケルはジャンボトロン・
スクリーンで、一日中アニメを流した。

供たちは動物園とサーカスと遊園地が好きである:
マイケルはそれらを作った。ネバーランドは安全な
ところだった。あちらこちらに、おもちゃの兵隊の
ように制服を着込んだセキュリティがいた。ある
ものは歩いて、あるものはゴルフカートで、ある
ものは不寝番で見張りをしていた:というのも、
ネバーランドは要塞でもあるからだ。

「誰かぼくの子供時代を見ましたか?」という問い
に対して、ネバーランドそのものが理想的な答え
である。

けれども、スキャンダルと、無実を勝ち取った裁判
の後、マイケルは言った。ネバーランドは汚濁にまみれた、
二度とそこには住まない、と。

おそらく彼自身が自らに課したネバーランドからの
追放は、彼の子供時代への決別を宣言したものであった
だろう。たしかにその後、彼の人生はよりいっそう過酷な
ものとなった。そして、途方もなくひどいものへと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

マイケルが好んで、そこで創作に勤しんだという、
マイケルの木 “My Giving Tree” は元気でいるん
だろうか?主人を失って寂しいだろうな。ネバーランド
が今後誰の手に渡り、どのような運命をたどっても、
この木だけは残って欲しい。そして、Heal The World
が生まれたこの木を、いつか訪れることが出来たら、
と思う。

さて、いきなりクイズです。

マー様の愛用車は?
マー様が好んで登った木の名前は?
敷地を走る蒸気機関車の名前は?
リビングのカーペットの色は?
コーヒーテーブルに置いてある2冊の本の題は?
好きな小説家は?
ネバーランドの国歌は?
ピアノの上に飾っている、ツーショットのアメリカ大統領は誰でしょう?
マー様のアイドルの一人、手がはさみになっているキャラクターの名は?
ネバーランド映画館の特色は?

ほら、マー様に一歩近づけた気がしますね。

イメージ 1

― マイケル様お宅拝見。曲がりくねった道をてくてく歩き、
いよいよエントランスに到着。おっと、大きなブロンズ像が現れ、びっくり。
わー、でか〜。えっと、マーキュリーって書いたあるわ。
マーキュリーって何?そこの人、やたらに触らないでね。
ヘルメスの杖でたたかれましてよ。さすがにどきどきするわね。
ぴ、ぴんぽ〜ん、HI!・・・ってマイケルいないじゃん。え?
不在ですか〜。じゃ、インタビューは後ほど、電話でということで。
邸内探索ツアー、行き先は・・・書斎、リビング、キッチン、
ゲーム室・・・・え?マスターベッドルームは?バスルームは?って、
期待した、あなた!残念ながら、レポートはありませんよ〜。
やはりプライベートすぎるのでしょうか・・・・。いえね、
わたしはただインテリア的見地から興味があるだけだし。
寝室に置かれた王様の椅子(の写真)をみて我慢して頂戴。


*PAUL THEROUX: 「ARCHITECURAL DIGEST」誌 寄稿文
マイケルジャクソンのネバーランド − 
“誰か僕の子供時代を見ましたか?”より − 2/3


曲がりくねった道が終わり、その先に、ネバーランドの
主の家、が鎮座する。ハリウッド チューダー調のデザイン、
田舎風の味付けをし、濃色の屋根、弓形の張り出した窓、
家全体は木々に守られ、そびえたち、当惑させるような
マーキュリーのブロンズ像が置かれてある。

ネバーランド内部へ立ち入りを許可されたものはあまり
いない。 ネバーランドの全体の外観は、子供時代の
ファンタジーをまぶしく思いださせるものであった。

わたしは運良く4月の寒い一日、許可を受けた。
マイケルは家にはいなかったが、たくさんの庭師が花壇
の中で、小人のように、せっせと働いていた。
マイケルジャクソンのセキュリティたちは、ゴルフ・カート
に乗り、一斉にパトロールに出ていた。

一見して、部屋は、ぴかぴかしたもので溢れていた。
肖像画や、フレームに入った写真、彫像、トロフィーで
満ちている一続きの部屋、そして書斎にはコーヒーテーブル
の上に本が2冊置いてあった。書斎は、B級映画に出てくる
書斎のように、明るい色の皮で製本された、一度も開けて
いない本でぎっしり埋まっていた。まるで映画のセットの
ように見えた。

インテリアはパーソナリティを持つといえる。人間性がその
装飾の中に現れるし、無意識にその乱雑さを露見させる。
部屋は心の側面のようなものとも言える。たとえその
ステージセットが計算づくの過剰な演出であったり、
ときには、家具や飾り物がわざと乱雑に並べてあったり、
それは持ち主がそう見せたいということであるが、それでも、
無意識の乱雑さは意志に反して現れてしまうものである。

マイケルジャクソン家のインテリアは、彼という人間を
祭る聖堂といった風情であった。力を与えてくれる偶像、
崇拝物、願いをかなえる物などで満たされていた。

そして、マイケルの自画像、エリザベス朝の宮廷服に身
を包んだ、等身大のオイル・ペインティング。部屋の内部の
壁や、階段を取り巻く壁には、国王のように飾ったマイケル
のポートレートが多く飾られていた。

コーヒーテーブルの上の、一冊は大判のピーターパンの絵本。
もう一冊は限定版、HIStoryのプログラム。これは、単なる
コンサートプログラムの範疇に入らないものであった。この
プログラムは、マイケルと海外ツアーの写真記録とは別に、
ほとんど聖書に等しいものであった。HIStoryは彼の音楽史で
あるといわれている。それは、彼の過去のヒット曲と新曲から
なり、悪意、怒り、そして感傷がむきだしになっている。

意味の深い歌、CHILDHOODはネバーランドの国歌のようなもの
である。歌詞の中の、ピーターパンはマイケルの音楽漬けの
生涯を思い起こさせるものであった。その歌で、彼は、自分
の子供時代を探し、“痛みをともなう少年時代”、疎外感、
“子供じみたものへの執着”を歌っている。「僕が知らない
子供時代を補って埋めることが僕の運命なんだ。」と。

この2,700エーカーのおとぎの国で、人工池に沿って、
潅木の小道を歩きながら、何故なのかわかってきた。
大きな石に似せたステレオスピーカーから発せられる、
この歌をずっと聴きながら。そして歌は水車や木馬の
回転にあわせて、ずっと流れている。

チャイルドスターは子供時代を持たないとよく言われる。
それが、マイケルとエリザベス・テーラーが似ていると
いわれる所以であり、友達になるにいたった理由である。
マイケルは友人に気前がいい。テーラーがマイケルに、
生きた象を贈ったら、マイケルはお返しに宝石で飾られた
小さな象の細工物を送った。

私は、マイケルに電話で、テーラーのネバーランド訪問に
ついて聞いたとき、彼は「ええ、僕たちはファンタジーの
世界に逃避するんだ。」と答えた。「そこでピクニックを
するんだ。彼女といるととてもリラックスできる。」 

私は何故かと聞いた。彼は言った。「僕たちは同じ人生を
歩いてきたからね。同じことを経験してきたんだ」と。
それは、どういうものであったのだろうか?

「子役スターの大きな悲劇さ。」

マリリン・モンローや、チャップリン、エドワード・シザーハンズ
もまたマイケルのアイドルである。ディズニーのキャラクター
たちは、写真や彫像や、フレームに入った絵として、家の
あちこちに置いてある。特に、ミッキーマウス。ピアノの上には、
マリリンやエリザベス、ミッキーと並んで、ジミー・カーター
元大統領とホワイトハウスで撮った写真、そして南アフリカで
撮ったネルソン・マンデラ師との写真も置かれてある。

この家の特色のひとつは、等身大のマネキンである。特に、
燕尾服を着た執事風のマネキンがひとつキッチンの近くに
立っている。キッチンは大きく、個人の家というより、
レストランの調理室のようだ。でも、作りのしっかりした
ダイニングテーブルのお陰で、他の場所より歓迎ムードが
漂っている―白いカーペットを敷いて、白いピアノが置かれた、
過剰に装飾されたリビングルームや、皮装丁の本の匂いで
満ちた書斎よりも。

書斎について聞いたとき、「僕は短編小説が好きなんだ。」
という。好きな作家として、「サマーセットモーム、
ホイットマン、ヘミングウェイ、トウェイン。」の名を挙げた。

キッチンから少し離れた壁には、フレーム入りの少年の写真
―マイケルのスキャンダルとつながる少年たちの一人―
3枚が一面に飾ってあった: カリフォルニアの裏庭であどけ
なく笑っている。

大きなゲーム室は邸宅のうしろの別棟にしつらえてある。
ピンボールマシーン、射的場、ビデオゲーム、仕掛けのある
乗り物。コインの差込口はあるものの、もちろんただ。
いつまでも自由に遊べるのは、子供たちの夢。音楽もベルの
音も、ゴングや点滅する明かりも。

ゲームのひとつ、ビースト・バスターズはことのほか
魅力的だった。

長い電話のインタビューで、このよく使われているゲーム室
について質問した。「ぼくはビデオゲームが好きなんだ。
X-men。ピンボール。ジュラシックパーク。格闘技のモータル
コンバット。」

ビースト・バスターズについて、「すごいだろ。だけど、
暴力的過ぎるかもね。ツアーにもたいていいくつか持って
いくんだ。」「でも、0.5トンもあるビデオゲーム機は
重すぎませんか?」「ツアーは2機の貨物機で行くからね。」

私はマイケルに質問した。3人の子供たちに芸能人になること
を勧めるかどうかと。「みな好きなことをやればいい。
子供たちがなりたければ、それでいいさ。」
しかし、さらに詳しく聞くと、マイケルは自分が育った環境
とは異なるように子供たちを育てるつもりだと、言った。

「もっと楽しく、もっと愛されて、孤立しないように。」
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