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FOREVER, MICHAEL

マイケルジャクソンの音楽とアート。ジャズ・ロック・ブルースなど黒人音楽の歴史とライブ魅録。

書庫00年代のMJ

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イメージ 1先日スーパーで見かけ、購入した雑誌がこれ。ニューズウィーク特別編集版。汚れないように、ページが折れないように、気をつけてレジに持っていったものだ。


カバーから裏表紙まで100ページマイケルジャクソンづくし。

紙質もよく、レイアウトもとてもきれいで、きっちり愛が感じられる。


溢れるおしゃれなレイアウト!


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ひとつ、記事をご紹介。マイケルのお気に入り絵師、Nate Giorgio と David Nordahl、ふたりの談話が掲載されている。


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記事によれば、マイケルには長い間あたためてきた計画があったそうだ。それはファンのために美術館を作ること。

エンタテナーとしてのMJではなくて、彼の人生を感じさせる美術館。

それはいますぐ実現させるものではなく、もっと人生後半のことだ、と考えていたようだ()ところが、2009年の突然の悲劇でその計画はMJとともに密かにしまわれた。

 

ノダール: 「マイケルはThis Is Itのリハ中、Nate Giorgio に電話をかけた。ラスベガスに物件を見つけたから、そこで時間がとれ次第、

Nateと僕にラスベガスで合流してその物件を見て欲しい、ということだった。」 


ジョルジオ: 「彼(マイケル)は僕に美術館について話してくれた。そこに彼の全てを残したいと思っていたんだ。アート作品、トロフィー、など全部。」「それから彼は僕に床から天井まで埋め尽くすような壁画を描いて欲しい、といった。マイケル自身を描いた巨大な壁画。いろんな歴史を飾ったポーズでね。それがマイケルのやり方だった。すべて最高のものを、ね。」「彼は椅子に座ってポーズを取る、ような絵ではなく、彼の本質をあらわすようなもの、を願っていた。・・・」(p82−83)

 
ご本人だけでなく、全世界のファンの夢。あぁ・・・なんて残念なことでしょう。今のところ、彼らの元にマイケルジャクソン美術館の話は来てない、という。




 
美しい心に触れて年末を迎えようとしている。
マイケルの初夢で始まったから、年の瀬もやっぱりマイケルで締めよう。
 
今年も偉大な人が亡くなった。マンデラさん、私はずっと忘れません。
オバマ大統領のメモリアル・スピーチはリスペクトに溢れ、力強かった。
一流のスピーチライターが草稿したものだから、英文も美しく、リズミカルで歯切れがいい。
その流れで、気になっていたけど、ずっと聴かずに過ごしたマイケルのオックスフォード大学ユニオンでのスピーチを思い出した。

2001年3月7日。 若い世代の聴衆に向けて、何を語ったのだろう・・・。
 
イメージ 135分に及ぶレクチャー。このとき、足を骨折していたMJは松葉杖での登場。〜自分の精神は80歳くらいに感じる。今日は歩く姿も80歳だけど・・・。〜と言って、場内の笑いを誘う。
 
父親ジョーとの関係を軸に、相手(親)を許す、ということが平和で愛のある世界を作る大事な礎であると言うテーマ。

身近でパーソナルな話題にバイブルの引用や古典などを絡めて、人類愛や社会正義を語る、というのは、MJの作品でもおなじみ。このスピーチもそういう構成になっています。
 
ジョーとの確執。トラウマ。そして「赦し」と「和解」。
このようなパラダイムシフトがMJの心の中で起こっていたと言うことを、私はしらなかった。
落ち着いたテノールで語るスピーチはとても説得力があった。
 
以前兄ジャーメインの本を読んで、感じたことがある。兄弟姉妹でも上の子と下の子では親に対する感じ方が随分違うな、ということ。年齢が違うから当然と言えばそうなんだけど・・・。兄は父親に、愛情と共感を抱いていた。同じ屋根の下に、男の子が6人!鉄鋼を産業とする町でギャングにならない可能性はむしろ低かった。長兄として、その理解があった。音楽に興味を持ち始めた兄弟に、ジョーが、彼らのエネルギーを練習につぎこませたのも、恐怖心を植えつけるほどの厳しさで接したことも、兄は肯定的に捉えている。
 
しかしながら、6歳からこの世界に入ったマイケルには兄たちが過ごしたCHILDHOODがなかった。そこが決定的に異なる。何の不安もなく想像の翼をおおいに広げることの出来る宝物のような、人生の僅かな時間。

その欠如感は、ずっと彼を支配し、父への不信感、孤独、満たされない思いとなって、彼の心にぽっかりと空洞を開けていた。
 
スピーチで語っている。。。変装して、ショッピングモールや家々を巡り、「エホバの証人」のパンフレットを配った。そのとき垣間見る普通の家庭の様子が彼にとっては綺羅星のように見えた、と。
そうであっても、4歳のときにカーニバルでポニーに乗せてもらった5分間の記憶、ジョーが夜中にこっそりとテーブルに置いた子供たちの好物だったドーナッツの記憶、は彼の心にジョーの居場所を作ったのだ、という。
 
「僕が心の水門を開いたとき、そのほかにも押し寄せる思いがありました。
(父の)小さな仕草の記憶など。
でもそれでは不十分です。彼なりに出来ることをしてくれたのだ、とお話するのには。
だから今夜、父がしてくれなかったことを語るより、彼がしてくれたことや、
彼個人の努力について語ろうと思います。・・・」
 
そうして、ジョーの貧しい家庭での生い立ちや、鉄鋼所で働き家族を養ったこと、に思いを馳せる。
 
「父の愛は完全なものではなかったけど、
彼の行為は “子供を誰からも見下されないようにするための僕への〔愛〕” だった」
 
そうして、〜当初の憎しみの感情はゆるやかに「赦し」へと向かったのだ、と語る。
 
残念ながら、世の中には〔普通の家庭〕や親の愛情が得られない子供たちがたくさんいる。
わたしの周りでもそのようなケースを見聞きする。。。たとえば


  • 親が夜明かしでゲームに夢中
  • キャンプは大人がお酒を飲んではめをはずして騒ぐところだから、子供は連れて行かない
  • 子供たちを祖父母に預けっぱなしで、男友達と遊びまわるシングルマザー
  • 親がドラッグユーザー
・・・福祉が充実してるから悲劇にならないんだけど、危うい綱渡りだ。
 
彼らは親を、社会を、憎むことになるかもしれない。
マイケルは、まず「親を赦すこと」から始めよう、という。
 
「親を憎い、と感じている皆さん。皆さんの失望こそを憎んでください。
親に裏切られた、と感じる皆さん。さらに自分で自分を裏切らないで下さい。
そして親を突き放したいと思う皆さん。変わりに彼らに手を差し伸べてあげてください。
私は皆さんにお願いしたい、そして自分にも。私たちの親に無償の愛を贈りましょう。
そうすれば、彼らもまた僕たちから、彼らの子供たちから、愛することを学ぶでしょう。
愛は最後には、この孤立した孤独な世界を修復するのですから。」
 
1989年1月。カリフォルニア州ストックトンの小学校で銃の乱射事件があった。
そのときマイケルはすぐ現場を訪れ、弔意を伝え、子供たちを勇気付けた〜という記事を読んだことがある。彼の訪問に、事件後の混乱をさらに大きくした、という批判もあったらしいが、子供たちにとっては、何よりの慰めだっただろう。犯人は25歳。4歳のときに両親の離婚を経験し、母親の再婚、虐待などで、13歳で親元を引き離された。
 
「・・・僕は本気で信じているのでしょうか?僕たちはこの世界を直せると。
今でも戦争と大量殺人に満ちた世の中を。
僕は本気で思っているのでしょうか?僕たちは子供たちを救うことが出来ると。
学校に銃と憎しみを持ち込み、同級生を撃った、
あのコロンバイン事件のような子供たちを。
あるいは、無抵抗の幼児を死ぬまで殴った子供たち、
あのジェイミーバルガーの悲劇のように。
もちろん、僕たちには出来る、と僕は本当に思っています。
でなければ、今夜ここには来なかったでしょう。」
 
ジョーに対する気持ちの変化・・・。その過程には、なにか宗教的なものを感じるけれど、彼自身、父親になったことが大きく影響していたのではないか。親と子の絆、こそが平和の礎である。そこからHEALTHE WORLD, HEAL THE CHILDREN が出来る、自分たちなら出来る、と力強く説いているから。

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赦し (FORGIVENESS)」の先には、「和解 (RECONCILIATION) がある。

過去の亡霊を心から追い出し、憎しみの連鎖を断ち切って、
未来のため新しい関係を構築する。。。

これはツツ大司教やマンデラさんの思想でもある。スピーチでは「赦す」と言う概念をマハトマ・ガンジーの言葉で伝えているけれど、90年後半のリアルなマンデラ氏との交流も影響しているのでは。マンデラさんの言葉を、スポンジのように身体に浸み込ませたのではないだろうか。


マンデラさんのいなくなった今、南アの現政権(ANC)は急速に求心力を失っている。残念なことに、汚職の蔓延、貧富の差は拡大、ソウェトのスラムは今も改善されていないそうだ。そういえば、メモリアルのとき、南アのズマ大統領にはブーイングが起こっていたっけ。
 
歌「マネー」で人間の強欲な本性を表現したマイケル。それでも若い世代を信じ、語りたい。自分でも変われたのだから、希望を捨てない。そういう思いがこのスピーチに溢れているようだ。
 
スピーチでの引用〜聖書の預言:
親の心が、子供たちの心を通して回復したとき、
新しい世界と新しい時代が到来する。



 
ニー・ブザン氏との交流
 
昨今は記憶力の減退が著しく、脳が萎縮してるんじゃないか・・・とかなり危機感を抱いてます。
 
イメージ 1「マインドマップ」が脳の活性化にいいらしい、集中力や記憶力を高める、と聞き、カリスマ教育コンサルタント、 トニー・ブザン氏の著作(翻訳)「ザ・マインドマップ 脳の力を強化する思考技術」(320p、ダイヤモンド社:2005) を中古本で購入。今からでも遅くないよね、とつぶやきつつ、数年前のベストセラーを読んでます。

購入後に知ったのだけど、マイコーもページを書き込みでいっぱいにするほど熱心に読んだブザン氏。。。マイコーも辿った道・・・だと思うと意欲も増すというもの。恐れおおくも言わせていただけば、読みながら、まるでマイコーとなにかを共有するような感覚が、脳にとってもいいようですわ。
 
今日日、実践用にたくさんのオンラインサイトやソフトの無料マップ作成ツールがあります。(例:EasyStep) わたしは自分の記憶・まとめ用に使うので、手書きで。ジェルペンで書き出し、
イラストも加え、色付けはプリズマ・カラーマーカーで(にじまないのでよい)。。。
(巷ではモレスキンというノートブックがおしゃれで人気らしい。) 
 
MJがツアーに同行していたフランクにマインドマップ作成を指導するエピソードでは、
たとえば「自分の夢」というコンセプトを描く。実現したいこと、ほしいものは何か、
そのためには何が必要か、雑誌等にイメージがあれば切り抜き、スクラップブックに貼ったり。。。
思いつくことをどんどん書き足してゆきます。
 
著者ブザン氏のホームページを訪問したところ、MJのメモリアル記事が投稿されていました!
マイケル一家と交流があったのです。
 
記事・一部訳:
 
 ジャクソンは“The Ultimate Book of Mind Maps” を読み、(ブザン氏の)ファンになりました。2005年バーレーンの王族一家の元にジャクソンと子供たちが滞在していたときのことです。
ブザン氏は王族の友人でもあり、マイケル一家にマインドマップについて教授するべく
飛んできました。
 
「まるで旧友にあったようだった。彼は飾るところなく、打ち解けたようすで、意欲的だった。
私が教えた学生の中でも優秀な一人だったよ。」とブザン氏は言いました。
「僕の本のほとんどのページに書き込みがあり、使いこまれているのを見て、うれしかった」
「彼はいろんな思考法や学び方に本当に興味をもっていたんだ。」
 
ジャクソンの作ったマインドマップはハピネス、自分自身、当時取り組んでいた仕事といった
テーマを結びつけたものでした。ポップアイコンは幅広い読書量と知的作品でいっぱいの
大きな図書館 (*脳内の記憶データのこと) を持っており、ギリシャ神話を好み、
レオナルド・ダビンチなど天才たちのすぐれた作品を愛していた、とブザン氏は言います。
 
また・・・ 「彼はとても謙虚であったが天才は育てることができると信じ、
自分の天分を伸ばすことに必死だった。子供たちとの関係は良好で、愛情にあふれ、
尊敬に満ち、ともに遊ぶ、奉仕的な父親だった。」そうです。
二人はしばしば電話し、長い会話をし、親しい友人になっていきました。 
6・25のジャクソンの死は「予期せぬ悲しいこと」であり、メディアの「歪曲された」報道で、
さらに悲痛なものとなった、とブザン氏はいいます。
「報道はもっと公正になされるべきであったし、そうできたはずだ、と思う。
いまこそ彼の精神と心の本当のありようを見てゆくべきで、泥を掘り返すような憶測は
やめるべきだ」 氏はジャクソンのことを「飾らず、ユーモアがあり、親切でやさしく、
創造的な人間、聡明で尊敬される生徒だった。」と述べています。
 
                    マイコーが読んだ本:
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脳つながりでマイケルに辿り着くとは。。。最近のサプライズでした。 
MJのマインドマップが描かれたスクラップブックは今どこに眠っているのだろう?
覗き趣味といわないで欲しい、ほんとに見たい・・・。
MJのMP展なんて企画された暁には飛んでゆきたい。

MJは言葉よりビジュアルイメージを好む?
最近読んだ坂崎ニーナさんの本で紹介されていたエピソードが印象的でした。
セガのゲーム音楽を作曲することになり、打ち合わせで、ゲームシーンの説明を受けていたときのこと。
口頭での説明にMJは「想像がつかない」と訴え、今度は絵コンテで説明されると、
凄い勢いでイメージが沸き上がるのが見受けられたそうです。
きっとMJのマインドマップはグラフィックで埋められているに違いない。。。楽しそう!
世界中の子供たちのためにぜひ公開して欲しいものです( ほんとは自分がみたい)。
ところで、マインドマップは本来アイディアを他者とシェアする目的もあり、
優秀なMPはどんどん公開されます。
 
ほかにこういう記事も。
 
 滞在中は、毎日3、4時間を一家とともに過ごし、実際にマインドマップを作成。
「・・・マイケルは彼の仕事のことも語ってくれました。
天才たちから学びとったことを交えながらの、白熱した会話になりました。
それは彼が長い間熱心に勉強してきたことをあらわすものでした。
彼のお気に入りの天才たちは、レオナルド・ダビンチ、アレクサンダー大王、エジソン、
チャップリン、著名なアメリカ人ダンサーで振り付け師のマーサ・グレハムなどです。
彼はルネサンスの巨匠たちをとくに好み、彼らから長年にわたって、大きなひらめきを得てきた、といってました。」
「彼はビデオも見てくれ、といいました。とても謙虚で自分のパフォーマンスについては
客観的で、まるで作りかけの未完成を見るように個々の作品をみていたのです。
こうしたら作品がよくなるよ、っていいながら。私は彼のことが好きでした。
世界は最高に輝くスーパースターの一人を失ったのです。」
 
ブザン氏とブレーンストーミングに熱中する生き生きした姿が浮かんできます。
2005年6・13に無罪判決を得て、8月20日に母国をあとにしてバーレーン入り。
その時期のお話です。裁判への思いを振り切り、意識は常に歴史の偉人を見つめ、
さらなるステップアップに向かっていたことがわかるエピソードです。 
 
マイケルは裁判について、次のように述べています。
〔裁判から学んだこと・・・僕たちは民主主義からほど遠い社会に住んでいるということです。
それはまるでサンドイッチの包み紙のようです。民主主義を装っているけど、一口噛めば、
あますとこなく独裁政治社会の味がするのです。(エイドリアン本:p 248)〕 
はみ出さないように、パン(=政治・社会)で、上下からぎゅっと押さえ込まれた具(=人民)
というメタファーでしょうか。
 
メディアに張られた偽もののレッテルを払拭することはかなわず、しかし、
〔マイケルは今後とも、子供たちの援助やチャリティを行うつもりです。距離を置いて、
自分を前面にだすことはしないけれども。彼は「ひとに与える」という才能を与えられたのだから。
(エイドリアン本:p 248)〕と、チャリティーの継続がジャーメイン兄の口を通して語られています。  
 

このすがすがしい生き方。考え方。品格。。。どこからこのような発想や思考法が生まれてくるのだろう・・・?そう思っていたら、今併読している本(7Habits of the Highly Effective People: 

Stephen R. Covey; kindle: 2009年改定版〕 がまさにマイケルという人を髣髴とさせる内容で、
〔目からうろこ〕のような概念が序章で語られ、それはとてもシンプルだけど、MJの行動や作品を
理解するうえで、とても有益な思考法なのでした。 (Tobe cont’d)


アンドレア・クラウチ(ゴスペルシンガー)。 アルバムBADでは「マン・イン・ザ・ミラー」。DANGEROUSでは「ウィルユービーゼア」と「キープ・ザ・フェイス」。。。などでマイケル・ジャクソンのバックコーラスを務めたゴスペル聖歌隊のリーダー。 HIStory 「アース・ソング」 ではマイケルとのコール&リスポンスで曲をクライマックスへと導く。
2009年の夏。マイケルはアンドレアと彼の妹サンドラと3人でソングライティングのセッションを設けた。二人がマイケルの元を訪ねたのは2回。レコーディングスタジオと彼の自宅。マイケルが亡くなる3週間ほど前のことだった。マイケルは「神の霊」の塗油(洗礼式などで油を注いで清めること)に因む儀式と祈りについて尋ねた。彼は音楽をより「スピリチュアル」なものにする方法を探し求めていたからだ。 それで2人はキリストと塗油について彼に説明した・・・。 

ホーリースピリットの塗油(THE ANOINTING OF THE HOLY SPIRIT)って何・・・?

ネットやユーチュブで検索したけど、聖書を引用しての説明だったり、トランス状態になった信者の様子や神と交信するためのなにやら妖しげな儀式であったり、スピリチュアルグッズ〔アノインティング・オイル〕の販売だったりして、いまひとつよくわからない。週末は親戚一家を呼んでのホームパーティだった。なんというグッドタイミングでしょう・・・彼らはクリスチャン。以下聞いたお話をまとめました。 
広義に「神様」と呼ぶけれど、カソリックでは3つのステージがある。トップがGOD 〔神〕、2番目がTHE SON OF THE GOD〔神の息子〕つまりJESUS CHRIST 〔キリスト〕。そして 3番目がTHE HOLY SPIRIT 〔ホーリースピリット:神の霊〕。ジーザスは人間であり、ホーリースピリットは神のお使いみたいな役目をする。信者が神に祈りを捧げるとき、直接神と対峙するのではなく、ホーリースピリットを通しているのだそうだ。また〔神様のメーッセージや祝福〕を届けるのもホーリースピリット。つまり信者はホーリースピリットを通して〔神様〕と対話・交信する。アノインティング〔塗油〕というのは、その神様からの祝福を意味する一種の儀式。日常の生活のレベルでは結婚式や洗礼式、灰の水曜日などの儀式で額にオイルを塗ってくれるのだそうだ。もちろん額全体にではなく、眉間の上辺りに少し刷く程度です。
ですから、カソリックの信者でもこの儀式を経験することは日常生活ではそうそうあることではない。だって洗礼は人生で一回きりだし、結婚式も基本一回だしね。
さて。この一件で、マイケルは亡くなる前にクリスチャンに改宗したのではないか、と一時期メディアで取りざたされた。アンドレアは改宗のための洗礼は行われていない、と公式に発表。そのことを否定した。 アンドレアによれば、マイケルは常日頃から「スピリチュアル」なものに興味をもち、崇拝していた、という。そしてこのときの音楽セッションで3人は一緒に歌い、祈り、楽しいときを過ごしたのだという。
遡って、1988年のグラミー受賞式。「マン・イン・ザ・ミラー」で中盤マイケルはステージの中央でひざまずいた。そしてそのまま動けなくなったかのように歌い続ける。そのときバックコーラスを務めていたシンガーが進み出てマイケルの腕をとり、支えて立ち上がらせた。さりげなくハンカチでマイケルの汗をぬぐう。それがアンドレア。
その場面は4:30くらいから。マイケルが「チェインジ」と叫ぶと後ろの幕がぱっと開き、ブルーのユニフォームの聖歌隊が現れるところはいつみても圧巻。(スタンディング・オベイションをしているゲストの中にリトル・リチャーズがいましたね。)

SOON AND VERY SOON: マイケルのメモリアルサービスでアンドレアはこの歌を捧げた。

 
 
 
参照:
 
2001年9月10日。タイムズスクエアガーデンズ。マイケルはロドニージャーキンスを伴って、30周年記念チャリティーコンサート2回目の公演を終えた。翌9月11日。ニューヨーク市内のホテルにまだ滞在中だったマイケルは未曾有のアルカイーダテロ事件に遭遇する。
16日には9/11の犠牲者と生存者、そしてその家族のため救援チャリティーのレコーディングを業界に呼びかけた。50百万ドル (@90で45億円) を目標にした。
歌はマイケル作の WHAT MORE CAN I GIVE。原型は1999年に既にできていた。同年。反アパルトヘイト活動家でもある南アフリカのネルソン・マンデラ大統領と会合したさい、ふたりの会話からヒントを得たのだという。
マイケルは仲間に呼びかけた。
「音楽コミュニティは一丸となり何千という犠牲者の救済のために力をあわせるだろう。いますぐにでも救済金は必要。僕たちひとりひとりがいますぐ行動して、たくさんの人たちを救おう。僕たちは時代を代表してきた。音楽は魂に触れ、人を救うことができる。いますぐその力を使い救済の第一歩を始めよう。」
レコーディングは10月中に行われた。集まったアーティストはマイケルを含む総勢約27名。3LW、アーロン・カーター、アナステーシャ、ビヨンセ、ビリー・ギルマン、サンタナ、セリーヌ・ディオン、グロリア・エステファン、ルーサー・バンドロス、マライア・キャリー、N’YSYC、アッシャーなどが参加。スペイン語バージョンも制作され、フリオ・イグレシアスやブリトニーらが参加した。
レコーディング風景。マイケルの歌唱指導。

10月21日夜。ワシントンDCRFKスタジアム。マイケルほか25名以上のアーティストが集結。8時間に及ぶマラソンショー
  UNITED WE STAND– WHAT MORE CAN I GIVE
が始まった。
10月12日に発売されたチケット (25ドル〜75ドル) 54,000枚は一時間で完売。コンサート収益はアメリカ赤十字、サルベイション・アーミー、ペンタゴン救済基金に寄付される。このコンサートでは3百万ドルの寄付を集めた。それらは9/11犠牲者のチャリティーに寄付される。
ショーはTHE BACK STREET BOYSの国家演奏で開幕。彼らのスタッフの一人がテロの犠牲者であった。
マイケルは夜遅くにWE ARE THEWORLDと MAN IN THE MIRROR を歌った。
フィナーレでは、マイケルが参加したアーティストたち全員をステージに迎えて WHAT MORE CAN I GIVE を合唱。アッシャー、ロッド・スチュアート、アル・グリーン、バックストリート・ボーイズ、N’Sync、マライア・キャリー、キャロル・キング、ジェームズ・ブラウン、MCハマー、などが登場した。このショーは2時間のダイジェスト版で11月1日にテレビ放映された。
フィナーレ:
歌詞はこちら:


CD化について。プロデューサーの経歴が問題となり、シングルリリースは見送られた。デジタルのダウンロード(2ドル)のみ。

2001年9月11日。その日わたしたちはゲスト2人とカリフォルニアのナパバレーにある温泉地にいた。朝みなで何気にテレビをみていたら、貿易センタービルの崩壊のニュースが飛び込んできた。映画の一シーンじゃないの?と信じられなかった。それから空港が閉鎖されるかもしれないから、と急遽帰国することになったゲストの方を送って、サンフランシスコ空港に行った。空港は閑散。ツアー客とかどうしたんだろう、と訝しく思った。その日は確か全フライトがキャンセルされて翌日の便で帰国できたのだ、と記憶している。
 
参照:エイドリアン本p218-222.
ウィキen.wikipedia.org/wiki/What_More_Can_I_Give

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