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FOREVER, MICHAEL

マイケルジャクソンの音楽とアート。ジャズ・ロック・ブルースなど黒人音楽の歴史とライブ魅録。

書庫80年代のMJ

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  COME TOGETHER イン・ムーンウォーカー
ツアー先の東京のホテル、スウィートに残された汗たまり。そのエピソードに魅了され、没後ファンになってまもなく3年。マイケルが何故この歌をカバーしたのか??ずっと疑問だった。。。
アルバム収録は95年のヒストリーまで待たなきゃならないけど、87年のムーンウォーカー(MW)のクロージングで、そのステージパフォーマンスを披露している。 マイケル検定10級の当時、思ったものだ。この正義のパフォーマーがなぜ子どもの前でセクシュアリティー全開で、この複雑な意味を持つ歌(カコログ)を歌ったのか ― 違和感も感じていた。・・・しかし、それは、このMWを単にMJのショーケースだと捉えていたからだ、とわかった。
実はムーンウォーカーには深い意味があった。。。
マンミラに始まり、バダースピード・ディーモンリーブ・ミー・アローンスムクリ、そしてカム・トゥゲザー。より良い世界にするために自分を変えよう、という最初に発信されたテーマは、境界線(壁)を越えることの勇気と必要性へと展開される。そしてビデオの中で、MJはフィジカルにその境界を越えてみせる。
ここで思い出されるのが、MJの思想。
イメージ 21.地球レベルのビジョン。
2.かもめのジョナサン的生き方。
境界線とは自分の内なる心の壁 ― 限界のことも含む。自分の限界を広げ、越えた先に何があるのかMJは見たかったのだと思う。ジョナサンのように。

バダーでは、こどもが大人への境界線を越える。それは、「がんばれば、マイケル・ジャクソンにだってなれるんだよ」と彼らを鼓舞しているかのようだ。 
イメージ 1スピード・ディーモンでは境界線に向かって全力で突き進む。境界線を越える勇気を持つには一種の〔狂気〕が必要だろう。ディーモンはその狂気 ― 情熱、信念と置き換えてもよい ― のメタファーなのだ。

いっただろう。何も僕を止められないって。
止まるわけないだろ。さあ。道半ばなんだ。
スピードをあげよう。道を焼き尽くすまで。2

スムクリでは、ダンスで境界線を越えた。それは白人と黒人のダンスの融合。フレッド・アステアのバンドワゴンのモチーフを黒人である彼が踊る。
そして・・・カム・トゥゲザーでは、歌で境界を越えた!
白人ポップの王者ビートルズの歌を黒人である彼が歌う。 もともとブルースやロックは黒人霊歌にルーツをもつ。白人ポップはいわば、黒人の音楽を発展させてきたもの。だから、ここで言う境界を越えた、というのは、音楽の境界というより、白人と黒人の隔てられた文化の境界線といったほうがいいだろう。
こうしてみると一見ばらばらなショーケースに見えたMWにはひとつの明確な意思が感じられる。自分を変えるためには、自分の心の壁、自分で線引きした限界、を越えなければならない、と。とても難しく勇気のいることだ。MJは答えのない厳しいチャレンジをわたしたちに与える。
MWでは〔白人と黒人のポップカルチャーの境界線〕を歌とダンスで越えている。もちろん、鉄則どおり、MJの思いはさらに地球レベルに及んでいるのだろう。人種や思想、ジェンダー、国家や宗教、自然と人間のボーダー。 自国において、MJが自分の職業を通して行なってきた、境界を越える試みは、歪曲され、バッシングの対象になってきた。 リーブ・ミー・アローンはそんな社会システムへのリスポンスであろう。
人種偏見について。いままでウィラさんたちのブログを含めて、読んだ記事や論文、トニ・モリソンの小説などで、一様に指摘されているのが以下のこと。
レイシズムは白人男性コミュニティーにおける、黒人男性のセクシャリティーへの恐怖に根ざす。自分たちコミュニティーの女性を黒人男性に奪われるのではないか、という恐れやコンプレックス。 実際に、才能があったり、聡明だったり、容姿にすぐれた黒人男性はリンチの対象となってきた、という歴史的事実がある。
MJは白人の女性が熱狂する初の黒人アイドルだった、という。ソロになってから自分のコミュニティーに閉じこもることなく、ボーダーを押し広げていった。白人コミュニティーはそれを脅威だと感じたのだろうか。それに呼応するかのようなメディアのバッシング。あげくに警察権力の介入まで呼び込んでしまった。境界線を越えた彼は、キャリアのみならず、命の危険すらもあり得た。(彼が有罪になり、収監されていたら、命はなかっただろう) まさに歴史は繰り返されていたわけです。
スリラー後の絶頂期。カム・トゥゲザーのステージでMJはこれでもか、といわんばかりのセクシャリティーを見せ付ける。2 それは白人ハードロッカーたちの忘我のパフォーマンスをMJ風に洗練したもの。そしてシャツを破いてダークスキンの胸をさらす。この歌を演じているのは黒人なんだよ、といわんばかりに。。。
     イメージ 4
イメージ 3
MJはそのときまさしく、両者のボーダーを越えて演じている。そして、その瞬間を白人のオーディエンスも熱狂しながら共有し、受け入れているのだ。
カム・トゥゲザーは、閉ざされた白人コミュニティーへの挑発であり、黒人アーティストとしてボーダーを広げるための挑戦。 疑問だったバックステージの子どもたちの存在。それはこの子達こそ、この歴史的瞬間の立会人、目撃者という意味をもつのではないだろうか。
先輩黒人アーティストが切り開いた道。MJはさらにそのボーダーを押し広げていった。険しい道だったようだ。その道をまた後継者たちに託し、ジョナサンのように天国へと旅立った。


1. 歌詞
Nothin' Gonna Stop Me
Ain't No Stop And Go
I'm Speedin' On The Midway
I Gotta Really Burn This Road
2. GIF動くセクシー画像はこちら


イメージ 1本日は休日。メモリアルデー(5・28戦争記念日)ということで、キャプテンEOさまに会いたくなった。だってEO隊は暗黒の世界に自由を取り戻すというミッションのために戦ったんだもんね。
今回初めて劇場版(東京DL用サブタイトル付)とメーキング版をフルバージョンで見ました。。。私は以前、歌とダンスのシーンだけを見ており、人間ここまでかっこよくなれるものか、と感じ入り、そのクールなイメージをキープしておりました。ところが・・・。
あのう・・・キャプテン。あなたさまの上司によれば前回のミッション、めちゃくちゃ失敗したそうじゃないですか。しかもしょっぱなのナレーションで「・・・落ちこぼれ小隊が戦っている。隊長はあのキャプテンEOである」と紹介されてるじゃないですか!「あの」っていわれてるぞ。あなた様はあまり評判のよくない (Infamous)隊長さんなんですってね。
今度こそきちんと決めるぞ」「でなきゃ終わりだ」というセリフには大笑い。
日本語のサブタイトル、グーですわ。わたし歌とダンスのシーン以外は笑いっぱなしだったんですが、劇場ではどうなんでしょうか。
でも、それもこれもきっとどんくさいフーラーのせいね。宇宙船の中は散らかすし、大事な地図は食べるわ、シンセサイザーは壊すわ、で。フーラーといると皺が増えそうなので、この間オファーいただいたミッション参加の件、ちょっと考えさせていただきます。
イメージ 2
イメージ 3いや、意外でしたね。こんなコメディタッチでストーリーが展開されているとは。。。でもそんなひょうきんなキャプテンも大好きでございます。コッポラ監督の狙いはユーモアとサスペンスが半々。TV放映されたメーキング(約49分)のほうもワロタ。女優ウィッピーの進行トークもおもしろかったのですが、リハーサルや打ち合わせに現れるマイケルの私服がね、受けました。例えばセーターにはりついているリボンとアヒル、とかピンクのネクタイとか。

でもダンスのリハーサル場面にはうっとり。(ふたたび)人間ここまでかっこよくなれるものでしょうか。鞭とからむシーン。顔近くまで鞭が届くということで、危険です。敵はびしびし遠慮なく攻撃してくるし。リハ中は、敵のヘルメットが落ちたり、鞭が壊れたり、鞭が顔を直撃したり、大変だったようです。     個人的にこのプロフィールが好み


白いソックスにローファーといえば、やはりステージのビリージーン。ラメ入りのルーズソックスがステップを踏むたびにきらきら光る。スポットライトに浮かび上がる、ラメ入り黒ジャケのマイコーは全身をきらめかせてムーンウォークを魅せる。。。
ジャクソン5時代、日常でも白いソックスを愛用し、兄弟に「ダサい、時代遅れ」とけなされ、キャシーママにも告げ口されたと、自伝に書いてますね。その普通の白い靴下で演じた、といえば、「ブラック・オア・ホワイト」「豹の化身ダンス」、「ビート・イット」、「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」などのビデオやステージが思い出されます。スリラーでのオレンジ(赤?)ジャケとオレンジパンツとの組み合わせも印象的でした。

もう一人のマイコーのアイドルダンサー、ジーンケリー(1912-1996)。 オスカーをいくつも受賞した 「パリのアメリカ人」(1951年公開) で、「白いソックス・くるぶし丈パンツスタイルを見ることができるのよ。」とMBB (マイ・ボス・ベティ) 。「いや〜。白いソックススタイルにもお手本があったわけですかー。」とわたし。MBBに自伝ムーンウォークを貸し、スムクリの話題がでたときに偶然見たアステアの「バンドワゴン」の話題になり、そして、上記の会話につながったわけです。このスタイルはご承知のように、華麗なステップを踏む足元を目立たせるため。ジーンケリーといえば、「雨に唄えば」で土砂降りの雨の中、楽しげに「シーーギ インザ レーン〜」とタップダンスを踊るシーンがあまりにも有名。おや、このシーン、プチ・マイケルがダイアナロスのショーに出たときの1ショットに似てない???

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1996年2月。ジーンケリーの訃報に、マイコーは追悼の意を表しました。「ジーンはすばらしいダンサーであり、歌手、監督であり、そして紳士でした。今でもこれから先もインスピレーションであり続けるでしょう。」(エイドリアン) ケリーとマイコーが面識があったのかどうか、は知りませんが、1988年1月の第5回アメリカン・シネマ・アワードでは妹のジャネットジャクソンとケリーの2ショット写真が残されてます(Life.com。このときジーンケリーは75歳です。
「パリのアメリカ人」は連邦議会図書館にも永久保存された名作。マイコーの「スリラー」も選ばれて永久保存されてます(過去ログ)。「市民ケーン」と並んで1,2位を競うほど時代を問わず、アメリカ人に愛されてきた映画。このミュージカルはジョージ・ガーシュインのオーケストラ曲にヒントを得て作られました。ガーシュインの曲が各章に使われてます。話がジャズになりそうなので、ガーシュインのことは後日にあらためるとして、ここはダンスのみに注目。ユーチューブで拝借した映像は、「Tra-la-la」。ここで、ジーンケリーのファッションにご注目。白の下着の上にシャツをさらりと羽織るスタイル。

ところで、話が逸れるけど、シンクロニシティーというものを最近つくづく感じます。。。考えていたことや見聞したものが同時発生的に関連して現れる現象。。。さらに、欲しかった物や情報が偶然手に入ったり、見つかったりとか。実はガーシュインのことが気になっていて、次のジャズの名曲はラプソディー・イン・ブルーにしようかな、とか思っていました。そこへ、偶然にアステアの「バンドワゴン」を見、スムクリの話からジーン・ケリーの「パリのアメリカ人」へ。この映画がガーシュインの曲がベースになっているなんて、そのとき初めて知ったことで、偶然にもガーシュインへと環が繋がりました。。。シンクロニズム。人生後半に入って、面白いと思うことのひとつ。

話を戻して、この階段に腰をおろしているケリー。即、思い出しました。The Way YouMake Me Feel の音楽ビデオで、マイコーと人生の先輩である老人が二人並んで座っているシーン。

イメージ 3

おまけ。
イメージ 4

ビリージーンとMTV

1983年3月26日のビルボード誌。
BILLIE JEAN GETS HER MTV〜〔ビリージーンがMTVに出演〕という見出しが躍った。
イメージ 2イメージ 3イメージ 4白いソックスが目立つ短めのレザーパンツ。袖をたくし上げ、着くずしたタキシードジャケット。25万ドル以上かけて作られた「ビリージーン」のプロモーションビデオはそれまで黒人アーティストを排除していたMTVで放映された初めてのメジャー黒人アーティストの作品。翌4月には「ビートイット」がMTVプレイリストに載った。
                   
エピックは82年12月にスリラーをリリース。 当初MTVはネットワークの規約上、ビリージーンは放送できない、といった。エピックの親会社であるCBSレコードの名物社長、ウォルター・イェツニコフはMTVに乗り込み、彼らを脅した(!?)。「このビデオを流すんだ。じゃないと会社を焼き払ってやる」と。 多分にマイケルにいい格好を見せたかった、というショーオフの意味合いも含んでいたらしいが。。。〔ロックの歴史:エピソード10〕
同じく〔ロックの歴史:エピソード10〕で、MTVが当時いかに黒人アーティストを排除していたか、を示す証言がある。驚くことにこれは1981年の話。MJがどんな環境でがんばっていたのか、その一端をうかがえるエピソードです。
ドン・レッツ 〔フィルム製作者、クラブハウスD.J.〕の証言。
〜(MTVには悪いけど、事実だから話しちゃうね・・・と前置きして)MTVから電話があったのさ。僕のビデオを放映したいからインタビューに来て欲しいと言う。いいだろう、悪い話じゃない。
MTVに出向き、オフィスに入ろうとすると、皆変な顔で僕を見るんだ。裏口の業者専用の入り口から入りなさいって感じだった。だれかが僕に声をかけ部屋に入るように促した。そして僕を座らせ、こう言ったんだ。「わかってもらいたいんだけど、ちょっと問題が起きてしまった。」彼が言おうとしていたことは僕が黒人であることを彼らは知らなかった、ということ。
当時MTVのマーケットは中西部の白人視聴者。だから黒人アーティストのビデオは流さないのだ、と。どれだけ厳しいルールを自分たちは守っているかということまでわざわざ例を挙げて説明してくれたよ。たとえアニメの映像であっても、音楽があまりに黒人風であったら放送はしないんです、だとさ。〜
          
                
                 
                          
                                          
だから、怒涛の勢いで世界を席巻していたMJでも例外ではないというわけだ。CBSは「黒人アーティストの映像を流さないんなら、プレイリストに載っているうちの作品は引き下げる」とMTVを脅しにかかった。CBSが社長自ら乗り込むほど、MJに肩入れしていたのには以下のような理由がある。
MJのスリラーが世に出るまで、音楽業界は3年にも及ぶスランプ状態にあった。80年から82年の間、レコードの発送は5千万箱減少していた。CBSでも82年の8月にもなると、大量のレイオフを出した。エピックではマーケティング部門の半分が会社を去った。関連会社の幹部は述懐する。「それからジャクソンが全てを変えたんだ。エピックの歴史上、最高に熱かった時代を享受できたのは、スリラーが推進力となってくれたから。疑問の余地はないよ。」 (7/3/09: billboard.com)
ウォルター・イェツニコフと2ショット
イメージ 1
スリラーはMTVケーブルネットワークの人種の壁を破り、音楽ビデオの質を高めた。そして何よりもこの時期低迷していたレコード業界復活の起爆剤となり、結果そのシステムまでも変えるにいたった。マーケティングやプロモーションの方法やレコード製作のアプローチなど。
1984年にはいってから、たとえば、ブルーススプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」。コロンビアレコードはアルバムから7曲をシングルリリースした。その全てがビルボード・ホット100に入った。 ワーナーブラザーズはプリンスの「パープル・レイン」から5つのシングルをラジオ局に送った。その結果、彼らのアルバムは米国だけで1千万枚を売り上げた。(7/3/09: billboard.com)
こういう記事を読むたびに、いつも思う。音楽業界はMJをもっと評価すべきじゃないかと。先に先に進むためには、歴史をきちんと認識することが大事。方向を見失わないために。 作品も含めて、音楽の歴史に残した大きな功績をきちんと評価して、一般に知らしめて欲しい。。。「MJのレガシー」とか「時代のアイコンになった」という表現だけでは済ませてほしくないよ。 メディアもプライバシーを暴くのに躍起になる前に書くべきことや放送することがいっぱいあるのにね。どんな偉人にも人間である以上「負の遺産」はある。おもしろおかしく、そこばかり注目させよう、というのはまったくフェアじゃない。音楽家でありフィランソロピスト(philanthropist)であるMJを描いた、胸の震えるような評伝が読みたい。
さて、MTVの話に戻る。「ロックの歴史・最終エピソード」には他にも当時のMTVにまつわる思い出やコメントが撮られている。たとえば黒人アーティストのチャックD。「MTVがマイケルジャクソンのビデオを放送したって、偉業だねーなんていってるけど、それはホワイト・アメリカにとっての感想。ぼくやブラックアメリカにとって、MJは1969年から存在していたわけでMTVの放送は別にスリルなことじゃないんだ。」 ラッパーのラン−DMCにいたっては、「MTVが僕たちを〔プレイリスト〕に加えたって言うけど、MTVって何?って感じで、僕らは知らなかったんだ。ケーブルがきてなかったもんでね」 
イメージ 580年代、MTV側の「ほらリストに加えました。喜んでください」的な黒人アーティストに対する態度と、かれらの反応の温度差が興味深い、と思った。そもそもロックの歴史を紐解けば、「うちはロック専門の番組。黒人音楽は流せません」という発想事態が「変」ですね。最後にスプリングスティーンの発言を。
「ミュージックテレビの始まり。それはMTV−マイケルジャクソンのスリラーだった。」
イメージ 1
          STARRING クインシー、マイケル、バーンスタイン、デービッド・パック

1986年8月。ロック歌手デービッド・パック宅でのバーンスタインお誕生日会。マイケルは9月にキャプテンEOのプレミアを控えていた時期。
マイケルとクインシーが参加した経由は以下です。(デビッドパックによるMJ追悼記事より抜粋)
レオナード・バーンスタインはコンサートの指揮をするためLAにいた。彼の誕生日がまもなくなので、何が欲しいか尋ねたら、
「マイケルジャクソンに会いたい
と、彼は即座に答えた。
レオナードはマイケルの才能にいたく感心しており「ビートルズ以来最高に感動させてくれるポップスターだ」とぼくに語ったことがある。彼はマイケルにクラシカル音楽を紹介したかったようだ。おそらく彼をクラシカルとポップ音楽のコラボレーションに導きたかったのだろう。
ぼくはかれの願いをかなえようと思った。それで友人のクインシー・ジョーンズ−もう一人の音楽の巨匠に電話をかけた。クインシーのことは以前ディナーの席でレオナードに紹介したことがある。
クインシーはバーンスタインのことを敬愛していたので、マイケルに電話し頼んでみるといった。一時間後クインシーは電話してきて、「マイケルは行けない」と伝えてきた。レオナードにそのことを話すと、彼は
「何だって?(怒)私がレオナードバーンスタインだといって、私のコンサートにこさせるんだ!これは命令だ」
2時間後クインシーから「マイケルは行く」と返事があった。
「でも彼は一度もクラシカルコンサートに行ったことがないそうだから、きっと楽しめるだろう。」
コンサートでマイケルはレオナードの指揮を楽しんでいた。あるときレオナードはスコアの区切りで空中に3フィートも飛び跳ねた。そしてどしんと大きな音を立てて着地した。(クインシーもマイケルも僕もこれはマイケルに見せるためにわざとやったのだと確信してた)

///バーンスタインの指揮はこんな感じ。///


その夜、僕の家でディナーをとった。マイケルは僕の知ってる限り、最高にやさしい心を持つ一人だということがわかってきた。かれは“コンサートに来るよう「命令」してくれてありがとう、”と何度もいっていた。
レオナードは白いロングスカーフを自分とマイケルの首に巻き、写真を撮らせた。それから立ち上がってマイケルに指揮を教えた。後日ふたりの巨星は共通の悩み「にきび」で意気投合したのだった。レオナードはこの先ずっとその話題を持ち出した。マイケルは翌日電話をかけてきて、写真を所望した。
イメージ 2


マイケルとパックはこの夜クリスチャン同士ということで意気投合したということです。クインシーの師匠ナディア先生はレオナードとお友達という関係です。後日記事に登場しますがQとバーンスタインはハリウッドの仕事でちょっと因縁がありました。

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