ここから本文です

FOREVER, MICHAEL

マイケルジャクソンの音楽とアート。ジャズ・ロック・ブルースなど黒人音楽の歴史とライブ魅録。

書庫MJ図書館

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]

 
ブッシュ+トンプキン氏、最後の仕事は、天国に旅立つMJを装うことだった。
ラトーヤから依頼の電話を受けたとき、とてもできないと躊躇した。
しかし、「敬愛する友を最期まで美しく整えてあげる・・・それはすばらしい贈り物ではないか」という思いが、ブッシュ氏の重い心を勇気づけた。


「踊りながらこの世を離れるのよ」というラトーヤの言葉で、マイケルの足元はダンスシューズをあしらうことにした。でも、バッドツアーのあと、マイケルがくれたダンスシューズはいまや形見となり、マイケルの一部のようで、とても手放せるものではなかったから、新しい革靴Florsheims)を買い、新品のダンスシューズを作った。


ラメの手袋はビリージーンを踊るときだけのもの。その代わりに、ラストツアーのオープニングで着用する予定だった合成樹脂の脛当てを添えた。


最期の衣装。


イメージ 1MJが一番好んだパールをあしらったもの。ジャケットの内側の右胸には、緑色のドレスを着、光の粉を振りまくティンカーベルのラインストーンを縫い付けた、そうです。


イメージ 2








イメージ 3王冠はトンプキン氏がデザインし、愛を込めて手作りした。パリスさんとプリンスさんの手で納められた。
 
最初のショーが数週間後に迫っていた、
2009年6月25日。


夜中の1時までリハは続き、終わると、ブッシュ氏はディレクターズチェアーに座り込んでいたMJをタオルでぬぐい、濡れたシャツを着替えさせた。


MJはブッシュ氏が何も言わなくても、習慣的にたちあがり、シャツを脱がせた。


“・・・彼はどれほど私の人生をひっくり返し、変えたことか。実際のところ、彼がそれをどこまでわかっていたのか、定かではない。『最高に幸運なお針子にしてくれたね。』マイケルは僕をまっすぐ見つめ、ぐっと抱きしめ、『違うよ、ブッシュ。君が、僕の人生を変えてくれたんだ。ありがとう』と答えてくれた。
儀式のように、僕はマイケルと連れ立って歩き、車のところまで送り、タオルを渡し、彼の革靴は自分の家に持ち帰った。” (p. 190)
 
2005年の裁判。14週間ずっと毎日衣装を担当していたブッシュ氏は、MJの鋭気がだんだんと失れてゆくのを目の当たりにした。 “彼の罪は、人間は生まれながら善である、と信じていたことだけ・・・”とブッシュ氏は明記している。


もはや大好きなジッパーを上げ下げして、ガムをくちゃくちゃ噛むことをしなくなった。(マイケルはこの癖でブッシュさんをいらいらさせた!)以前の友人を失ったようで、寂しく思った。

それから時がたち、2009年。マイケルから、以前のような暗号めいた電話を受け取った。『マイケルはツアーに戻ります。来て下さい。あなたが必要です。』と電話の向こうで声が流れた。

This Is It ツアーの衣装デザイナーは複数いた。
ブッシュ+トンプキン氏が担当するのはライブの数曲。
・・・だけど、それ以外に彼らは自らプランBを準備していた!
それは、他のデザイナーが作った衣装がダンスと相性が悪かったときに備えたものだった。重かったり、動きを邪魔したり、オーナメントが肌を傷つけたり・・・。 
25年のキャリアとプライドはあらゆるアクシデントを想定していた、ということですね。MJは仮縫いが大嫌いで、時間の無駄だといい、完成するまで腕を通すことはなかった、というから、衣装リハでは何が起こるかわからない。
結局、ステージであれこれ世話をするのは、自然にブッシュ氏の役目となった。
 
ブッシュ氏がステージでMJの着替えをする習慣は、デンジャラスツアーから始まった。


『・・・僕が更衣室にいるときって、観客がどうしているかわからないよね。僕はステージにいないんだから。ブッシュ、君がステージに来て、僕の服を取り替えてくれたらいいんだよ』

(p.122)と、人前が苦手で本気で嫌がるブッシュさんに無理強いした。

ジャケットを手に持ち、タオルを口に咥え、ソーイングセットをズボンのポケットに入れ、スポットライトの外で待機するブッシュ氏。マイケルは突然ステージ上で彼を紹介したのだった。そしてMJは床にころがらんばかりに、身体を折り曲げて大笑い・・・(魔王キャラ全開)。ブッシュ氏はショーが終わって不機嫌、しばらくMJとの会話を避けた。 閉口したマイケルは、『君はもう僕のショーの一部なんだ』と言った。 


MJにとっては、服の着替えもショーになりうる、ひとつの仕掛けだった。着替えをする一瞬だけは、魔法が消え、ファンと同じ生身の人間を感じさせる、ということだろうか。観客はブッシュ氏がマイケルの身体に触れ、ジャケットを着せたり脱がせたりするのを目の当たりにする。そういう観点で、ブッシュ氏はMJのファンとステージ上で繋がった。
 
よく業界の人に聞かれたそうだ。
『ほんとにマイケルに触らせてもらえるの??』 (”Do they* let you touch him?”勿論だ、と答えると、『わぁ、マイケルジャクソンに触ったんだ』と皆驚き、感激したそうだ。

*theyとはマイケルのプロダクションサイドを指す。マイケルがブッシュ氏にいつも「ごめんね」と謝っていたのは、彼らが、ブッシュさんやヘアスタイリスト、メイキャップの人を名前で呼ばずに、役職で呼びつけたから。


それはさておき、どれだけ、衣装係とパフォーマーの関係がintimateだったかと言うと・・・


“ホテルに戻ると、私は汗まみれの服から彼を救い出し、身体を伸ばし、解放されてゆく姿を目にしたものです。彼がお風呂に入っている間に、私はファンや企業が彼に贈ったたくさんの贈り物を整理しました。テディベア、シャンペン1箱、たくさんの油絵や彫像。・・・彼がくつろいでいれば、ドア越しにおしゃべりをすることもありました。『ブッシュ、どこか美術館に行ってきた?友達に会ったかい?』と聞いてきました。彼はいつもわたしがちゃんと楽しんでいるか確認したかったのです。” 
p.116
 
“マイケルはお風呂からあがると、綿製のパジャマを着こみ、それは市販のものだったり、私とデニスが作ったものであったりしましたが、シェフが食事を届けても、最高に食が細い彼は手をつけませんでした。アドレナリンで興奮状態が続き、食欲が湧かなかったからです。わたしたちは今終えたばかりの私たちのショーをレコーディングしたものをプレイヤーに入れ、マイケルは反省会を始めるのでした。どんなに小さなミスでも即座に指摘するのです。『なんか変だね?照明がきちんと予定通りじゃないね。あそこで何があったんだろう?僕は何を間違ったのかな?何故あの衣装はあんな風になったの?』 と。” (p.116)
 
マイケルのステージ衣装は綿密な準備と、緊張の現場では細心の注意が必要。
ステージの各ポイントで失われる水分によってウエストのサイズも小さくなっていったそうだ。


“マイケルはヒップがありません。すとんとした板のようだったので、もしラックに間違った順番でズボンがかけられていたら、それはステージ進行に合わせて小さくなっていたから、リズムに乗った身体の動きで、ズポンがくるぶしまで落ちるはめになりかねません。” (p.117)
そんなことが起こったら・・・想像するに怖いね。
 
マイケルとブッシュ+トンプキン氏の衣装作りプロセスはこうである。
マイケルが『は見たことがあるかい??』とか、『この本おもしろかったよ』という。こういった発言は、新しいプロジェクトのテーマを示唆するなぞかけであり、布石であり、ヒントであることが多かった。(魔王だから、直截な言葉は投げないのね。)だから彼らはプロジェクトが始まるのだな、と予想し、予備知識を仕入れておく。時にはなぞ賭けを読み取れないときがあって、あとで気づいて焦ったこともあった、という。


トンプキン氏がコンセプトスケッチを仕上げると、MJはその用紙に締切日をサインする。たいていは4週間とかとても短い期間だった。
 
一般的に、デザイナーにはパーフェクト・シンドロームといわれる傾向があります。80%の完成度まで20日かかったとしましょう。そのあと80%から90%に完成度を高めるためには10日かかる。さらに30日かけたとしても、95%どまり。その後はどれだけ時間をかけようとほとんど横ばい状態。アーティストであるMJは、時間ばかりかけて考えすぎる弊害をよく承知していたのですね。
 
 
“Hurt Me!”  
完成した衣装を着てリハで踊る。ステージ上でツアー衣装を一同に並べて見る。
Hurt Me! Hurt Me!”・・・ とくちずさむのは、彼の心が高ぶり、躍り、至福を感じるとき。(p.76)
 
マイケルに罪があるとすれば、人を信じすぎたこと。
ブッシュ氏のその言葉が心に残る。

本を閉じたとき。
きらきらした衣装で片手を挙げたMJの姿が脳裏によみがえる。
Hurt Me!” というささやきが聴こえてきて、いつまでもくるくると、掛け巡る。
 
 
End. (ch.5 – 9,afterword)


マイケルジャクソンの衣装係り、マイケル・ブッシュさんの
作品フォト&エッセイ(全203ページ)。
ページを開けば、筆者の愛のオーラが半端じゃない。
最近になってオーバーストックのものを3分の1ほどのお値段で購入。
2012年出版の、時代に逆らうような重い大型本。
うっかり触ると指紋がべたべた残るような厚い紙質。
マイケルのステージ写真や衣装がどーんと丸ごと1ページにアップされている。
 
たとえば・・・どーーーん!迫力のポートレート。
ありがたや・・・このページお宝ですわ。

イメージ 1

 
ザザザと読もう・・・と思っていたのに、あまりにも素敵な内容。
 
〜デザイナーの本=スリーク。グロッシーなコーティングを施した薄い紙質〜という風なおしゃれな体裁ではない。それはブッシュ氏がデザイナーというよりも、マイケルの想像を形にする、服作りの職人である、という立場を強調しているように思われた。マイケルのイクステンションであり、あくまで黒子である、というような。
 
ブッシュ氏のキャリアはフィッター&パターンナーとして始まった。
マイケルとの出会いはキャプテンEOの収録現場。MJと同年代で、ファンでもあった。
ある日、MJのトレーラーに呼び出され、1時間、外で待たされた。
ようやく呼ばれ、薄暗い車内に入ると、いきなりチェリーが飛んできた。。。

MJにどうやら気に入られたらしく、バッド日本ツアーを皮切りに、故Dennis Tompkins さんとパートナーを組み、以後マイケルの衣装を作ることになった。契約書なしの関係だった。25年もの間、公私にわたってMJの服に携わってきた。そしてMJに「教育」され、刺激され、創意工夫を重ねるうちに、いつしかクリエイティブなデザイナーに変身していた。
 
それにしても、エピソードで描かれたマイケルは、魔王キャラ全開である。
おのれの魅力と才能を知り尽くし、目線ひとつで人を動かす。
夜中に電話なんて朝飯前。ラインストーンをすぐにみたいから、と工場まで3時間かけて取りに行かせるのも、「明日すぐロンドンに発ってくれ」と命じるのも、朝飯前。
苦労して仕上げたと思った衣装も、どたんばで「ここ変えて」なんていう・・・。
あぁ、しかし誰が逆らえましょうか・・・。
肩越しに「君なら出来るって、僕は信じてるから」と、あの声で囁かれたら。 
海賊の宝物みたいだね、と目を輝かせラインストーンに見入る子供のような魔王様を目の前にしたら。
 
あのダーティ・ダイアナのSFで着用していた、風をはらむようなセクスィー・シャツは、ブッシュさんの着ていたもの。用意していたジャケットと踊りの相性がよくなくて、撮りの休憩中に、彼のシャツに目をつけ、ただ一言いった。

Bush, your shirt is winking at me.  
(ブッシュ、君のシャツが僕にウィンクしてる。) と。

このチャイナシルクのシャツは、パートナーのデニスさん手作りのプレゼント。
・・・しかし誰が逆らえましょう。
ブッシュ氏はシャツを脱ぎ、マイケルはそれを着、鏡を見て満足した。魔王力全開。
 
Girls want to see some cake.” といって、MJは、
衣装の下に着るTシャツの胸元をはさみでちょきちょき、切った。
切り込みの長さはその日の気分次第。ケーキとはMJ語で「胸」。

「あ〜、ちょっと破きすぎちゃったよ〜」というMJに備えて、ブッシュ氏はデパートで “数枚1組のTシャツ20ドル” を買って、常に6〜8枚用意していたそうだ。 
あらためて、DDのショートフィルムを見たら、確かに(ブッシュ氏から奪った)白シャツの下に着込んだTシャツの胸元は3cmほどの気分で破かれている。新たな発見・・・
 
愛。

イメージ 2

これも愛。
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 6


どこまでもつづく愛。
イメージ 5

 
マイケルは、衣装と小物で自分をより大きく、指1本分背を高く、足を長く、そしてスリムに見せたかった、という。

身長:     5’10”    (178cm)
ウエスト:   28インチ (71.1cm)
           足のサイズ:   9.5          (USA)
体重:     120lb (54.4kg)
胸周り:    34インチ (86.3cm)
 
・・・というのが、MJのずっと変わらない型紙採寸値だったそうだ。

あの、パンサーダンスのとき、あまりのウエストの細さに気を失いそうだったけど、細くみえるようにコーディネートされていたのですね。ミリ単位の細部のこだわりと計算で、MJをよりかっこよく演出し、ダンスの動きを邪魔せず、動くほどに一体化させる・・・、なんというチャレンジ。そして、どんな要求に対してもブッシュ氏の辞書にNOはなかった。
 
時代がかれらのファッションを追った・・・とよく言われる。
市販のリーバイス501のブラックジーンズも、実は踊れるように工夫されていた。
ビリージーンのきらきら靴下も、普通のスポーツソックスに手を入れたもの。
本にはその作り方が写真入で紹介されている。
根気さえあれば作れそうだ・・・けど、ラインストーンだけで数千ドルになるんだって。
 
日常を非日常に変える・・・というMJマジックのタネ明かし。
 
ムーンウォークの靴もそう。ありきたりのブランドの革靴。
新品の靴底をはがし、すべりのよい革張りにする。
そしてひとたびダンスシューズに変身したら、もう誰もそれに触ることは出来ない。
普通の靴が魔法の靴に変わった瞬間。
魔法が消えるから・・・そういって、誰にも触らせなかった。
 
衣装というのは、マネキンが着てても、床に脱ぎ捨ててあっても、そこはかとなく肉感的でセンシュアルである。持ち主の肉体を思わせるからだろう。
ステージ衣装を舞台の合間と終了後にドライヤーで乾かす、という記述があった。
・・・あわわ、お洗濯はツアーが一段落するまでしないの??・・・汗でぐっしょり濡れた衣装というのもまた、エロティックであるけれど。
 
一つ一つの衣装にまつわるエピソードがとてもユーモラスで愛に溢れている。どれほど緻密で細心の仕事がなされたのか・・・衣装の写真を見れば想像される。
 
RIDDLER とブッシュ氏が呼んだほど、なぞをかけて人を煙にまくのが好きだったようだ。
お気の毒に、振り回されるブッシュ氏。マイケルは、みんなに24時間自分のことを思っていて欲しかったに違いない。 
 
(全9章中、Ch1−4までの感想)



〜このエピソードがつぼ〜
 
よくマイケルの衣装、汚れてましたね。これ、わたし、それだけ全力でステージ演ってたせいだと思ってたんですよ。
・・・ところが衣装をわざと汚す、のも魔法のひとつだったようです。
 
ブッシュ氏ははじめてその場面を見てショックを受けた、と回想してます。
マイケルは、「ドレッシングルームで、立っていたかと思うと、自分のメークアップを指に掬い取り、私を挑戦的に見つめ、それを衣装の肩でぬぐったのです。」
・・・。あ〜もう、ブッシュ氏の驚きと緊張が伝わるじゃないですか。
 
MTVのTVプログラムでデンジャラスのギャングダンスをライブで踊ったとき。
顔のファンデが指につき、それが黒いズボンに移って、白い “汚れ” がくっきり目立っていました。これも、アクシデントを装った、演技だったのでしょうか?
そうならば、魔王様の狙いどおり、おおいにどきりとしましたわ。

end.

ースソングにリンクした詩を探そう、と思い立ち、
久しぶりにダンシングザドリームを取り出した。この本には目次がない。
・・・まるで、〔今日お奨めのページはどこ??〕 と、天使さんに聞いてね、
といわんばかり。
(ちなみに今開いたページはBut the Heart Said No ・・・だった。)
私は「エンジェルオラクルカード」も持っていて、天使さんとコネクションを持ちたい、
と思っているから、実は嫌いじゃないけど。
 
ともかく、目次を作るのじゃ!と思って、ぱらぱらページをめくっていて、
目に飛び込んできたのが、
 
ディーパック、インスピレーションと愛をありがとう。
 
という本冒頭の謝辞。今頃、気づくのもどーよ、って感じだけど、
ディーパックさん、あなたはいったい何者ですの?
〜 Deepak Chopra 心身の健康や魂のヒーリングを推進する財団を運営。
God:A Story of Revelationなどの著者。
・・・ヒーラー、スピリッチュアル指導者、と理解してもよろしいのでしょうか??
 
彼は、日本にも上陸して最近話題のハフィントンポストに、追悼文をアップしてました。
エピソードをいくつか挙げますと・・・
 
  •  二人の出会いは1988年。MJがダンシング・・を企画したとき、純粋に友達として、文章作りに協力をした。イソップ物語のようなもの、動物や、音楽と彼の愛する音楽的なものを言葉で紡ごうとしていた。このとき、 “MJはファンタジーの世界に身をゆだねることで、自分を取り巻く、潮のように押し寄せるストレスに対抗していた” のだと理解した。
  • ブカレスト滞在のある夜、MJはショーのあと、楽屋に戻り、水を飲みながら、スーフィ詩をいくつか読み、瞑想に入りろうとしてていた。デンジャラスツアーには彼の息子がローディとして参加していた。
  • こどもたちの母親代わりであったルワンダ出身のグレースは彼の紹介。彼女はMJがメンタルに危険な状態に陥りそうになると、そのことを彼に連絡した。
  • 急逝する2週間前、最後の会話をしたときに、MJが読んでいた詩はタゴールRabindranath Tagore)だった。
  • 2日前には、「環境問題の歌を作っているところで、また詩作に力を貸して欲しい」、と電話に伝言を残していた。折り返すも、電話番号が変わっていたので、直接話すことは叶わなかった。彼が送ってきたデモテープは、彼の未完の人生の象徴のようであり、ベッドサイドのテーブルに置いたままにしてある。
 
スーフィ(Sufi)詩。ってなに??

検索しますと、ウェブサイト、模索者月報に、スーフィー、スーフィ詩と音楽について、
とてもわかりやすく、説明されていました。
 
 
(1)には、スーフィ詩の例が挙げられてます。解説と合わせ、興味深く読みました。

ダンシング・・にも収められている詩、Will You Be Thereなど は
スーフィ思想を色濃く受けているのでは?
今改めて読むに、もう純粋に、神様へのラブレターです。
この辺は、タゴールの詩( 読んだことがない)ともあわせて、
後日の課題にしたいと思います。
 
下記、引用は(2)より。

スーフィーとは、スーフィズムSufismと呼ばれるイスラーム神秘主義の道を実践する人々のことを指し、彼らの究極的目的は自己を虚しくし神と合一することである。彼らは人間の男女間の恋愛のように神を一心に愛し、自身の中に見出した神との恍惚の境地の中に物事の本質を見る。彼らはサマーと呼ばれる儀式の中で音楽を奏で歌を歌い踊りながら、半ば狂乱の境地で神へ埋没していく。音楽は彼らにとって、神へ近づくための重要な手段の一つであった。
 
まさに、音楽とダンスで得られるエクスタシーの中で、神様と一体になる、
というMJの神・観にぴたりと一致する記述です!
神秘主義とマイケルの関わりについては、それを研究しているサイトもあり、
ダンシング・ザ・ドリームのWingsWithout Meには、肉体の浮遊に関する、
神秘主義の本を読んだことが記されてます。
マイケルの膨大なデータバンクのひとつなのでしょう。
 
スーフィのメディテーション音楽の例:
 

 
先日、宅配DVDで見た映画は〔ライフ・オブ・パイ〕。

パイはヒンズーで育ち、クリスチャニティーやイスラム教にも触れ、結局のところ、
神様は無数に存在し、自分はただ神様を信じ、愛するだけ、という境地にある少年。
生まれ故郷インドを離れ、カナダに移住する貨物船では、仏教徒にも出会う。
荒れ狂う海と嵐は、まさに、上記引用文中の、「狂乱の境地」へと少年を導く。

イメージ 1

そのとき、彼は神をみることができたのか、神様と一体になれたのか・・・。
しまうま、オランウータン、ハイエナ、虎が何を意味するのか、本当に虎はいたのか、
など、謎はたくさんあり、いろいろ解釈できそうだ。 

太陽の下、静かな大海原にポツンと漂う船。一切の音が消えたような、凄まじい孤独。
陽光は肌をじりじり焦がす。夜の海は一転して、星や銀河が降り注ぎ、
にぎやかに語りかけ、夜光虫が音楽を奏でるように、きらきらきらめく。青い月の光。
まるで、神様に包まれているような穏やかさ・・・。

ダンシング・・GOD(過去ログ)で記された、星を見つめるマイケルの心象は、かくもあらん、
と感じました。奇跡をおこす、神秘主義的な精神世界を強く感じた映画です。。。

イメージ 2

 
 
・・・ということで、肝心の目次つくりはできませんでした。


マイケルはどこ?

IS MICHAEL OK?
 
イメージ 1ジャーメイン兄の「YOU ARE NOT ALONEはとてもエキサイティングな本。

神秘のベールに包まれた魔王さまのことを、まるで「近所のキャサリンおばちゃん家(ち)の7番目のお兄さん」的近しさで感じちゃってよいものだろうか。。。兄におしめを替えてもらいながら、いかに態度が大きかったか、まで暴露されてるじゃないですか。記憶しておきたいエピソードがいっぱいで、本は付箋だらけになってしまった。               
カバーのMJが男前過ぎて怖い!
 
兄弟の関係はほんとに不思議。MJが兄たちから距離を置いていたのは事実みたいで、直通電話にアクセス出来るのは母だけ。ジャーメイン兄はある「信念」に基づき、弟の動向をいつも気にしていた。それは「弟の人生において常に誠実な存在であり続ける」ということ。現実には、自分の電話や手紙はすべて無視され、訪問してもセキュリティーに入室を阻止されたりしているわけだからどうよ、と思うけど。それは4つ上の兄として、赤ちゃんだったマイケルの面倒を見た、という習い癖のようでもある。〔マイケルはどこ?大丈夫?〕と母の問う声に、上の子たちは、〔マイケルはここにいるよ。〕と返すのがゲイリー時代の習慣。そして、大人になっても、兄はIsMichael O.K.?と確認できれば、それで、自分も安心した。弟マイケルにとってはそんな兄の干渉や愛情がうっとおしかったのかもしれない。
 
クインシーはMJとのレコーディング中、兄がスタジオで「何かいいことないか、みたいにうろうろする」のに好感をもってなかったようだ(Q自伝)。他者からみると、ジャクソン家の絆の濃さに何か別のものを嗅ぎ取るのだろうか。
しかし兄はめげない!マイケルの危急をどこからか知ると、真っ先に駆けつけ、セキュリティーの壁を突破する。兄と出くわしたマイケルは「なぜ、ここにいるの?」と、ちょっと驚きながら、いつものようにハグをする・・・。
 
たとえば、この複雑な兄弟の感情は2008年の出来事に象徴される。
 
その年の春、ネバーランドは負債で売却の危機に陥った(p.402-)。兄はどこからかそれを聞くと、弟の意思とは関係なく(勝手に!)行動を開始した。兄は、自分の人脈で、一人の人物を救済者として紹介する。(驚くことに、この人物がきっかけで後のThisis itプロジェクトに至るのだが。。。) この人物はさらに23百万ドルの返済を肩代わりできる富豪X氏を紹介した。マイケル本人は返済期限は当日の3時までと思い込んでいたが、実際は10時であり、ぎりぎり6分前にX氏による送金が間に合ったのだった。そのためネバーランドを失うことを免れた(市場価格66.8百万ドル)。

この一件が買われて、この人物(Dr.Tohme-Thome) は、6月にマイケルのマネジャーになった。依然、巨額の負債を負うマイケルだったが、きちんと予算を組み、コストもさらに削減することで、新しい未来に向けて舵を切ることができた。
 
新しいマネジャーとの蜜月はしかし、ある一件で終焉する。ジュリアンズのオークションに出す家具や美術品を巡っての諍い。自分の大事なメモリアルまで売り払おうとした、と怒り、彼を首にした。
 
ランチの50%の所有権を得たX氏=トム・バラクは、ランチの運営費も面倒を見たから、八方塞のマイケルに一息つかせることになった。意気投合したふたりの会話からツアーの話が持ち上がった。彼はAEGのオーナー、Phil Anschutzに企画を持ちかけた。それがThis Is Itプロジェクトの始まりだった。 
 
一方、兄は蚊帳の外に置かれていた。彼が仲立ちをした、当の本人から弟へのアクセスを阻まれていたのだ。「どうし周りをうろついているんだ。あなたの弟は会いたくない、と言っている。もし誰かが会いたくないといえば、自分ならそんな恥ずかしい真似はしないよ」と。兄は事の次第を残らず母に話した。すると母は、賢明なアドバイスをくれた。いつものように。。。
 
「ジャーメイン。こんな風に考えてごらん。おまえは弟が本当に必要なときに助けた。そのことを弟もわかっているよ。今は距離を置きなさい。」と。(p.407) こんなお母さんだから、死ぬ前にジャクソン5をもう一度見たい、という母の願いをマイケルも受け止め、兄弟でコンサートをする約束をしていた。
 
兄は音楽家としての目を通してマイケルの作品を語っている。そこがとても興味深かった。兄の歌を初めて聴いた。 W.ヒューストンとのデュエット曲、NOBODY LOVES ME LIKE YOU DO。鳥肌がたったよ。ラブバラードはそれほど好きなジャンルではないが、これはITUNESストアで即購入。兄もすばらしいボーカリストだったのだ。

マイケルとマーロン

マイケルはいつもマーロンに競走しよう、ともちかけた。そしていつもひとつ上の兄を負かした。マーロンはそれがくやしくて、マイケルがズルをして勝った、といい、ふたりは通りでけんかを始め、ジャッキーが仲裁に入るのが常だった。家の中ではふたり一緒に走り回り、笑い声をあげ、叫び、母の家事を邪魔した。チトとジャーメインがそうだったように、マイケルとマーロンもお互いが影のような存在だった。
夏。兄弟は寝室の窓を開け放して寝た。犯罪率の高いエリアだったから、父は締めて寝るよう、きつく叱るが、聞く物ではなかった。父は一計を案じた。ある夜。兄弟が寝た後で、マスクを被り、外からこっそりと忍び寄って、窓から侵入した。大きな影が寝室の壁に伸びてきたとき、5人の兄弟は目をさまし、家が壊れんばかりの叫び声をだした。マイケルとマーロンはやはり抱き合って、怖さのあまり気も失うところだった。そこで、父は十分とばかりに電気をつけマスクを取った。
このことは後々までマイケルの心に深い傷を残し・・・なんてことはなかった。2,3日は皆、悪夢にうなされたけど。ジョゼフは結構この手のいたずらが好きで、マスクをつけ暗闇から飛び出したり、子どもたちの背後から忍び寄って脅かしたり、ゴム製の蛇やクモをベッドに隠したり、したものだった。マイケルはそれを怖いけど楽しいもの、と感じていたようだった。
ジャクソン5のリハーサルでマーロンはよくミスをした。そして父から罰を受けた。マイケルはつらくて泣きながら部屋を出て行った。反抗的で言うことを聞かない、という理由でマイケルもよく罰を受けた。実際は逃げ回ったけど。夜、真ん中のベッドをシェアするふたり。「うまくなっているよ。このままがんばるんだ」と、マーロンを慰めるマイケルの声を他の兄弟は聞いたものだった。学校の休み時間に、マイケルはマーロンにスピンやいろんな動きをして見せた。好きだったブルースリー映画のヌンチャクを使いながら。それを使って練習すると、マイケルとマーロンが好きなダンスの形−優雅さや柔軟性がある動きができるからだった。そのかいあってマーロンも次第にダンサーとして形になっていくことができた。
ある雪の日。甘党のマイケルはガムが欲しくて、でも自分では買いに行くのがイヤでマーロンにおつかいをお願いした。すると大変なことが起こった。マーロンが雪道で車に跳ねられてしまった。2,3日入院して、事なきを得たけど、マイケルは自分のせいだ、とひどく落ち込んだ。「もう自分は天国にはいけないんだ」と思った。

以上、ジャーメイン兄の本、YOU ARE NOTALONE から。




マイケル坊やトリビア:
  • マイケルは生まれたときからハイパーだった。エネルギーと好奇心に溢れた赤ちゃんで、ひとときもじっとしていなかった。
  • キャシーがマイケルを寝かしつけるときの子守唄はブルースの名曲、コットンフィールドだった。
  • マイケルはRONALDと名づけられそうだった。でも7番目の子どもだったので、キャシーが7文字からなるMICHAELという名前に決めた。
  • マイケルの最初のライブデビューは5歳。自分が通い始めるガーネット小学校のPTA祭りのステージ。曲はClimb Ev’ryMountain 1959年公開の映画、サウンド・オブ・ミュージックより)


  • オートミールの空箱と鉛筆を使ってボンゴと称する物を手作り。兄たち4人がレッスンを始めたとき、手製ボンゴをたたき、自己アピール。その後見かねたジョセフが中古のボンゴを買ってあげた。ジャッキー、チト、ジャーメインが歌のレッスンを始めると、自分も立って歌に参加。しかしジャーメインから歌うんじゃない!と抗議された。オーディエンスの役をしていた祖母、ママ・マーサが「この子が歌いたいなら歌わせてあげなさい!歌いたいんだろ、マイケル?」とかばうと、顔を輝かせた。おばあちゃんには誰も逆らえないから、兄弟は場所を開け、ジョゼフもしぶしぶ音楽をかけた。マイケルは兄たちのレッスンを全て覚えていた。
 

以上ネタもとは同じくYOU ARE NOTALONE 兄本でした。

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]

松
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事