4週間に渡る検察の証人喚問が終わり、5週目は被告弁護団側の証人喚問。
「裁判」という言葉を使用してきたけれども、原語ではTRIALと呼ばれる。ここで、トライアルの意味を確認しておきたい。トライアルとは「実際の審理」「法廷での弁論と証拠調べの手続き」を意味する。この事実審理がアメリカの場合一回限りで、やり直しがきかない。それゆえに周到な準備が必要とされるそうだ。(参照:松本直樹:陪審トライアルのテクニック)だから、よく指摘されるように、まるでショーみたい、という印象を与え、今回のケースでは判事の交代により、審理再開までに半年以上も時間がかかったわけですね。
金曜日。パリス・ヒルトンの母親キャシーが裁判所に姿を見せ、ジャクソンファミリーを元気づけた。彼女が13歳で、MJが14歳のときに、ともに同じ私立の学校に通っており、ジャクソン家との交流は長い。キャシーはUCLAの医療センターで最後のお別れをいい、MJの頭や腕や足をさすった、という。
予定された弁護人証人の証言が終わり、パスター判事は陪審員に終了予定時間が遅れたことを詫び、慰労した。
検事、ウォルグレンは木曜日に判事部屋で弁護人と打ち合わせをした。そのとき弁護人が提出した新しい証拠を検証する時間がもっと必要だ、と判事に訴えた。その中には弁護側証人のポール・ホワイト医師による新しい実験結果が含まれ、それは死亡時MJの体内にあった薬物の作用をシュミレーションしたものである。検事はそのシュミレーショングラフをまるで理解できない「象形文字」と呼んだ。判事は検事の懸念を認めるも、予定が延びることに難色を示した。というのは、陪審員は裁判の他にも、生活や仕事を抱えているからだ。ウォルグレン検事はそれによる陪審員の損失は州政府が負う用意がある、と述べた。判事はホワイト医師への反対尋問を月曜日(31日)に行うことを認めた。検察はこの週末に新しい証拠を検証することになる。
ホワイト医師の証言をもって、ひとまず弁護団の証言は終わる。その後、検察は反証を提示することになる。もしその過程が速く進むなら、裁判の結審は月曜日になるであろう。しかしその可能性はほとんどない。もし証言が月曜日に入っても続いたり、その日に終わるなら、結審は火曜日ということになる。しかしそれも断定できない。弁護人は最終弁論の準備時間が必要だからだ。そうなれば、結審は水曜日に持ち越されるであろう。。。
(ソース:CNN.com)
以下今週(24日〜28日)の証言。
27日は、麻酔医でプロポフォールの専門家、ポール・ホワイト医師。弁護団最後の証人である。冒頭陳述で、弁護側はキング・オブ・ポップがプロポフォールを自らの経口摂取により死亡に至ったのかもしれない、と述べたが、麻酔剤の飲用によって死亡することはない、という研究が明らかにされて以降は、その主張を取り下げた。 従って、ホワイト博士は、彼の最初の主張(プロポフォール飲用による致死の可能性)を、手探りで進むような示唆にすぎなかった、とし、確固たる結論ではない、と述べた。
弁護人のマイケル・フラナガンはホワイト博士に、プロポフォールを投与し、それから患者のもとを離れることを正当化できるか、と聞いた。博士は「もちろんできない」と答えた。ホワイトはマーレーがMJに投与したと主張するプロポフォールの量で死亡するとは考えられない、と述べた。
弁護団最後の証人の二人目は、中毒症の専門家ロバート・ウォルドマン。MJが死亡する数ヶ月の間に鎮痛剤、デメロール依存症になっていたことを指摘した。
ウォルドマンの証言
MJは2009年の3月から6月にかけて、皮膚科の主治医のもとを少なくとも24回は訪れ、「異常に多い」量のかなり中毒性のある薬物を受け取っていた。その薬物の禁断症状のひとつが不眠症である。
弁護人、エド・シャーノフはMJの皮膚科医アーノルド・クライン医師の医療記録を検証した。記録にはMJがボトックスと抗汗の施術を受けるたびに、多量のデメロールを入手したことが書かれてある。MJは3月にその治療を始め、200mgのデメロールを通院のたびに受け取っていた。5月までには300mgに及ぶ。
厳しい反対尋問を受け、ウォルドマンはMJがデメロール中毒だったとはっきり言うことはできない、と認めた。しかし少なくとも「依存症」であると診断できるだろう、と述べた。
26日にはマーレー医師の元患者5人の証言。心臓発作を起こしたとき手術で命を救われた、貧民街にオフィスを開き、貧しい私たちを診てくれた、などマーレーが良心的で優秀な医師であることを強調。
25日は、This Is It のコンサート・興行主、ランディ・フィリップスの証言。AEGライブ社が最初の10回のコンサートを発表したときに、チケットが瞬く間にさばけた。需要があまりに高かったので、フィリップスはMJに電話をかけ、追加のショーを打診した。MJは条件付で承諾した。ひとつはロンドン郊外に川が流れ、子供たちのために馬を置いた16エーカーの地所を用意すること。ふたつめはギネスブック社から人を呼び、最後の50回目のコンサートで『世界記録』であることを発表してもらいたい。ということ。
ランディの証言
MJは死の間際、非常に強いプレッシャー下にあり、それが結局は彼を崖っぷちへと追いつめた。MJが個人付の医者を雇ってもらいたいといったので、ロンドン在中の誰かを紹介したかったが、MJはマーレーの雇用を強く主張した。MJの健康状態についてはオルテガ監督からのeメールを受け取って初めて問題があることを知った。それには、MJが集中できずにリハーサルをすっぽかす、とあった。それからMJのマネージャー、フランク・デリオから電話があり、MJの健康状態について相談がある、といわれた。6月20日の緊急会議で、MJはショーの準備はできている、「あなたは家を建て、僕がドアを付け、ペンキを塗るだけだ」といった。薬物使用については何ら話あうことなく、オルテガはMJの答えに満足した。
弁護人、エド・シャーノフはツアーが中止されたことで生じた損失についてMJに責任があるかどうか聞いた。ランディは「はい」と答えた。しかしそれ以上の質問は許されなかった。当日、マイケル・パスター判事は事前にAEGライブ社とMJの契約について、いかなる質疑応答も禁じていたからである。「これは契約違反の裁判ではなく、殺人の案件だから」と。マーレーの弁護団は契約を持ち出すことで、MJが名誉以上のものを危険にさらしていた、ということを明らかにしたかった。
24日。ロス市警の刑事、ダン・マイヤーズとオーランド・マルティネスの証言。MJのボディガード、アルベルト・アルバレスはMJの死後2ヶ月、プロポフォールのことを黙っていた、と彼が正直に話していないことを示唆。(アルバレスは検察証人として、マーレーが911に電話する前にプロポフォールの薬ビンを袋に入れ隠すように命じた、と裁判第一週目に証言。)
アラン・メッツガー医師はMJが15年間不眠で悩んでおり、2009年の4月には点滴用の薬物を医師に懇願した、と述べた。
看護士のシェルリン・リーは涙ながらに、MJにプロポフォールを止めるように懇願し、何度もその薬で死ぬこともあるんだ、と警告したことを証言。検察のウォルグレン検事はリーの医療記録を読み上げた。「あなたが意識を失うほどぐっすり眠りたい気持ちはわかります。でも目が覚めなかったらどうするのですか」
リーは最初プロポフォールがどういうものであるか知らなかった。リサーチをして始めて、これが安易に投与すべきものではないことがわかってきた。リーはMJに「あなたを心から心配している人は決してこの薬をあなたに与えない」と言った。MJはモニターで監視されている限り、その薬は使用しても安全だ、とリーを安心させようとした。MJは次第に彼女の、お茶やビタミンの投与といった全身ケア的な治療に嫌気がさし、リーを呼ぶのを止めるようになった。
リーが最後にMJのことを聞いたのは6月21日。MJのボディガードがMJの具合がよくないと電話をかけてきたとき。リーは背後でMJが叫び声を上げているのを聞いた。「彼女に伝えてくれ。僕に何が起こっているか・・・身体の半分が熱くて、あとの半分が冷たいんだ。」と。リーはボディガードにすぐにMJを病院に連れてゆくように言った。
監視カメラの専門家、アレックス・スパールの証言。
ロス市警の捜査員には2,3分の監視カメラの映像を渡しただけ。それには、当日12:45AM前後、MJが帰宅した様子が映されている。
マーレーの弁護人はロス市警の捜査員が監視カメラから証拠集めをした際、ずさんな仕事をした、と暗に非難している。当日の監視映像の僅か数分を記録しただけで、そのやり方が大きな問題だとして、24時間分のテープを見せるよう要求した。彼等は当日誰がMJの家に入っていったのか、を特に確認したかった。その映像はMJの家で収集された証拠が勝手に変えられたとする彼らの見解を証明することができるかもしれないからだ。問題は、カメラの映像は24時間の単位でテープに記録される。だから、もしテープの記録を他に移して保管しなければ、それは新しい映像を記録し、前の映像は消去され、取り戻すことは出来ない。スパールはMJが24日のリハーサルを終え帰宅したときの時刻を確認するために、捜査員に渡したこの数分のテープをコピーしていただけで、他の記録はもはや全て消えている。
(ソース:tmz.com)