松江ゴスペルチャーチ Matsue Gospel Church

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使徒10章

今日は使徒10章を読みましょう。

「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」(10:34)

イスラエルの人々は異邦人を忌み嫌っていました。異邦人に触れたり、また会話することも拒んでいたのです。そうして自分たちの純潔を守ろうとしていました。

コルネリウスはイスラエルの人々から見れば異邦人でした。ところが彼もまた家族そろって信仰心あつく、神を畏れていたのです。神は彼の祈りに耳を傾けられ、ペトロを彼のもとへ遣わされたのです。もちろん福音を聞かせるためでした。

ペトロもまたこのために大きなチャレンジが必要でした。神は幻を通して、「神はどんな民族にも等しく恵みをお与えになる」ことを教えられました。

イエス様の十字架と復活がこれまでの宗教的固定概念を全く覆し、神の救いのご計画がイスラエルの人々だけでなく全世界の人々に及ぶことが明らかにされたのです。そして今やどの国のどんな民族も福音を信じることによって救いを体験しているのです。ハレルヤ!

参)「 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2:14〜16)

God bless you!
MGC

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使徒9章

今日は使徒9章です。

「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(9:15)

この章はパウロ(サウロ)の回心が記されています。彼はクリスチャンを迫害し捕らえるためにダマスコに向かっていました。ところがその途上で天からの光に打たれ倒れてしまうのです。私たちがどんなに自分自身の力を誇っても、神の前には全く無力であることを知ります。パウロはイエス様の圧倒的な力の前に何もすることが出来なかったのです。

このダマスコ途上の経験がパウロの信仰の原点となって、彼の伝道者としての生涯に大きな証となるのです。参)使徒22:6〜、26:12〜

さて大伝道者パウロが誕生するためには、もう一人の重要な人物がいたことを忘れてはいけません。その人はアナニアです。主はアナニアに幻の中で語られたのです。その内容は、パウロの所へ行って彼のために祈りなさい、というものでした。アナニアは当然パウロのことを良く知っていたので、その言葉に動揺したのです。しかし自分の思いよりも神のご計画に身をゆだね従いました。このように、大伝道者誕生の背景にはアナニアの大きな決断と行動があったのです。

一人の人が救われるためには、誰かが神に選ばれ、用いられています。そして誰かが神の声を聞き、祈り、決断して、あなたに福音を宣べ伝えたのです。あなたもまた神に選ばれた器として福音が託されています。私たちが先に救われた意味はここにあるのではないでしょうか。

God bless you!
MGC

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使徒8章

今日は使徒8章です。

「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」(8:4)

神の約束された聖霊が弟子たちに下ったペンテコステの出来事によって弟子たちは力強いキリストの証人となり、また教会が誕生してクリスチャンの数が急増しました。ところがすべてが順風満帆に事が運んだのではなく、福音が妨げられたり、アナニアとサフィラの事件、また日々の分配の件でのもめごと、ステファノの殉教など教会内を揺るがす様々な問題も同時に起こりました。

さらにこの章ではエルサレムの教会に大迫害が起こってクリスチャンたちは方々へ散らされ、あるいは牢に投げ込まれてしまうのです。真の神を信じたために多くの苦しみを味わわなければならなかったのです。

ところが迫害にあったクリスチャンたちはそれによって口を閉ざすことはしませんでした。どのような状況におかれても彼らにはせずにはいられないことがあったのです。それは福音を告げ知らせることでした。これがこの世のご利益的信仰との大きな違いです。人間中心の、人間のための宗教であるなら、迫害にあった時点でそれは信ずべき神にはならないのです。災いをもたらす、受け入れてはならないものなのです。

しかしそういった次元に幸福感を見出さず、自分を罪から解放し救ってくださったことを他の何ものよりも価値ある幸福とし、それを伝えることに人生の喜びを見出しているのがクリスチャンなのです。

ですからどんな迫害にあっても福音はとどまることなく語り伝えられてきましたし、本当に価値ある人生を見出したクリスチャンが存在する以上、今から後も福音は伝えられていくのです。ハレルヤ!

God bless you!
MGC

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使徒7章

今日は使徒7章です。

「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」(7:60)

これはステファノの死を直前にした言葉です。「彼ら」とは自分に向かって石を投げつけている人々のことです。ステファノは激しい痛みと苦しみの中でも呪いの言葉を一切口にしなかったのです。神を恨まず、不平をもらさず、命尽きる瞬間まで罪人の救いを願ったのです。

イエス様もまた十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と祈られました。

イエス様への信仰と聖霊がその人の内側をつくりかえ、自らの命よりも、罪人の救いを願う者にならせたのです。イエス様に似る者に変えられていくのです。

このステファノの殉教がクリスチャンたちに大きな衝撃を与えたことは想像に難しくありません。しかしクリスチャンたちは「ステファノのように石を投げつけられたくない」という思いよりも、ステファノのクリスチャンとしての生き様に感動し、勇気を与えられたに違いありません。

私たちはいかがでしょうか?クリスチャン的な考え方、キリスト教的習慣や文化を伝えることに終始していないでしょうか?大切なことはクリスチャンとしての生き様を見せることではないでしょうか?クリスチャンとしてのプライドをもった生き方をしていこうではありませんか。

God bless you!
MGC

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